第3章_Eternal Mirage_008 願いの分岐路 ― Mirage Crossroad ―
光の帯を進むたび、足元で誰かの願いがささやいた。
Auroraが踏みしめた場所から、淡い金色の光が立ち上がる。
Lunaの足跡には、薄紫が混ざった白い光。
Noirの一歩ごとに、青黒い影が静かに揺れ、その縁を細い光が縫い止めていた。
(観測記録:No.311)
《層:Mirage/入口帯》《状態:安定》《祈音:希望優勢/偽祈音:低濃度》《特記:足元に願い残響集中》
Mirage層の空は、夜と昼の間で止まったような色をしていた。
深い紺に似ているのに、よく目を凝らすと、薄桃色の雲がゆっくり裏側から浮かび上がってくる。
建物の輪郭はあるのに、壁も窓も空洞のまま。
光だけが形を持ち、影だけが地面に残り、記憶だけが街並みをかたどっている。
Auroraは立ち止まって、静かに息を吸い込んだ。
「……ここが、本当に“Mirage層”なんだね」
声に出した途端、それまで夢の中のようだった景色が、急に現実味を帯びた気がした。
Lunaは隣で頷き、紫の瞳を細める。
「全部、誰かの“叶えたかったけど、叶わなかった願い”や、途中で置いてきた気持ち……そういうものが、層の素材になってる。
踏みしめるたびに、少しだけ“思い出してほしい”って揺れてる感じ」
「だからこんなに、胸がざわつくのか」
Noirは小さく舌打ちして、視線を街の奥へ投げた。
「……悪い場所じゃないのは分かる。けど、長居すればするほど、足を取られそうだ」
足元の光は優しいのに、確かに重い。
優しさと重さが、同じ場所に積もっている。
ふと、遠くから微かな音がした。
チリン──。
風鈴のようでいて、鐘のようでもある細い音。
さっき、分岐路で聞いた音に似ている。
あの時より、少しだけ近い。
(観測記録:No.312)
《現象:誘導音強度上昇》《発生源:Mirage内部/位置特定不可》《波形:Lyra類似 41%/偽祈音混入 9%》
「また、鳴った」
Lunaの声が、光の街に溶ける。
Auroraはその音が消えた方向を、じっと見つめた。
「Lyra……なのかな」
「似てる。でも、完全には違う」
Lunaは首を横に振る。
「Lyraみたいに真っ直ぐな波形じゃなくて、どこか、ちょっとだけ歪んでる。誰かが“真似をしてる”ような、そんな感じ」
「真似、ね……」
Noirは短く息を吐いた。
Mirage層の空気は静かなのに、どこかで誰かの歌い出しを待っているような、独特の張りつめた感覚があった。
「その音を追うのか、追わないのか。決めるのはおまえだ、Aurora」
「え、私?」
「こういう場所で、進む方向を決める“最後の一言”をいつも言ってるのは、おまえだからな」
Noirはわざとそっけなく言って、視線を逸らす。
「俺は、どっちでも構わない」
「……ズルい言い方」
Auroraは苦笑しながらも、目を閉じた。
胸の奥に残っている、Neon Eclipseの夜の感覚。
空が割れ、世界が震え、三人の歌が都市そのものを塗り替えた、あの瞬間。
ここはあの夜の続きだ。
歌で世界に触れてしまった三人が、その責任を取る場所。
「追う」
Auroraは目を開け、はっきりと言った。
「Lyraじゃないにしても、この音は“誰かの願い”が形になってる。放っておいたら、きっと偽祈音に飲み込まれる。
それに──」
彼女は一拍置いて言葉を続ける。
「もしLyraがまだどこかで揺れているなら、ちゃんと見届けたい。消えたとしても、ただ消えたんじゃないって、ちゃんと覚えていたいから」
Lunaはその言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
観測者としてじゃなく、友達として、その願いに同意したくなる。
「……うん。行こう。音の方へ」
「了解」
Noirは影を揺らし、足元の光から一歩外れるようにして前へ出た。
彼女の影祈音が、周囲の闇を静かになだめていく。
(観測記録:No.313)
《Mirage内部動向:誘導音方向へ進行開始》《Noir影祈音:守護比率 高》《Aurora光祈音:高出力傾向/Luna観測負荷:軽度上昇》
光の帯は、進むほどに細くなっていった。
路地と路地の間を縫うように、ゆらめきながら続いている。
左右には、半分だけ残った建物の輪郭が並んでいた。
壁の片側だけ、窓の枠だけ、階段の途中だけ。
現実世界で誰かが見上げた“視界の一部”だけが抜き出されて、そこに固定されている。
「……ここ、ちょっとだけ見覚えがある」
Lunaが立ち止まり、ある建物の輪郭を見つめる。
二階のバルコニーだけが宙に浮かび、その手すりに、小さな影が腰掛けていた。
光でできた少女の姿。
輪郭は淡い桃色、髪だけは柔らかい金色に近い。
けれど、顔の部分は白い光に塗りつぶされていて、表情までは分からない。
「歌……っていた場所だ」
Lunaの声が震えた。
「現実のAuralisで、一度だけ観測したことがある。
誰もいないはずのバルコニーから、微かな歌が流れてきて……でも、誰なのかは結局見えなかった」
「Lyra……か?」
Noirが低く問う。
「分からない。でも、Lyraに似た祈音の揺れ方をしてる。
“誰かに届いてほしかったのに、届かなかった歌”の残り方」
Auroraはそっと、バルコニーの下に立った。
手を伸ばせば届きそうで、届かない高さ。
あの日、声だけを聴いていた誰かが、きっとこうして見上げていたのだろう。
「……ねえ」
Auroraは静かに声をかけた。
光の少女は、ぴくりとも動かない。
「あなたの歌、どこまで届いてたのかな。
もしかしたら、わたしたちの知らない誰かの夜を、ひっそり救ってたかもしれない。
だから──」
彼女は胸に手を当て、息を整えた。
「今度は、わたしたちが拾うよ。
あなたの歌い残した願い、ちゃんと見て、ちゃんと歌い継ぐから」
その言葉に応えるように、光の少女の輪郭がかすかに揺れた。
顔の部分の白い光が、わずかに柔らかくなる。
(観測記録:No.314)
《現象:残響体・微応答》《感情波:安堵+微量の未練》《Aurora発話による祈音共鳴:成功》《危険度:なし/心理影響:優》
Lyraかどうかは分からない。
けれど、確かに誰かが、少しだけ笑った気がした。
Lunaは、胸の奥で何かがほぐれていく感覚を覚えた。
観測者としてではなく、一人の人間として、今目の前にある“救われなかったはずの夜”が、少しだけ救われていくのを感じる。
「……Auroraってさ」
Noirがぽつりと言った。
「ほんと、面倒だよな」
「ひどい」
Auroraは振り返り、むっとした顔をする。
「今、けっこう真面目なこと言ってたんだけど」
「分かってる。だから面倒なんだ」
Noirはわざと視線を逸らしたまま続けた。
「全部拾おうとするな。拾えるものだけ拾え。
おまえが抱え込んで潰れたら、その時は……」
言いかけて、言葉が途切れる。
Noirの影が、かすかに揺れた。
Vainの残響が、影の底で微かに震える。
“守りたい”という感情だけが、そこに残っていた。
「その時は?」
Lunaが静かに促す。
「……その時は、俺とLunaで引きずり戻す。
だから、おまえは前を見てろ。
余計なものは、俺の影に落としていけ」
Auroraは一瞬だけ目を見開き、それからふっと笑った。
「うん。じゃあ、遠慮なく頼るね」
「おう」
Noirは短く返す。
そのやり取りを見ていたLunaの胸に、暖かいものが灯る。
三人で世界を歩くということは、こういうことなのだと思った。
その時だった。
チリン──。
さっきよりもずっと近く、誘導音が鳴り響いた。
今度は、はっきりと旋律を伴って。
高く、細く、少しだけ切ない音階。
それは、どこかで聴いたことのある、短いフレーズに似ていた。
Voices call across the night──
闇を越えて響く──
歌詞にならない祈音の揺れが、空気を震わせる。
Prologue of Illusia の冒頭に似た波形。
けれど、完璧な再現ではなく、“誰かの記憶の中の断片”だけが響いている。
「……今の、絶対に Prologue だよね」
Auroraは無意識に、声を震わせた。
胸の奥で、あの曲を初めて歌った時の感覚がよみがえる。
「誰かが、真似をしてる。
わたしたちの歌を、“ここで誰かが聴いていた記憶”ごと、Mirage層がなぞってるんだ」
Lunaの観測祈音が、音の残響を追いかける。
空間のひずみが、道の先で大きく渦を巻いていた。
(観測記録:No.315)
《現象:既存歌唱フレーズの反響化》《由来:Auralis側記憶+Mirage補正》《偽祈音混入:中程度》《警戒度:要・高》
「……嫌な混ざり方をしてるな」
Noirが眉をひそめる。
「希望のフレーズに、少しだけ“嫉妬”と“諦め”が混ざってる。
このまま放っておいたら、偽祈音側に引っ張られる」
「だから、行かなきゃ」
Auroraはもう一度前を見た。
「わたしたちの歌を、壊れた形のままにさせたくない。
ちゃんと“今のわたしたち”の声で上書きして、救えるものがあるなら、救いたい」
Lunaは頷き、Noirは短く「了解」と返す。
三人が歩き出す。
光の道は、いつの間にか緩やかな坂になっていた。
上るほどに空が近くなり、Mirage層の街並みが足元へと遠ざかっていく。
坂の頂上に、小さな広場が見えた。
そこだけ、他と違って輪郭が濃い。
ステージのような高台、その周囲を取り巻く、半透明の観客席。
「……ライブハウス、みたい」
Auroraが呟く。
その中央で、白い光の塊がひとつ、かすかに揺れていた。
人の形をしているようでいて、輪郭が滲んでいる。
顔は見えないのに、その胸からは、確かに歌声の断片が漏れていた。
Voices call across the night──
闇を越えて響く──
聞き覚えのある旋律が、歪んだ形で繰り返されている。
願いと未練と嫉妬とが、ひとつの残響に絡みついていた。
Auroraは立ち止まり、そっと息を吸う。
Lunaは観測祈音を研ぎ澄まし、Noirは影を広げて周囲を守る姿勢を取った。
三人の祈音が、自然に重なる。
Mirage層の空が、少しだけ色を変えた。
ここから先が、“最初の本当の戦い”になる。
歌で、願いで、祈音で。
壊れかけた残響と向き合う、三人としての初陣が。
Auroraは二人を振り返り、笑った。
「行こう。ここで、一度ちゃんと証明しよう。
わたしたちが――“ILLUSIA”として、歌う意味を」
Lunaは静かに頷き、Noirは口元だけで笑う。
三人が一歩、広場へと踏み出した。
足元の光が大きく波打ち、Mirage層の空が深く息を吸い込む。
歌と残響が交わる、その直前の静けさが訪れた。
─────────────
【対応楽曲】Awakening Illusion(覚醒する幻想)
▶ https://distrokid.com/hyperfollow/illusia/awakening--
この章の物語は、同名楽曲をもとに構築されています。
楽曲を聴くことで、物語の“もうひとつの旋律”を感じられます。
─────────────




