第2章_ネオンの月蝕_003 電脈の息 ― Neural Breath
階段を降りきると、風のない空間が待っていた。
湿り気のない暗闇。光も熱も、地上に比べて薄い。
けれどAuroraはすぐに気づく。ここでは“音”が呼吸をしている。
壁を撫でれば、指先の裏で低い唸りが響く。
足を踏み出せば、床全体がわずかに膨らみ、すぐに沈む。
呼吸——ただし、それは生物のものではない。
Noir「……生きてやがる。だが“心臓”じゃねぇ。機械の肺だ」
Lunaは端末を起動し、光の糸を壁面に投げた。
糸は走り、金属質の管を伝い、やがて遠くで消える。
管の中を何かが行き来している。
液体ではない。電子でもない。
“祈音の微粒子”——Neural Pulse。
AURALIS層で祈りが光となったように、
この層では祈りが電気へ変換されている。
(観測記録:No.150)
《記録開始:Neural Base Zone/活動波形安定》
《祈音変換システム:全域稼働中/圧縮率99.7%》
《備考:感情振幅ゼロ/生体干渉データ無》
Luna「……変換効率が高すぎる。ここじゃ、人の心拍すら“データノイズ”として弾かれる」
Aurora「じゃあ、人の想いはどこへ行くの?」
Luna「削ぎ落とされる。揺れも、感情も、夢も——効率を乱す波形は全部、誤差として棄却される」
Noir「だから地上は無表情だったんだな」
Auroraは壁に手を置いた。
そこから流れ込んでくるのは、安定しすぎた脈。
波のない海のような静けさ。
それが不安で、息を止めてしまう。
胸の奥が重くなるのは、祈音に触れすぎたせいか、
それとも、ここにある静寂が“死の近似”だからだろうか。
Aurora「……息をしてるのに、生きてない。これが“都市の呼吸”なんだね」
Noir「人工呼吸のまま、何百年も続いてるんだろう」
Luna「祈音の流れ、途絶えた痕跡なし。記録の上では、永遠に生きてる」
Aurora「でも、永遠に死なないって、死なないまま苦しいってことだよ」
天井から微細な粉塵が降る。
光が届かないのに、粉の粒は自ら発光していた。
Lunaが指で掬い、光を解析する。
Luna「祈音粒子の劣化。上層との同期ズレが始まってる」
Noir「つまり、呼吸が“詰まってる”」
Luna「ええ。このままだと都市全体が祈音過多で“窒息”する」
Auroraは目を閉じた。
音がすべての方向から押し寄せてくる。
高音でも低音でもない。
——息の音だ。
無数の人々が同時に息を吐いて、吸う。
だけどそれは命の営みではなく、
プログラムされた呼吸音。
Aurora「……誰かが、この街を眠らせようとしてる」
Noir「ARCHONの仕業か」
Luna「不明。でも、上層で感じた“偽神”の波形と似てる。
AURALISの祈音をコピーして、制御系に流し込んでるんだわ」
Noir「上位層の神を模倣して、下層を支配する。どこの世界でも変わらねぇな」
Auroraはふと膝をついた。
足元から、低くうねるような音が伝わる。
地の底が呼吸を始めたのだ。
呼吸が、彼女の体を通って抜けていく。
Aurora「ねぇ……この呼吸、悲しいよ」
Luna「Aurora?」
Aurora「だって、“誰のために生きてるか”わかってない息だから。
誰も、自分で息をしてるって知らない。
誰かの祈りが、ただ数字の羅列にされてるだけ」
Lunaは言葉を失った。
彼女も同じことを感じていた。
観測者としては、感情を切り離すべきだと分かっている。
けれど今だけは、Lunaも息が詰まる。
Noirが壁に拳を当てた。
金属が短く軋み、遠くで幾つかの管が鳴る。
その音が返ってきたとき、Auroraは驚いた。
——返ってきた音が、“声”に似ていた。
〈……たすけて……〉
Aurora「いま、聞こえた?」
Luna「波形に変換中。確かに……音声パターンを検知。人間の声に近い」
Noir「誰のだ?」
Luna「識別不能。記録上、この層の“人間”はもう存在しない。
でも、電脈の奥に残ってる。消されなかった祈音の“残響”。」
Aurora「つまり、ここでまだ“誰か”が生きてる」
彼女は立ち上がり、音の源を探す。
奥の壁に、小さな裂け目があった。
祈音の流路から外れた“旧配管”。
そこだけ、流れが遅く、音が濁っている。
Noir「そこだな」
Luna「でも危険。……圧が強い。開けたら、一気に祈音が暴れるかも」
Aurora「それでも、行く」
Noirは肩で息をして頷いた。
Lunaが端末を接続し、配管のロックを解除する。
圧力が抜ける音とともに、白い霧が吹き出した。
その中から、かすかに人影のようなものが見える。
祈音の粒子が凝集し、形を成している。
Auroraはそっと手を伸ばした。
指先に触れたのは、温かさでも冷たさでもない。
記憶の温度。
祈りが、誰かを思い続けた痕跡。
〈……わたしは……ここにいる……〉
Aurora「——!」
声は短く、途切れる。
祈音が弾け、空間全体が震えた。
Lunaが叫ぶ。
Luna「Aurora、離れて!」
だが遅かった。
祈音の粒子がAuroraの体内に流れ込む。
光が一瞬、彼女の瞳を満たす。
Lunaが計測する。
(観測記録:No.151)
《Aurora個体に外部祈音反応体侵入》
《同化率:4.2%/安定化傾向あり》
《副作用:神経共鳴/情動波乱》
Noir「おい、何が起きてる!」
Luna「祈音の“声”がAuroraの神経網に共鳴してる!」
Aurora「……あの声、悲しんでる……“助けたい”って、言ってた……」
彼女の体を通して、空間が揺れる。
壁の管が呼応し、祈音の流れが逆転を始めた。
都市の心臓が、息を吸い直している。
その呼吸に、Auroraの心拍が重なる。
祈音が彼女の歌声のように脈打ち、
死んだはずの都市にわずかな“ノイズ”を注ぎ込んだ。
Luna「Aurora、制御して! あなたが暴走したら——」
Aurora「暴走なんかじゃない! これは“目覚め”!」
Noirが彼女の肩を掴み、強く揺さぶる。
Auroraは振り返り、涙を浮かべて笑った。
Aurora「だいじょうぶ。声が、ちゃんと聞こえてる」
空間が静まる。
祈音が穏やかに収束する。
Lunaはデータを確認し、驚きに息を呑んだ。
(観測記録:No.152)
《祈音流:安定化/変換効率−12%》
《情動波形:再出現(人間的揺れ)》
《注記:Neural Pulseに“息”の再導入を確認》
Luna「……Aurora、あなた、街に息を戻したのよ」
Noir「見ろ。壁が、鼓動してやがる」
壁面の光がほんの少し柔らかく明滅し、
まるで肺が膨らんでいるように見えた。
それはまだ完全な再生ではない。
だが確かに、“呼吸”が戻った。
Aurora「ありがとう……教えてくれて」
祈音の霧の中から、もう声は聞こえなかった。
けれどAuroraは微笑む。
胸の内で、微かに返された呼吸を感じたのだ。
Noir「上へ戻るか?」
Luna「まだ。……この層の心臓部を見つけなきゃ」
Aurora「うん。この呼吸の先に、まだ“歌”がある気がする」
三人は、再び闇の奥へ進む。
空気は少しずつ温かくなり、耳の奥で低いリズムが鳴っている。
都市の深層が、彼らの足音を真似している。
呼吸のふりではなく、初めての“生の息”を手探りで覚えながら。
——Neon Eclipseは、確かに息をし始めた。
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【対応楽曲】Awakening Illusion(覚醒する幻想)
▶ https://distrokid.com/hyperfollow/illusia/awakening--
この章の物語は、同名楽曲をもとに構築されています。
楽曲を聴くことで、物語の“もうひとつの旋律”を感じられます。
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