第1話
第1話 そして幼子は目を覚ます
「濃いわー…朝っぱらから濃いわー……」
そう言いながら、ラインは目を開き、そして半眼になる。
ツヴァイク辺境伯家の三男であるライン・ツヴァイクは、まだ御年三歳である、まだまだ寝てたい年頃である。
しかし朝っぱらからこんな濃い夢を見たら、さすがに目も冴え渡るだろうよ。
ベッドから身を起こして、外を見る。太陽はおろか、空もまだ暗い。
ラインが溜息を零す、そのまま八つ当たりのように瞑想と呼吸法の練習に入り、続いて魔力を練り、術式の構築を試みる。
三歳児が朝五時前で出来ることはそう多くないが、魔法の練習がその一つであることは幸いか。
そしてこの様な事も初めてではなかった。
ライン・ツヴァイクは産まれてからずっと一つの秘密を抱えている。
既にお分かりでしょう、彼は歴史上の人物「アルバート・フォン・ノーザンクロス」の一生の記憶を持っている。
産まれた時から、まるで脳内に焼き付いたかのような自分ではない別のもの。
それにはちょっとした恩恵も受けていたが、今の所困る事の方が多い。
(今更、千年前の人つってのも……ねえ?)
そう、既に〈稀代の英傑〉アルバート・フォン・ノーザンクロスの生きた時代から千年過ぎた。
千年前、魔大陸の封印が綻び、魔族の軍勢が空間の裂け目から溢れ出て来た。
その周辺の遊牧民族と人々が殆ど皆殺しにされ、百キロ内の大地が焦土と化した。
アルバートが志願する人々をまとめ上げて、レイヴンが兵を借りて来て、数々の策を駆使して相当ギリギリで勝ったが……
そこで、義勇軍の回復薬は禁薬入りという驚きの真実が露見する。
下手人はまさかのレイヴン!そして次々と明かされるレイヴンと内通したノーザンクロスの貴族たち!
怒りと恐怖に陥る義勇軍に、レイヴンが解毒剤で自分への服従を迫る。
そんな師にアルバートが自ら制裁を下し、解毒剤を持ち帰り、義勇軍を纏め上げた……
……実は解毒剤などハナから存在しないのはレイヴンとアルバートしか知らない事実だが、奇しくもラインが持っていたアルバートの記憶で知ることになった。
その後、アルバートが奇妙な術を使って、魔大陸に繋がる空間の裂け目を封印した。
そして義勇軍を連れて残党を掃討して、中央大陸がようやく平静に戻った……
が、これで終わったら、そもそもアルバートが〈稀代の英傑〉などと呼ばれていない、この戦いの殆どがレイヴン主導だからね。
それから10年後、封印が崩壊した。
そもそも、大陸を丸ごと隔離する術なぞ、千年も持った方が奇跡なんだ。
元々限界だった封印機構に、10年前の破裂が蟻の一穴となってしまった……
10年間騙し騙し補修していたが、遂に全体の崩壊が起こしてしまった。
崩壊によってエネルギーが逆流し、封印機構が全壊、長城が殆どの機能を失った。
千年越えの永い間に歪めた地脈エネルギーが、封印崩壊によって戻った反動と、抑え付けられた魔大陸の高濃度魔素が一気に噴出……
その影響が地震、津波、ハリケーンなどの現象になって中央大陸に襲い掛かる。
これらの天災はまだいい、事前に予見できたので防ぐことも被害軽減も何とかなった。
しかし、そんな天変地異の最中に、予見されていた魔族大侵攻が始まった……
種族の優越も、国の誇りも、その軍勢を前にして何の意味もなさない。
後世から〈退魔戦争〉と呼ばれた戦い――その初期は大敗に次ぐ大敗、中央大陸のすべてを滅ぼす勢いで魔族が進軍していた。
この連続の惨敗から転機を迎えたのが、アルバートからの呼び掛けでした。
前回――〈第二次封魔戦争〉と呼ばれた大戦が終結した後、アルバートがノーザンクロスの王位継承権を放棄した。
彼が世界中を歩き回り、各国や各種族のコネ作りを勤しんだ。
アルバートの呼び掛けに応え、大陸が一丸となってようやく魔族の侵攻を食い止めた。
そして他大陸からの援軍を引き入れて、ついに戦線を押し返した。
ここまでして、やっと中央大陸側に余裕が生まれた。
ずっと後回しにしていた捕虜の尋問をついに取り掛かれる。
そこでアルバートが敵の実態と魔大陸の内情を知った。
魔大陸は中央大陸の三倍を優に超え、様々な地形や秘境を内包した大陸である。
しかしそこの魔素濃度が極めて高く、殆どの動植物が獰猛の魔物と化して、激しい生存競争が繰り広げていた。
そこに住んでいた魔族もまた、その輪の中にいた。
魔族の出生率が低く、未成年で夭折したのがその中の半分以上。
が、生き残れば例外なく強靭な肉体と長い寿命、そして高い魔素への適性を持っていた。
今回の侵攻に弱肉強食の思想や資源と領土への野心を抱く魔族は多いが、我が子のために新天地を求めた親もまた少なくない。
そしてなんと!今回の魔族軍は三つの異なる勢力圏から来た者たちのようだ!
道理で性質が違うし、連携も取れていない。
さらに魔大陸の勢力圏は十以上もあるだそうだ!
この勢力圏は魔大陸の生態と同様激しい競争を繰り広げ、併合や分裂の果てに辿った結果に過ぎないが……
もしそれらが全部中央大陸に雪崩れ込んで来たら、今の連合軍は簡単に滅びるだろう。
事態を重く見たアルバートが毅然と魔大陸へ渡って行った。
指揮権を交付した際に、焦って急進してはならない、なるべく犠牲を減らすように言い付けた。
そして一年足らずの時を経て、魔族は引き上げた。
どうやら渡航したアルバートの工作で、勢力圏の間に争いを引き起こし、侵略どころじゃなくなったらしい。
さらに幾つの密約を交わし、部分の勢力圏の小規模移民を受け入れた。
帰還したアルバートが種族平等と融和政策を提唱した。
この世に生きるすべて理性的に対話出来る種族は、その生存と尊厳は保障され然るべき。
同じく理性的に対話が出来る種族は、なるべく対話をもって問題や摩擦を解決し、共存出来る未来を目指し、歩み寄る努力をするべき。
まあ、ぶっちゃけると魔族全員とやり合ったら滅ぼされるので仲良くしろよとのことだ。
提唱した本人のアルバートは、戦時よりも更なる多忙な日々を迎えた。
中央大陸と他大陸への説明と根回し、魔大陸への調略、完全な終戦まで気付けばさらに十数年をも費やした。
終戦後、何時の間にか各種族の調整役みたいなポジションになったアルバートは、自分が説いた理念と政策に身命を賭して働いた。
戦で残した遺恨、種族間の差別、己が一族の明日の為にという思いでさえ火種となり、紛争の星火を熾した。
たとえアルバートが世を去った後も、問題は起こし続けた。
それは千年後の現在も同様、人が居れば争いは絶えない。
しかしアルバートが遺した理念と政策のおかげで、互いの種族を絶やす為の全面戦争も、魔族からの大挙侵攻も終ぞ起こらなかった。
その知恵、手腕、影響力、そして理想のために生を捧げたその生き方も、世界の歴史を顧みても稀に見る傑物。
故に〈稀代の英傑〉と、そう呼ばれていた。
だがライン・ツヴァイクにとっては、いくら史上の偉人だからと言ってもそれは遠い昔の人物。
時々フラッシュバックを引き起こして、今現在の自分の睡眠時間を削るのは頂けない。
ラインはまだ御年三歳である、よく寝てよく食べて早く大きくなるのがツトメである。
このままでは発育の妨げになりそうだが……如何せん解決の手段はない。
いっそ二度寝しちゃおうっかな?
そう思ったとき、魔法が誰かが部屋に近付いてきたことを知らせた。
テキパキと魔法の練習を中止し、魔力を散らして、ぼーっと窓の外の景色を眺めてる風に装った。
「……お早う御座います、もう既に起きてらっしゃいましたね。仕え甲斐のないご主人様です。」
門が開いたら、そう言って部屋の中に入ってきたのがラインお付きの召使い、御年十五歳のカタ君。
七三分けの黒髪に利発そうな顔立ち、そして頭の上に黒いネコミミ。
ピシッと決める使用人服の後ろに、ゆらゆらと動く細長い黒い尻尾……
そう、カタは猫獣人である。
ここ【アルペンハイム王国】の東隣、【獣人連邦プラートゥム】の出身らしい。
プラートゥムは広大な草原と森林を領有しているが……
獣人は短命にして多産だ、集落の人口過多で周辺国へ出稼ぎするのが常である。
それに対してアルペンハイムは中央大陸の西の果てに位置する小国。
昔からの多民族融合国家で別大陸との交流も持っていた、貿易がお盛んな国。
異国人や異民族には寛容で友好、仕事はいくらでもある、出稼ぎの獣人たちにとってはいい受け皿。
そんな取り止めのない事を考えながら、洗面所に向かうラインだが、ベッドメイキング中のカタに呼び止められた。
「そういえば坊ちゃま」
「坊ちゃま言うな、なに?」
「いえ、ただ誠に残念ながら、坊ちゃまはわが国の未来のために死んで頂く事になりました。」
怜悧な顔が無表情でそう言いながら、袖の中からナイフを取り出した。
一連の所作は流れるような動きで無駄がない、かなり手慣れている事が伺える。
「……ハァッ!?」
ライン・ツヴァイク、まだ御年三歳ではあるが、命の危機です。
極星暦1年 ステラポラーレ帝国建国。
極星暦11年 黎明の長城が完成、魔族が魔大陸と共に封印。〈第一次封魔戦争〉終結。
極星暦42年 エトワール帝卒、ステラポラーレ帝国が分裂し、滅びた。
極星暦997年 中央大陸の北に空間の裂け目が出現、〈第二次封魔戦争〉開始。
極星暦998年 レイヴン死亡、裂け目が塞がる。〈第二次封魔戦争〉終結。
極星暦1008年 封印崩壊、〈退魔戦争〉開始。
極星暦1014年 〈退魔戦争〉終結。
極星暦2069年 今現在




