第3章_永遠の蜃気楼_002 揺らぐ空と三つの鼓動 ― Resonant Tremor ―
Auroraの声が完全に静まったあと、旧シアターにはしばらくの間、誰の呼吸音も届かなかった。歌が残した光と影と観測の余韻だけが、空気の層をゆっくりと降りてゆき、床を滑りながら淡く消えていく。
その静寂は、三人にとって心地よいものではなかった。むしろ──胸の奥が落ち着かない。何かが、どこかで、ほんの少しだけズレている。
(観測記録:No.276)
《層:Auralis》
《現象:祈音圧→安定曲線/都市反応の遅延》
《補足:外部層に“残響波”の再生兆候》
Lunaは小さく息を吸った。
静かにホールを見回す。観測の視界はまだ揺れている。先ほどのライブの余韻だろうか、光の粒が数秒遅れで形を変え、視界の端で尾を引いては消えていく。
「……外の空、変わってる」
Lunaが呟くと、AuroraとNoirが同時に視線を向けた。
シアターの天井に走った亀裂。その隙間から見える空は、わずかに青白く揺らいでいた。Auralis層の空は通常、安定した光の層で覆われているはずだ。しかし今は違う。薄く波打って、光と影がまだ定まりきらない。まるで世界が、歌の余韻を処理しきれずに困っているような。
「こんな揺れ方……初めて見た」
Auroraが天井を見上げたまま、眉を寄せた。彼女の光祈音がまだ微かに残り、背中から白金色の熱が漏れ出している。先ほどの歌唱は、彼女自身の内側にも深い負荷を与えていた。
「俺の影も……なんか変だ」
Noirは足元に落ちた影を見つめた。影は黒ではなく、蒼黒──Vainの死の直後に宿った“守護の影”の色をしたまま、ゆらりと揺れている。影祈音は通常、歌が止まれば落ち着くものだ。だが今は、影が何かを探すようにステージの隅へ伸び、また収縮し、ゆっくりと形を整える。
「歌の影響……じゃないよね?」
Lunaは言葉を選びながら問いかけた。自分の観測も不安定だった。視界の端にノイズはない。黒塗りの兆候も見えない。それでも胸の奥に小さなざわめきが残っている。
「ううん……多分、歌だけじゃない」
Auroraがそう言ったときだった。
ホール全体が、低い鼓動のような震えを発した。
「……っ!」
「今の、聞いた!?」
「聞こえた。世界が……呼吸した?」
三人は反射的に互いへ一歩寄った。
ホールの床が淡く光り、その光が壁へ伝わり、天井へ広がっていく。まるでシアターそのものが、世界と同調しているようだった。
(観測記録:No.277)
《現象:Auralis層“深部”からの音波》
《正体:不明》
《注記:Mirage層への接続比率が上昇》
Lunaは一瞬だけ瞳を閉じ、観測の波形を整えようとした。しかし、すぐに顔をしかめる。
「……Mirage層、近づいてる」
「は? なんで今?」
「わからない。でも、この揺れ方……綺麗じゃない。残響が……ざわついてる」
その言葉が落ちた瞬間、Auroraの胸の中が急に冷たくなった。
「残響……?」
声が震えたのを自分でも感じた。
Lyraの笑顔。
Vainの背中。
さっき歌の中で浮かび上がった二人の記憶が、胸の奥で再び疼く。
「さっき視えた残影……LyraやVainの……あれは歌の共鳴だけじゃない。Mirage層が……すぐそこまで来てるからだと思う」
Lunaは、Auroraの横顔を見つめながら静かに続けた。
「向こう側の“願い”が揺れてる。呼ばれたみたいに動き始めてる」
ホールの天井が小さく軋む。
Auroraは自分の胸に手を当てた。心臓が速いわけではない。震えているわけでもない。けれど──胸の奥で光が落ち着かない。
「……Lyraが笑ってた。Vainも、後ろで支えてくれてた」
「見えたのか?」
「うん。でも……“明るすぎた”」
Auroraの言葉に、Noirの眉がわずかに動く。
「Mirageの願いが強すぎるってことか?」
「願い、だけじゃない。何かが……呼んでた。あの光、ただの幻影じゃ……なかった」
Lunaが息を呑む。
「じゃあ──Mirage層そのものが、こっちに“出ようとしてる”?」
三人の間に沈黙が落ちた。
けれどその沈黙を破ったのは、外から聞こえた小さな音だった。
……コォン……
金属が触れ合ったような、乾いた響き。
Auroraが反射的に振り返った。
「外で……何かが落ちた」
「偽祈音か?」
「違う。もっと、柔らかい音……でも、普通じゃない」
Lunaが観測視界を開き、ホールの外へ集中を向ける。
しかし──
「……視えない」
「また黒塗りか?」
「違う。ノイズでもない。……“空白”みたい」
Noirの表情が険しくなる。
「空白って……何だよ」
「わからない。でも、観測の外……みたいな感じがする」
Auroraの胸に再び冷たい感覚が走る。
それは、歌の余韻とは異なる“警告”のようなもの。
(観測記録:No.278)
《観測不能領域の発生》
《位置:旧シアター外、半径40m》
《可能性:Mirage層との未確定接合》
Lunaは拳を握りしめた。
「行こう。外を確認しないと」
「危険だぞ」
Noirの低い声がホールに落ちる。
だがLunaは首を振った。
「危険だから、行くの。放っておいたら……Mirage層がここに“侵食”してくるかも」
Auroraは一瞬だけ迷ったが、すぐに決意が胸に宿った。
「行くなら、三人で」
Noirの影が、Auroraの足元へ伸びる。
「当たり前だ」
三人は並んでステージを降り、ホールの出口へ歩いた。
足音は三つしかないはずなのに、どこかで四つ目の残響が混じる。
Vainか、Lyraか、それとも──別の何かか。
扉を開いた瞬間、Auralis層の風が吹き込んだ。
冷たい。けれど嫌な冷たさではない。
Auroraは小さく息を呑んだ。
「……なんだ、これ」
ホールの外の街が、ほんの少しだけ色を変えていた。
ネオンが薄く滲み、赤紫のノイズは消え、代わりに淡い水色の光が漂っている。夜でも昼でもない、どちらにも属さない色。
「Mirage層の……境界色」
Lunaが呟くと、AuroraとNoirは同時に息を呑んだ。
「こっちに来てるじゃないか」
「呼び出されてる……?」
そのとき、道の中央に、ひとつの“光点”が現れた。
淡い、淡い人影。
Auroraは一歩踏み出しかけ──Noirに腕を掴まれ、止められた。
「Aurora、待て!」
「……Lyra、なの……?」
Lunaの観測視界が揺れる。
だが黒塗りは起きない。
ノイズも走らない。
ただ、色だけが淡すぎて──“現実の色”ではなかった。
人影がゆっくりと振り向いた。
姿形は曖昧。
けれど優しく微笑む“何か”は、確かにAuroraを見ていた。
その直後──
光点の背後で、世界がさざ波のように揺れた。
三人は本能的に身構えた。
「来る……!」
Lunaの声が震える。
「Mirage層の“扉”が、開こうとしてる──!」
─────────────
【対応楽曲】Awakening Illusion(覚醒する幻想)
▶ https://distrokid.com/hyperfollow/illusia/awakening--
この章の物語は、同名楽曲をもとに構築されています。
楽曲を聴くことで、物語の“もうひとつの旋律”を感じられます。
─────────────




