追放聖女は辺境で笑う
「ジュリアナ・オルクセン、貴様との婚約を破棄する。今日で聖女の地位も剥奪だ」
聖ルクス様のご生誕を祝う式典の会場に、この国の王太子であるハロルド殿下の冷たい声が響き渡る。
その横に立っているのは、庇護欲を誘うような儚い容姿のご令嬢だ。彼女の名前はサブリナ・オルクセン。オルクセン伯爵令嬢で、わたしの腹違いの妹である。
サブリナはパッチリとした瞳いっぱいに涙を浮かべ、ハロルド殿下の腕をとってブルブルと震えていた。
「こんなに震えて可哀想に……。ジュリアナ、すでに調べは済んでいる。貴様が聖具を使って強力な聖力があるかのように偽装していたことも、サブリナを陰で虐めていたことも。大方、自分より強い力を持つサブリナに嫉妬していたのだろう。その容姿だけでなく内面まで醜い貴様など聖女にふさわしくない。聖女にふさわしいのはサブリナ、彼女だけだ」
そう言ってハロルド殿下はサブリナを愛おしそうに引き寄せると、こめかみに口づけを落とした。サブリナは恥ずかしそうに頬を染めると、震えたか細い声を出す。
「ハロルド様……そんなにお姉様を責めないでください。私は大丈夫ですから」
「無理しなくていい。お前を傷付けるものは全て排除してやる」
ハロルド様は涙を一粒流したサブリナをいたわしげに見つめると、再び私に冷たい視線を向ける。
「申し開きはあるか? ジュリアナ」
「申し開きも何も……そのような事実は一切ございません」
私は無表情のまま淡々と答える。
「嘘をつくな。すでに証拠は揃っている。貴様の部屋からは大量の使用済み聖具が見つかっているし、サブリナも貴様に階段から突き落とされたと証言しているんだぞ」
「ですから、それらは全て捏造で――」
「うるさいっ! サブリナが嘘を吐いていると言うのか? もういい。これ以上話を聞いても無駄なようだな。俺たちの前にその醜悪な顔を一生見せるな」
こうして私は、五歳の頃からおよそ十二年間住み続けた神殿を追い出されることになったのだった。
神殿の自室に戻ると、急いで母の形見であるペンダントと数着の着替えをまとめる。聖女としての仕事が忙しくほとんど帰ることのなかった部屋は、私の僅かな荷物がなくなると元から誰も住んでいなかったかのように殺風景で、飾り気のないところになった。
私は一度部屋をぐるりと見回して幼い頃から住んでいた部屋に別れを告げると、神殿の回廊を早足で歩く。
追い出される前に自分から出て行ってやろうと思っていたからだ。
まだ式典の最中らしく全く人気のない廊下を進み、角を曲がろうとした瞬間だった。
「おっと」
「……っ! ありがとうございます」
不意に向かいから現れた男とぶつかりそうになり、体勢を崩した私。しかし、彼が腕を掴んでくれたおかげで転ぶことはなかった。お礼を言いながら顔を上げた私は、その容姿を見て思わず息を呑む。
――――目の前にいたのは、とても見目麗しい男性だった。煌めくような金髪に、美しいエメラルドグリーンの瞳をしている。
その美しい瞳に見惚れていた少しの間に彼のほうも私の容姿からその正体に思い当たったらしく、恭しく腰を折ると挨拶をしてくる。
「失礼。聖女様でしたか。私は国の最北端、ガザールの地を治めておりますレオン・ガザールと申します。確か現在は式典の最中だったかと思うのですが、どうしてこちらに?」
「私はもう聖女ではなくなったのです」
「どういうことでしょうか」
「先ほどハロルド殿下から婚約破棄を告げられ、ここを出ていくことになりましたので」
「そんなことが……これからどうされるのですか?」
「まだわかりませんが、実家に頼ることもできないので手持ちのお金を崩しつつ、ここからできるだけ遠いところへ行くつもりです」
その言葉に目の前の男性は少しの間考え込むと、「では」と言いつつ手を差し出してくる。
「私のところへ来ませんか?」
「え?」
「いったいどういった事情があったのかわかりませんが……そのような顔をしたご令嬢を放っておくことはできません」
『そのような顔』とはどのような顔だろう。
私はハロルド殿下にいつも、「無表情でつまらない女だな」と言われていたし、自らの感情の起伏が乏しいことは自覚しているのだけれど。
そんなことを思いながら彼のエメラルドの瞳を見つめていたはずが、私は自分でも気がつかないうちに彼の手を取っていたのだった。
◇ ◇ ◇
柔らかな風が頬を撫でると同時に、周りに咲いている花がそよぐ。
屋敷の中庭にある木の下で目を瞑って微睡んでいた私の耳に、花びら同士が触れ合う微かな擦れ音が優しい囁きのように入り込んできた。
ガザール辺境伯領に来てからおよそ一年。私は自然豊かなこの地でのんびりとした暮らしを送っていた。
聖女として毎日寝る暇もなく働いていた頃からは考えられないほど、温もりに満ちた穏やかな日常だった。
私をここに連れてきてくれたレオンは屋敷の一室を私に与えると、「いつまでもいてくれていい」と言ってくれたのだけれど、その言葉に甘えているうちに気づいたら一年が経っていたのだ。
時折レオンの仕事を手伝ったり、聖力で領民たちに治療を施すほかは、こうやってお昼寝をしたりして気ままに過ごしている。
うつらうつらとしている私の耳に、地面を踏み締める足音が入り込んできた。
軽やかなその音は聞き慣れたものだったので、私はそのまま浅い眠りに落ちようとする。しかし、段々と近づいてきた足音の主が私の横に腰を下ろす気配がした後、前に垂れていた私の髪の毛が耳にかけられたので、思わず目をパチっと開いた。
初めて会ったときと変わらない、美しいエメラルドグリーンが視界いっぱいに広がる。
「ごめんね。起こしちゃった?」
鼻が触れそうなほどの至近距離にいたレオンが目尻を下げて笑った。
「いいえ、そろそろ起きようと思っていたので」
「そっか、良かった。一緒にお茶でもどうかなと思って呼びに来たんだ」
「お仕事は大丈夫なのですか? また抜け出してきたんじゃ」
「今日の分はもう終わったんだ。いつも抜け出しているみたいに言うのはやめてくれ」
少し拗ねたような顔をするレオンに私は思わずクスクスと笑ってしまう。
初対面の時こそ貴公子然としていて落ち着いた雰囲気を漂わせていた彼だけど、こうやって親しくなってみると意外なほど柔和な好青年で、この自然豊かなガザールを体現したような人物だった。
特に最近は私が行くところ、どこにでも着いてこようとするのでなんだか大きな犬みたいだと心の中で密かに思っている。
そんな彼は、まだ頬が上がったままの私をじっと見つめてぼそりと呟いた。
「可愛すぎる」
「…………」
また出た。最近なぜかレオンは唐突にこういうことを言ってくる。そしてその度に私はどう反応していいかわからず、黙り込んでしまうのだった。
「ごめんね。困らせたいわけじゃないんだけど、つい。そろそろ行こうか。今日はジュリアナの好きなサクランボのケーキを焼いたと言っていたよ」
そう言って立ち上がり、私に手を差し伸ばしてくるレオンを見つめる。
彼はなぜかこんな地味な私に対して明確な好意を示してくれるのだけれど、逃げ道を塞ぐようなことは決してしない。
彼に段々と惹かれている自分がいるのも自覚しているが、中々踏み切れない私は、何も言うことができないまま彼の優しさに甘えている状態だった。
レオンの手を借り立ち上がると、彼は重なっていた手を包み込むように掴みそのまま歩き始める。
私はその手の温かさに心臓がギュッと小さく音を立てるのを感じた。
それから数日後のことだった。
「え……ハロルド殿下が?」
「はい、ジュリアナ様に会わせろと急に押しかけてきまして」
辺境伯家に仕える執事が困った顔で言う。自室で本を読んでいた私は驚いて耳を疑った。
なぜか、元婚約者であるハロルド殿下が急に屋敷を訪れたという。
タイミングが悪いことに、レオンは今日の朝から仕事で隣の領地へと向かい、不在にしている。
屋敷の主人がいないということでお引き取り願おうとしたのだが、ジュリアナが出てくるまでは帰らないと玄関に居座り続けているらしい。
「旦那様にはすでに早馬を飛ばしておりますが、いつご帰宅されるか……」
「わかりました。私が対応します」
今更なんの用だろう。「一生顔を見せるな」と言ったのはハロルド殿下なのに。そう不思議に思いながら玄関へ向かう。
久しぶりに顔を合わせたハロルド殿下はなんだか前より少しやつれたように見えた。
彼は私の顔を見るなり、「ジュリアナ!!」と叫んで駆け寄ってくる。
「ジュリアナ! 神殿へ戻ってきてくれ」
「はい?」
聞き間違いかしらと思わず聞き返すと、ハロルド殿下は焦ったような様子で再度同じ言葉を繰り返した。
「だから、神殿に戻ってもう一度聖女になってほしいんだ」
「いったいどういうことでしょう? そもそもサブリナはどうしたのですか?」
「サブリナは……彼女は、聖力なんて全く持っていなかったんだ」
「え?」
「ジュリアナがいなくなってから、サブリナが代わりに聖女として人々の治療や浄化を行っていたんだが……最近は体調が悪いとか、気が乗らないとかで仕事を放棄することが増えていたんだ。それでこの間、俺が馬から振り落とされたときにも治療する素振りさえ見せなくて……問い詰めたら、ずっと聖具を使用して聖力を使っていただけで、彼女自身は聖力なんてないと、もう聖具が残っていないから治療はできないんだと白状したんだ」
「そんなことが……」
「聖具に聖力を込めたのは君だろう、ジュリアナ」
確かに、聖女として働いているときには大量の聖具に聖力を込めるのも仕事の一つだった。聖力をこめた聖具はたいてい、然るべきところで使うからと聖女見習いをしていたサブリナが回収していたのだが、もしかしてあれを使われていたのだろうか。
驚きで呆然としている間にも、ハロルド殿下が畳みかけてくる。
「君に虐められていたというのもきっとサブリナの嘘だったのだろう? 彼女は聖女を騙った罪ですでに牢屋に囚われている。だからお願いだ。聖女に戻って、また俺の婚約者になってくれ」
「いえ、私は……きゃっ!」
戻りません、という言葉は形にならなかった。その代わりにハロルド殿下に乱暴に腕を掴まれ、悲鳴を上げてしまう。
「いいから来るんだ!!」
間近で怒鳴り声を上げられ思わずビクリとする。このままでは無理矢理連れて行かれてしまう、と慌てたその瞬間だった。
「何をしている?」
「レオン!」
息を切らして駆け込んできたレオンは、ハロルド殿下に掴まれている私の腕を見た瞬間鋭い目つきになり、いつもよりも低く迫力のある声で問いかけた。
「ガザール辺境伯か。ジュリアナを保護していただき、感謝する。彼女は本来あるべきところに戻るだけだから安心してくれ」
「その手を離すんだ」
「何?」
「その手を離せと言っている」
レオンは震え上がるような恐ろしい声でそう言うと、ハロルド殿下の腕を掴んで無理やり離させた。
かなりの力で握られているのか、ハロルド殿下の眉にギュッと深いシワがよる。
「何を辺境伯ごときが出しゃばっているんだ。貴様には関係ないだろう」
「彼女は私の大切な人だ。勝手に連れて行くのは許さない」
レオンはそう言うと、近くに控えていた護衛たちを呼んだ。
「不法侵入者だ。捕らえてくれ」
駆けつけた護衛たちに押さえつけられたハロルド殿下は「不敬だぞ!」と喚き散らかしながら抵抗する。
レオンはそれを冷たい目で見下ろしながら声をかけた。
「数日前に王宮から連絡が届いている。数々の不正と国費の横領が発覚し裁判にかけられるはずだった王太子が脱走したため、見つけたらすぐ捕えるようにと。ジュリアナを利用して王太子の地位を取り戻すつもりだったのか?」
「く、くそ! 俺は……」
「これ以上ジュリアナの前で汚い言葉を使うな」
何かを言いかけたハロルド殿下を一刀両断すると、護衛に「連れて行け」と命じる。
そして数日後到着した王宮の騎士たちによって、彼は王都へと強制的に送還されたのだった。
◇ ◇ ◇
「ジュリアナ、大事なときにそばにいられなくてごめん」
レオンは近くの部屋のソファに私を座らせると、怪我がないか全身を確認し始めた。
ハロルド殿下に強い力で掴まれていた腕があざになっていることに気づき、泣きそうな顔をする。
「私は大丈夫ですよ」
「でも聖力で自分は治療できないだろう?」
「これくらいならすぐ治りますから」
「いや、傷が残ったら大変だから後で医者を呼ぼう」
そう言って息を吐いたレオンは、勢いよく私の腰を引き寄せた。
「君が無事で良かった」
そう震える声で呟く。私は今さらながらハロルド殿下に無理矢理連れて行かれそうになったときの恐怖がやってきて、体の震えを抑えるように彼にしがみついた。
「レオン、助けてくれてありがとう」
「うん」
しばらくそうやって抱きしめ合っていたが、段々と恥ずかしくなってきた私はレオンの胸を叩く。
すると、レオンは少しだけ体を離し、綺麗なエメラルドの瞳で私のことを真っ直ぐ見つめながらゆっくりと口を開いた。
「……ジュリアナ、君が好きだ。ずっとそばにいてほしい」
私はその言葉に、すでに火照っていた頬がさらに熱を帯びるのを感じた。彼からの好意はなんとなく感じていたけれど、言葉にされたのは初めてだった。
「私も……私も、レオンが好き」
震える声でそう返すのが精一杯だった。レオンはそんな私のことを愛おしそうに見つめると、もう一度強く強く抱きしめてくる。
「心から、君を愛している」
私は自分より少し高い体温とその甘い響きを噛み締め、幸せだと、心からの笑みを浮かべたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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