序章
――雨は嫌いだ。
突然降ってきては、なにもかも台無しにするから。
晴れていた心も、身体も――。
ただ、助けてくれたお礼がしたかった。
ただ、それだけなのに。なんで――……。
「うわ! スッゲー雨! ゲリラ豪雨じゃん!」
「…………っ!」
バシャバシャと水溜まりも関係なく道を走りながら辿り着いたのは、今時珍しく古びた駄菓子屋の軒先だった。
勇気を振り絞って、流行りのお店の飲み物くらいは奢りたいと思って行動を共にしていた矢先、降り出した大雨に俺達は濡れた。
(サイアクだ……どうしよう)
お互い傘もなく、移動もままならない。
そしてなによりも困ったことに、濡れた身体をどうにかする術が、体育用に用意しておいたミニタオルしかなかった。
(一先ず、巻き込んじゃったから……先に拭かせてあげないと)
そう思いながら、勇気を振り絞って声をかけた。
「あ、あの……っ」
「ん……?」
「雨で、濡れたでしょ? このタオルまだ使ってないから良かったら拭いて?」
「それってアンタもじゃん。いいよ、オレは別に」
「そ、そんなの駄目だ! 風邪ひくだろ。……拭かせて」
そう言うと、俺は名前も知らない相手の頭にタオルを被せては丁寧に水気を拭いていく。距離の近さに緊張はするものの、俺はそのまま拭き続けた。
「ありがとな。もう大丈夫そうだ」
「そう。それなら良かった……」
ひと安心し、距離を取ろうとした刹那――。
「スッゲー、綺麗な色」
唇が触れ合いそうになるほど、間近にある顔。
黒曜石のような瞳に、濡鴉色の髪。正直、同性でも見惚れてしまうくらいに整った顔立ちをした相手は突然そう言った。
「なに? 髪染めてんの? わざわざ黒染め?」
俺とは違う世界にいる、キラキラとした憧れている存在がすぐ傍にいる。けれどよりにも寄ってその人物に“秘密”がバレたことに俺はただただ固まることしかできなかった。
「ち、違……染めてなんて……」
「いや、染めてんだろ。隠すなんて勿体ない。……でも“オレだけ”が見られる特権ってのも悪くないな」
雨でびしょ濡れになったもののすぐには落ちないだろうと過信していた。だが相手の口振りからどうやら普段黒に染めている筈の髪は色落ちして、斑色になっているらしい。そんな髪を指先で抓まれる。
「…………ッ!」
思わずビクンと肩が跳ね、身を竦ませてはギュッと目を瞑る。けれど引っ張られることがないと判ると、そっと目を開け恐る恐る相手を見上げた。
「なんだ、間近で見るとカラコンもしてんのか。なんでそんなに隠してんだ? 勿体ない」
「…………。よ、余計い、いじめられるし……変な色だって、嗤われるから」
昔の嫌な思い出が滲むように浮かび上がっては消えていく。苦渋に満ちた表情で訥々と答えては、俺は視線を下へと落とす。
「だから、目立ちたくないんだ……」
「…………」
俺の言い放った理由に対して、すぐに反応はなかった。ただクシャリと髪を優しく撫でる感触に、心臓がドキドキと早鐘を打つ。
「……なあ、アンタさぁ。名前は?」
「さ、桜庭真琴……」
「オレは神岸忍。――真琴、オレはアンタのことを絶対にいじめないし嗤ったりしない。約束する」
「…………!」
あまりにも唐突な“宣言”に俺は言葉を失う。
神岸忍と名乗ったその人物は、ニッと白い歯を見せて笑った。
「せっかくだからさ。オレ達、“友達”にならない?」
ザアザアと煩い雨音が耳朶を打つ。
ずぶ濡れの中、俺達は互いに見つめ合っていた。
――“友達”という、今まで出逢うことのできなかった存在。大切にしたいと思える人物ができた瞬間だった。