私が生き返ったのは………
4/20 ちょこちょこ、追加で記載してます。
この作品の医学的な話は、フィクション部分が多いです。一部ノンフィクション部分もあるのですが、だいたいファンタジーです。こんな話もあるのね、くらいで読んで下さい。 許さぬと言う方は読まない方が良いですよ。
7/17 誤字報告ありがとうございました。
大変助かります(*^^*)
「私、幸せになりたいの。だから、死んでください、お義姉さま!!!」
そんなことを言われて、義妹に包丁を向けられてる私は、当然逃げる。
「止めなさい、アレンシア。貴女はクソ王子に騙されてるのよ! 目を覚まして!!」
追い詰められて階段。
あ~れ~と、体が浮いて階下へダイブ。
打ち所悪く、
チーン♪と、ご臨終。
異母妹アレンシアは、今頃事の大きさに驚き動揺していた。嘘泣きではない涙が頬を伝い、私に縋りついて嗚咽をあげている。
「あ、ああっ、お義姉さま。私、私は何てことを。ごめんなさい、ごめんなさい………」
あっと言う間の出来事で、使用人が止める間もなく死んだ私はナイアガラ・アルサーキ。公爵家の長女だ。
私がクソ王子呼ばわりしたのは、この国の第二王子ケニーア・イブメリアンで、私の婚約者だった男だ。
ケニーアはナイアガラの婿となり、アルサーキ公爵家の婿に。ナイアガラの兄はザンクロス大公家の婿に入る事が、幼い時に王命で決まっていた。
◇◇◇◆◆◆(←時間軸は、下のこのマークに繋がります)
父の愛人の娘だったアレンシアは、母親が死んで公爵家に引き取られた庶子。引き取られてはいるが、父サンジェには認知されていない(公爵家の籍に入っていない)。問題が起きた時の為に、未だ様子見の段階だ。
愛人を作るぐらいの父親の倫理観は、最低の底値。娘に対しての愛情もない。
父親に大事に扱われなければ、当然の如く使用人からも侮られてしまう彼女。
でも、私は、彼女のことを気に入っていた。
だってすごく可愛いんだよ。
私と2か月しか違わないのに、身長は150cmくらいの童顔で、くりくりした大きな瞳の彼女。私なんか164cmもあるのに。
それに黄緑の髪と深碧の瞳は、私とお揃いだった。
共通点があってほっこりする。
父親は仕事だけは出来るので、前任者から推薦されて宰相に抜擢された。人間には興味が薄いものの、仕事と割りきればアルカックスマイルを張り付けて、乗り切るスキルを獲得済み。大事にしている嫡男を婿養子に出すのも、業務を円滑にする為に仕方ないと承諾した程だ。
普段冷たそうなのに、こと仕事に関しては熱心で根回しも怠らない。全能力を仕事に振り分けたような男だった。
そして、なんと言っても顔が良い!
鮮血のような赤い髪に深海のような深碧の瞳は、一瞬で人を惹き付けて離さない。目尻は切れ長で鼻筋も通り、薄い唇は彫刻のように整っている。
その美しさのせいで、幼少期より苦労したのは言われなくとも理解できた。拐われそうになったり、襲われそうになったり、いろいろ触られたり………そりゃあ嫌だよね。
でもさあ、たとえ女であっても家族にも冷たいって酷いよね。
父親は息子マドラスだけは溺愛した。けれど反面、娘であるナイアガラとアレンシアには、顔を合わすことさえ少なかった。
ナイアガラの母親エリーゼも一線を引かれ、“お前は子を生む為だけの道具だ”と言わんばかりの態度だったと聞く。
堪えきれず、数年前に離縁していった母親。
慰謝料と言う名の、莫大な手切れ金を得た母親だが、兄や私と離れるのは胸が切り裂かれそうに辛かったそうだ。
生まれた子は優秀な乳母が養育するからと引き離され、幼い時から家庭教師が苛烈な教育をしていく。会えるのは食事の一時だけで、それさえもマナーの訓練と言い、乳母が目を光らせて会話も儘ならない。当然会いに行くことも却下されていたそう。
夫婦での活動も夜会でエスコートされるだけで、ダンスを一曲終えれば離れていく夫。周囲の女性達には羨まれ妬まれ、“時には愛されていない癖に”と影で蔑まれ嘲笑される日々。
夫に蔑ろにされている妻は、当然使用人にも敬われない。淡々と公爵家の家内業務を熟すだけである。そしてある時心を軽く病み、起き上がれなくなった。
「もうここに居たくない。父にも母にも会いたくない。死んでしまいたいよぉ。辛いよ、メリアン。ううっ」
「お嬢さん、もう休みましょう。メリアンがお守りしますから」
生まれた時から我慢して我慢して、もう限界を迎えた心と体。ずっと傍にいたメリアンには、手に取るように状況が理解できた。既に衰弱しているお嬢様を休ませなければ、死んでしまいかねないと。
その後すぐ、役に立たないと見切られた母親は、父親から子の親権を手放す契約書にサインさせられ離縁に至る。それからは生家へは戻らず、信頼する侍女メリアンと旅に出たのだ。勿論手切れ金は、エリーゼを守る為にメリアンが預かったままで。
母親の両親ダブニエン伯爵夫妻は、離縁することに憤っていた。そのまま娘が我慢すれば、公爵夫人の親として仕事や社交にも大きな顔ができたから。もう今更仕方ない。だから慰謝料を自分達の手に入れたら、再婚させようと計画していた。瑕疵付きになった娘でもまだ30代前半。金持ちの年寄りなら引く手あまただ。
なんて皮算用していたのに、その娘が逃げたのである。
そして公爵家から送られてきた離婚契約書には、今後一切の子らへの伯爵家の接触も禁止されていた。孫との繋がりを当てにしていただけに衝撃だった。
「ずいぶんと念入りだな。公爵家に都合の良いことばかりではないか」
怒りに震える父親のレイザーは、プライドだけは高い男だった。特に秀でた部分もなく、優秀な弟妹に引け目を感じていた。だからサンジェの冷たい噂を聞いて、他家が躊躇している間に娘を嫁がせたのだ。全ては見栄の為に。
母親のアルシーもまた、家族には興味がない女だった。ほぼ没落状態で貧しい侯爵家の令嬢であった彼女は、とにかく贅沢がしたかった。その為ならば子供のこと等どうでも良く、自らの幸福ばかり求める彼女が、子の心配等する筈もない。
金づるとなる娘が逃げて、慰謝料さえ手に入らないことに目くじらを立てる。
「はぁ? なんですって!」と、夫と共に心配ではなく怒りを浮かべ捜索指示を追加したのだ。
端から見れば、痩せぎすの派手なおばさんとでっぷり腹おじさんの体型は正反対だが、子供を手駒と見たりプライドの高いところはよく似ていた。
そんな両親を見て、嫡男のローランドは嘆息する。
(頼んだよ、メリアン。必ず妹を逃がしておくれ)
そう、ローランドは、妹を愛していた。だから最後まで、アルサーキ公爵令息との幸せになれない結婚を反対していたのに。数年後にサンジェが公爵位を継承するも、妹は不幸のままだったと知っていた。妹は当たり障りないことしか書かない手紙でも、メリアンが真実を知らせる手紙を送っていたから。
寧ろメリアンを誘導し、妹を逃がしたのはローランドだと言っても良い。サンジェの慰謝料等なくとも、自分の資産でいくらでも逃走資金を捻出する気でいた。莫大な慰謝料が手に入ったのは僥倖だが、子らへの権利放棄は頭が痛い。ローランドも甥や姪と接触できなくなったからだ。
「でも今は、妹の心が大切だから」
ローランドの指示の下、妹達には屈強な護衛が付き従う。気づかれないように民衆に紛れ、時には危険な獣や輩を排除し、両親からの追っ手を振り切る為に。
そんな背景のあるナイアガラは、家族愛どころか愛情自体に飢えていた。教育やマナーは完璧な14歳令嬢も、いつも心はポッカリと冷たい穴が開いている。
時々遊びに行く友人宅では、家族がみんな仲が良い。そこが特別なのかと思ったが、誤差程度で他の家も親子や兄弟姉妹らの愛情らしきものが見えるのだ。
かと言って、それを自慢されることもない。
当たり前のことだと知らしめているようだ。
ナイアガラが友人を招いても、嫌味を言う人もおらず仲良くしてくれている。でも時々思うのだ。自分が第二王子の婚約者でなく公爵令嬢でもなければ、たぶんいろいろ虐められたんじゃないだろうかと。その逆も然りで、心を許せる友人もできたのではないかとも思うのだ。
義務や責任の多い公爵家は、権力も桁違いだ。
父親であるサンジェだとて、降嫁したお祖母様の影響で王族の血を宿している。順位は低くとも継承権はあるらしい。
そんな娘を傷つけること等許されないから、距離を置かれてたり、敬われたりしているのだと思うのだ。
父親は殆ど家に居ないし、兄は父親に似て特権階級を当たり前と考えていて傲慢だ。父親と同じように顔には決して出さないが、女を下に見ている。2つしか違わない私とも、仲良くしようなんて思っていない。
私の唯一の気晴らしの、乗馬にさえ文句をつけてくるのだ。たかだが大会で優勝しただけで。
「女の癖に、乗馬なんてして。慎みがないと嫁に望まれんぞ」
なんて言ってくる。
でも私は知っていた。
兄の友人が大会で万年2位となり、不満を持っていたことを。何度も負けているから、兄に泣きついたのかもしれない。
「実力で勝てないから排除しようなんて。ずいぶん甘ったれていること」
なんてことは、口が裂けても言えないのだけどね。
今後どうするかは言うこともなく、ただ小言を聞くのみだ。
私は愛馬の白銀を妹のように思っている。空き時間を全て彼女と過ごすのだから、信頼を得て上達していくのは普通のことなのだ。本当の家族以上だもの。それを否定される言葉は地味に辛いが、言えば何倍にも返ってくるし、手を出されては困るのでだんまりする。
さすがの兄は私が第二王子の婚約者でも、不満を言い続けるのだから大したものだ。思慮が浅いのか、私が王子妃になってもこのままなのかは解らないけれど。
そして第二王子は外面がすこぶる良い。
幼女から老女まで、微笑んで優しい声で接する。
なので麗しの王子様と大評判だ。
金髪碧眼の舞台役者のような美しい顔は、特に女性に人気が高い。
第一王子のヴァイアスは、黒髪に黒い瞳の美丈夫で国王似。武にも長け、筋肉隆々だ。
第二王子は王妃に激似で、ほっそりとして線が細い。
王妃を愛する国王は、当然の如く第二王子も溺愛した。
ヴァイアスは文武両道で、竹を割ったようなさっぱりした性格だ。駆け引きにやや疎いが臣下思いで剣の腕が立ち、民家を襲う猛獣狩りにも率先して参加する。
逆にケニーアは、国王の指示で戦いからいつも外される。騎士団長ボムスからは将来の為にも訓練にも討伐にも参加するように言われているが、本人も甘やかす国王も庇い従わないのだ。
(何を考えているのだ国王は、姫じゃないんだぞケニーア様は。有事の際に前線に加わるのは、まず最初に彼の役目になる。次期国王であるヴァイアス様は、城から全軍指揮を取らねばならんからな。この有り様のままのケニーア様なら、迂闊に動いて死ぬか捕虜になりかねんのに。……何を考えているんだか)
ほとほと呆れるボムスだったし、他の騎士達からも“王子なんだから責務は果たすべきだ”と不満があがっていた。
そんなケニーアは、国王になれないことを憂いていた。
「俺の方が国民には人気があるし、戦いは騎士がすれば良い。アルサーキ公爵家に婿に入るなんて、冗談じゃない。あんな陰気なブスが相手で、我慢できる筈ないだろ!……あいつが居なければ、俺が国王なのに! くそっ」
おそらく国王に贔屓されていることで、ヴァイアスに何かあればすぐにでも国王になれると思っているのだ。
恐ろしいことに。
でも努力が嫌いなケニーアは、騎士団の訓練以外に勉強も嫌いだった。帝王学や周辺諸国の地学・軍事・経済等をまともに覚えられないお粗末さ。
王妃は教師達からそれを聞き、もしヴァイアスが亡くなったとしても、ケニーアを王太子には擁立できないと考えていた。
◇◇◇
ナイアガラの死亡、3か月前。
アレンシアは公爵家に引き取られてから、貴族の通う学園に編入した。もともと市井の学校には通っていた彼女だが、貴族学園とはレベルが違った。
衣食住には困らないが、冷たい環境の公爵家。
(時々ナイアガラお義姉さまが話しかけてくるけど、緊張してうまく話せないの。ヴィンディお義兄さまには、挨拶しても無視されているし、お父様には会うことは殆どない)
私は、アルサーキを名乗ることを許されたが、籍にはまだ入っていないと告げられた。今後の行動次第だと言う。
家庭教師から日々休むことなく学んでいても、勉強ならともかく礼儀作法はなかなか身に付かない。やはり幼い時からの積み重ねなのだろう。食事一つにしてもナイフが音をたてそうで、緊張で料理の味もしない。最早、喉を通過させる作業だ。
そんな中で私が出会ったのが、第二王子のケニーア様だ。彼はまるで天使みたいに、私に微笑んだのだ。
「平民から公爵家の娘になるのは大変だろう? よく頑張っているね」
私は嬉しくて泣いてしまった。
彼は吃驚した後、シルクのハンカチをポケットから出して、私の目尻にあてた。
「何かあれば教えて。僕で良ければ力になるよ」
ケニーアはいつもの外面の良さで、優しく囁いた。
自称を俺から僕に変えるのも、いつものことだ。
アレンシアはケニーアが聖人のように思えたが、ケニーアはアルサーキ公爵家の弱点でも探ろうと近づいただけ。
(いくら下賤な生まれでも、少しは役に立つだろう)
それを知る由もないアレンシアは、淡い恋心を持つのだ。
(ナイアガラお義姉さまの婚約者なのに、こんな気持ちを持っては駄目なのに………)
ナイアガラはケニーアに、裏表があるのを知っていた。誰でも多少の裏表があるのは当たり前のこと。
しかしケニーアのそれは、とてもあからさまだった。
ある夜会でいつものようにケニーアは、甘い言葉で女性を虜にしていた。そして事もあろうに王宮のバラ園奥のベンチで、相手の耳元で愛を囁きながら壊れ物のように組み敷いている。
「ああ、愛してる。マリーアナ夫人」
「ああ、夫人なんて呼ばないで。マリーアナと言って」
「ああ、マリーアナ。なんて愛らしい」
「愛しいケニーア様、やっと触れあえた。嬉しい……ああっ、好きっ、あんっ」
キスやらその先やら、夜会そっちのけの二人である。
いくら暗がりだと言っても、野外で伯爵夫人と逢瀬を交わすなんて、誰かが口にすれば飛んでもない醜聞なのに。でも腐っても王子だから、誰かが見ても怖くて言いふらせないよね。きっとそれを知って、ケニーアもやっている筈なのだ。
そしてナイアガラ調べでは、相手はマリーアナ夫人だけではない。未婚女性を外した多くの既婚者を対象にしていたのだ。未婚女性は結婚を迫られたり、後腐れがあると思って避けているのだろう。それ自体でも十分悪質だけど。
何度も逢瀬を止めようと、追いかけてくるナイアガラに対し、顔を合わせる度にケニーアは言う。
「いくら俺に相手にされないからと言って、お楽しみを邪魔するのは止めてくれよ。昨日も覗いていただろう、お前。ちゃんと相手は選んでいるのだから、口出しなんてするな。……まあ、お前が相手をしてくれるんなら、考えてやっても良いぞぉ。考えるだけな。でもその色気のなさでは、立つものも立たないから、やはり他の女が必要になるな。ふははっ」
下卑た口調と全身を舐めるような視線に、ナイアガラは嫌悪が増していくだけなのに、ケニーアはナイアガラに求められていると思っているのだから手におえない。
いつもケニーアを監視し事が起きないように警戒しているのに、側近の助力のせいか途中で見逃してしまい、止められない状態になっているのだ。
下手に(中途半端なところで)声を掛ければ、夫人の家にも通達せねばならないし、ケニーアも醜聞を免れない。だからその前にと思っているのに、うまくいかないのだ。まるでそのタイミングを、ナイアガラに見せつけるかのように。
ナイアガラは疲れていた。
(別にケニーアなんて好きじゃないし、どちらかと言えばヴァイアス様の真面目で筋肉質な方が好み……いや、そうじゃない、違くて。女性の気持ちを弄ぶ人は嫌い!)
ああ、あれが将来の夫かぁ。
どんだけ隠し子とか出てくるのか。
でも向こうは王子だから、離縁も私から出来ないだろうし。
はぁ~
近い未来に、ケニーアがアルサーキ公爵家に婿として入り、ナイアガラの夫となることに、軽い絶望を感じていた。
「もうやだ、あの好き者が。勝手にすれば良いわ!」
◇◇◇◆◆◆
「ああ、ケニーア様。私はいつまで待てば良いのですか? このままでは来年には、公爵家のマドラス様の妻になってしまいますわ」
ディマロンは大きな胸をケニーアに押しあてて、腕を組んで離れない。琥珀の大きな瞳はこぼれそうで、薄黄のヒヨコ色の髪は波をうちケニーアの肩にかかり、甘い薫りを放つ。
「ああ、泣かないで。そろそろ吉報が届く頃さ」
吉報とは、ナイアガラが死亡した報告だった。
国王に呼ばれナイアガラの死亡の報告を聞き、泣き崩れるケニーアだったが王妃の視線は冷たい。国王は可哀想にと、ケニーアを抱きしめているけれど。
そしてナイアガラ死亡によりケニーアの婿入り先がなくなったことで、大公家のディマロンへの婿入りが決まった。
アルサーキ公爵家は、マドラスが継ぐことになった。
ケニーアはナイアガラの知らない所で、まさかの大公女に手を出していたのだ。
アレンシアはどうなったかと言えば、秘密裏に処刑されることになった。公爵家の籍に入っていない庶子が、嫡子を恨んで殺したとして。
醜聞を避ける為、表向きナイアガラの死は事故死となっているが、実際はアレンシアが追いかけたことでの転落死。
あの時、使用人は叫んだ。
「この下賤な女が、お嬢様を殺した。包丁でお嬢様を脅して、階段から落としたんだ! 誰か捕まえてー!」
「ああ、違うの。これは王子様の為なの。王子様の幸せの為に……」
「なに言ってるんだ。お嬢様の婚約者様に罪を着せようなんて!」
「この悪魔、人でなし!」
「ちが、あっ、痛いっ、止めてよ!」
ナイアガラを手当てする者と、サンジェを呼びに行く者、アレンシアを拘束する者で一階のホールは阿鼻叫喚だった。
既に包丁を落としていたアレンシアは、容易に掴まり手足を縄で縛られた。彼女からはケニーア様を呼んでと、サンジェが来るまで叫び続ける声が響く。
そして最初に声をあげたメイドは、姿を消していた。
このメイドのいた位置であれば、アレンシアを容易に止められた筈だがそれをしなかった。彼女はケニーアの手駒だったのだ。
(あの王子、飛んでもないね。女を操ってこんな惨いことをさ)
聡いサンジェは、一連の情報を聞いて絵姿が浮かんだ。
「愚かなアレンシアは嵌められたな。まあ仕方ないが、マドラスが残るなら良いだろう。……きっと国王もケニーアの遣ったことを知る頃だろうし、精々便宜を図って貰うとしよう」
サンジェから、ナイアガラへの悲しみは感じられない。
マドラスでなくて良かったなんて……………
アレンシアは、何故か王宮の騎士が連れに来た。
(きっとケニーア様が助けてくれる。だって態々王宮からの迎えが来たのだもの)
王宮の門は潜るものの、連れて行かれたのは地下最奥のカビ臭い牢だった。
「いやー、出してー、こんなところ嫌よ。ケニーア様を呼んで、呼んでください。ケニーア様、ケニーア様ー!」
ただ一人で2日間、日も射さぬ土壁の闇で叫び憔悴しきったアレンシア。食事も固いパンと水だけだ。
そこに現れたケニーアは、辛そうに顔を歪めて彼女に駆け寄った。
「ああ。アレンシア、こんなに窶れて可哀想に。すぐに出してあげるからね。取りあえずこれをお舐め、喉がカラカラだろう?」
「ぐすっ。ケニーア様、私は信じてました。ずっと待ってました………うぐっ、ぐえっ………うっぐ……」
ケニーアが渡した飴には、猛毒が仕込まれていた。
甘い甘い、くどい程に甘い味の後に、痺れと息苦しさが襲い、胸を押さえて膝を突く。それも出来なくなり、床に転がる。
「ひゅー、ひゅー、な、なんで? ケ、ニーアさ、ま……」
「さすが猛毒、瞬殺だ」
あらゆる体液を流して死んだアレンシアを、悲しみもせずにスッキリした顔を晒すケニーア。彼は更に暴言を吐く。
「最後まで夢を見れたんだ。俺と幸せになれる物語をね。下賤な女には過ぎた夢だったろ。まあちゃあんと、心も体も愛してあげたんだから、良い思いもしたよね? 俺の幸せの為に、ご苦労様」
そうして埃を払い、牢を去っていく。
その状態を観察する者が居たことを、ケニーアは気づいていない。
◇◇◇
「ああ、何てこと。ナイアガラが、ナイアガラが!」
「しっかりしてください、お嬢様」
遠い町でナイアガラの死亡を知ったエリーゼは、悲しみに暮れていた。新聞には事故で亡くなったと書いてあるが、実際には他者による転落死だと兄のローランドからの手紙を受け取っていた。
「私が居れば、庇ってあげられたのかしら?」
「それは……わかりません。真実は公開されていませんが、実行犯はアレンシア様だそうですから」
「どう、して? ナイアガラは虐めたりしていないわ。優しい子だもの。ねえ、どうして彼女が?」
「どうやら、ケニーア様が関係しているようです」
「ケニーア様が? だって王子は婿に来る筈でしょ?」
「それがですね、ザンクロス大公女を妊娠させていたようで、今は大公女の婚約者となったそうです」
「そ、そんな。じゃあ、これってまさか?」
「可能性はかなり高いかと」
「だからって、なんで殺すのよ。婚約破棄でも解消でもしなさいよ。クソ男が!!!」
「………有責になるのがいやなんでしょう、きっと。アホなのに、次期国王になるのを諦めていないそうですから」
「くっ、あんなのが王になれば、すぐ国が滅ぶわよ!」
「その通りです、お嬢様」
二人で泊まっている部屋で、悲しみ混じりで文句合戦をしているとノックが聞こえる。
もしかしたら廊下に声が漏れたのかと、口を塞ぐ二人。
そおっと扉を開けると、見覚えのある顔が!
「えっ、どうして。王妃様がここに!」
疑問が口をつき、はっとして頭を下げる二人。
「頭をあげて、二人共。ここにはお忍びで来たのだから」
意味が解らず顔を見合わせたが、次の瞬間に現実に引き戻された。
「エリーゼ、ごめんなさいね。ケニーアのしたことは畜生にも劣る非道だわ。…………だから、ナイアガラを復活させたいと思うのよ」
エリーゼとメリアンは目を見開く。王妃は冗談等言う人ではない。ならば、それは真実のはず。
「どうやってですか?」
恐る恐るエリーゼは尋ねた。娘の生死がかかっているのだ、遠慮等していられない。
「それはね……………」
「まさか、でも、そんなことをすれば…………」
こくりと頷く王妃は、深い悲しみと覚悟が感じられた。
◇◇◇
「おぎゃー、おぎゃー、おぎゃー」
ザンクロス大公家に、元気な嫡男が誕生した。
「ああ。ディマロン、お疲れさま。とっても美男子の息子だ、僕によく似ているよ」
「まあ、本当? 貴方みたいに、女の子を泣かさないようにしなきゃね」
「酷いな、君は。今は君一筋なのに」
「ふふっ、嘘ばっかりね。でも良いわ、信じてあげる」
最初は婚前の妊娠に怒っていた大公も、愛娘には弱くケニーアを受け入れた。大公家に受け入れられたケニーアは、王族でもある為使用人達に傅かれて快適だった。
ディマロンもケニーアにメロメロで、何でも従ってくれている。
兄夫婦には、まだ子供がいない。
大公家の後ろ楯のある今もし兄に何かあれば、俺が王太子とならなくても、この子が王位につく可能性も出てきたぞ。そうなれば後ろで政治を弄れる。くくくっ。
なんて妄想する強欲なケニーア。
そんな生活が長くは続かないことを、彼はまだ知らない。ディマロンの父親ザンクロス大公は、次にケニーアが浮気をすれば暗殺しようとしていた。後継ができたことで、胤男は不要となったから。余計な波風を立てるつもりなら、居ない方が良い。娘にとっても、孫にとっても。
これが国王が無理をしてでも、ケニーアをアルサーキ公爵に送り込もうとした理由である。大公の有能さと苛烈さを知っていたから、浮気者の息子には無理だと判断しての処遇だったのに。全く言うことを聞かないケニーア。
浮気さえしなければ、特に危険は及ばないのだが。
◇◇◇
そんなある日、いつもの悪い癖でメイドに目をつけたケニーア。嫁も息子も可愛いが、自分のことにも甘い彼は、メイドの買い物を手伝うと付いていく。隙あらばモノにしようと厭らしい考えをもたげていた。
何かあれば暗殺しようとしていた大公だが、買い物場所の商店からメイドもケニーアも出て来ない。店内に不貞をする場所等ない筈なのに。
結局そこを行き来したのは、数件の荷物の出し入れをした業者だけで、変装して出てきたような者もいなかった。その為大公は諦めて帰途につく。
だが、そこからケニーアの消息は途切れたのだ。
ディマロンの必死の訴えで懸命に捜索もされたが、結局手がかりもなくメイドも戻ってこなかった。まさに神隠しである。メイドはの身元は王妃からの紹介であり、不貞をおかして駆け落ちをするような娘ではないと返答があった。
ディマロンは暫く泣き暮らしたが、母は強しで復活した。いつかケニーアが戻って来る時の為に、子供をしっかり育てると張り切っている。見守る大公も頬が緩む。大公夫人も、一緒に子育てに励む。
「私はディマロンしか産めなかったから、ディオスが生まれて幸せですわ」
「……俺はお前がいれば幸せなんだ。子が出来なくても、ずっと幸せだったよ。でも愛娘の子供だから、二人で面倒みようか?」
「ええ、そうですね。………私、貴方と結婚して、良かったです」
照れながら俯く妻に、暖かな気持ちが心を包む大公。
それを見るディマロンは羨望の眼差しだった。
(きっとケニーアは戻ってこない。たくさんの女性に恨まれていたから、あの人。でも、好きだったのよ私は。だから、いつか戻ってくる日を夢見るの)
諦めの気持ちも、期待の気持ちもあるディマロン。
彼女は本当に、直向きにケニーアを愛していた。涙を見せない彼女は、今日もディオスに向き合うのだ。
◇◇◇
「なんだここは! 誰か居ないのか?」
いつの間にか気を失い、手と足が紐で括られていた。
どうやら民家らしく、木製の質素な部屋の床に転がされていた。買い物に付き合ったメイドは、黒いシャツとトラウザーズに着替え、目の前の木製の椅子に座っていた。
美人なのは同様だが、ツインテールの髪からショートヘアになっており、巨乳だと思っていたのに乳が消えていた。そして声が目茶苦茶低い。
「ばっかだな、あんた。今の生活に満足しておけば良かったのに」
「馬鹿とはなんだ。次期大公だぞ、俺は。早く解放しろ!」
ここが何処か解らないのに、大した自信である。
けれど狭いその部屋に、黒いローブのお婆さんが入ってきたことで空気が変化した。部屋全体の空気が下がり、ヒンヤリしてくる。
「本当に良いのかい? あんたの息子だろ?」
「………もう、どうしようもないのです。せめて出来ることを償わせます」
なんとそのお婆さんの後から入ってきたのは王妃、ケニーアの母上だった。メイドはお婆さんの弟子だそう。
「母上、助けてください。私はこの男に拐われたのです。早く縄を外して下さい!」
王妃は涙を浮かべ、ケニーアを強く抱擁した後彼から離れた。
「さようなら、私のケニーア」
「母上、何故さようならなんて。……なんで……」
王妃は抱きしめた時、彼の背に麻酔をした。
ケニーアの背は、チクッとした痛みを感じた筈だ。
それは、少しでも苦痛が少ないようにと願う、王妃の愛情だった。
眠りに就いたケニーアに、お婆さんは呪文を唱えた。
それは今は亡き、古の国のものだった。
「чб∬жж∬и∝∬щэяч」
どうやら、復活の呪文らしい。
「………あれ? 私、死んだ筈なのに。夢だったのかな? あれ? お母様にメリアン、ええっ、王妃様!」
訳が解らないナイアガラだが、エリーゼやメリアンに抱きしめられて倒れてしまう。
「あ、危ないよ。どうしたの、二人共?」
「ああ、間違いないわ」
「ナイアガラお嬢様ですわ」
「おお、良かった。成功したようだね。………あとさあ、あんた達のお嬢さんに引っ張られて、女の子の霊体も子犬に入ったようだよ。知ってる子かい?」
すると、お婆さんの連れている母犬にくっついている子犬の一匹が、こちらにとことこやって来た。
「お義姉さま、私はアレンシアです。ケニーア様に騙されて、お姉様を殺せば結婚できると言われて。本当に申し訳ありませんでした」
アレンシアだと話す子犬は、ケニーアの体の私に向かって謝罪している。ケニーアが私だと解っているのだろう。
混乱する一同。
◇◇◇
お婆さんの言うことには、
「ナイアガラの霊体は肉体を失ったので、ケニーアの体に入ったことで復活した。ケニーアも死んだ訳ではなく、同居状態だ。但しケニーアの人格は、王妃の依頼通り表面に出られず、死ぬまで眠り続けることになるそうだ。その為、ケニーアの主人格はナイアガラになる」と言う。
多重人格の例で言えば、それぞれの人格が出ている時に脳の使用されている部位が違うそうだ。おおまかに分けるとアートや音楽、複雑なアイディアメッセージは右脳を、計算や論理的思考、倫理等を左脳を司る。
その出方を脳の電気信号で確認すれば、今はどの人格かを客観的に判断できると言う。
普段絵も描かないのに、素晴らしい景色を短時間で描き上げたり、短時間で本の内容を暗記して、暗唱どころか理論を組み立てる等、普段の人格では出来ないことが別人格で出来ている事例が存在する。
ただその多くは、極限に追い込まれた時に発揮されることが多く、火事場の馬鹿力もその別人格と判断されるそうだ。
人格が表面に出ない時を待機人格と言い、必要な場面で切り替わって現れると言う。まだその分野は、研究段階ではっきりこうだとは言えないと言う。
そしてお婆さんは霊能力で古代文明の力を継ぐ研究者なので、脳の研究者ではないので、そこら辺は曖昧らしい。
なのでケニーア様は、待機人格として生き続けることになるのだ。
そして不思議なのは、アレンシアだ。
生まれたばかりの三匹の子犬の一匹に憑依し、犬なのに流暢に喋りだしたからだ。これには犬の可能性を感じさせる。喋らないから話せないだけで、慣れれば話せるのではないかと。
まあ、それは置いといて。
アレンシアはナイアガラに引っ張られて、ここに来てしまった。恐らく自我がまだ弱い子犬だから、人格? 犬格? を支配できたのではないか?
でもそうしたら、アレンシアは死ぬまで犬の中にいるのかしら? と言う疑問が?
お婆さんも困ってしまったわね。
そりゃ、そうよね。
私がケニーア様に入って、私の気持ちで話しているのも奇跡だものね。
きっと、アレンシアのことも奇跡なのよ。
「じゃあ、もう良いかい? トシだから疲れるんだよ。私は秘密を守るし、困ったら追加料金で見てあげるから。バイバイ」
そう言いながら、部屋を去っていくお婆さん。
残された一同も、まあ良いかで解散した。
ただアレンシアの憑依? した子犬は、置いていかれた。
「その子、あんた達の傍を離れないからさ。アレンシアが居なくなったら連れてきて良いよ。飼うんならそのまま持ってこなくて良いからね」
そう、アレンシアは、あの後もずっと喋り続けているのだ。さすがに他人に聞かれるとパニックになるから、私達だけの時限定で話を聞いている。
「本当に済みませんでした。かくなる上は、ナイアガラ様を死ぬ気で守りたいと思います。よろしくお願いします!」
うん、困った。
でも彼女も、成仏の仕方が解らないと言う。
お婆さんに聞いても、“そのうち何とかなるだろう”としか言われないし。
なので彼女のことを、飼うことになった。
私もお母様も、アレンシアもたいがい不幸の星に生まれてたようだし、もう謝るのはなしでメリアンと四人で暮らすことにしたの。この秘密を知るのは、お母様の兄のローランドさんと王妃とお婆さんとお婆さんの弟子だけ。
ケニーア様は顔が割れているから、隣国の隣のリゾート島に住むことにしたの。かなりの距離があるから誰にも会わないだろうし、ケニーア様は死亡者扱いだと聞いたしね。ただこの美貌には、女の人が寄ってくるから困ってしまう。中身女の子ですから、残念♪ってな感じでね。
もう最初はね、入浴と排泄に苦労したの。だってないものがあるんだもの、びっくりするよね。亡くなって数年経っていたけど、気持ちは14歳で止まってたしね。乙女には「ギャー、何もう、やだー」の連続でしたわ。さすがに、もう慣れましたけどね(と、遠い目をするナイアガラ)。
そして暫くすると、アレンシアはもう話さなくなったの。
もう体から離れたのかしら?と思っていたんだけど、
お婆さんが「もう天国に行ったよ」と教えてくれた。
どうやら私のことを守る人がいて、自分の出番は終わったと思ったみたい。
さよならも言えなかったけど、「ありがとうね、アレンシア」私は心の中で呟く。
今度はお友達になろうね。
子犬の方は、私の傍から離れないでいてくれた。
「クキュン、ウーン」と、とても愛らしい。
彼女は本当に、ケニーア様が好きだったんだと思う。
だから傍に居たかったのかもね。
例え裏切られたとしても、好きだったのね。
そして私のことも、少しは好きでいてくれたのかな?
謝罪の気持ち以外にもさ。
もし少しタイミングが違えば、仲の良い姉妹になれてたのかもしれないのにね。そこは少し残念なんだ。
今日もメリアンがお菓子を焼いて、お母様とローランドさんと四人と一匹でティータイム。
◇◇◇
前ダブニエン伯爵夫妻の、レイザーお祖父様とアルシーお祖母様は、ローランドさんが伯爵家を継いだ瞬間に、伯爵家の端にある領地に隠居させたらしい。使用人達もお母様への仕打ちを知っていたから、ローランドさんの指示に従ってくれたそうなの。お祖父様達は使用人達にも厳しかったそうだから、仕方ないわね。今は毎月生活費を渡して暮らしているそうよ。贅沢とは無縁ね。今まで買ったものは渡してあるので、売るなりして資金を得ることはできるみたいだけどね。プライドの高い人が、売却できるかは解らないわ。
アルサーキ公爵家は、マドラスお兄様が2度程結婚を失敗したみたい。奥様には冷たいし浮気をするわで、評判最悪みたいよ。今の時代にサンジェお父様みたいにしたら、顰蹙買うのは目に見えているのに。
私の体のケニーア様は、女性関係のもつれで拐われて殺されたと言われているの。それでみんな浮気をしないようになったのに、何にも学ばないなんてね。浮気相手だってお金目当てだと言う噂だし。あの性格を直さないと、また結婚しても逃げられちゃうわね。
サンジェお父様は、お兄様が結婚しないから家督を譲れないと仕事をしているらしいの。お兄様の逃げたお嫁さんの生家からも、いろいろ噂が広まって公爵家の評判も落ちているらしいわね。お兄様が継げば、没落の可能性もあるとゴシップ紙で読んだけど、なんか当たってそうなのよ。すごい取材力だわ。
今まで女性を蔑ろにしたことが、今回の結果になったのだ。因果応報だと思う他ない。
ヴァイアス様は、立太子され王太子となった。
ケニーア様を王位につけて、甘い汁を吸おうとした者は失脚した。
黒髪で青い瞳の王子と王女が生まれ、ヴァイアス様と王太子妃様の色を持っていると、両祖父母から可愛がられているそうだ。微笑ましいことです。
国王はケニーア様が姿を消してから、心労で寝付いている。傍には王妃が付き添うが、王妃は落ち込んだ様子がないと言う。お元気そうで良かったです。
◇◇◇
ローランドさんは暇があればここにいるので、結婚しないのか聞いてみた。
すると、家庭を持つことに自信がないので、しないと言う。
後継は養子でも、親戚に譲渡でも適当にするそうだ。
私は優しいローランドさんなら、良い父親になれると思うけれど、それも仕方がないと諦めた。でもいつか良いパートナーができれば良いね。私が女性ならアタックしたい人だけど、体は男性だからね。後継者を産むことは出来ないわね。お茶のみ友達を続けましょう。
私の傍にいる子犬は、知らないうちにお母さんになっていた。目下里親探し中である。いつできたの? ずっと傍にいたのに? 謎である。
ぎこちないけれど、今私達はこっそりと理想の家族で過ごしている。時々王妃も訪れて、私を抱擁して帰っていくのは内緒だ。
時々目が覚めると、王妃が傍らにいることがある。
「朝早く来たので、ケニーアの顔を見てたの。驚かせてごめんなさいね」
「いいえ、私は何ともないですから」
私は恐縮してしまうが、王妃はただ微笑むだけだ。
自分の息子に会いたい気持ちは解るもの。
(ナイアガラが眠ることで、ケニーアの意識が強くなる。主人格がナイアガラから奪われないように、ケニーアは意識がはっきりするだけで、体は動かせないようになっている)
王妃はそれをお婆さんから聞いて、時々ケニーア本人に会いに来るのだ。静かに頭や顔を撫で、頬に涙を落としている。ナイアガラは寝付きが良く、何があっても中途覚醒しない強者だから出来ることだ。
エリーゼ達もケニーアのことを知り、協力している。
王妃の力添えがなければ、再びナイアガラと会えなかったので、感謝の気持ちが強くあるのだ。
(ああ、今日も母上の声がする。暖かい手が俺を撫でている。でも目を開けることも、声を出すことも出来ない。………どうなっているんだ俺は。ディマロンと俺の子はどうなった? 俺は、俺は、どうしてしまったんだ?)
意識だけで動かない体で、夜毎彼は混乱を繰り返す。
幸福げな顔の寝姿からは、王妃へは、その苦悩は伝わらない。でも、それで良いと思うのだ。彼女もまた、一人の母として苦悩した決断をした後なのだから。
ただ終わりない孤独の暗闇を、恐怖に駆られ徘徊するケニーア。
これが彼の罪。
ナイアガラが死ぬまで、この意識の牢獄からは逃げられない。甘やかされてきたケニーアには、一夜さえ何年分もの苦痛となっていた。狂うことも許されないのだ。
………長い旅路となることだろう。
◇◇◇
余談だけど霊能者のお婆さんは、エリーゼお母様が公爵家から貰った慰謝料を殆ど全額持っていった。まるで金額を知っていたように。でもお母様はそれで良いと言う。
「奇跡で貴女に会えたのだから、もう良いのよ。あと、厄落としね」何て言う。
「公爵家は、お母様にとって厄なのね」
笑って言えば、貴女以外は厄で良いわだって。
お強くなられてと涙ぐむメリアンは、いつの間にか夫ができていて、通いでメイドをしてくれている。なんと夫の連れ子もいるらしく、18歳でとても可愛らしい。私はローランドさんにどうかと言ったんだけど、何故かその子に泣かれてしまった。
まさかの私狙いらしい。
「ごめんね、結婚しない主義なんだ」
なんて言ったら、“いつまでも待ちます”とか嘘でしょ?
何だかいつも賑やかな、私の日常なのでした。
最後に私が生き返ったのは、『やっぱり、愛』でしょうね♪