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二章

――朝がくるのが嫌いだった。

 毎日、“秘密”がバレないかと怯えながら準備をする。

 恐怖と不安と罪悪感……それが、ずっと心を蝕んで離さない。

 でも、彼と出逢ってから少しだけ自分の中で何かが動く音がした――。

  

 いつものように、スプレーで黒く染めた髪を慣れた手付きで整え染髪のミスがないかを調整する。そして最後にコンタクトを両眼に入れて“普通”の人間に擬態できているかを確認してから、

「髪よし。眼もよし」

 眼鏡をかけて準備を終える。

「度が入ってないとはいえ、そろそろ眼鏡を新調しようかな」

 コンタクトも眼鏡も、もともと度は入っていない。

 目的は飽くまでも目立たないように擬態すること。

 そのために選んだ手段だ。

「……傷も、残ってないな」

 鏡で昨日殴られた箇所を確認する。痛みは引き、特に腫れている様子もない。もっとも、マスクで隠してしまうからバレようはないのだけれど……。

「よし、行こう」

 どんなことがあっても、俺の中には学校を休むという選択肢はない。問題がおきた後に休んでしまえば、きっともう家から出られなくなる。学校へ行くことが、怖くなってしまう。自分自身がそうなってしまうのだと理解しているからこそ、その手段を選び取るわけにはいかなかった。


 ✿ ✿ ✿


 教室に着き、いつものように自席で目立たないようにと大人しくしていたその時だった。

「おーはよ、真琴」

 普段ではありえないこと――クラスメイトから声を掛けられるというイベントに、俺は顔を上げ眼鏡の奥の眼を白黒させた。

「あ……、お、おはよう。忍くん」

 いつものように気配を殺して読書に没頭していたせいで、忍くんが傍に来るまで気づけなかった。

「真琴ってば、本当に目立たないように徹底してんだな」

 コソッと俺にだけ聞こえる声量で忍くんは言う。

「昨日のままでも良かったのにー」

「そ、それは無理……」

「フフ、そっかそっか。――なぁ、昼ご飯持ってきた? 昼、一緒に食べようぜ」

「う、うん。いつも一人で食べてる場所があるんだけど、其処でいい?」

「オッケー。楽しみにしてるよ」

 囁き微笑むと、忍くんはヒラヒラと手を振って自席へと戻っていった。

「おい、今の見たか? “あの”神岸が人と会話してたぞ?」

「嘘だろ? 何かの見間違えじゃないのか。ちなみに誰と?」

「知らねーヤツ。ほら窓際の席のところ。マスクして、いっつも本ばっか読んでる根暗なヤツいんじゃん? あいつ」

 こころなしか、忍くんが立ち去った後……ザワザワと教室内がざわめいているような気がする。けれど気にしたら不安感が強くなりそうだと思った俺は、ホームルームが始まるまでの間、ひたすら本を読むことに意識を向けた。

 やがて予鈴が鳴り、担任教師が入ってくるとホームルームが始まった。出欠確認を取り、決まった連絡内容を口頭で伝えると最後に、

「あと、あれだ。部活の入部届を出してない人は、早めに出すように」

 それだけ言い残して、教室から出ていった。

(入部届……部活、か)

 その言葉に、マスクの下の表情が暗くなる。

 この学校には確か帰宅部はなかった筈だ。文化系か体育会系、どちらかの部活に属さなければならない。けれど内心、人見知りだと自覚している俺は正直なところどの部活動にも入りたくはなかった。

 他人が怖い。

 他人と関わりたくない。

 俺の中に踏み込んできて欲しくない。

 それは過去にイジメられ、今も時折遭う不公平で理不尽な人間関係からだった。けれど――……。

 ふと、思う。

(忍くんは……なんだか違ったな)

 勿論、イジメられていたところを助けて貰った恩義はある。けれどその気持ちとは異なる何かが――密かに心の中に芽生えていた。

 チラリと忍くんが座っている席のほうを見つめる。

 忍くんは俺と違って存在感があって、明るくて、強い。

 そんな姿に憧れのようなものを密かに抱いた。けれどすぐに分不相応だと気付くと、その感情を心の奥底に落とし込んだ。

「部活……か」

(強いて選ぶなら、体育会系より文化系だけど)

 机の中から部活の入部届と一覧表を取り出すと、文化系の部活動を上から下まで眺めていく。

(……やっぱり気乗りしない)

 特段、入りたいと思うような部活もなかった。

 それならどうしよう、と人知れず悩む。

 そして忍くんはどの部活なんだろうと思い再び視線を向けると、パチリと視線がかち合った。

「……!」

 それがなんだか、恥ずかしいような気まずい感じがして咄嗟に視線を入部届の紙へと戻すと、俺は小さく吐息をこぼした。

 そうこうしているうちに、授業が始まりあっという間に時間が過ぎていく。


 キーンコーンカーンコーン……!


 授業の終わりを告げる予鈴と同時に、各々昼食を摂ったり、購買に昼食を買いに出たりと一気に教室内が騒がしくなる。そんな中、俺はコンビニで買った昼ご飯を手にして忍くんの席へと近づく。

「忍く――……」

 すると最後まで名前を呼びきる前に、パッと手を繋がれたかと思うとそのまま二人で教室を足早に出た。唐突なことに困惑しながらも、忍くんの後ろを着いていく。

「いつも何処で食べてるの?」

「えっと、旧校舎の中庭……桜のところ」

 問い掛けられ、反射的に答えていたがやっと歩調が合うように歩幅を揃えると共に旧校舎へと向かった。

 旧校舎は老朽化が進み、原則敷地に入ることは禁止されている。けれど中庭へと通ずる道を見つけ、更にはそこに桜の木が植わっていることを知ってからは俺はそこで積極的に昼食を摂っていた。

「へぇ、此処が真琴の特等席なんだ。抜け道があるなんて、オレも知らなかったよ」

「うん。人もいなくて落ち着くから………。それに桜が咲いてるのに、誰もいないのは勿体ないなぁって。本当は、入っちゃ駄目なんだろうけど……」

「良いんじゃん? 別に校舎内に入ってるわけじゃないんだしさ」 

 そう言って忍くんは桜木の根本に据え置かれたベンチに座る。俺も同じように座ると、ガサガサとコンビニ袋をあさりサンドイッチと飲み物を取り出した。

「真琴、そんだけ? 足りるの?」

「んー、まあ、なんとか」

 忍くんは家の人のお手製なのか、色とりどりの食材が詰まったお弁当を持参していた。そして不意にお弁当の中の唐揚げを一つ箸で摘むと俺の口元に押し付けた。

「食べなって。栄養不足になるよ」

「むぐ……っ、ン……」

 俺は押し付けられた唐揚げを口の中に収め咀嚼しながらも、小さく「ありがとう」とお礼を言った。

 忍くんはもしかしたら世話焼きなのかも知れない。

 明るくて、積極的で、優しい。

 でも、微かに違和感を感じるのは何故だろう。

 それは、まるで逃げるように教室から出てきたせいもあるけれど――教室内で、他の誰かとはしゃいでいる姿を見たことがないからかもしれない。

(もしかして……俺と同じ――)

 そう思いかけて、プルプルと頭を振る。

 忍くんが俺と同じだなんて、考えちゃ駄目だ。そんなの忍くんに失礼だ。そんな考えは、ただ俺が勝手に“同族”を作りたいだけ――。

「ねえ、忍くんは部活動何にするかもう決めた?」

 サンドイッチの袋を開け、一つ目を口に運びながら俺は問い掛けた。

「実は俺、まだ決まってなくて……。体育会系より文化系のほうで考えてるけど入りたいのがなくてさ。忍くんは何に入るのかなーって、参考までに聞きたかったんだ」

「んー、部活動? オレもまだ決めてないよ。っていうか、作ろうと思ってんだよね。オレ」

「え……? 作る、って何を?」

「ん? 部活……もしくは、同好会でも良いけど」

「部活に、同好会……。でもそれって顧問とか人数とか揃えなきゃいけないんじゃなかったっけ」

「部活動はな。同好会ならそんなのいらねぇよ」

 忍くんは、ニッと八重歯を見せて笑う。

「もし作ったらさ、真琴は入ってくれる?」

「え……」

 忍くんの問い掛けに一瞬困惑する。忍くんがどんな同好会を作るのかは分からないが、人見知りの俺が馴染めるだろうかと躊躇ったからだ。

「あ、真琴。今、オレって馴染めるのかなー? とか考えただろ」

「う……っ」

 まさかの図星を突かれて言葉に詰まる。

 俺の反応が分かりやすかったのか、忍くんはクスクスと笑うと大丈夫だよと囁いた。

「オレ達二人だけで作っちゃおうぜ。同好会」

「え……? そんなことできるの?」

「できるだろ。もし無理だったら、お祖父さんに相談してみるよ」

 忍くんの心強い言葉にホッとする。

 けれど同時に、どうして忍くんは俺のためにそこまでしてくれるのだろうかと疑問を抱く。モグモグと一つ目のサンドイッチを咀嚼し飲み下してから、俺は勇気を出して忍くんへと問い掛けた。

「あの……気分を悪くしたらごめん。忍くんはどうしてそこまでしてくれるの?」

 純粋な疑問だった。

 昨日今日会ったばかりの人間に対して、どうしてそこまでできるのか。心を開けるのかと、人間不信気味の自分にとっては信じがたいことだった。

「…………」

「…………」

 気まずい沈黙に耐えられず、二つ目のサンドイッチを口に運ぶ。数秒か、数十秒か――どちらにせよ俺にとってはとても長く感じる時間。

 やがて、忍くんは口を開いた。

「オレさ、あんま他人って好きじゃないんだよね」

 それはあまりにも唐突で衝撃的な言葉だった。

 明るくて誰にも分け隔てなく接してそうな忍くんの印象からは、かけ離れていたから。勿論、その印象なんてものは俺自身が勝手に抱いた幻想なわけだけど、それでもあまりにも意外すぎる言葉だった。

「……どうしてか、聞いていい?」

「いいよ。――ウチってさ、ぶっちゃけると裕福なほうなんだよね。親は高給取りで、お祖父さんはあんな感じだからさ。だから自然と妬みとか、金品をせびられたり、ゆすられたり……まあ自分勝手な悪意を結構向けられたんだよね」

 モグモグとお弁当を食べながら、忍くんは言葉を紡ぐ。

(確かに一般家庭に使用人さんはいないよね……)

 俺も内心密かにツッコミを入れながら、忍くんの言葉に耳を傾ける。

「“友達”って言って近付いてきた奴等も、結局はオレの金品目当てだったり、オレのステータスを自分ごとみたいなアクセサリーとしか見てなくてさ。それがウザくて嫌ンなった」

「…………!」

 忍くんの言葉に思わず絶句する。

 金品目当て。

 ステータス。

 アクセサリー。 

 その言葉の数々に胸が締め付けられる。それは“友達”と言いながらも表面的な付き合いでしかなく、しかも“忍くん”自身のことを見ていない、酷くて最低な行為だ。

「酷い……そんなの」

「……あんがとね、真琴。そう言ってくれて」

 やっぱり真琴は優しいな、と忍くんは俺の頭を軽く撫でた。

「この学校にも、ある程度中学時代の知り合いはいてさ。また付き纏われるのも面倒だから、友達なんて本当は作る気はなかったんだよ」

「え……っ」

 意外な告白に、瞳を見開く。

――“友達”なんて作る気はなかった。

 そう言いながらも、俺に手を差し伸べてくれたのは……イジメられていた俺に“友達”になろうと言ってくれたのは他でもない忍くんのほうだ。

 それはいったいどんな心境からなのだろうか。

「……じゃあ、なんで俺と“友達”になってくれたの?」

 同情からだろうか。

 それとも単なる気まぐれからだろうか。

 理由は分からない。けれどどちらにしても救われたことには変わりない。どんな答えが返ってくるだろうかと、内心ドキドキしながら俺は忍くんの言葉を待った。そして――、

「んー……、真琴が魅力的に見えたからかな」

 ポツリと、忍くんは言葉をもらした。



「んー……、真琴が魅力的に見えたからかな」

 忍くんが紡いだ信じがたい言葉に、俺は思わずサンドイッチを喉奥に詰まらせた。慌てて飲み物で流し込み、咳き込みながらも忍くんを一瞥する。

 その表情は特に大きな変化はなく、涼しげな表情をしていた。

「あの……それって、どういう意味?」

「ん? 言葉のまんまだけど」

「……お、俺からしたら忍くんのほうが輝いて見えて、魅力的だよ。喧嘩も強いし、カッコイイ」

「ホント? やったね、真琴にそう言われるだなんて嬉しいな」

 忍くんはモグモグとお弁当を食べ進めながら、嬉しそうに微笑む。

「真琴の本当の“色”を知ってるのもあるけどさ、真琴は魅力的だよ。そこは自信持ってもいいと思う。これまでの奴等はさ、見る目がなかったんだよ」

「見る目……って。でも俺、誰とも付き合ったことないし、これからもそういう人が現れるかなんて分からないし……」

 自分の悪癖だ。身内に褒められたとしても、何事もどうしても消極的に捉えてしまう――。

「ご、ごめんね。忍くんの言葉を疑うとか、否定するとかそんなつもりはないんだけど……」

「いいよいいよ。今までそんな奴等としか出会えてなかったんだから、仕方ないさ。オレも自分の考えを無理に真琴に押しつけるつもりはないからさ」

 忍くんはそう言って、優しく頭を撫でてくれた。

 その手付きに思わずドキドキしながら、俺は最後のサンドイッチを口に運ぶ。

(忍くんは優しいなぁ……)

 今まで会ってきたどんな他人とも違う。

 意見を押しつけることなく、それでも言うべきことは言ってくれて、こうして時折慰めてくれる。

 忍くんの手が、指が、俺の髪を優しく梳く。その度にトクトクと俺自身の心の中に、今まで感じたことのない想いがゆっくりと育っていく。

「し、忍く――」

 ジリリリリリ……!

 その時、スマホのアラームが鳴り響き、言いかけた言葉を遮った。いつも昼休みが終わる十分前にアラームをかけているのがアダになった。慌ててアラームを消しながら、言いかけた言葉を飲み込むとガサガサとゴミを袋に詰めていく。すると、

「真琴、今日も一緒に帰る?」

 不意にそんな提案をされた。

 内心できることなら一緒に帰りたいと思っていた俺は、パッと顔を上げ忍くんの顔を見るとコクコクと頷いた。

「うん……! 一緒に帰りたい!」

「フフ、了解。そんじゃ、“フィーカ”のアカウント教えてよ。連絡先交換しようぜ」

「“フィーカ”……」

 名前だけなら聞いたことがある。それはチャット形式で気軽に連絡が取り合えるというアプリの総称だ。だが今まで誰とも連絡を取り合う機会のなかった俺にとっては、縁遠いアプリ。当然、アカウントなど持っていなかった。

「ごめん……、“フィーカ”アカウント持ってないんだ」

「マジか。親との連絡とか、どうしてんの?」

「普通に、メールか電話だよ。あとたまに手紙」

「……このご時世に手紙って……。まあ、いいや。そんじゃ真琴は、放課後までに“フィーカ”アカウント作っといてよ。これ、オレのフィーカIDだから」

「うん」

 そんなやり取りを交わしながら、片付けを済ませると俺は来た時と同様に忍くんと中庭を後にした。


「初めての……“フィーカ”だ」

 授業の合間、なんとかして“フィーカ”のアプリを入れた俺は早速忍くんのIDを検索してみた。すると直ぐ様検索は完了し、忍くんの名前と猫のアイコンが表示された。

(忍くん……猫、好きなのかな)

 思わずアイコンを見てそんなことを思いながらも、初めての友達申請に緊張が走る。恐る恐るボタンを押すと、一瞬で申請が承認された。

「えっと……、スタンプ?っていうのは、これかな」

 もごもごと呟きながら、無料の猫スタンプを送ってみる。するとすぐに別の猫スタンプが忍くんから返ってきた。

『桜庭真琴です。宜しくお願いします』

『なんで丁寧語なんだよ笑 これから宜しくな、真琴』

 メッセージを送るとすぐに返事が返って来る。“フィーカ”というアプリの便利さに改めて感心しながらも、気になる人との秘密の交換日記のようで心がワクワクした。

――そして、その日の帰り道。

「なあ、どっか寄ってかないか?」

 お互い特に部活らしい部活に入っていないこともあり、時間は自由にあった。だからこそちょっとした寄り道もできたし、色んな話をすることができた。

「そういえばさ、真琴って好きな人とかいんの?」

「……! げほっ、ごほ…………な、なに? 唐突に」

 チェーン店のハンバーガーショップで少し早めの夕食を摂っていた時だった。忍くんからの突然の問い掛けに思わず飲み物で噎せ返る。何度か咳き込みなんとか呼吸を整えると、目元を拭いながら問いかけた。

「い、いないよ? そんな人……もともと独りでいることが多かったから、あんまり他の人と話したこともないし恋愛とか、俺にはまだ良く分かんないんだ」

「ふぅーん……」

「そういう忍くんは? 好きな人とか、いる?」

「ん? 昔は初恋とかはあったかな。今は……少し気になりかけてる相手はいる」

「そ、そうなんだ」

 何故だろう。忍くんの言う『気になりかけてる人』という言葉を聞いた瞬間、ズキリと胸の奥が傷んだ。自分から訊いたことなのに――一瞬だけ、忍くんがその『誰か』にいつか盗られてしまうんじゃないかと、そんな考えが過ぎった。

(盗るとか盗られるとか、忍くんはモノじゃないのに……。最低だ、俺は)

 密かに内心落ち込んでいると、徐ろに忍くんが顔を近付けてきた。

「な、なに……? どうしたの?」

「いや? 口端にソースが付いてんなぁと思ってさ」

 そう言うと忍くんの細い指が俺の口端を滑るように拭い、ペロリとそれを舐め取った。

「…………ッ!」

 そんなわずかな仕草に思わずドキリと心臓が跳ねる。

 忍くんは同性なのに、何故かその仕草がとても色っぽく見えて顔が熱くなった。

(どうしてだろう……)

 忍くんは初めての友達だ。大切な、ずっと仲良くしたいと思う人だ。

 なのに、この胸の高鳴りはなんだろう。

 言葉にできない苦しさはなんだろう。

 生まれてから今までこんな想いは抱いたことがない。

(なにかの、心臓の病気とか……?)

 そんなことを不安に思う一方で、もぐもぐとハンバーガーを食べ進める。

「まあ、高校生デビューしたからって無理して恋人をつくるつもりはないけどね。……相手の気持ちだって、大切にしたいしさ」

「そう、だね。大切にしたいと思う人なら尚更だよね」

 その気持ちには同意する。

 けれど俺は今までろくに人間関係を構築してこなかった。高校生になって、人生の中で初めてできた友達が目の前にいる忍くんだ。だからこそ今大切にしたいと思う人は俺にとっては忍くんただ一人だった。

「はぁ~、ご馳走様」

「ご馳走様でした」

 互いに手を合わせて食べ終わったハンバーガーの包み紙などをゴミ箱に捨てに行く。こうやって放課後に誰かと過ごす楽しみを知ったのも、忍くんのお陰だ。

「俺、忍くんにたくさんのこと教えてもらってるな」

「ん? なんだよ急に」

「だって俺一人じゃ味わえなかったことや経験を、忍くんは一緒にしてくれるから……凄く、嬉しくて」

「経験ねぇ……。色んなことが初めてならさ、これから少しずつ識っていけば良いんじゃん? オレだったらいくらでも付き合うよ」

「本当……!」

 忍くんの言葉が嬉しくて、パァと気持ちが明るくなる。いつものような暗鬱とした気持ちじゃない。忍くんといられることが嬉しくて堪らない。そんな隠し切れない感情に、つい笑みが溢れてしまう。

 その時だった。

「フフ、やっぱりいいね」

「え……?」

「真琴はさ、笑ってるのがいいよ。普段のクラスの中じゃ、まぁ見ることないけどさ」

 確かにクラスにいる時は極力目立たないようクラスの影の中に溶け込もうとしている。忍くんとは同じクラスではあるものの席も離れていて、だから極力誰かとつるんだり話したりする機会は避けていた。

「でも、真琴のその顔を見られるのもオレだけ“特別”ってことで」 

 そう言って忍くんは子どものような無邪気な笑みを浮かべて見せた。その笑顔に瞳を奪われ、一瞬何にも考えられなくなる。けれどその言葉は否定そのしたくなくてコクリと小さく頷いた。

「うん、忍くんは特別な人だよ。俺にとって」

 初めてできた“友達”だから、と俺も微笑み返した。

(……それにしても)

 ふと思う。

『昔は初恋とかあったかなぁ』

 そう呟いていた忍くん。その表情はどこか遠く、懐かしいモノを思い出すような儚げな雰囲気だった。

(どんな人、だったんだろう……)

 初恋はした、けれど実らなかった――そう邪推してしまいそうになり、俺は慌てて自分の未熟な考えを散らした。

 

 ✿ ✿ ✿


――桜庭真琴を見て改めて、自分は独占欲が強いのだと自覚した。

 それは、人であっても物であっても同じ。綺麗なもの、好きになったモノを傍に置いておきたいという、何処か子ども地味た独占欲。けれど、人の場合……少しだけ違う。独占欲の中にわずかながら別の“好き”な気持ちも混ざる。

 それは単に人間が好きという意味じゃない。自分が好きになる相手は良くも悪くも普通じゃない――所謂、同性相手だった。それが普通じゃないということは、幼心ながらすぐに気付いた。小学校で女の子が男の子に告白する時、自分自身がされる時――オレが抱く感情は歪で異質なモノだと気がついた。

 けれど“好き”という気持ちに気付いた瞬間、それに蓋をすることなんてできない。寧ろ、その相手のことを想えば想うほど気持ちが強くなっていった。

(男の子が男の子を好きに思うのは“普通”じゃないこと……)

 そうオレに教えたのは、皮肉にも片想いをしていた小学校の先生だった。細身で黒縁眼鏡を掛け一見すると幸薄そうなその先生は、名前を伏見と言った。

「キミ達はいずれ大きくなり、沢山の恋愛をするでしょう」

 なんの授業だったかは忘れたが、伏見先生は開口一番にそう言った。恋愛話というものに、男女ともに興味を抱く年頃だった。だからこそ、こぞって耳を傾けた。

「中には初恋が実ることもあるでしょう。ですが……大半の人は初恋が実ることはまずありません。それは異性どうしであっても……同性どうしであっても同じです」

(どうせい、どうし……?)

 その言葉にオレは疑問と興味を抱いた。

 オレ自身が伏見先生へ抱く感情が、まさに“ソレ”ではないかと薄々感じ取ったからだ。

 けれど周囲の同級生達は『初恋は実らない』とほぼ断言する伏見先生の言葉のほうにざわついていた。それも当然だろう。これから恋というものを知り、同時に憧れすら抱いているであろう世代に無情な現実を突き付けたのだから――。

「先生は、そんな経験があるの?」

「……ありますよ。あるからこそ皆さんに忠告しているんです。恋愛事に浮かれてはならない、と」

(あるんだ……)

 オレの問い掛けに対して恋愛をしたことがあるという言葉に密かにチクリと胸が痛む。けれど、不思議と悲しくはなかった。それは伏見先生がオレよりもずっと年上で“大人”だと認識していたから、それも当然のことなんじゃないかと察しがついたのだ。そういう意味では、オレは確かに他の同級生達よりも達観していたかもしれないし、違った“恋”を抱いていた。

「どんな恋愛をするかは個人の自由てすが、ゆめゆめその事を忘れないように生きてください。そうすれば、傷ついたとしても多少は自分のことを慰められるでしょう」

 伏見先生はそう締めくくった。 

「…………」

 ガヤガヤと蠢く喧騒の中、教室を出ていく伏見先生。

 オレは気付けばその後ろ姿を追い掛けていた。

「伏見先生……!」

「神岸くん。なんですか?」

「さっきの話で気になることがあって……。『どうせい』どうしの恋愛ってあるんですか?」

「……ありますよ。世の中は広いですから、色々な恋愛の形があります」

「それって……“普通のこと”だと思っていいんですか?」

「…………」

 オレの言葉に何か思うところがあったのか、どんな言葉の受け取りかたをしたかは分からない。けれど伏見先生は片膝を床に付けるとオレとの目線の高さを限りなく近くしてくれた。

「神岸くんは、そういう気持ちがあるんですか?」

 肯定するでも否定するでもなく、先生は優しい声音で訊いてきた。その問い掛けにギュッと制服の裾を握り締めながらコクンと頷く。

「多分オレ……みんなと“違う”なって思う時があって、あと、片想い……してる人がいるんだ」

 先生なんだけど、とモゴモゴ言葉を詰まらせながら告白する。

「…………」

 オレの言葉と気持ちを知った先生は近くの空き教室へ招くとそっとオレの頭を撫でてくれた。

「先程、恋愛には色々な形があると言いましたね? 勿論、同性どうしも当然あります……が、それは多くはない。“普通”ではないと見なされることが多いのが現実です」

 先生は念を押すようにその言葉を紡ぎながら、オレと目線を合わせた。

「“普通”ではないことが悪いこと、変なこととは僕は言いません。ただ、神岸くんの気持ちを受け取ることはすみませんが、できません」

「どうして、ですか……?」

 伏見先生の言葉にズキリと胸が痛んだ。

「……忘れられない想い人(ひと)がいるんです」

 伏見先生は、誰にも見せたことがないような儚い笑みをフッとオレにだけ垣間見せた。

「……その人は、先生にとってどんな想い人なの?」

「一生、死んでも忘れられない想い人です」

「そっか……。そんな大切な想い人がいるんだ」

「ですが、神岸くんの気持ちは嬉しかったですよ。こうして大切なことも伝えられましたから」

 そう言って伏見先生は、慰めるかのようにオレの身体を優しく抱き締めてくれた。

(初恋は実らない……。本当だ)

 内心泣きたくなるのを我慢しながら、オレは寂しいと思いながらも微笑んだ。

「先生、その想い人のこと……大事にしてね。オレも次に好きな人ができたら、先生みたいに大事にする」


――それがオレ、神岸忍の初恋だった。


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