01 空に残した傷跡
昔のこの国はもっと平和だったらしい。魔物なんて居なかったし、空は蒼かったらしい。
そんなのは俺が生まれるよりずっと前のことだ。覆水盆に返らず、この国は元には戻らないだろう。
「ありがとうねぇ、ハルト君。」
「礼はいい。これは仕事だ。人助けじゃねぇ。」
空傷ハルト。俺はそう呼ばれている冒険者だ。平和な頃にゲームで使われていた用語がそのまま利用されているらしい。
「そうねぇ、もちろん報酬は弾ませてもらうよ……そんな風に、傷だらけになって戦ってくれた勇者を、蔑ろにはできんからねぇ。」
「……傷のことは気にするな。今日怪我した訳じゃない。」
「まぁまぁ。」
報酬を手にして家に戻る。簡単な木造の家が並んだ、いつもの風景。風が吹き抜け、戦い終えた身体を冷やす。
そのまま歩いていき、その風景の中一際目立つ建物に入る。
「戻ったか。」
黒田道雄。俺が今住んでるこの家の持ち主で……ここ九州第一人境の区長。
「今日は食料庫付近に湧いたゴブリンの群れの討伐だったな。どうだった?」
「群れても雑魚は雑魚だ。大したことねぇな。」
「そうか。」
黒田は一言だけ発して、そのままだった。自分の部屋の扉に手をかける。
「昔は……父から聞いた話だが。昔は魔物なんて居なかったし、ワンダラーもいなかったらしい。……雑魚魔物だとしても、居ないのが本来であることは忘れるな。」
ドアを開ける直前で声をかけられる。俺は部屋に入った。
「……昔の事なんてどうだっていい。俺はスキルがあるワンダラーだ。そして魔物は居る……兎の魔物も確かに存在する。」
兎の魔物。ヤツに復讐を誓ってもう一年経つ。あの日のことはまだ鮮明に思い出せる。たった一年だ。いつか必ず……ヤツを倒してみせる。
俺は眠りについた。
*
『おとうさん……おかあさん!!』
──魔物の襲撃。村は燃え盛る炎に包まれ、すでに原型はない。
そんな中、目の前には忘れもしないその魔物が現れる。
『……う……ば、バケモノ!! どっかいけ、とうさんとかあさんを返せ!!』
石を投げても、その魔物には容易く避けられてしまう。振り返った魔物に、足がすくみ、腰が抜ける。壁に追い詰められ、子供心に死を覚悟した。
『そうね──いつか私を殺しに来て。』
魔物はかがみ込んで言う。その悲しげな声が脳に焼きついて、心に憎しみとなって離れない。
そして……いつもここで目が覚める。
*
「おはよう、ハルト。」
「……。」
「どうした? 挨拶は返すようにと言ったはずだぞ、なにか嫌な夢でも見たか。」
「なんでもねぇよ。」
めんどくさい絡み方をしてくる黒田。いつも何も言わねぇのに、なんなんだ。
「そうか。相当に夢見が悪かったようだな。」
「──ンでそういうことになんだよ?」
「そういう時ほど朝の挨拶はしろ。一日のパフォーマンスに関わる。今日『兎の魔物』が現れたら──」
「うるせぇよ! 父親ヅラするんじゃねぇ!」
声を荒らげる。……何を言おうが、黒田は俺の父親ではない。父は死んだ。それが現実だ。
「……お前が意地を張るというのなら、私も意地を張ろう。おはよう、ハルト。」
「っ……」
大人気ない。挨拶されなくて拗ねるとか、ガキかよ。
「おはよう……ございます。チッ。」
「思ったよりも早く折れてくれたな。では朝飯にしよう。用意はしてある。聞けハルト、今朝は春雛が──」
一日は始まって行く。春の陽気に包まれた第一人境。だが、俺はこいつらとは違う。俺はワンダラー。そもそもここに定住する気などない。ただ依頼が多いだけだ。
定住する気もなければ、仲良くする気もない。だから……俺はただ依頼を受けるだけだ。
朝ごはんを食べ、落ち着いた頃。
「今日も依頼がある……だが、久しぶりに手強そうだ。」
魔物にはランクがある。小型、中型、大型、ユニーク。小中大とは言っても目でわかるサイズは関係なく、魔力総量を大きさで表しているらしい。ユニークは別格。
昨日俺が倒したのは小型魔物の群れ。魔物には固有の名前があり、前時代のゲームから取られている。あれはゴブリンと呼ばれているヤツらだった。他にも、スライムとか、ゾンビとか。
中型魔物にはオークとか、ガーゴイルとか。そいつらはかなり強い。スキル無しでやり合うのはまず無理。
大型魔物は遭遇したことがない。ドラゴンとかサーペントとかがいるそうだ。
まぁ、魔力総量で決めているとは言っても、ほとんどは身体の大きさに比例している。
問題なのはユニークだ。
……「兎の魔物」のように、動物や物体の名前を使っているのがユニーク。遭遇事例はもはや与太話の範疇だ。「狼の魔物」「炎の魔物」に、「バネの魔物」「てるてる坊主の魔物」とかそんな変なのもいたらしい。
だがどれも強さは桁違いで、会話ができるほど高い知性も持つらしい。
で、そのうちの久しぶりの強敵……
「今回の魔物は……ミノタウロスだ。静観するつもりだったが、牛が数匹攫われていてな。」
「ミノタウロス……中型か。」
「よく覚えてるじゃないか。」
「撫でんな。」
黒田の手を払いのけ、ミノタウロスについて思い出す。
ミノタウロス、半人半牛の中型魔物。樹木と見紛うような大きさの斧を持ち、人が肩車しても届かないような巨体が特徴……だったか。
「中型だろうと関係ねぇ。魔物は俺がぶっ殺す。」
「場所まで案内しよう。準備ができたら言ってくれ。」
1度部屋に戻り、武器を取る。金属バット。たまたま拾っただけの物だが、手に馴染んでいる。
バットを強く握る。目を瞑り、3秒。あの悪夢の光景をよぎらせる。
……準備、完了。
部屋から出た俺をみて、黒田は戸を開ける。
「では向かうぞ。着いてこい。」
*
「かなり牧場が近いな。」
「ああ。だがこの辺りは既に魔境だ。もっと離れた場所よりは安全だが、注意するように。」
……注意すんのはお前だろ。
「目撃情報があったのはここから真っ直ぐ行った辺りだ。」
「ああ。わかった。」
「気をつけろ。必ず生きて帰ってこい。」
「中型魔物で死ぬかよ。」
この先か。ミノタウロス……どんなやつなんだ?
「行ってらっしゃい。」
っし、行くか。
*
その巨体は、思っていたよりも一回り大きかった。そしてすぐに見つけられた。向こうもすぐに気づいた。
「お出ましだな。牛を攫って何がしたいんだ? まさかとは思うけどよぉ、半分同族をうめぇうめぇ言って食ってんじゃあねぇよなぁ!」
嘲笑。挑発。知性を持つ魔物は乗る。必ず来る。
牛っぽい鳴き声。モーでは無い。ブルル、と言った感じか。鳴き声じゃなくて鼻息だな。
「来いよ。」
「モォォォォッーー!!!」
雄叫びをあげ、棍棒のような腕を振り上げる。おお、牛っぽい。だが……
「〈カウンター〉!!」
読みやすい!
「ブルッ フー フー」
予想以上のダメージを受けて戸惑ってるな……へへっ。
──空傷の能力〈リベンジ〉は、彼がダメージを負うほどに、負わせた者への反撃の威力が増す。能力。だが……被弾と反撃は同時でも可能。それが〈カウンター〉。
「ほら、来いよ牛野郎。それとも今ので怖気付いたかぁ?」
……そういえばこいつ、斧持ってねぇな。ミノタウロスとは別種なのか?
いや……違う、武器なんて、俺がバットを使ってるのと同じように、ナイフを使うやつもいるけど、どっちでも同じ人間じゃねぇか!
ミノタウロス、半人半牛の中型魔物。それ以上でもそれ以下でもねぇ。
「……迷いは取れた。」
雄叫びをあげるミノタウロス。体が赤く染まっていき、血管が浮きでて湯気が立ち上る。恐らくこいつは俺の『魔力』に気づいたんだろう。魔物はそいつにおびき寄せられるって、黒田が言ってたんでな!
「来い!」
──瞬間、目の前が真っ白になる。口から何かが吹き出した。血か胃液か、どちらにせよ。
痛み。痛覚がそれをやっと覚する。
「い……ってぇ……」
バットを地面に突き、何とか立ち上がる。目の前を見る。無表情なはずのミノタウロスは、勝ち誇ったような表情に見える。
地鳴りがしているような気がする。地面が揺れているような錯覚に陥る。
俺は突き進む。ダメージ上等。死ななきゃチャンスだ。
ミノタウロスは動きが遅い。その認識があったから対応できなかった、それだけの事だ。ミノタウロスはまたもものすごい速度で赤熱した腕を振るう。
「ブモォッ」
鳴き声をあげるのも無理はない。さっきは避けたスピードの攻撃も、もう当たらない。
危ねぇな。中型魔物ナメてたわ。だが……この一撃で決めれる。
「〈リベンジ〉……行くぜ。」
バットを改めて強く握り締め、振る。
──この物語は、崇高な冒険譚ではない。ただ、この世界を生き抜く物語。魔物跋扈するこの現実を生き抜く物語。
──そして、いつか世界を救う。