崩れゆく村
村を襲う魔物、荒れ果てた耕作地、疑惑の目を向ける村人たち――ツァルとヴェーラは、過酷な任務の中で足場を築こうとしていた。
夜の闇に潜む危険、牙を剥くダークウルフたちとの死闘。
しかし、危機の中でもツァルの軽口は止まらず、ヴェーラの冷静な矢が狼たちを貫く。
「寒い」「きつい」「腹が減る」――そんなぼやきを抱えつつも、彼らは確かに前に進んでいる。
この村で待ち受けるのは、単なるモンスター退治だけではない。
次第に深まる謎と、新たな危機が彼らの行く手を阻むだろう。
これが、禁忌の地を旅する者たちの日常だ。
ーーープレナ村ーーー
ツァル「…着いたな、プレナ村」
ヴェーラ「長閑なところね。悪く言えばクソ田舎」
ツァル「悪く言いすぎだろ。クソは余計だ」
ツァル「大体悪く言うってなんだよ。良く言えばだろ普通」
ヴェーラ「だって…ほんとに何もないじゃない」
馬車に揺られること二日。二人は村外れで降ろされた。見渡す限りの原野が広がり、風が吹き抜ける。村は遠くに点のように見えるだけだ。
ツァル「……空気がうまいなぁ」
ヴェーラ「意外ね、そういう感想を言うタイプだとは思わなかった」
ツァル「まぁな。都市の澱んだ空気より、自然の匂いのほうが好きなんだ」
ヴェーラ「へぇ、ちょっと見直したわ。いい趣味ね」
ツァル「だろ?」
ヴェーラ「……でも、あの御者がわざわざ村外れに降ろしたのは何でかしら?」
ツァル「そりゃお前…毒キノコ食わせたのを根に持ってるんだろ」
ヴェーラ「あれ、私がいなかったら御者諸共あんたも確実に死んでたわよ」
ツァル「俺は元気だ」
ヴェーラ「全く…」
夜営の際、俺が仕留めたジビエと山菜で鍋を振る舞った。だが、まさかあのキノコが毒だったとは。
ヴェーラ「メガキュアを覚えておいてよかったわ」
ツァル「…お前がいなかったらと思うと、背筋が凍るぜ」
ヴェーラは呆れたように深くため息を吐いた。
ツァル「なぁんてな。ほら、話してる間に着いたぞ」
ヴェーラ「ここがギルド?」
ツァル「ああ」
建物の前で立ち止まる。木造の小さな家だ。オーク材を使ったその外壁には年季が入り、ところどころ色褪せているが、古いだけに落ち着いた趣きがある。
冒険者ギルド と書かれた看板が、くたびれた鎖にぶら下がっていた。
ヴェーラ「何と言うか……民家 ね」
ツァル「質素で堅牢…質実剛健とはこの事。いいじゃないか、こういうの」
ツァルがドアを叩く。
ツァル「やってるか?」
ヴェーラ「お邪魔しまーす」
ドアを開けると、中はさらにこじんまりとしていた。狭い空間にバーテーブルと数脚の椅子があり、奥のカウンターでは受付が山積みの書類に埋もれている。
ツァル「おーい」
受付「あっ……やっと来られましたか!」
書類の山から顔を上げた受付がこちらを見て、思わず笑みを浮かべる。
受付「なるほど…支部で問題を起こした粗雑な連中だと聞いていましたが…」
受付「思ったより、まともそうですね」
ツァル「あれは事故だよ、事故。俺たちは至ってマトモだ」
ツァル「健康優良優良児とは俺らの事よ!」
ヴェーラ「…ええ、間違いなく」
ツァル「…もっと乗れよっ!」
受付「それはともかく。仕事の話をしましょうか」
ツァル「軽くいなされたな」
受付「えぇ、それどころでは無いので」
ツァル「…続けてくれ」
受付「ダンジョンの規模は未知数です。ただし……厄介な点が一つあります」
そう言いながら受付は、乱雑な書類の束から一枚の地図を引っ張り出した。
机に広げられたそれには、粗雑な線で村の東側に描かれた洞窟の入口が示されている。
ヴェーラ「規模がわからないのに派遣するの?」
受付「こちらも手が足りないんですよ。新ダンジョンの形成なんて普通は数百年に一度あるかないかです。情報もまともに集められていません。とにかく、あなた方に頼るしかない」
ツァル「形成…ね」
実の話をすると、ダンジョンが『形成』される事なんてない。地質学者と組んで調査したが、実際の所は『隆起』と言ったほうがいい。過去に埋まった遺跡が、地質運動によって再び日の目を見るのだ。
が、気掛かりなのはそこじゃない。
ヴェーラ「私達を当て馬にするつもりって訳?」
そう。そこだ。
受付「…お察しの通り。ただ、そちらも何も得られずに帰るわけではないでしょう?」
ツァル「お互いリスクを承知でってことか…」
ツァル「そういう取引は嫌いじゃないな」
俺はニヤリと笑った。
受付も少し口角を上げて、ツァルを観察するように見た。
受付「…では任務の詳細です。村の防衛を最優先。続いて、ダンジョンの探索とコアまでの経路図の作成。それから…」
ヴェーラ「それから?」
受付「ダンジョンの最深部には、おそらく……何かしらの異物、旧文明の遺物があるはずです」
ツァルの表情が一瞬変わった。
ツァル「旧文明だって?」
受付「この手の新ダンジョンでは、往々にして過去の名残が見つかるものです。もっとも、無事に持ち帰れるかどうかは別問題ですがね」
ツァル「問題無い」
ツァル「にしても…旧文明ね」
ツァル「当局が黙ってないだろう?」
受付の口から旧文明という言葉が出てきて正直驚いた。この地域では禁忌のはずだ…少し探りを入れてやるか。
受付「…さぁ?そんな事言いましたか?」
ツァル「いや、俺の聞き間違いだすまない」
ヴェーラ「やれやれ………話はややこしくなるばかりね」
ツァル「さて。会議は終わりか?」
受付「はい。大体説明し終えたでしょうか」
ヴェーラ「どうする?早速仕事と行く?」
ツァル「うーん。防衛が最優先、なんだろ?」
受付「はい…この間の襲撃で村は満身創痍です。まずは住民の皆さんとの挨拶を済まして信頼を得るのはどうでしょうか?」
ツァル「へぇ、顔を売るわけか。一先ずは自己紹介って所か?」
ツァル「それでいいか、ヴェーラ」
ヴェーラ「問題なしよ」
ツァル「よし来た!早速仕事と行こうか」
ヴェーラ「…」
ヴェーラ「で、その前に聞いておきたい事があるんだけど」
ツァル「奇遇だな。俺もだ」
受付「…?」
ヴェーラ「一緒に言ってみる?」
ツァル「いいね。多分考えてる事は同じだ」
ヴェーラ「せーの」
ツァル&ヴェーラ「金貸してくれない?」
受付「……はい?」
ーーー村の食堂ーーー
ツァル「昼時だってのにガラガラだな」
ヴェーラ「閑古鳥が鳴いてるわ」
ツァル「馬小屋の方がまだマシだぜ」
窓ガラスは割れ、木の屋根は湿気にやられている。
所々朽ちた木が悲壮感を漂わせている。
ツァル「よぉ!邪魔するぞー」
娘「いらっしゃい。好きに座って」
ツァル「好きに座れって…椅子ねぇじゃねぇか」
娘「なら床に座れば」
ツァル「コイツ…」
ヴェーラ「ねぇ、どうしたって言うのよ」
娘「モンスターの襲撃で柵が壊されて木が足らないって言うから村のみんなが家具を全部持ってっちゃったのよ」
ツァル「…なるほどな。そりゃあこんなに捻くれるわけだ」
ヴェーラ「思ったより厳しそうね。この任務達成しないと…」
ツァル「だな」
娘「で、何にするの?」
ツァル「何があるんだ?」
娘「メニューはこれだけよ」
そう言って差し出されたのは、ボロボロの羊皮紙。そこにはこう書かれていた。
・野草スープ(ほぼ水)
・昨日のパン(失敗作。まるで煉瓦)
・ミステリーミート(原産地原料共に不明)
ヴェーラ「…冗談よね?」
ツァル「どれもこれも底辺冒険者向けって感じだな。硬派すぎるだろ」
娘「これが村の限界よ。さぁ、早く選んでよ」
ツァル「じゃあ…とりあえずスープとパンを」
ヴェーラ「私も同じでいいわ」
娘「お金は前払いだけど」
ツァル「…」
ヴェーラ「…受付嬢に借りたギターがここで消えるわね」
俺は不機嫌そうに財布を取り出し、ギターを数える。
ツァル「たく…使えないギルドカードより、その煉瓦パンのほうがまだ信用できそうだぜ」
ヴェーラ「愚痴はいいから、さっさと払ってよ」
支払いを済ませ、二人は椅子の代わりに倒れていた樽の上に座った。間もなく、テーブルにスープとパンが置かれる。
ツァル「…おい、スープってこれ…ただの雨水じゃねぇのか?」
娘「失礼ね。川の水よ」
ツァル「目クソ鼻クソだな」
ヴェーラ「見た目がほぼ透明なのが逆に怖いわね。味はどうなの?」
恐る恐るスプーンをスープに突っ込むと、一口含む。
ツァル「……うん、水だな。あと草の味がする」
ツァル「ただの薬草だな…」
ヴェーラ「草の味ってどういうことよ……」
ヴェーラもスープを一口飲んでみる。
ヴェーラ「……確かに水ね。でもこれ、薬草で浄水されてるだけマシなんじゃない?」
ツァル「その発想はすげぇ前向きだな」
次にパンに手を伸ばす二人。しかしパンの硬さに圧倒される。
ツァル「おいこれ、何でパンがこんなに硬いんだ?村民に武器として渡したほうがいいんじゃないのか?」
ヴェーラ「これでモンスターを殴ったほうが防衛になるわね」
試しにパンを手で割ろうとしたが、びくともしない。こうなったらと刀を抜き出す。
ツァル「仕方ない。断鉄の力を借りるしかねぇな」
ヴェーラ「いやいや、そんな大層な技を使う場面じゃないでしょ!」
結局、パンは床に叩きつけて砕くことでようやく食べられる形状になった。
ヴェーラ「……味は、普通ね」
ツァル「硬さ以外はな。これで腹が膨れるなら上等だ」
食事を終え、二人は深いため息をつく。
ヴェーラ「……この村、大丈夫かしら?」
ツァル「大丈夫じゃないだろうな。でも俺達が来たんだ、きっとどうにかなる」
ヴェーラ「その根拠のない自信が冒険者らしいところね」
ツァル「…俺は考古学者の筈なんだが…まぁいいさ。まずは俺たちの腹が満たされたことを祝おうぜ」
ヴェーラ「……スープとパンごときで?」
ツァル「いいんだよ。俺たちが生きてる証を祝えばいい」
二人は笑い合いながら、食堂を後にした。背中越しに聞こえる娘のぼやきが、どこか平和に感じられた。
ーーー村役場ーーー
ツァル「廃墟だって言ってくれた方がまだ信じられるぜ」
ヴェーラ「屋根無いんだけど。これ、役場の機能果たしてるの?」
ツァル「天井が空ってことは、文字通りオープンな役場なんだろ。透明性の象徴だな、聖職者の連中より百億倍マシだぜ」
ヴェーラ「随分ポジティブな解釈ね。初めて聞いたわ」
二人は、崩れかけた壁に釘で打ち付けられた木の板に「村役場」と書かれているのを確認しながら中に入った。中と言っても屋根は無く、壁も四方のうち半分が崩れていた。
ツァル「おい!誰かいるかー?」
役人らしき中年男性が、一枚の板を机代わりにして書類を広げていた。
役人「ああ、いるぞ!…いない方がマシかもな!?ガハハハ…クソッ!」
ツァル「感情のジェットコースターだな。落ち着けよ」
ヴェーラ「役場の役人がそんなこと言って大丈夫?」
役人「問題ない。ここには誰も来ないんだよ。むしろ久々に人が来て驚いてるくらいだぜぇ!!!!」
ツァル「決まっちゃってんな。大丈夫か?」
ヴェーラ「ハイなんでしょ。天井高いものね」
ツァル「天井どころか、もはや空だからな。青天井だぜ。底なしだ」
ヴェーラ「天井も無いのに床も無いのね」
役人「ガハハ!その通りだ!ここにいると太陽と友達になれるぜぇ!」
ヴェーラ「その友達、今日はいない見たいだぜ。曇天だ」
役人「あー、それはそうだな……まあ、月とも友達だからな!」
ヴェーラ「月も出てないけど」
ツァル「お前、孤独なんじゃねぇか?」
役人「そうかもしれん。だが役人魂は燃えてるぞ!で、何の用だ?」
ツァル「ギルドから派遣されたツァルとヴェーラだ。村の防衛について話を聞きに来た」
役人「おお、冒険者!助かった、助かった!いやぁ、待ってたぞ!」
ヴェーラ「そんなに感謝されると逆に不安になるんだけど」
役人「まぁな!だって君たちが来なきゃ、もうこの村は終わりだ。さっきも、家畜が一匹やられちまったしな」
ツァル「家畜?どんな奴にやられたんだ?」
役人「おそらくフォレストウルフだな。いや、もっと凶悪なやつかもしれん。牙の跡が尋常じゃなかった」
ツァル「なるほどな。フォレストウルフ討伐がここで絡んでくるのか」
ヴェーラ「断ったけどね」
ツァル「クソ…」
ヴェーラ「どうするの?ここから直接向かう?」
ツァル「いや、周辺の地形と敵の動きを調べるのが先だ。無計画に突っ込むのは俺のスタイルじゃない」
ヴェーラ「へぇ…?」
役人「それはありがたい!でも、その前にお願いがあるんだ」
ツァル「なんだ、まだ頼みごとがあるのか?」
役人「村民たちに自己紹介をしてくれ。最近は外から来た連中を信用しない奴らが多くてな」
ヴェーラ「なるほどね、でも私が挨拶すると全員無表情で黙り込む可能性があるけど?」
ツァル「それもまた村の文化ってことで、俺がなんとかするさ」
役人「……本当に大丈夫なのか?」
ツァル「俺を誰だと思ってやがる?この軽妙なトークで村民の心をガッチリ掴んでやるぜ」
ヴェーラ「不安なんだけど」
ーーー村の広場ーーー
広場には数人の村民が集まっていた。その目は冷ややかで、二人を疑うように見つめている。
ツァル「おいおい、完全に『怪しいセールスマンが来た』みたいな目だぞ」
ヴェーラ「それは多分ツァルの顔のせいね」
ツァル「俺の外見は誠実そのものだろ!」
すると、見るからに頑固そうな老人が前に出てきた。
村人A「お前たち、本当に冒険者なのか?なんだか怪しいなぁ」
ツァル「怪しいだぁ?こんなに冒険者らしい装備してるのに?」
ヴェーラ「そのボロボロの装備が逆に怪しいって話よ」
村人A「この村の連中はな、信用を簡単にしない。特に、外から来た奴らにはな!」
ツァル「なるほどな。つまり、俺たちの行動で信用を勝ち取れってことか」
ヴェーラ「というか、信頼をゼロからマイナスに下げないことね」
村人B(若者)「まずは自己紹介してくれよ」
ヴェーラは一歩前に出て、深く息を吸い込んだ。
ヴェーラ「私はヴェーラ・シヴリス、エルフ神聖国出身の冒険者。剣と弓を扱える。この村を守るために来たわ」
村人たちは驚いたように目を見開いた。
村人A「おお!エルフの冒険者か!それは珍しい!」
村人B「弓も剣も使えるなんて、頼もしいじゃねぇか!」
ツァル「…見てくれだけはいいからな。そこそこウケはいいんじゃないか?」
ヴェーラ「まぁ、私の魅力ってことね」
ツァル「ムカつくぜ」
村人A「で、その隣の男は?」
慌てて前に出て胸を張った。
ツァル「俺の名は…ツァルだ。えっと冒険者だ。この腕一本でどんな任務でもこなしてきた!」
村人A「お前の肩書き、薄っぺらくないか?」
ツァル「冒険者ってのは肩書きじゃなくて腕で語るんだよ!」
村人たちは少しざわつきながらも、一応二人を受け入れたようだった。
村人A「まぁ、いいだろう。何もしないよりはマシだ。頼りにしてるぞ」
ツァル「任せとけ!」
ヴェーラ「……次は、村の周辺調査ね」
ツァル「ああ、ここからが本番だ」
二人は村人たちに見送られながら、村の周囲の調査へと向かった。
ーーー耕作地ーーー
ツァル「荒れてるな…」
ヴェーラ「まるで不毛の土地ね」
村人「不毛の土地だぁ?失礼な奴だな!」
突然現れた見るからに日焼けした農夫が二人を睨みつけた。腕には筋肉が盛り上がり、手には鋤を握りしめている。
ツァル「おっと、悪気はなかったんだ。ただの感想ってやつだ」
ヴェーラ「事実を言っただけよ」
村人「だからって言い方ってもんがあるだろ!お前ら冒険者だろうが、畑を侮辱するのは許さねぇ!」
ツァル「確かに。不毛なのは畑じゃなかったな」
村人「なんだぁ?てめぇ」
ツァル「待て待て!俺たちは村を守るために来たんだ。お前の畑とお前を貶しに来た訳じゃ無い」
ヴェーラ「それに、私たちがいる間に少しでも状況を良くするつもりよ」
村人「…ほんとか?」
ツァル「もちろんだ。このツァル、嘘をついたことは…」
ヴェーラ「あるでしょうね」
ツァル「おい、茶々を入れるな!」
村人は少し眉をしかめたが、やがてため息をついて鋤を肩に担いだ。
村人「まぁいい。あんたらが本当に役に立つなら文句は言わねぇ。だが、これだけは言わせてくれ」
ヴェーラ「なに?」
村人「この土地は確かに荒れてる。だが、それはモンスターのせいなんだ」
村人「アイツらが畑を踏み荒らし、家畜を襲うせいで……俺たちはここを捨てるしかないかもしれねぇ」
ツァル「なるほどな。これもモンスターが原因ってことか」
村人「そうだ。特に夜になるとやつらが群れをなして現れるんだ。牙を剥いてな」
ヴェーラ「夜の間に活動するのね……フォレストウルフに似ているけど、それ以上の規模かも」
ツァル「だな。となると、夜の見回りが必要そうだ」
村人「……やれるのか?」
ツァル「やれるかどうかじゃない…やるんだよ」
ヴェーラ「決め台詞みたいに言うのやめて」
村人は少しだけ目を細めた。
村人「もし本当に守ってくれるなら、俺たちも協力する。だが、裏切ったら……」
鋤を軽く振り回してみせる村人の動きには、無言の威圧感があった。
ツァル「おいおい、物騒だな。俺たちは裏切るような奴には見えないだろ?」
ヴェーラ「見えるから言ってるんじゃない?」
ツァル「おい!余計なことを言うな!」
村人「フン……とにかく、あんたらの腕前を信じるしかねぇ。夜の見回りをするなら、この辺りで一番動きが激しい北側に行け」
ツァル「了解だ。で、村の名産品とか何か貰えたりしないか?」
ツァル「腹が減った」
村人「そんな余裕があると思うのか?この荒地で!」
ツァル「そりゃそうか……」
ヴェーラ「いいから、早く北側に向かいましょう」
少し納得いかないが、村人に軽く手を挙げて別れを告げた。二人は北側へ向かいながら、次に待ち受ける敵を想像していた。
ツァル「ヴェーラ、夜になったらきっと厄介なことになるぞ」
ヴェーラ「わかってるわ。でも、モンスターが原因なら、それを取り除かないと村の人たちが安心できない」
ツァル「……それもそうだな。仕方ない、命懸けの夜を楽しもうか」
ヴェーラ「大分キツイわね。寒気がしたわ」
ツァル「…」
二人は夕日を背に、北側の見回りポイントへと向かっていった。
ーーー夜ー耕作地北ーーー
ツァル「さ…寒い」
ヴェーラ「そう言えばここはエンテラ大森林も近いわね。その冷気がここまで来てるのかも」
ツァル「平野の夜も寒いのかよ…」
ヴェーラ「夜はどこも寒いわよ」
ツァル「常夏の地に住みたい…」
ヴェーラ「バカ言ってないで集中してよ」
ヴェーラは冷ややかに言いながらも、周囲を警戒するように目を光らせていた。月明かりがかすかに大地を照らす中、冷たい風が草を揺らしている。
ヴェーラ「何が出てくるか分からないのよ」
ツァル「検討はついてる。恐らくダークウルフだ」
ヴェーラ「聞いたことないわね」
ツァル「だろうな。希少種だ」
ヴェーラ「で、なんでそんなこと分かるの?」
ツァル「夜間に集団で襲ってくる魔物って言ったらダークウルフくらいしか考えられない」
ヴェーラ「なるほど、ただの推測ね」
ツァル「確率は低いが…」
ツァル「同じ性質を持つ魔物にエンテラオオウルフがいる」
ツァル「コイツらだったら最悪だ」
ヴェーラ「エンテラオオエルフ?」
ツァル「それはお前だ」
ツァル「痛い痛い!!ごめんって!」
ヴェーラ「で?そいつは何なの?」
ツァル「…お前知らないのか?あのクソでかい狼だよ。動きは素早いし、牙は鋭いし、夜間の襲撃では最悪の相手だ」
ヴェーラ「あぁ……駆け出しの頃、あのクソ犬には散々お世話になったわ」
ツァル「忘れてたのかよ…エルフ神聖国はエンテラ大森林の中にあるから、遭遇する機会も多いんだろうに」
ヴェーラはわずかに頷きながら、指を弓の弦にかけた。
ヴェーラ「でも、ここで現れるのはダークウルフの可能性が高いんでしょ?」
ツァル「ああ…だが油断するなよ。アイツらの強さは本物だ」
ツァル「舐めてるとやられるぞ」
冷たい風が再び吹き抜け、二人の会話を遮る。その時、遠くからかすかな唸り声が聞こえてきた。
ツァル「…来たか」
ヴェーラ「……位置は?」
地面に耳を当て、しばらく目を閉じたまま静かに息を吸い込む。
ツァル「探知スキル発動…!」
ツァル「北西だ!4匹…いや5匹か」
ヴェーラ「結構いるわね」
唸り声は次第に近づき、草むらがざわつき始める。月明かりに照らされる影が徐々に浮かび上がった。
ツァル「見ろよ、あれがダークウルフだ」
姿を現したのは、漆黒の毛並みを持つ狼たち。瞳は赤く光り、その口から覗く牙は明らかに普通の魔物とは異なる鋭さを持っていた。
ヴェーラ「想像以上に厄介そうね…どうする?」
ツァル「全力で迎え撃つだけだろ…!」
ヴェーラ「無計画ね。でも…嫌いじゃない」
ヴェーラは弓を引き絞り、俺は長剣を構えた。二人の背中には冷たい風が吹き抜けるが、彼らの瞳には確かな決意が宿っていた。
ツァル「来いよ、クソ犬ども!俺達がここのルールって奴を教えてやる!」
ヴェーラ「その軽口、次の瞬間には後悔しないことね」
そして、狼たちは俺目掛け一斉に跳びかかってきた。
ツァル「オワァァアァァァッ!!!!」
ツァル「いってぇ!!噛みつくな犬畜生!!」
一匹のダークウルフが俺の腕まで飛びかかり、牙を剥いた。
ツァル「ちょっ、痛ぇ!!オイ!誰か助けて!!」
ヴェーラ「誰かって、ここにいるのは私だけでしょ…っ!」
ヴェーラは冷静に弓を構え、飛びかかっている狼を狙い澄ました。矢が正確に狼の脇腹を射抜き、腕が解放された。
ツァル「うおっ……助かったぜ。今のは貸し1な!」
ヴェーラ「この調子だとドンドン貸しが増えていそうね…」
さらに二匹の狼が俺に迫る。
ツァル「来たな!今度こそ…俺の出番だ!」
剣を構え、狼たちに立ち向かおうとするが、足元の石につまずいて派手に転んだ。
ツァル「……痛ぇ!石っ!!お前何してんだ!」
ヴェーラ「石に怒っても意味ないでしょ。さっさと立ちなさい」
狼たちは一瞬戸惑ったようだが、すぐに飛びかかってくる。ヴェーラは素早く矢を放ち、一匹の狼をその場に倒す。
ヴェーラ「あと三匹ね。これ、私が全部片付けるパターンかしら」
ツァル「ちょっ、待て待て!俺だってやれるんだよ!」
今度は勢いよく立ち上がり、残りの狼に剣を振り回す。しかし、狼たちは軽々と避ける。
ツァル「止まれ!止まらねぇと…ギャァ!」
今度は振り回した剣が自分の足に当たり、再び転ぶ。
ヴェーラ「……ほんとにポンコツね」
ヴェーラ「ウィンドヴィラで見た貴方は幻だったのかしら」
ツァル「違う!これは作戦なんだって!ほら、俺が地面に転んでるから油断してるだろ?」
ヴェーラ「じゃあ、その『作戦』の続きをどうぞ」
一匹の狼が飛びかかってくるが、慌てて剣を突き出し、偶然にも狼の肩口をかすめた。
ツァル「ほら見たことか!作戦通りだ!」
ヴェーラ「再現性ゼロね…」
残りの二匹が同時に襲いかかってくる。ヴェーラは冷静に弓を引き、立て続けに矢を放った。一匹は首元に命中し、その場で倒れる。もう一匹も足を射抜かれ、動きが鈍ったところを剣がかろうじて肩に当たり倒れる。
ツァル「おい、今のは俺がやったんだからな!貸し0な!!」
ヴェーラ「最後の一撃だけじゃない。横暴ね」
最後の狼は、仲間を失ったことを察して素早く逃げ出した。
ツァル「待て!逃げるなよ!お前も片付けてやるから!」
ヴェーラ「やめなさい。追い詰められた狼は余計に危険よ」
ツァル「……仕方ねぇ。今回だけは見逃してやるか」
俺は剣を収め、ため息をついた。
ヴェーラ「…ほとんど私が片付けたわね」
ツァル「ちっ、狼の動きが速すぎただけだ!」
ヴェーラ「足元に転ぶのが速かったのはあなただけど」
反論しようと口を開いたが、ヴェーラの冷静な視線にたじろぎ、肩をすくめた。
ツァル「…まぁ、チームワークが良かったってことでいいだろ」
ヴェーラ「そうね。とりあえず村には報告しないと」
ツァル「だな。にしても寒いのはもうこりごりだ……常夏の地で冒険者したいわ」
ヴェーラ「だからそれ、何度言うのよ」
ツァル「…たく。対人以外の戦闘スキルはひでぇもんだな俺」
二人は肩を並べながら、ようやく静けさを取り戻した耕作地を後にした――。
ーーー野営地ーーー
ツァル「村に宿が無いせいで野営か」
ヴェーラ「ま、なんとなく想像ついてたわ」
ツァル「疲れたな…飯は簡単な物でいいか?」
ヴェーラ「いいわよ」
ツァル「ほら」
ヴェーラ「干し肉…」
ツァル「文句言うなよ。乾パンもあるぞ」
ヴェーラ「何このパン…」
ツァル「4日ぐらい前に買ったライ麦パンだ」
ツァル「水でふやかせば楽に食える」
ヴェーラ「はぁ…」
地面に腰を下ろし、少し乱暴にコートから金属製のカップと水袋を取り出した。手際よく水を注ぎながら、ちらりとヴェーラを見る。
ツァル「ほら、エルフ様にはこれくらいの工夫してやれば満足してもらえるか?」
ツァル「そのコップだって高いんだぜ」
ヴェーラ「別に文句は言ってないわ。ただ、食事ってもう少し楽しいものだと思ってたの」
ツァル「贅沢言うなって。生きれればそれでいい」
ヴェーラはライ麦パンの一片を摘み、水に浸して柔らかくする。彼女はため息をつきながら、それを口に運ぶ。
ヴェーラ「…まあ、思ったより悪くない」
ツァル「だろ?俺の経験もバカにするもんじゃない。これでも地味に工夫してるんだ」
ヴェーラ「でも、あんた本当に慣れてるの?この間なんて、焚き火の準備で随分時間かかってたけど」
一瞬言葉に詰まったが、すぐに笑って肩をすくめた。
ツァル「あれは…ほら、薪が湿ってたんだよ。仕方ないだろ」
ヴェーラ「ふーん。湿ってたのに、なぜか乾燥してる枝を捨ててたのはどういう理屈かしら?」
ツァル「おいおい、そういう細かいことは気にしないの。あん時も結果的に火はついただろ?」
ヴェーラはくすっと笑いながら、ツァルのへりくつを軽く受け流した。
ヴェーラ「まあいいわ。それより、この野営地、夜になったら何か来たりしないでしょうね?」
あたりを見回す。
ツァル「さっきのダークウルフの件もあるし…油断はできないな」
ヴェーラ「そうね。結界魔法でも張っておこうかしら」
ツァル「魔法…ね」
ツァル「魔法ってやつは便利だよな。俺も使えたら今頃、こんな干し肉生活してないぜ」
ツァル「魔法で牛でも呼び寄せてくれよ。ステーキが食いたい気分だ」
ヴェーラ「ステーキって…そんな魔法、聞いたことないわよ」
ツァル「魔法学校とかで『牛召喚術初級』とか教えてるんだろ?」
ニヤけながらパンを口に放り込む。
ヴェーラ「残念ながら、私の知る限りそんな魔法はないわね」
ツァル「ガッカリだぜ…魔法ってのも大したもんないな」
ベルトに括り付けたナイフとその辺で拾った棒切れを加工する。ファイアスターターの制作に入る。まるで彼岸花のようだ。
ツァル「…火をつけるのも…簡単じゃない」
思わず独り言がでる。思ったよりも木が硬く乾燥していて手が痺れてきた。
ヴェーラ「だったら、次から火は魔法でつけてあげようか?」
ツァル「マジで?いや…それだと俺の焚き火スキルが廃れるな」
ツァル「…やっぱ自力でやる。努力の積み重ねが大事だ」
ヴェーラは半ば呆れたように肩をすくめたが、少し楽しそうに微笑んだ。
ヴェーラ「努力の積み重ねね…まあ、その心意気は認めるわ」
ツァル「だろ?俺はこの身一つでここまで生きてきた。そこそこスキルには自信がある方だぜ」
ナイフを握り直し、棒をもう一度しっかり固定する。手のひらにじわっと汗が滲むのを感じながら、再び削り始める。ヴェーラの視線がちらりとこちらに向けられるのを感じると、自然と口が動いた。
ツァル「なぁ、こうやって火をつける姿って…中々カッコいいんじゃないか」
ヴェーラは眉を上げて答える。
ヴェーラ「どちらかと言えば、苦労してるだけに見えるけど」
ツァルは吹き出しそうになりながらも、笑いを堪えた。何か返さないと負けた気分になる。
ツァル「苦労の先に輝く火があるんだよ。そういうの、魔法にはないだろ?」
ヴェーラは少し考え込むような顔をしてから肩をすくめた。
ヴェーラ「確かに、何も感じないわ」
ヴェーラの指先には火が灯っている。
その技術に感心しつつも、何か負けた気がして悔しい。
ツァル「おいおい…そんな簡単に火がついていいのかよ」
ヴェーラ「羨ましいかしら」
ヴェーラはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。その両手の指全てに火が灯っていた。これ見よがしに見せびらかしてくる。
ツァル「…負けたよ。疲れた、火着けてくれ」
ヴェーラ「最初からそう言えばいいのに」
ヴェーラは笑いながら焚き火に火を灯した。
冷えた身体がじんわりとした温かみに包み込まれる。
ツァル「なんで俺は魔法が使えないんだか」
ヴェーラ「生まれ持った素質ね」
ツァル「もし神が居るとしたら、文句でも言ってやりたい」
ツァル「神様ってやつは、平等にしてくれるんじゃないのか?魔法ぐらい誰でも使えるようにしてくれたっていいだろ」
ヴェーラ「平等?それってどこのお伽話よ。現実は不平等よ」
ツァル「血も涙もねぇがその通りだ」
焚き火の暖かさに当たりながら、小さなため息をついた。ナイフを片付け、背中を地面に預けて星空を見上げる。
ツァル「なぁ、ヴェーラ。お前が初めて魔法を使えた時って、どんな感じだった?」
ヴェーラ「どんな感じ…そうね」
ヴェーラは少し間を置いてから、手元に目を落とした。焚き火の光が彼女の横顔を照らし、少しだけ感傷的な雰囲気が漂う。
ヴェーラ「初めて火を灯したときは…なんだか世界が自分のものになったみたいだったわね」
ツァル「へぇ、壮大だな」
ヴェーラ「そう思う?でも実際は、魔法を使えるからって何でも思い通りにはいかないわ」
ツァル「なんだ、夢がないな」
ヴェーラ「現実なんてそんなものよ。それに、魔法は万能じゃない。代償もあるし限界もある」
ツァル「…でも俺が魔法を使えたら、もっと楽に生きられたのかなって、時々思うんだよ」
ヴェーラ「楽に生きることがいいとは限らないわ」
ツァル「そうか?でも、たまには楽したいって思うことだってあるだろ?」
ヴェーラは焚き火を見つめながら、小さく笑った。
ヴェーラ「確かに、魔法を使える私でもそう思うことはあるわ」
ツァル「だろ?結局、みんな同じようなもんなんだよな」
手を伸ばし、焚き火の炎を指先でつかむような仕草をする。もちろん火は俺を拒絶するように熱さを伝えてきた。
ツァル「まぁ…こうやって火を見てると、魔法が使えなくても案外悪くないと思えるんだけどな」
ヴェーラ「少なくとも、その前向きさだけは尊敬するわ」
ツァル「おいおい、それ褒めてんのか?」
ヴェーラ「どうかしらね」
二人の笑い声が、静寂な夜の中に溶けていった。焚き火の音がその隙間を埋めるように、パチパチと静かに響いている。
ツァル「…寝るか」
ヴェーラ「そうね。結界はもう張ったわ」
ツァル「仕事が早いな。助かるぜ」
ヴェーラ「それじゃあ、おやすみ」
ツァル「おやすみさん」
ーーー朝ー冒険者ギルドーーー
ツァル「あぁクソ…身体が痛い」
ヴェーラ「私もよ…」
受付「お疲れのようですね。よく寝れましたか?」
ツァル「もう一眠りと行きたいところだ」
受付「よく眠れたようで何よりです」
ヴェーラ「で、挨拶回りはしてきたわ」
ツァル「その辺を荒らしてたダークウルフも駆除してやった。しばらくは安全だな」
受付「ありがとうございます!それでしたら、もうダンジョン攻略に向かっても大丈夫ですね」
ツァル「あぁ、これから調査に入る。とりあえず初日は帰ってくるから」
受付「確認しました」
ヴェーラ「今日中に帰って来なかったら応援呼んでね」
受付「了解しました。本部と掛け合える体制は整えておきます」
ツァル「助かるわ」
受付「それと、先日貸した…
ツァル「じゃあ行ってくるわ!!!」
ヴェーラ「忙しい〜!!」
受付「…チッ」
ーーー草原ーーー
ツァル「さて、村からダンジョンまでは数時間かかる。ダンジョン探索自体は早めに切り上げないとな」
ヴェーラ「そうね。日が暮れる前には帰らなきゃ」
ツァル「今日は軽く下見程度だな」
そう俺が呟くと、少しの間静寂が訪れる。
ツァル「しっかし…軽くってのが一番厄介なんだよな…」
ヴェーラ「フラグ立てないでよ。軽く済ませるのが一番安全なのよ」
ツァル「当たり前だが、俺たちの仕事に“安全”なんて言葉は存在しないぞ」
ヴェーラ「だからこそ慎重にやるのよ」
ツァル「おう。慎重にな」
草を踏みしめる音と微かに流れる風の音だけが周囲に響いている。目の前には広がる草原と、その先にぽつりと佇む石造りのダンジョン入口。年月を重ねて苔むしたその姿は、不気味な威圧感すら漂わせていた。
ツァル「これが目的の場所か…随分と荒れ果ててるな」
ヴェーラ「外観だけでこれなら、中はもっと酷そうね」
ツァル「どうだ?何か感じるか?」
ヴェーラは目を閉じ、周囲の空気を確かめるように立ち止まる。数秒後、ゆっくりと目を開いた。
ヴェーラ「…気配はする。けど、明確なものじゃない。嫌な感じね」
ツァル「嫌な感じか。それは困るな」
ヴェーラ「油断しないで行きましょう」
ツァル「あぁ」
ダンジョンの入口に立ち、互いに短く頷き合った。背負っている長剣を確認し、ヴェーラは杖を軽く振り下ろす。すると杖先が薄い青白い光を放ち、二人の周囲を微かな結界が包み込む。
ツァル「感謝しとくぜ、結界の達人さんよ」
ヴェーラ「口だけでもいいから丁寧に感謝して」
ツァル「ありがたいことで」
ヴェーラ「…まあいいわ。行くわよ」
ツァル「先に立つのはお前だろ?俺はサポートに回るって約束だ」
ヴェーラ「レディを先に行かせるなんて男の風上にも置けないわね」
ツァル「俺は風下の男だ」
ヴェーラ「モテないわねぇ…」
二人は一歩、また一歩とダンジョンの闇の中へと足を踏み入れていく。その背中からは、草原の穏やかさとは打って変わって、緊張感が漂い始めていた。
入口付近はまだ薄明かりが差し込んでいたが、奥に進むほど光は失われ、濃い暗闇が彼らを飲み込んでいく。手元のランタンを取り出し、周囲を照らした。
ヴェーラ「……静かね」
ツァル「あぁ、静かすぎる」
その言葉が響くと同時に、微かな音が背後から聞こえた。俺とヴェーラは反射的に振り返り、音のした方向に目を凝らす。しかし、そこには何もない。
ツァル「風の音か…?」
ヴェーラ「違う。何かがいる」
彼女の声には確かな警戒心が宿っていた。長剣を素早く抜き、身構える。
ツァル「初日から歓迎とはな…いい加減にしてくれよ」
ヴェーラ「…あれって」
ツァル「オークか。迷い込んだらしいな」
ヴェーラ「行ける?」
ツァル「任せろ」
オークの姿が闇の中から徐々に浮かび上がる。巨体を揺らしながら低い唸り声を上げ、その目は血走っていた。俺らに気付くと、重たい足音を響かせながらゆっくりと近づいてくる。
ツァル「迷い込んだにしちゃ、随分とやる気がありそうだな」
ヴェーラ「やる気の問題じゃないわよ。あれは明らかに何かに誘われてここに入った感じ」
ツァル「誘われて…か」
その言葉に微かに眉をひそめたが、目の前の敵に集中するため余計な思考を振り払った。長剣を軽く回しながら間合いを計る。
ツァル「ヴェーラ、後ろは頼んだ」
ヴェーラ「了解。援護もするけど、無茶はしないでよ」
ヴェーラ「昨日のあんた散々だったんだから」
ツァル「無茶なんて言葉は俺の辞書にない。後昨日のは作戦のうちだ」
ヴェーラ「はいはい…ともかく、その辞書は第二版を刷った方がいいわね」
軽口を交わしつつも、緊張感は張り詰めた糸のようだ。一気に前へ踏み込み、長剣を水平に振り抜いた。オークの鈍重な動きでは反応しきれず、剣先がその肩口を切り裂く。
オーク「グォォォッ!」
負傷したオークは咆哮を上げ、反撃に巨腕を振り下ろした。間一髪ギリギリで攻撃を回避する。
ツァル「おぉっと!やるじゃねぇか。オークの癖に…!」
その挑発に応じるように、オークはさらに激昂し、動きが粗くなる。その隙を見逃さず、次の一撃で膝を狙った。鋭い刃が命中し、オークは体勢を崩して倒れ込む。
ヴェーラ「ナイス」
彼女は杖を掲げ、低い声で呪文を唱えた。杖先から放たれた青白い光がオークの頭部を正確に捉えると、鈍い音を立てて崩れ落ちる。
ツァル「おいおい…トドメを持っていくなよ」
ヴェーラ「チームワークでしょ?」
ツァル「…そうだな」
ツァル「にしても…こいつ」
ヴェーラ「なんか…デカくない?」
このオークは平均的なオークに比べて、大柄だった。牙より長く、より鋭い。
体毛も平均に比べて濃く、より野生味を感じるフォルムだ。
ツァル「…」
ヴェーラ「どうしたの?」
ツァル「もしかしたら、こいつは原種かもな」
ヴェーラ「原種?」
ツァル「あぁ、全てのオークの元となった種族だ」
ツァル「旧文明の遺跡付近で大量の亡骸を発見したことがある。今思うと…そいつらと特徴が一致する」
ヴェーラ「原種のオーク…それって伝説じゃないの?」
ツァル「伝説なんてのは誰かが記録を残さなかっただけで、実際に起きたことだ」
ツァル「遺跡を掘ってるとそういうのに何度もぶつかる」
ヴェーラ「それにしても、こんな場所にいるなんて…何かの偶然?」
ツァル「いや、偶然じゃない気がする」
オークの巨体を観察しながら、鋭い視線をその先へ向けた。戦闘中に気づいたが、奇妙な模様が刻まれた石板が奥に鎮座していた。
ツァル「なぁ?この石板の文字、見覚えがある気がする。旧文明の遺跡に似た構造だ」
ヴェーラ「ちょっと見せて」
彼女は杖を片手に屈み込み、石板の模様を指でなぞる。その表情は緊張感を帯び、いつもの軽口をたたく余裕はない。
ヴェーラ「…間違いないわ。これ、旧文明の『封印術式』に使われるものよ」
ツァル「封印術式?つまり、ここに何かを封じ込めてたってことか」
ヴェーラ「そう。そしておそらく、それがこのオークと関係している」
ツァル「野生のオークが誘われた訳じゃなくて…」
ツァル「封印されていたオークが何らかの理由で解放されたってことか」
ヴェーラ「完全に解けてはいないけど、影響が出始めているみたいね」
ツァル「厄介な話だな」
剣を鞘に納めつつ、石板を慎重に調べ始めた。手を触れると微かな振動を感じ、石板の表面に刻まれた文字が薄く輝く。
ヴェーラ「待って!不用意に触らないで!」
ツァル「おっと、悪い。けど…これ、まだ生きてるな」
ヴェーラ「生きてる?」
ツァル「ああ、術式が完全に消失してない。むしろ、何かを保っている感じだ」
ヴェーラ「それって封印はまだ働いてるって事?」
ツァル「多分な。ただ、それが何を封じてるのかまではわからないが、このオークが出てきた以上…」
ツァル「封印の力が弱まってる」
ヴェーラ「下手したら、何かもっと危険なものが眠っている可能性があるってこと?」
二人は顔を見合わせ、緊張が一層深まる。闇に潜む未知の脅威を前に、軽い下見のつもりで入ったダンジョン探索は、すでにその想定を超えてしまっていた。
ツァル「…一旦引き上げるべきかもしれないな。これ以上深入りするのは危険だ、もっと準備をしよう」
ヴェーラ「同意。ただ、これを放置して帰るわけにはいかないわ。村や周辺に影響が出る可能性がある」
ツァル「だな…となると、少しだけ奥を探ってみるしかないか」
ヴェーラ「慎重にね、ツァル」
ツァル「ああ、慎重にな」
二人は互いの装備を再確認し、石板の奥へと視線を向けた。その先にはさらに深い闇が広がっていた。
ツァル「…深い闇ほど、ろくでもないものが潜んでるもんだ」
ヴェーラ「やめて。その手の冗談、今は笑えない」
ツァル「冗談じゃないさ。これだけは、俺の経験則に基づいてる」
ツァル「血の出ない人間型のモンスターに赤茶けた鉄の蜘蛛…旧文明の遺跡にろくな奴はいない」
ヴェーラ「次言ったらその口縫い合わすわよ」
ツァル「勘弁してくれ」
二人がさらに奥へ進もうとしたその時、背後から低い唸り声が聞こえた。振り返ると、倒したはずのオークが、再びその巨体を揺らしながら立ち上がろうとしていた。
ヴェーラ「嘘でしょ…あれ、まだ動けるの?」
ツァル「いや、違うな…」
オークの動きを見て即座に察した。それは単なる生存本能ではなく、明らかに外部から操られているような、不自然な動きだ。
ツァル「これは…術式の力か?頭が潰れて生きてる奴が居てたまるか…」
ヴェーラ「気味が悪いわね、塵も残らず消し去ってあげる…っ!」
ヴェーラが杖を構え、再び呪文を詠唱し始めた。しかし、今回はオークが彼女の動きを察知したように吠え声をあげ、猛然と突進してきた。
ツァル「やばい!避けろ!」
ヴェーラを押しのけるようにして間一髪でオークの攻撃をかわした。その勢いで壁に激突したオークは、石板の近くで膝をついた。すると、石板が再び微かに光り出し、周囲に不気味な低音の振動が響き渡った。
ヴェーラ「ツァル、あの石板…何かを起動しようとしてる!!」
ツァル「分かってる!だが、これを止める方法は…」
考えを巡らせる間にも、オークは再び立ち上がり、今度は二人を一気に押し潰すかのような動きを見せる。咄嗟に剣を構え、ヴェーラに指示を出した。
ツァル「奴は俺が引きつける!そっちで術式を妨害できるか!?」
ヴェーラ「多分出来る!!!そっちも絶対無茶はしないで!」
オークを挑発して注意を引きつける間、ヴェーラは石板に近づき、急いで術式の解読を始めた。しかし、封印の構造は極めて複雑で、時間がかかる。
ヴェーラ「こんなの…普通じゃありえないほどの術式よ!どんな連中が作ったの!?」
ツァル「旧文明の技術者だ!こいつらは、こんな狂った物を作るのが得意だった!」
剣でオークの攻撃をいなしながら、再び攻撃の隙を探した。しかし、この異様なオークは倒れるたびに力を増しているように見える。
ツァル「やばいな…時間がないぞ、ヴェーラ!!」
ヴェーラ「分かってる!けど、この術式…通常の手段じゃ止めれない!封印を完全に解除するしかない!!」
ツァル「封印を解くなんて論外だ!破壊しろ!!そっちの方がマシだ!!」
ヴェーラ「試してみる!でも、距離を取って!」
ヴェーラが杖を掲げ、渾身の力で呪文を詠唱する。その瞬間、杖先から強烈な光が放たれ、石板に直撃した。轟音とともに石板が砕け、術式の光がかき消されると同時に、オークの巨体が崩れ落ちた。
ツァル「やったか?」
息を切らしながら近づくと、オークは完全に動かなくなっていた。周囲は静寂に包まれた。
ヴェーラ「…なんとかね」
ツァル「おいおい。無茶するなって言ったのはお前だろ?一番無茶してるぜ」
ヴェーラ「あんたが一番無茶してたわよ」
微笑みながら互いを確認し、少しずつ緊張を解いた。砕けた石板の残骸に目を落とす。
ヴェーラ「どうしたの?」
ツァル「この石板、封印があった場所としては小規模すぎる。これが『入り口』だとしたら…?」
ヴェーラ「入り口…」
ツァル「もっと深い場所に、本当の『封印』があるかもしれない」
ヴェーラ「…嫌な予感しかしないわね」
ツァル「石板を壊しても、封印が解かれた様子は無かった」
ヴェーラ「つまり…奥に本体があるって訳?」
ツァル「だろうな」
ツァル「だが今は追うべきじゃない。これ以上深入りすれば、俺たちも帰れなくなる」
ヴェーラは頷き、二人は慎重に現場を離れる準備を始めた。村へ戻る道中、二人の間には次なる冒険への不安と期待が混ざり合っていた。
ツァル「先には扉もある。帰っても大丈夫そうだな」
ヴェーラ「少なくとも中から何かが出てくる心配はしなくてよさそうね」
ツァル「さっさと出るぞ。厄介事は御免だ」
ヴェーラ「そうね」
ーーーギルドーーー
ツァル「グロッグは無いのか?」
村娘「エールならあるよ」
ツァル「…酒なら何でもいい」
ヴェーラ「厄介なことになったわね…私も貰える?」
村娘「残り少ないから大事に飲んでくださいね」
ツァル「善処しよう」
ヴェーラ「で、どうすんのよ」
ツァル「どうするも何もどん詰まりだ」
ヴェーラ「冒険者ギルドに打診した結果、ダンジョンの推定難易度は…」
ツァル「脅威のS」
ヴェーラ「勘弁してほしいわ…二人で攻略するようなダンジョンじゃないわよ」
ツァル「S級パーティで何とか制圧できる難易度だな」
ヴェーラ「せいぜい私たちの実力なんて良くてAよ」
ツァル「…」
ツァル「まっず」
ツァル「やはり慣れないものは慣れない」
ヴェーラ「あんたグロッグしか飲まないものね」
ツァル「舌が肥えてるものでな」
ヴェーラ「グロッグって安酒でしょ」
ツァル「…まぁな」
慣れない酒を口に運ぶ。
アルコールが答えを導いてくれるはずもない。それでも手を伸ばしてしまうのは、現実から目を背けるための、ささやかな逃避に過ぎなかった。
ヴェーラ「はぁ…」
ヴェーラ「どーすんのよ」
ツァル「…やるしか無い」
ヴェーラ「こんな辺境じゃあ仲間も増やせないし…戦力強化も出来ないわ」
ツァル「万策尽きたなこりゃ」
ヴェーラ「いっそのこと出来ないってハッキリ言ってみる?」
ツァル「冒険者資格を剥奪されて檻にぶち込まれるだけだ」
ヴェーラ「どーすればいいってわけよ!!」
ツァル「…やるだけやってみないか?」
ヴェーラ「本気で言ってる?」
ツァル「やってみないと分からないだろう。大体難易度S級って言っても何を基準に難易度を決めてるかも分からん」
ツァル「意外と簡単だったらするかもしれないぞ」
ヴェーラ「二人共倒れにならないといいけど」
ツァル「ないと祈ろう」
ツァル「…明日からは本格的に攻略する。少なくとも数日は籠るようだぞ」
ヴェーラ「勘弁してほしいわ…生きて帰れるかも分からないのに」
ツァル「リターンも大きい。リスクは承知の上だ」
ツァル「それに旧文明の核心に触れるピースが見つかるかもしれない。謎を解き明かすような」
ヴェーラ「旧文明ね…あんたはそればっかりね」
ヴェーラ「私はただレストインピースにならない事を祈ってるわ」
次回、ダンジョン攻略編