表層回廊編
この世界には、冒険と危険が隣り合わせの日常がある。誰も踏み入れたことのない未知の領域、旧文明が残した謎と仕掛け、そしてそれを解き明かすために挑む者たちの物語。
今回の舞台は「表層回廊」と呼ばれる広大なダンジョン。その奥には、旧文明の真実に近づくための重要な手掛かりが隠されているという。しかし、それを守るのは仕掛けだらけの罠と無限に湧き出る機械の怪物たち。足元が崩れる恐怖、火だるまになる危機、そして互いの信頼を試す瞬間――すべてが二人を待ち受けている。
ツァル「たく…嫌な予感しかしないぜ」
ヴェーラ「同感」
ヴェーラは若干俯いて答える。
ツァル「おいおい、そんな顔するなよ。気分が余計に重くなるだろ」
ヴェーラ「気楽に行ける状況じゃないでしょ。昨日だって散々だったのに…」
ツァル「ま、昨日のは肩慣らしってやつだ。今日が本番だ」
ヴェーラ「その肩慣らしで死にかけた事、忘れたわけじゃないわよね?」
ツァル「忘れてない。ただ…そうでも言わないとやってられないだろ?」
ヴェーラ「はぁ、本当にどうしようもないわね」
二人はダンジョンの前で立ち止まり、目の前に広がる不気味な闇をじっと見つめた。今日こそは、昨日よりもさらに奥へ進み、このダンジョンが抱える秘密を解き明かすつもりだ。
ツァル「この先には何が待ってるんだろうな」
ヴェーラ「…考えたくないわね」
ツァル「考えると足がすくむか?」
ヴェーラ「すくむどころか引き返したくなるわ」
ツァル「だったら俺が先に行く。お前はその華麗な弓で後ろから援護してくれりゃいい」
ヴェーラ「それで毎回危険に突っ込んで死にかけるのよね、あんた」
ツァル「だって俺が盾だろ?」
ヴェーラ「盾はもっと頑丈じゃないと務まらないのよ」
俺は軽く笑いながら肩をすくめ、手にした長剣を軽く振った。
ツァル「オリハルコンより丈夫だぜ?」
ヴェーラ「その自信がどこから来るのか、毎回不思議で仕方ないわ」
ツァル「経験と実力さ」
ヴェーラ「どの口が言ってるんだか…」
二人はお互いを見つめ、一瞬だけ微笑みを交わした。そして、改めて装備を整え、慎重にダンジョンの中へと足を踏み入れた。
ツァル「よし…行くぞ」
ヴェーラ「了解。少なくとも、無事に帰るのが目標よ」
ツァル「もちろんだ。死ぬつもりなんて毛頭ない」
暗闇の奥に進むたびに、空気は重くなり、異様な静寂が二人を包み込む。ランタンの光が壁に揺らめく影を作り、不気味な模様が浮かび上がる。
ツァル「気味が悪いな…」
ヴェーラ「昨日以上にね。何かが確実にこの奥で蠢いている感じがする」
ツァル「ここまで来た以上引き返せないぞ。旧文明の封印の謎を解くのは俺だ」
ヴェーラ「その意気込み、無事に帰ってから語ってちょうだい」
ツァル「もちろんだ」
ーーー表層回廊ーーー
ツァル「ここが表層で間違い無さそうだ」
ヴェーラ「何この階段…下が見えないわ」
ヴェーラが下を覗き込む、俺も興味範囲で覗いてみたが全てを飲み込んでしまいそうな虚空がそこにはあった。
ツァル「おおっと。チビっちまった」
ヴェーラ「はぁ?」
ツァル「俺は高所恐怖症なんだよ」
ヴェーラ「高所っつか思っきし地下だけどね」
ツァル「下に比べたら高いから高所でいいんだよ」
ヴェーラ「で?どうする?最深部にはあの階段を降らなきゃいけないみたいね」
ツァル「だがアクセス方法が分からないな」
大穴の中心部に聳えている螺旋階段。そこに辿り着くまでのルートがない。道らしきものが途中で途切れているのを見る限り、何か仕掛けがあるようだ。
ツァル「ヴェーラ、あれを見てみろ」
ヴェーラ「あれって?」
ツァル「あの道、L字になってるだろ?あれを下ろせば橋になるんじゃないか?」
ヴェーラ「確かに。跳ね橋っぽいわねあれ」
ツァル「先ずはこの階層を探索してみるか、何か仕掛けがあるはずだ」
ヴェーラ「分かった。でも、慎重にね。下に落ちたらどうなるか考えたくないわ」
ツァル「おぉ…怖いこと言うな」
俺たちは階段の周囲を囲む円形の回廊を進み始めた。天井には古びたシャンデリアのようなものが吊るされており、ランタンの光がぼんやりと反射している。壁には彫刻や模様が刻まれているが、どれも見慣れない旧文明のデザインだ。
ツァル「この模様、何か意味があるのか…」
ヴェーラ「さぁ?装飾にしては質素ね」
ツァル「だな」
ヴェーラ「…」
ヴェーラが唐突に立ち止まった。
ツァル「どうした?」
ヴェーラ「見て…ここ。文字が彫られてるわ」
ヴェーラが壁の一部を指差した。そこには古代文字が並んでいるが、風化が進みすぎて解読が難しい。俺は少し考えて、腰袋からしわくちゃの紙と鉛筆を取り出した。
ツァル「…えーっと」
ツァル「ちょっと待っててくれ…擦り出ししてみる」
ヴェーラ「そんな悠長なことしてる場合?」
ツァル「まぁ待てって」
ヴェーラ「何か考えがあるの?」
ツァル「俺の職業を忘れたか?俺は考古学者だ。旧文明の文字程度解読できる…」
俺は丁寧に文字を擦り出し、その内容を確認する。辛うじて判別できる部分を声に出して読んだ。
ツァル「よしきた」
ヴェーラ「解読できそう?」
ツァル「あぁ、出来たぜ」
ツァル「『三つの灯が橋を繋ぐ』…らしい」
ヴェーラ「三つの灯?それって何?」
ツァル「仕掛けのことだろうな。恐らく、この階層のどこかに灯を灯せる仕組みがあるんだろう」
ヴェーラは回廊の奥を睨みつけながら、小さく溜息をついた。
ヴェーラ「つまり、仕掛けを三つ探して、全部作動させなきゃいけないってことね」
ツァル「面倒だが、やるしかないな。手分けして片付けるか?」
ヴェーラ「……却下よ。昨日みたいにまた単独行動して危険な目に遭われたらたまらないわ」
ツァル「おいおい。俺の母さんじゃねぇんだから」
ツァル「俺だって独り立ち出来るぜ?」
ヴェーラ「却下って言ってるでしょ。あと年齢的には貴方のお母さんより年上よ」
ヴェーラ「おばあちゃんって呼んでもいいわよ?」
ヴェーラが不敵な笑みを浮かべる。
おばあちゃんと言ったら言ったで怒りそうだ、俺は軽く流す事にした。
ツァル「勘弁してくれ…」
ヴェーラ「それで、どっちから行く?」
俺たちは目の前に広がる回廊を見渡しながら、左右に分かれる二つの道を確認する。どちらも薄暗く、何が待ち受けているのか全く分からない。
ツァル「右にしよう。俺の勘が言ってる」
ヴェーラ「当てにならないわね。しかもあんたの勘ときた」
ヴェーラ「信頼度0ね」
ツァル「俺はラッキーガイだぜ?おっちょこちょいしても、この豪運でここまで生き残ってきた」
ツァル「信頼してもいいんだぜ?」
ヴェーラ「はぁ……分かった。後悔しないでよ」
俺たちは右側の道へと進んでいった。壁に刻まれた古代文字や模様を観察しながら、慎重に足を運ぶ。
やがて回廊の先に、奇妙な台座が現れた。その上には鉄製の灯籠があり、何かを待つように静かに佇んでいる。
ツァル「これが…『灯』か?」
ヴェーラ「でも、火がないわね。どうやって灯すの?」
俺は台座を注意深く調べたが、明確なスイッチや装置は見当たらない。すると、ヴェーラが杖を取り出し、灯籠に向かって呪文を唱えた。
ヴェーラ「《ファイアライト》!!」
杖先から放たれた炎が灯籠に触れると、青白い光が灯り、台座全体が振動するように微かに震えた。
ツァル「おぉ、すごいな。これで一つ目の灯が灯ったか」
ヴェーラ「あと二つね。この調子で探しましょう」
俺たちはその場を後にし、残りの灯を探すべくさらに奥へと進んでいった。
ツァル「にしても…」
ツァル「炎で思い出したが…」
ヴェーラ「なに?」
ツァル「この下はかなり危険かもな」
ヴェーラ「どう言う事?」
ツァル「死の空気って知ってるか?」
ヴェーラ「知らないわね」
ツァル「俺は昔鉱山で奴隷しててな、しばしば死の空気と言うのを聞くことがあった」
ヴェーラ「あー…話が渋滞してるわね」
ヴェーラ「え?あなた奴隷だったの?」
ツァル「親に売り飛ばされたものでな」
ヴェーラ「そんな壮絶な過去を真顔で語られても…えっと。大変だったのね」
ツァル「まぁ、過去の話だ。何とか逃げ出して今は自由だし…こうやって世界中を冒険してるんだから十分報われてるさ」
ヴェーラ「……そんな風に軽く言えるあんたが少し羨ましいわ」
ツァル「羨ましい?俺をか?」
ヴェーラ「ええ、どんな過去でも背負いながら、前を向いて進めるその強さがね」
ツァル「そうか?俺にとっちゃ、ただ生き残るためにやってるだけなんだがな」
ヴェーラ「それでも、その生き様は強いわ。私はそんな風に割り切れなかったもの」
ツァル「あぁ。そういえば復讐したいとか言ってたな」
ヴェーラ「えぇ。復讐なんて何も生まないのは私も分かってる。でも…それでも心が晴れないのよ」
ヴェーラ「私はこの心のモヤを晴らしたいだけ」
そう呟く彼女の声は、どこか遠くを見つめるように沈んでいった。
ツァル「いや?復讐って意外にせいせいするもんだぜ?」
ヴェーラ「え?逃げ出したんじゃないの?」
ツァル「逃げた?いやいや…ムカつくから速攻でやったわ。いつ俺が復讐しなかったなんて言ったよ」
ヴェーラ「…」
ツァル「ま、乗りかかった船だ。お前の気が済むまで付き合ってやるよ」
ツァル「俺も、お前の気持ちが少なからず分かるからな」
ヴェーラ「そう…ありがとう」
彼女は一瞬だけ微笑んだが、すぐにまた俯いて、灯を探しながら歩き始めた。俺は彼女の背中を見つめながら、ぼんやりと昔の記憶を思い返していた。
ツァル「すこししんみりしちまったが、話を戻すぞ」
ツァル「死の空気の話だが…炭鉱で時々あったんだ。毒が充満してる場所が」
ツァル「研究所のジジイが言うにはどうやら火から発生する毒らしい。しかもその毒は空気に混ざる」
ヴェーラ「それで『死の空気』ね」
ツァル「ああ。それが溜まってる場所に入ると数秒で意識を失う」
ツァル「俺は表層で運搬する仕事だったから、危険な目に遭ったわけじゃ無いが…」
ヴェーラ「この場所も、そんな危険があるってこと?」
ツァル「分からない。だが、この旧文明の施設、通気口の類いが見当たらないだろ?」
ヴェーラ「確かに。空気の流れを感じないわね」
ツァル「だから、この地下深くに行けば行くほど、危険な空気が溜まってる可能性がある」
ツァル「慎重にならないとな?」
ヴェーラ「……分かったわ」
ツァル「おう。灯を三つ点けて、さっさとこの場所を抜けるぞ」
俺たちはさらに足を速め、回廊を進む。次の灯を見つけるために、壁の模様や床の異変を注意深く観察しながら。
ツァル「もしかしたら、通気口を動かす仕掛けとかもあるかもしれない」
ツァル「少なくとも、この地下には確実に毒ガスが溜まってる…底が見えない内は心配する必要はないが…」
ツァル「何処かで空気を入れ替えないと不味いかも」
ヴェーラ「やる事が多いわね…」
ツァル「だな。数週間は掛かりそうだ」
ヴェーラ「はぁ…太陽も見えない所で数週間…」
ヴェーラ「気が狂っちゃいそう」
ツァル「なぁに。慣れるさ」
ヴェーラ「で、さっきの分岐路まで戻ってきたわね」
ツァル「どうする?左に灯があると思うか?」
ヴェーラ「右が正解で左は罠だった…なんてパターンも考えられるわね」
ツァル「こう言う時は…」
その辺の瓦礫を探し出す。そこそこの大きさと重さがあって丸く転がりやすいものがいい。、
ツァル「あったあった」
ヴェーラ「石?」
ツァル「これをこうだ!」
石を地面目掛けて放り投げる。コロコロと転がったのちに、大きな音を立てた。
ヴェーラ「わぁっ!!」
ツァル「おほほほ…」
ヴェーラ「罠だったのね…」
ツァル「こりゃあヤバいな。落ちたら…死ぬぜ」
ヴェーラ「よ、良かったぁ〜…」
ツァル「え?おい腰抜けたのか?」
ヴェーラ「当たり前でしょ!?こんなの恐怖中の恐怖じゃない!」
ツァル「内部に敵が居ないのはこう言うわけか」
ツァル「このダンジョンはモンスターとの戦いと言うより罠との戦いらしいな」
ヴェーラ「モンスターの方がよっぽど楽よ…」
ヴェーラ「あぁ!もうやってられない!!」
ツァル「落ち着けよ…嘆いても始まらないぜ」
ヴェーラ「嘆かないとやってられないのよ!こんな命がけの仕掛けばっかりの場所なんて…!」
ツァル「まぁまぁ、こういう時は深呼吸でもして…」
ヴェーラ「無理無理無理!次は何が飛び出してくるのか分からない場所で深呼吸なんて!」
ツァル「…ほら。俺がいるだろ?」
ヴェーラ「え、きも。しかも適当ね…」
ツァル「……案外こういうのは、深刻に考えすぎると足がすくむもんだ。だから俺みたいに適当にしてろ」
ヴェーラ「…適当過ぎて腹が立つけど、少し落ち着いてきたわ」
ツァル「だろ?」
ヴェーラ「…それでも、もうちょっと真剣に考えた方がいい時もあるわよ」
ツァル「そりゃそうだ。だから、こうして罠を探しながら慎重に進んでるだろ」
ヴェーラ「慎重に…ね。石を投げただけでしょ?」
ツァル「その石投げが生死を分けた。戦術だよ、戦術」
ヴェーラ「戦術って、もう少しまともな方法考えなさいよ」
ヴェーラ「音響魔法とか」
ツァル「ま、やり方なんて千差万別さ。何だって使えるものは使う」
ヴェーラ「その割に無駄話も多いけどね…」
ツァル「それも大事だろ?緊張しっぱなしじゃ、疲れる」
ヴェーラ「はぁ…まあいいわ。次に進みましょう」
ツァル「よし、それでこそ俺の相棒だ」
瓦礫の罠を避け、左の道を慎重に進むと、やがてまた台座が現れた。そこには先ほどと同じく灯籠が置かれているが、今回は少し様子が違う。
ヴェーラ「今度は…周囲に模様があるわね」
ツァル「あぁん?さっきの石板のデザインと似てるな…何かしらの仕掛けがありそうだ」
ヴェーラ「また罠じゃないでしょうね…」
ツァル「可能性は高い。だが、ここで怯んでちゃ先に進めないぜ」
ヴェーラ「わかってるけど…慎重に行きましょう」
ツァルは灯籠の周りを観察し、ヴェーラは杖を握りしめて警戒を怠らない。やがてツァルが灯籠の下に小さなスイッチのようなものを見つけた。
ツァル「お!見てくれよ!これ」
ヴェーラ「スイッチ…かしらね」
ツァル「押してみようぜ。何か起こるぞ」
ヴェーラ「何かって何よ!ちゃんと考えた上で押しなさいよ!」
ツァル「まぁ、考えたところで分からない時は分からない!勘に頼るしかないな」
ヴェーラ「その勘が一番当てにならないのよぉーー!!」
ツァル「だっ大丈夫だって…ほら、ちょっと下がってろ」
ヴェーラの取り乱した様子に笑いを堪える。
彼女は不満そうな顔をしながらも距離を取ったようだ。俺はスイッチに手を伸ばし、慎重に押し込んだ。
すると、灯籠が青白い光を放ち始め、回廊全体に低い振動が響き渡る。同時に、足元の床が微かに揺れた。
ヴェーラ「ひゃっ!何これ!?」
ツァル「多分…次の仕掛けが作動したってことだろうな」
ヴェーラ「多分って…何が起きたかも分からないの!?」
ヴェーラ「もーー!!どうすんのよぉ!」
ツァル「落ち着けって。らしくないぞ」
ヴェーラ「誰のせいでっ!」
ツァル「まぁ結果オーライだからいいだろ」
ヴェーラ「…結果が最悪だったらどうするつもりだったのよ」
ツァル「そん時はそん時だ」
ヴェーラ「………はぁ、もういいわよ」
二つ目の灯を点け、二人はさらに進むことにした。残る灯はあと一つ。この緊張感と不安の中、二人は次なる仕掛けを探しながら、深い闇へと足を進めていった。
ーー表層回廊ー最深部ーー
ツァル「さて、次で最後の灯だな」
ヴェーラ「中々辿り着かないわね…」
ツァル「だな」
ヴェーラ「もう大分歩いたわよね」
ツァル「数十分は歩いてるか?」
ヴェーラ「思ったよりも広いのね…」
ツァル「この規模は俺も初めてだ、まだまだ続くんだろ?これ」
ヴェーラ「まだこの階層も終わってないのに、下があると考えると嫌気が差すわ」
ヴェーラ「それに…さっきから罠の事ばっか気になって正気で居られないの」
ツァル「深呼吸だ、深呼吸」
ヴェーラ「簡単に言うけど…さっきみたいな仕掛けがまた出てきたらどうするのよ」
ツァル「その時はまた俺の戦術、石投げで解決するさ」
ヴェーラ「もうちょっと他の方法考えなさいよ…!」
ツァル「他の方法ねぇ。あんまり難しいこと考えると頭が爆発しそうだからな」
ヴェーラ「脳みそ小鳥じゃ無いんだから…」
ツァル「ぴよぴよぴよ!」
ヴェーラ「…」
ツァル「…」
俺たちは慎重に回廊を進みながら、残りの仕掛けを探した。壁に刻まれた模様や文字を見逃さないように注意を払いながら、二人の足音だけが響く静寂の中を歩く。
しばらくして、再び目の前に広がる小さな広間にたどり着いた。その中央には、先ほどの灯籠と似た構造物があった。しかし、今度は灯籠の周りに複雑な模様が描かれており、いかにも「罠です」と言わんばかりの雰囲気を放っている。
ヴェーラ「あれ…絶対ただの灯籠じゃないわよね」
ツァル「間違いないな。俺もそう思う」
ヴェーラ「何その冷静な反応。これ、下手したら罠どころか命取りになりそうじゃない」
ツァル「面白いね」
ヴェーラ「その感覚が理解できないわ…」
ツァルは広間をじっくりと見回し、周囲の模様や構造物を観察し始めた。一方で、ヴェーラは警戒を怠らず、杖を構えたまま広間に視線を巡らせる。
ツァル「おっ、これを見てみろ」
ヴェーラ「何か見つけたの?」
ツァルが指さしたのは、灯籠の土台に刻まれた小さな文字だった。俺は腰を下ろし、手の望遠鏡を覗き込み慎重に文字を観察する。
ツァル「これ、旧文明の『解除』に関する術式みたいだな」
ヴェーラ「解除?罠を解除するってこと?」
ツァル「どうだろうな。罠かもしれないし、封印かもしれない。何を解除するのかは分からないな」
ツァル「だが一つ言えるのは…この術式、完全には解読できない…部分的に欠けてる」
ヴェーラ「つまり?」
ツァル「これを解除するには勘と勇気が必要ってことだ」
ヴェーラ「…またその勘なのね」
ツァル「仕方ないだろ。旧文明の術式なんて現代の魔法とは全く持って別物なんだから」
ヴェーラ「それで適当にやった結果、取り返しのつかないことになったら?」
ツァル「その時はその時だ」
ヴェーラ「…はぁ、もう何回目よそのセリフ」
ツァルは軽く笑いながら、灯籠のスイッチのような部分に手を伸ばした。
ヴェーラ「待って!本当に押すの!?ちょっと、もう少し考えましょう!」
ツァル「考えたって分からないことは分からない」
ツァル「こういうのは行動しないと進まないんだよ」
俺はニヤリと笑った。
ヴェーラは半ば諦めの境地に達したようだ。
ヴェーラ「もー…!何かあったら責任取ってよね!」
ツァル「もちろんだ」
ツァルは軽く深呼吸をし、スイッチに指をかけた。そして、ゆっくりと押し込む。
スイッチが作動すると同時に、広間全体が光に包まれた。灯籠が青白い光を放ち、壁の模様が次々と輝き始める。しかし、その直後、広間の隅々から低い唸り声が響き渡った。
ヴェーラ「これって…!」
ツァル「おいおい、歓迎の準備が良すぎるだろ…!」
広間の暗がりから現れたのは、いくつもの影。旧文明の遺跡によく見られる蜘蛛型自律兵器だった。複雑な機械の構造と不気味な赤いセンサーが光り、ツァルとヴェーラを捉えた瞬間、一斉に鋭い音を立てて動き出した。
ツァル「クソッ…こんな狭い場所で…多すぎる…!」
ヴェーラ「文句言う暇があったらさっさと動いて!来るわよ!」
目の前の蜘蛛型兵器が一斉に爪や刃を振りかざして突進してくる。俺は素早く横に飛び退き、長剣で迫る一体の足を斬りつけた。機械音を立てながらバランスを崩した蜘蛛型兵器は、そのまま床に崩れ落ちる。
ツァル「一撃で倒れるわけじゃないのか…厄介だなっ!」
崩れた機械の体は動きを止めるどころか、なおも足を伸ばして俺に襲いかかってくる。
ヴェーラ「ツァル、左後ろ!」
ヴェーラの声に反応し、振り向きざまに剣を振り下ろす。背後から迫っていたもう一体の蜘蛛型兵器がギリギリで間合いを詰めていたが、剣がそのセンサー部分を正確に切り裂いた。
ツァル「助かった!」
ヴェーラ「一人で全部捌けるわけないでしょ!私もいるんだから!」
ツァル「お互い様だろ!!」
ヴェーラは杖を構え、短く呪文を詠唱する。彼女の杖先から放たれた青い光の矢が一直線に飛び、遠くにいた蜘蛛型兵器の一体を撃ち抜いた。その一撃で内部のエネルギーが暴発し、小規模な爆発を起こす。
ヴェーラ「よし!これで一体減った!」
ツァル「いいぞ!だが、まだこんなもんじゃ終わらない!」
蜘蛛型兵器の数は減らないどころか、暗闇の奥から次々と湧き出てくる。まるで際限なく生成されているような勢いだ。
ツァル「おいおい……何体出てくるんだよ!?」
ヴェーラ「これ…絶対に制御装置か何かがあるはずよ!無限に湧き出してる!!」
ツァル「なるほどな!だが…敵を捌きながらそれを探すなんて至難の業だぞ!!」
俺は再び剣を振るい、足元に迫る蜘蛛型兵器の群れを牽制する。鋭い爪と刃をかわしながら、何度も剣を振り下ろすが、一撃で止めを刺せない耐久力が厄介だ。
ツァル「くそっ!こいつら耐久力だけは一級品だな…!」
ヴェーラ「その一級品を私たち二人だけで相手してるのよ!もっと自覚して!」
ヴェーラは再び呪文を詠唱し、今度は範囲攻撃の魔法を放つ。杖先から放たれた光が広間を覆い、周囲の蜘蛛型兵器をまとめて炎に包んだ。だが、燃え上がる兵器の中から、なおも数体が焼け焦げた状態でこちらに向かってきた。
ヴェーラ「これでも倒れないなんて…!」
ツァル「しぶとい連中だな!だが、俺も負けてられねぇ!」
俺は突進してきた一体の頭部に狙いを定め、剣を逆手に構えながら跳び上がる。そして、そのまま全体重をかけてセンサー部分を突き刺した。
ツァル「これでどうだ!」
金属の甲殻を貫いた刃が内部機構を破壊し、蜘蛛型兵器はその場で崩れ落ちる。だが、安堵する間もなく、すぐ隣からもう一体が腕を振り上げて襲いかかる。
ツァル「っと、危ねぇ!」
俺は間一髪で回避し、地面に転がる。その隙にヴェーラが後方から魔法を放ち、俺を狙っていた兵器を吹き飛ばした。
ヴェーラ「無茶しすぎ!生きて帰る気あるの!?」
ツァル「あるに決まってるだろ!!」
二人は必死に連携を取りながら敵を捌いていくが、これ以上続けるのは明らかに限界だった。その時、俺はふと広間の奥に奇妙な光を見つける。
ツァル「っ!!ヴェーラ!あそこだ!!敵を制御してる中枢装置がある!!」
ヴェーラ「本当!?でも、どうやってあそこまで行くのよ!?」
ツァル「俺が囮になる!お前はその隙に中枢を壊せ!」
ヴェーラ「また無茶ばっかり…!」
俺は深呼吸して覚悟を決めた。敵の注意を引くために大声を上げ、剣を振り回しながら群れの中心に飛び込む。
ツァル「ほら!俺を追ってこい、この鉄くずども!」
蜘蛛型兵器たちが一斉に俺に向かってくる。その全てをかわすことはできないが、ギリギリで攻撃を受け流し、できるだけ長く注意を引きつける。
ヴェーラ「ほんとに無鉄砲なんだから!!」
ヴェーラはその隙に中枢装置へと走り込み、杖を振り上げる。そして、一気に呪文を詠唱する。
ヴェーラ「これで終わりにするわよ…!《エクスプロージョン》!」
杖先から放たれた強烈な爆発魔法が中枢を直撃する。轟音とともに装置が砕け散り、広間全体が揺れた。その瞬間、蜘蛛型兵器たちの動きが一斉に止まり、静寂が訪れた。
ように思われた……
ツァル「アッチャアァァ!!!!!」
ツァル「アチチチチチ!!!」
ヴェーラ「えぇ!?やっ、やばい!!」
ヴェーラは焦った様子で再び杖を振り上げ、急いで呪文を唱える。
ヴェーラ「《ウォーターカーテン》!!」
杖先から噴水のように水が勢いよく飛び出し、ツァルを包み込むように降り注いだ。激しい蒸気が立ち上がり、広間が一瞬真っ白に覆われる。
ツァル「……っぷはっ!おいっ!!!もっとマトモな消し方はねぇのか!!」
ヴェーラ「だ、だって!火が出てたんだから仕方ないでしょ!!」
ツァル「誰のせいで火が出たんだよ!!あの魔法、俺を巻き込む気満々だっただろ!」
ヴェーラ「違うわよ!ただ、爆発の範囲がちょっと広かっただけ…!?」
ツァル「ちょっとどころじゃねぇ!今の爆発で人生終わるかと思ったぞ!」
ヴェーラ「でも生きてるんだから結果オーライでしょ?」
ツァル「お前、結果オーライって言えば何でも許されると思ってんのか!?」
ヴェーラ「だってほんとに生きてるじゃない!」
ツァル「俺の魂ちょっとだけ天国の扉ノックしてたぞ…」
ヴェーラ「なぁんだ。まだ余裕あるみたいじゃない」
ツァル「余裕あるか!俺の髪…ちょっとチリチリになってるじゃねぇか!!」
ヴェーラ「えっ、本当に?」
ヴェーラは近づいてツァルの頭をじっと見つめた後、ぷっと吹き出した。
ヴェーラ「ほんとだ!毛先が焦げてる!」
ツァル「笑うな!!おい…これ直るのか!?俺、しばらく坊主か!?」
ヴェーラ「だっ大丈夫よ…時間が経てば自然に戻るわ」
ツァル「そういう問題じゃねぇ!!髪のプライドが傷ついた!」
ヴェーラ「そんなプライドあるの!?初耳なんだけど!」
ツァル「俺のプライド、髪に全部詰まってんだよ!」
ヴェーラ「詰まりすぎでしょ!他にも詰めなさいよ!」
二人が言い合いを続けていると、広間に漂っていた煙がゆっくりと晴れていった。蜘蛛型兵器たちは完全に動きを止め、もう再起動する気配はなかった。
ヴェーラ「…とりあえず、目的は達成したわね」
ツァル「火傷するかと思ったけどな!!」
ヴェーラ「そこは感謝するところじゃない?命拾いしたんだし」
ツァル「感謝どころか、倍返ししてぇくらいだわ」
ヴェーラ「じゃあ私も倍返しするわよ?火属性で!」
ツァル「お…おい!やめろっ!二度目の天国行きは勘弁だ!!」
結局、最後まで騒ぎながらも、二人は目的を果たして次のエリアに向かう準備を進めることにした。緊張感の中にも少しだけ笑いが混ざり、ほんのわずかだが、彼らの空気が軽くなった気がした。
ーーー表層回廊ー中央階段ーーー
ツァル「ひでぇ目に遭ったぜ…」
ヴェーラ「因果応報でしょ?」
ツァル「俺が何をしたって言うんだよ…いや、俺が悪いのか?」
ヴェーラ「自覚がないのが余計タチ悪いわ」
ツァル「はいはい…どうせ俺が悪いって話だろ」
俺は肩をすくめて溜息をつきながら、広がる回廊を見渡した。その先には、三つの灯が作動したおかげで跳ね橋が完全に下りていた。
ツァル「おっ、見てみろ。跳ね橋が架かってるぞ」
ヴェーラ「やっとね。これで第一関門突破ってところかしら」
ツァル「だな…」
ヴェーラ「なによ、やけに覇気がないじゃない」
ツァル「そりゃお前、全身に火がついてたんだぞ?疲れるとか、そういう次元じゃねぇよ」
軽く頭を掻きながら、焦げた毛先を心配した。全身から立ち上る焦げ臭さが、まだ少しだけ残っている。
ツァル「なんか、心が燃え尽きた感じだ…」
ヴェーラ「しょうがないわね…今日はここまでにしましょう」
ツァル「助かるぜ。螺旋階段が見えるこの場所で野営と行くか」
ヴェーラ「そうね。それじゃあ準備しましょうか」
俺は中央階段の近くに腰を下ろし、荷物から簡易的な野営道具を取り出した。寝袋を広げながら、未だに残る疲労感を引きずっている。
今寝たら気持ちよさそうだ。
ヴェーラは外へ薪を拾いに出て行った。
ーーー数時間後ーーー
ツァル「…」
ヴェーラ「起きて。ご飯にしましょ」
ツァル「うん?おぉ、帰ってきたか」
ヴェーラ「ただいま。ついでに食べれる山菜とか探してきたわよ」
ツァル「助かる!薪は探せたか?」
ヴェーラ「もちろん」
ツァル「グッジョブ」
そう言うとツァルは少し気怠げに起き上がり、黙々と作業を始めた。ヴェーラが持ってきた薪を割り、テントを組み始めている。
ツァル「おい、ちょっと手伝ってくれー」
ヴェーラ「疲れたからパス」
ツァル「はぁ…」
ツァル「普通のパーティーなら癒し役とかいると思うんだけどなぁ」
ツァル「ウチには居ないのかねぇ…」
ヴェーラ「癒し役ね…たぶん、あなたに火をつける癒し役ならここにいるわよ?」
ツァル「そりゃ燃やし役だ…勘弁してくれ」
俺は愚痴を溢しながら、設営を終えた。今度は食事の支度をしようと思い、腰ベルトを外すそうとする。するとヴェーラが悲鳴を上げた。
ヴェーラ「ちょっ、ちょっと何しようとしてるの!?」
ツァル「うん?飯の準備だが」
俺は至るところに革袋が括り付けられた腰ベルトを見せつける。
ヴェーラ「いやいや…わざわざベルト外す必要はないでしょ。びっくりしちゃったじゃない」
ツァル「びっくりって…なんで?」
ヴェーラ「いや…その」
ツァル「こう言うことか?」
俺はズボンをずり下げてみた。
ヴェーラ「キャアーーー!!!!!!!」
ツァル「なんてな。2枚着てる」
ツァル「下は鎖帷子だ」
ヴェーラ「バカっ!アホっ!」
俺はヴェーラの真っ赤な顔を見て、つい吹き出した。普段は無表情な面をしているが、思ったよりも感情豊かでおもしろい。
ツァル「お前が驚きすぎるから、こっちも面白くなるんだ」
ヴェーラは腕を組んで、ぷんすかと頬を膨らませた。
ヴェーラ「普通驚くでしょ!?こんな状況で急にズボン下げるとか、どんな神経してるのよ…!」
ツァル「いやいや、冗談だって分かるだろ。第一俺がそんな常識外れの奴に見えるか?」
ヴェーラはじっと俺を睨みつけたあと、ふぅっと深いため息をついた。
ヴェーラ「…見える」
ツァル「おいっ!」
これにはさすがの俺も苦笑いするしかない。だが、ヴェーラの表情がすぐに柔らかくなるのを見ると少し安心した。
ヴェーラ「もう…早く準備して。お腹すいたんだから」
ツァル「はいはい分かったよ。今度からは驚かせないよう気をつける…多分な」
俺はそう言いながら、腰ベルトの革袋から食材を取り出した。
ツァル「今日は贅沢だぞ」
ヴェーラ「贅沢?そんなお金の余裕あったっけ?」
ツァル「俺らが討伐したダークウルフが居たろ?その肉を貰ったんだ」
ヴェーラ「今日は肉料理って事!?」
ツァル「おう」
ヴェーラ「楽しみで仕方がないわ…!」
ツァル「ちょっと待っててな…」
焚き火の準備をする。
ダンジョン攻略という事もあり、装備はそこそこ揃えてきた。
ツァル「みろ、ヴェーラ。凄いだろこれ」
ヴェーラ「金属板?どこでそんなの拾ってきたのよ」
ツァル「いや、拾い物じゃない」
ヴェーラ「…待って、魔力を感じる…もしかして魔道具?」
ツァル「御名答。これは折りたたみ式の鍋だ。数年前にドワーフから譲ってもらった」
ヴェーラ「へぇ…どれくらい大きくなるの?」
ツァル「ほらよ」
俺は板の中央を軽く押し込むと、それが小さな振動とともに展開し、あっという間に深鍋の形を取った。ヴェーラは目を見開き、感嘆の声を漏らした。
ヴェーラ「すごい!まさか本当にこんなに大きくなるなんて…」
ツァル「驚くだろ?折りたたみ式の鍋なんて、ドワーフの発明にしては実用的すぎるよな」
ヴェーラ「何それ。ドワーフの技術は全部実用的なんじゃないの?」
ツァル「いや。あいつらの大半は用途が限られすぎてるんだよ。例えばな…手動式の自動髪結いマシンとか」
ヴェーラ「手動なのに自動って矛盾してない?」
ツァル「そうだろ?だが、髪結の技術がない人でも髪結が出来るし画期的らしいぞ」
ヴェーラ「なんか分からないけど…これだけは便利そうね」
俺は鍋の中に水を注ぎながら、焚き火を準備する。ヴェーラはそんな俺の手元を見つめていたが、ふと不安そうな顔をした。
ヴェーラ「…ねぇ、その鍋、壊れたりしないでしょうね?」
ツァル「安心しろ。これはそんな安物じゃない」
持参した紐を鍋にくくりつけ、鍋を焚き木の上に吊るす。木で組まれた三角錐の頂点から鍋が吊り下げられている。いかにも野営らしい。
ツァル「ヴェーラ、火をつけてくれ」
ヴェーラ「《ファイア》!」
ツァル「おぉ、サンキューな」
パチパチと爆発音を立てながら、焚き火は燃え始めた。垂直に上がる白煙が、ここが風が吹かないダンジョンの中だと示している。
ツァル「さて、真打登場。今日の本命ウルフ肉だ」
ヴェーラ「これは…美味そうね」
ツァル「当たり前だが獣臭が凄いから、ハーブと一緒に煮込んで中和させるぞ」
ウルフ肉を切り分け、持参してきたハーブと一緒に鍋に放り込む。ヴェーラが持ってきた山菜も投入した。鍋の中では水が徐々に温まり、湯気が立ち始める。ヴェーラは興味津々な表情で鍋の中を覗き込んでいた。
ヴェーラ「匂いが少しずつ変わってきたわね。獣臭が薄れて、なんだか香ばしい香りがしてきた」
ツァル「だろ?ハーブの力は偉大なんだよ。これがあるとないとじゃ天と地ほど味が違う」
ツァル「匂いとは味だからな」
ヴェーラ「いつの間にそんな料理知識を身につけたのよ?」
ツァル「旅人ってのはな、どんなに頑張っても飯は自分で作らなきゃならない」
ツァル「嫌でも覚えるさ」
ヴェーラ「なるほど。苦労と努力の結晶なのね」
ツァル「だな」
ヴェーラは小さく笑いながら、鍋の中をじっと見つめ続けた。
ツァル「そろそろいい感じだな。ちょっと味見するか」
そう言って俺は鍋の中からスープを一匙すくい上げ、息を吹きかけて冷ました後、口に運んだ。
ツァル「おお…これは…!」
ヴェーラ「どうなの?」
ツァル「完璧だ。自分で言うのもなんだが…いい出来だぞ」
ヴェーラ「ふふ、それは期待できそうね」
ツァルは手際よくウルフ肉とスープを分け、ヴェーラにも分け与えた。湯気を立てるスープの香りが、ダンジョンの空気にほんの少しだけ暖かさをもたらす。
ヴェーラ「いただきます」
ヴェーラは一口スープを口に運び、その瞬間、瞳が輝いた。
ヴェーラ「…美味しい!これは本当に贅沢ね!」
ツァル「だろ?これだから冒険はやめられないってもんだ」
ヴェーラ「にしてもこんな料理が出来るのに、何であんな毒キノコ鍋なんて作っちゃったのかしら?」
ツァル「知らなかったんだよ…味は悪くなかったろ」
ヴェーラ「これから野営はこう言う料理にしてほしいわ」
ヴェーラ「もうライ麦パンの貧相な食事はこりごりよ…」
ツァル「その為には稼がないとな。あとお望みならライ麦パンあるぞ」
ツァル「炭水化物も取っとけ、大事なエネルギーだ」
そう言って俺はカチカチに固まったライ麦パンを差し出す。ヴェーラは嫌々受け取った。
ツァル「スープに漬けて食べてみろ、美味いぞ」
ヴェーラは渋々ライ麦パンを手に取り、スープに浸して一口かじった。すると、顔の表情が少し柔らかくなった。
ヴェーラ「…意外と美味しいわね。スープのおかげで柔らかくなるし…味もしみてる」
ツァル「だろ?この手のパンは保存が利くし、こうやって食べると悪くない」
ツァル「冒険者の基本だ」
ヴェーラ「でも、やっぱり肉料理には敵わないわね」
ヴェーラ「もっと頻繁にお願いしたいところだわ」
ツァル「簡単にはいかねぇよ。ウルフを狩るのがどれだけ大変か身に沁みて分かっただろ…」
ヴェーラ「そういえばそうだったわね。今日は貴重なご馳走をありがたくいただきましょう」
ツァル「そうしてくれ。俺も久々にまともな飯を食えて嬉しいからな」
二人はスープに浸したパンやウルフ肉を静かに食べながら、しばし焚き火の暖かさを楽しんだ。ダンジョンの中の張り詰めた空気が、食事と共に少しだけ和らぐような気がする。
ヴェーラ「これだけ美味しい食事ができるなら、いっそどこかの町で料理屋でも開けばいいんじゃない?」
ツァル「世界の謎を解き明かしたら、そう言う生活も悪くない」
ツァル「ま、どこかで退屈しそうだけだな」
ヴェーラ「ふふ、やっぱりそういう答えが返ってくると思ったわ」
ツァル「お前だって同じだろ?こんなダンジョンの中で野営するなんて普通の奴は嫌がるもんだ」
ヴェーラ「まぁね…私も冒険が好きだから。こういう時間も好きよ」
ツァル「だろ?だから次の関門もサクッと突破して、もっと旨い飯を作るぞ」
ヴェーラ「その言葉、覚えておくわ。次はもっと期待してるからね」
ツァル「参ったな。もうマトモな食材ないぞ」
二人は互いに軽口を叩き合いながら、残りの食事を平らげた。そして焚き火の火を弱め、静かな夜の準備を整える。
ツァル「目が覚めちまったなぁ…」
ヴェーラ「寝れないの?」
ツァル「いや、疲労感は感じてる。すぐに眠気が来るだろう」
ヴェーラ「そう。じゃあおやすみ、早めに寝るのよ?」
ツァル「おうよ」
そう言ってヴェーラはテントの中へと潜り込んだ。しばらくすると彼女の寝息が聞こえてきた。
ツァル「ふわぁ」
ツァル「俺ももう寝るかな」
腰掛けていたイスを片付けて、俺もテントの中へと入る。冷え切った寝袋の中へ身体を入れる。肌寒い冷気の中、布団に包まる。
これほど幸せなことはないだろう。
そう考えているうちに、俺の意識は闇深く落ちて行った。
ーーー翌朝ーーー
ダンジョン内に朝の光が差し込むことはない。だが、それでもツァルは体内時計のような感覚で目を覚ました。寝袋から顔を出し、冷たい空気を感じる。
ツァル「ふわぁ…寒っ」
身を起こして伸びをする。焚き火はすっかり消え、灰と炭だけが残っている。俺は手早く焚き火の跡を片付けると、寝袋をたたみ始めた。
ツァル「ヴェーラ、おい、起きろ」
テントの中から微かな声が返ってくる。
ヴェーラ「…んん…あと5分…」
ツァル「5分で済むやつはいねぇんだよ。早くしろ…」
ヴェーラ「分かったわよ…もう…」
不機嫌そうな声を上げながら、ヴェーラがテントから這い出てくる。髪は少し乱れており、普段のきっちりした印象とは違って少しだけ気の抜けた姿だ。
ヴェーラ「で…ふわぁっ」
ヴェーラ「………次はどこを目指すの?」
ツァル「螺旋階段を登って、この回廊の上層を進む。地図によると、そこに第二関門があるらしい」
ヴェーラ「…ふぅん。第二関門ね…どんな罠が待ち構えてるのかしら」
ツァル「さぁな。だが、昨日みたいな火だるまだけは勘弁だ」
ヴェーラ「…それに関しては完全に自業自得でしょ?」
ツァル「まだその話を蒸し返すのか…」
俺たちは軽く口喧嘩をしながらも、朝食の準備を始めた。俺は残った薪で小さな焚き木を作り、ヴェーラは髪をといている。
ツァル「ヴェーラ、火お願い」
ヴェーラ「…また燃やされたいの?」
ツァル「俺じゃねぇよ。焚き火だよ焚き火」
ヴェーラ「あぁ…はいはい。《ファイア》」
ツァル「たく…まだ寝ぼけてんじゃねぇのか?水やるから顔洗ってこいよ」
ヴェーラ「ありがと」
ヴェーラは革袋を受け取ると、片手に少量の水を出し顔を洗った。
ツァル「ほら、これで顔拭け」
ヴェーラ「ありがとう」
ツァル「たく…子供じゃねぇんだから」
ヴェーラ「…」
ヴェーラ「これ何の布?」
ツァル「え?俺のシャツだが」
ヴェーラ「…うーん。まぁいいわ」
ヴェーラ「そんなに臭わなかったし」
ツァル「臭い…?」
ヴェーラ「別にそんなにしてないから平気よ」
ツァル「なんか…傷心だぜ」
ヴェーラはツァルのシャツで顔を拭き終えると、特に悪びれる様子もなく布をポイッと彼の方へ投げ返した。
ヴェーラ「ほら、返すわね。ありがと」
ツァル「雑に扱うなよな。俺の大事な…まあ、いいか」
焚き火の炎が少しずつ安定してきたところで、俺は手早く鍋を用意し、簡単なスープを作り始めた。水と塩、少量のハーブに少しの干し肉を加えて煮込むだけの手抜きだが、腹を満たすには十分だ。
ツァル「ほら、これで朝飯な」
ヴェーラ「スープだけ?パンは?」
ツァル「昨日のライ麦パンがまだある。スープに浸けて食え」
ヴェーラ「またそれなのね…まぁ、仕方ないわ」
ヴェーラは半ば諦めたようにパンを取り出し、スープに浸して一口かじる。
ヴェーラ「…なんか微妙ね」
ツァル「調味料もそんなに入れてないし、肉は干し肉だからな」
ツァル「朝飯なんて質素でいいのさ」
ヴェーラ「偉そうに言ってるけど、あなた昨日は危うく火だるまになりかけたの忘れてないでしょうね?」
ツァル「それはもういいだろ!!!俺も反省してるんだからよっ!」
ヴェーラ「ふふ、反省するだけ成長したわね」
ツァル「…皮肉か?」
ヴェーラは微笑みながらスープを啜る。その姿を見ていると、少しだけ俺の傷心も和らぐ気がした。