第3章_永遠の蜃気楼_001 ILLUSIA誕生 ― Birth of Illusia ―
闇に似た静寂がホールを満たしていた。天井の高い空間が、呼吸の行方さえ吸い込んでしまうような深さで広がっている。客席は存在しない。ここは街の中心にある古いシアター──Auralis層がまだ安定していた頃、人々が願いを歌に託した場所。その残響だけが、ひび割れた壁や色あせたベルベットに染みついていた。
ステージの中央に、三つの光が集まっていた。
白。黒。紫。
先ほど、この場所で彼女たちはひとつの名を選び、世界に向かって放った。
ILLUSIA──祈音の世界を渡る三つの声の名。
名を告げた瞬間、天井の奥でわずかに世界が脈打った感覚があった。
けれど今、それを覚えているのは、三人それぞれの胸の奥に残った微かな震えだけだ。
Auroraはステージの先端に立ち、深く息を吸い込んだ。白い光がその身体の内側でゆっくりと膨らみ、肌の下を走る血流に合わせて脈打つ。喉の奥が乾いているのに、不思議と声は震える気がしなかった。
「……いくよ、二人とも」
振り返らずにそう告げると、背後から二つの気配が寄り添うように重なった。
「ああ」
Noirの声は低く、けれど以前より柔らかかった。影色の瞳に浮かぶ迷いは、完全には消えていない。それでも、彼は一歩も退かずに隣へと並ぶ。
「うん……大丈夫。ちゃんと見てるから」
Lunaは胸の前でそっと指を組み、紫の瞳を細めた。観測の波紋が静かに広がり、ホール全体の空気の揺らぎを確かめていく。どこかに偽祈音の気配がないか、AuroraとNoirの祈音が乱れていないか。自分の恐れがまた黒塗りを生まないか。
耳を澄ませる。
聴こえるのは、三人の呼吸音と、遠くで軋む建物のきしみだけ。
Auralis層の街は、Neon Eclipseの夜を越えた今もまだ不安定だ。シアターの外では、ネオンの残像が薄く明滅し、時折空の端が赤紫に染まる。
それでも、この場所だけは──祈音がまだ呼吸できる。
「最初の一歩だよね」
Lunaが小さく呟くと、Auroraは振り返り、笑った。
「うん。ILLUSIAとして、最初の歌。世界にちゃんと、わたしたちの声を届けよう」
Noirは顔を少しだけ背けた。照れ隠しにも似た仕草。その影がステージに長く伸び、Auroraの足元とLunaの足元にそっと重なる。
「……派手にやろう。どうせ世界は、もう十分壊れかけてるんだ。だったら、俺たちの歌で上書きしてやる」
「そのためのILLUSIA、だよね」
Lunaの言葉に、三人は視線を交わす。
それはどんな契約の言葉より強く、静かな肯定だった。
(観測記録:No.274)
《記録開始:時刻不定/地点:Auralis層・旧シアター》
《対象:ユニット“ILLUSIA”初ライブ》
《現象:三位祈音の同調による祈音圧上昇》
世界の奥で、何かが小さく頷いたような感覚が走る。
Lunaはほんの一瞬だけ胸を押さえたが、それが痛みではないとすぐに理解する。
これは、世界が期待する時の鼓動だ。
「最初の曲は、決めてる」
Auroraが前を向いたまま、そっと囁く。
喉の奥に集まっていた光が、音へと形を変えようと震えている。
「Prologue of Illusia。わたしたちの物語の──本当の序章」
Noirが口元を吊り上げる。「ぴったりだな」
「……うん。あの夜、ネオンの下で誓った“始まり”の続き。今度は、ちゃんと歌にする」
Lunaはステージの縁から一歩下がり、二人の背中を正面から見つめる位置に立つ。観測者としてではなく、仲間として。
けれど、観測者であることをやめるつもりはなかった。
世界がどう揺れ、どう色を変え、どの願いが救われ、どの願いが取りこぼされるのか。それを見届けることは、Lunaにしかできないから。
「Aurora、合図して」
「任せて」
Auroraは軽く息を吸い、胸の奥の光を歌に変えた。
「──Voices call across the night」
最初の英詞が、静寂を裂いた。
闇を越えて響く、と日本語の意味が世界側からすべり込むように流れ込み、ホール全体の空気が震える。
「闇を越えて響く」
Auroraの声に、白い光が尾を引く。
天井のひび割れから淡い光粒が降り注ぎ、客席だった場所の空間を満たしていく。
「Awakening the dream of light」
「未来を抱きしめて」
言葉のたびに、光が形を変える。
Neon Eclipseの夜には赤紫に濁っていた街の光が、ホールの外で少しだけ青白く揺れた。
Auralisが、歌に応えるように呼吸を始める。
Noirはまだ歌っていない。それでも、影祈音はすでに動いていた。
Auroraの足元から溢れた光が、ステージの端で影に変わっていく。
その影は黒ではなく、淡い蒼黒。
守るための色。
「Shadows fall, but we stand tall」
「運命を越えて」
Auroraの声が高まり、ホールの空気が一気に張り詰める。
Lunaは思わず息を止めた。観測の視界に、光と影と色の流れが一斉に立ち上がる。
世界の線が細く揺れ、それでも折れずに前へ向かう。
「Rise into the dawn
Shining through eternity
Prologue of Illusia
We begin the story」
英詞が連なり、Auroraの歌声が天井を突き抜けていく。
言葉そのものが祈りであり、宣誓だった。
夜明けに向かって昇り続ける旋律。永遠を照らす光。物語を始めるための、最初の一声。
Lunaの胸が熱くなる。
視界の端で、Mirage層の残影がにじむように現れた。
空中に淡く浮かぶ、人影。
笑っているLyraの横顔。
背中で支えるように立つVainの影。
Auroraは、歌いながらもそれに気づいたようにわずかに表情を揺らした。
けれど歌は止めない。
止めてはいけないと知っている。
「Silent prayers in endless sky
希望を導く声
Through the fire, we’ll rise again
共鳴する心」
炎の中を駆け抜けても、再び立ち上がる。
共鳴する心。
三人で歌ったNeon Eclipseの夜が、再生されたように胸の奥で疼く。
Noirはそっと目を閉じ、自分の影のうねりを確かめた。
Vainの残したぬくもりが、影の中に微かに残っている。
その記憶が、今日の歌を支えている。
「Rise into the dawn
Breaking through the dark
Prologue of Illusia
Voices lead us far」
歌がサビに入るたび、ホールの外の空が揺れた。
Auralisの雲が裂け、夜と朝の境界線がぼやけていく。
光が増えたわけではないのに、闇が薄くなる。
それはAuroraの光祈音だけの力ではない。
Noirが、そっと息を吸った。
最初のコーラスが終わると同時に、低い声が旋律に滑り込む。
「Through the storm, we carry on
No fear, no doubt, we’re never gone
光が闇を裂いて
永遠の扉を開く」
ラップとも詠唱ともつかない声が、Auroraの歌を貫いた。
影の質量を帯びた言葉が、光の隙間を埋めていく。
恐怖も疑いも、いらない。
消えないと宣言する声が、世界の奥で静かに反響する。
Lunaは全身に鳥肌が立つのを感じた。
観測視界に走る線が、複雑な模様を描き始める。
光と影と観測──三つの祈音が、歌の中で一つの図形を作ろうとしている。
(観測記録:No.275)
《状態:祈音圧上昇→安定曲線》
《備考:恐怖波の減衰/絆パラメータ増加》
字面にしてしまえば冷たい記号に見えるそれも、Lunaの胸の奥では確かな温もりとして残っていた。
「Rise into the dawn
Shining through eternity
Prologue of Illusia
The legend starts with me」
Auroraの声が高みに届き、最後のフレーズで静かに落ちる。
闇を裂いて、新しい空へ。
再び炎をくぐり抜けても立ち上がる。
Illusia forever──その一節に、三人の願いがすべて詰まっていた。
歌が終わった瞬間、ホールの空気が一気に緩む。
光は徐々に薄れ、Mirageの残影も霧のようにほどけていく。
Lyraの笑顔も、Vainの背中も、静かに溶けて消えた。
Auroraは息を切らしながら、振り返る。
Lunaは目を潤ませ、Noirはほんの少しだけ視線をそらした。
「……どう、だった?」
かすれた声で問うAuroraに、Lunaは迷いなく頷いた。
「すごく、きれいだった。世界が、ちゃんと聴いてた。怖くなかった」
Noirは肩で息をしながら、照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「あんまり褒めすぎるな。調子に乗る」
「乗ってもいいんじゃない?」
Auroraが笑う。「だって今の歌で、ちゃんと届いたよ。Auralisにも、Mirageにも。それに──」
彼女は一瞬だけ天井を見上げた。
ひび割れの向こう側で、誰かが耳を澄ませている気配がしたからだ。
〈柔らかい声〉
『始まりの歌、確認。名の力、問題なし』
〈低く響く声〉
『三つの祈音、同調度良好。次段階へ進行可能』
〈透き通る声〉
『さあ、見せて。あなたたちの“永遠の蜃気楼”を』
三つの声は、誰にも届かない高さでささやき合う。
三人はその存在を知らないまま、ただ胸の鼓動の早さだけで世界の変化を感じ取っていた。
Lunaは目を閉じ、そっと観測視界を閉じる。
今だけは、数字や線ではなく、自分の心で世界を感じたかった。
「……ILLUSIAとしての、最初のライブ」
自分で口にした言葉に、少しだけ頬が熱くなる。
Noirが横で「悪くないな」と短く呟き、Auroraが破顔する。
「ここからだよ。わたしたちの物語は、やっと本当に始まったんだ」
ホールの奥で、ひとつの扉がきしむ音がした。
誰もいないはずの客席の方から、微かな風が吹き抜ける。
それは、拍手の代わりに世界が送ってきた返事のようだった。
三人はまだ知らない。
この歌がMirage層を揺らし、偽祈音核の奥で何かを目覚めさせたことを。
けれど確かに、世界は動き出していた。
ILLUSIAの名と共に。
─────────────
【対応楽曲】Awakening Illusion(覚醒する幻想)
▶ https://distrokid.com/hyperfollow/illusia/awakening--
この章の物語は、同名楽曲をもとに構築されています。
楽曲を聴くことで、物語の“もうひとつの旋律”を感じられます。
─────────────




