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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

嘘をつくと血を流すことになるアーティファクトを使って伯爵令嬢が婚約破棄に抗うお話

※設定の都合上、生々しくはありませんが流血の描写があります。

 そういうのが苦手な方はご注意ください。

「伯爵令嬢トゥインディエーレ! あなたの行いは我が妻にふさわしくない! 婚約を破棄させてもらう!」


 騒々しかった夜会が、その一言で静まり返った。

 貴族子息や令嬢たちが騒がしくしていたのは、公爵子息ストラファードが、自らの婚約者ではなく、子爵令嬢リアラーナを伴って現れたからだ。

 そして、彼らが静かになったのは、公爵子息ストラファードが、本来の婚約者である伯爵令嬢トゥインディエーレの前で、堂々と婚約破棄を宣言したからだ。

 婚約破棄のやりとりを、夜会の参加者たちは固唾をのんで見守った。

 

 多くの視線を集めるなか、婚約破棄を告げられた伯爵令嬢トゥインディエーレは、しかし、揺らがない。

 まっすぐに伸びたきらめくプラチナブロンドの髪。切れ長のつり目の、瞳の色は蒼。勝気そうな瞳をまっすぐに向け、婚約破棄の宣言に対して、ひるむことなく問い返した。


「私の行いがふさわしくない、とおっしゃいましたか。あいにく心当たりがありません。ご説明いただけるでしょうか?」

「しらばっくれないで欲しい! あなたがリアラーナに行った、数々の非道な行い、僕は全て知っているんだ!」


 憤慨するのは公爵子息ストラファード。ブロンドの髪。透き通るような緑の瞳は、どこか無垢な輝きがある。純朴な顔立ちは、普段は穏やかな微笑みをたたえていた。その優し気で整った顔立ちは、令嬢たちの噂の口に上ることも珍しくない。

 だが今は、その印象を覆すかのように、怒りに燃えている。

 

「わたし、あの方が怖いです……」


 そう言って、ストラファードに寄り添うのは子爵令嬢リアラーナ。肩まで伸びたつややかな黒髪に、黒曜石のようにきらめく大粒の瞳。清楚でかわいらしいその顔のわりに、スタイルは良い。出るべきところは出ていて、引っ込むべきところは引っ込んでいる。特にその胸の豊かさは、多くの貴族子息たちの注目を集めてやまない。

 トゥインディエーレのことがよほど恐ろしいのか、その豊かな胸をぎゅっと押し当てるようにストラファードの腕にしがみついている。ストラファードの顔が赤くなっているのは、怒りだけではないようだった。


 そんな二人の有様を眺めつつ、トゥインディエーレはため息を一つ吐いた。

 

「貴族同士の婚約は軽いものではありません。それを一方的に破棄するとなれば、相応の理由が必要となります。リアラーナ嬢が何を言ったかわかりませんが、確かな証拠はあるのですか?」

「リアラーナ嬢を階段から落としたり、教科書を破り捨てたこと! あなたの悪行について、この学園の生徒たちから証言を得ている!」


 ストラファードの反論に、トゥインディエーレは二度目のため息を吐いた。


「残念ですが、口頭による証言だけでは証拠として不十分です。本来なら、物的証拠と公的な鑑定結果が必要です」

「あなたが反省し、罪を認めればそれで済む! 証言だけで十分だ!」

「……わかりました。それでは証言だけで十分となる状況をご提供してさしあげます。このアーティファクト『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』で!」


 トゥインディエーレは懐から何かを取り出した。それはアミュレットだった。赤黒い心臓に、何本の楔が打ち込まれ、鎖が巻き付けられた、禍々しい形をしていた。

 そのアミュレットは赤い光を放ち、対峙する三人を包み込んだ。

 

 


「な、なんだここは!?」


 ストラファードが思わず声を上げた。

 学園の夜会にいたはずだった。

 しかし今、彼がいるのは白い空間だった。

 足裏から固い感触を返す床らしきものは白。上を見ても左右を見ても白が続く。遠く離れた彼方には床と壁を隔てる線のようなものが見える。途方もなく大きな、白い部屋の中にいるようだった。

 

「どうやらここは、何らかの魔道具によって作られた疑似空間のようですね……」


 あたりを素早く見まわしながら、リアラーナはそう見当をつけた。

 相変わらずストラファードの腕を抱きしめている。だが、その言葉と表情は冷静だ。先ほどまでの彼に頼り切った弱さは見えなかった。

 

 そんな中、ただ一人悠然と立つトゥインディエーレが、高らかに声を上げた。

 

「その通り! ここはアーティファクト『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』で作られた疑似空間! そこに、私とあなたたちの精神のみを呼び出しました!」

「ど、どういうことなんだ!? いったいなんのつもりでそんなことをっ!?」


 混乱するストラファードに対し、トゥインディエーレは笑みを返した。攻撃的な笑みだった。

 

「先ほど申し上げたように、『証言だけで十分となる状況』を作り上げたのですわ! アーティファクト『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』では暴力は無効! 魔法も使用不可! 言葉のみが力を持つのです!

 ここではあらゆる質問に10秒以内に答えなくてはなりません。質問に対し、嘘をついたものは血を流すことになります! 10秒以上の沈黙でも出血します!

 つまり、ここは嘘を見破り真実をさらけ出す疑似空間なのですわ!」


 アーティファクトとは、現在では存在しない技術で作られた強力な魔道具のことだ。

 そんなものを使ったというのなら、この状況にも説明はつく。

 だが、あまりの事態の急変に、ストラファードは困惑するばかりだった。

 そんな中、リアラーナはいち早く口を開いた。


「信用できません! ここはあなたがアーティファクトで作り上げた空間! 今言ったことも、どこまで本当かわかりません! きっとわたし達を陥れようと、都合のいいルールになっているに決まっています!」


 リアラーナはいつも控え目でかわいらしい少女だった。それがこんな異常な状況で、相手の仕掛けたであろう罠に気づき、指摘を入れてくるなんて思わなかった。

 ストラファードの初めて見る、彼女の意外な一面だった。

 

「そうですね。お疑いになるのも無理はありません。それではこちらをご覧ください」


 そう言ってトゥインディエーレは、羊皮紙の巻物を投げ渡してきた。リアラーナが受け取り、開いて素早く目を通した。ストラファードも横から覗き込んだ。

 そしてすぐに気付いた。

 

「こ、これは魔法省による鑑定書!」


 その書式と、文書の末尾に圧された印は間違いない。魔法省による正式な鑑定書だった。

 特に魔法省の印は、特殊な魔法によって押されたもので、偽造不可能とされている。また、文書を改ざんすると、この印は消えてしまうという。

 鑑定書にはアーティファクト『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』の効果についても書かれている。トゥインディエーレの説明通りの内容だった。

 

「ここは疑似空間。その鑑定書も偽物とお疑いかもしれません。ですが、その文書にも記されているように、ここは嘘を許さない疑似空間。偽物は持ち込めません。それでも信じられないというのなら、ここでの話し合いが終わった後で、本物の鑑定書をお見せしますわ」

 

 自信満々に答えるトゥインディエーレの様子からしても、彼女が嘘をついているようには見えなかった。

 リアラーナは鑑定書を手にわなわなと震えている。よほどショックだったのだろう。

 ストラファードは状況が呑み込み切れず、目をしばたたかせている。


「でも、そうですわね。言葉で説明するより、実演した方がわかってもらえそうですね」


 そう言って、トゥインディエーレはリアラーナを指さした。

 

「私、リアラーナ嬢のことが大好きですわ!」


 そう高らかに宣言した瞬間、トゥインディエーレの手の甲が裂け、血が噴き出した。こぼれた血が白い床を赤く染めた。ストラファードは思わず「ひっ」と息を呑んだ。

 すると、リアラーナがトゥインディエーレのことを指さした。

 

「わたし、トゥインディエーレ様のことが大好きですわ!」


 今度はリアラーナの手の甲が裂け、血が噴き出た。

 今まで白一色だった空間に広がる赤い血の跡は、鮮烈だった。

 リアラーナは手の甲の傷を確かめながらつぶやいた。

 

「なるほど、嘘をつくと出血するというのは本当のようですね……痛みは本物の傷に近く、出血量は傷口のわりに多い。でも、血はすぐに止まるし、傷口もすぐにふさがるのですね」

「その通り。出血は嘘を見破るためのもの。嘘と言えば赤いと決まっています。実にわかりやすいでしょう?

 ただしこれは本物の血ではありません。この疑似空間にいるのはあくまで私たちの精神体。肉体に傷跡が残ることはありません。床に広がった血も、あくまで嘘を見破るためのもの。すぐに消えてなくなりますわ」


 トゥインディエーレの言葉の通り、床に広がっていた血は、すうと色を失って消え去り、辺りは再び白のみの空間となった。


「あくまで疑似空間での架空の出血。ですが、何度も嘘をついて、出血が多くなり過ぎると……どうなるかは、保証できませんわ」

「それは楽しみですね」

「ええ、楽しみですわ」

「ふふふふふふふふふふ」

「ほほほほほほほほほほ」


 笑いあうリアラーナとトゥインディエーレ。

 それを目の当たりにしながらストラファードな戦慄していた。

 明らかな嘘をつけば、この疑似空間の効果を確認できる。それはわかる。

 だが、お互いの嫌悪感をもっとその効果を確かめ合うとは……この二人の確執は根深いものだと、今更ながら実感したのだった。

 

 だが、実演されてストラファードも状況が飲み込めた。

 もともと彼は、トゥインディエーレを追求するつもりだったのだ。嘘がつけない状況はむしろ好都合だった。

 

「少々驚かされたけど、やることはかわらない。トゥインディエーレ! あなたの行いについて追及させてもらう!」

「ええ、存分にご追及ください」


 余裕の笑みで答えるトゥインディエーレ。

 なぜか顔を伏せるリアラーナ。

 二人の態度の差に不審なものを感じつつも、ストラファードは罪を問いただすことにした。

 

「トゥインディエーレ! あなたは学園の階段で、リアラーナのことを突き落とした! 目撃したという生徒もいる! この罪を認めるか!?」

「認めません。私はリアラーナ嬢のことを、突き落としたりなどしていませんわ」


 堂々と答えるトゥインディエーレ。出血はない。つまり、嘘をついていない。


「リアラーナ、これはどういうことなのだろう?」


 ストラファードが声をかけるが、リアラーナは顔を伏せたままだった。

 

「それでは私から質問させていただきます。リアラーナ嬢。あなたを階段から突き落としたのは、私ですか?」


 今度はトゥインディエーレが問いかけた。だが、リアラーナは答えない。顔すらまだ伏せたままだ。


「先ほど申し上げたように、質問には10秒以内でお答えください。沈黙を保てば、また出血することになりますわ」


 ストラファードはハラハラしながらリアラーナを見つめた。

 心の中で9秒を数えてところで、リアラーナは顔を上げ答えた。

 

「ある意味では、トゥインディエーレ様です!」


 はたして、リアラーナは出血しなかった。

 しかしその微妙な回答に、トゥインディエーレは眉をひそめた。

 

「『ある意味』とはどういうことでしょうか?」

「わたしにとって、あなたは恐ろしい存在です。だから階段の踊り場にいたとき、あなたが近づいてきたので、足を踏み外して転げ落ちてしまいました。これはある意味、トゥインディエーレ様に突き落とされたのと同じことではないでしょうか?」


 リアラーナは出血しない。どうやら本当の事ではあるらしい。

 だが、ストラファードとしては納得のいかない回答だった。

 リアラーナはトゥインディエーレに突き落とされたと言っていたのだ。周囲の生徒も、その場にトゥインディエーレがいたと証言していた。だから彼は、トゥインディエーレがその手で突き落としたものと思っていたのだ。

 

「それは不幸な事故でしたね。でも、それを私のせいと言われても困りますわ」

「そ、そのようだな。これは罪とは言えないようだ……」


 ストラファードも追及を引っ込めざるをえなかった。

 だが、まだトゥインディエーレの潔白が証明されたわけではない。彼女への嫌疑はまだまだあるのだ。

 

「では、次だ。トゥインディエーレ、あなたは彼女の教科書を破いたと聞いた。あなたがやったのか?」

「リアラーナ嬢の教科書を破いたことなどありませんわ」


 ストラファードの問いに、トゥインディエーレはきっぱりと明確に答えた。

 今度も出血はなかった。

 次はトゥインディエーレが問いかけた。


「それでは私から質問させていただきます。リアラーナ嬢。あなたの教科書を破いたのは、私ですか?」


 リアラーナは今度は時間を置かず答えた。

 

「トゥインディエーレ様がやったという確信はありません」

「ならばなぜ、私が教科書を破いなどと言ったのですか?」

「トゥインディエーレ様が怖かったからです。わたしの教科書を破るくらいのいじわるは、やってもおかしくないと考えてしまいました。それに、あなた自身がやらなくても、他の方に指示を出したことも考えられます」

「そんな指示は誰にも出していません」

「でしたら、トゥインディエーレ様の意を汲んだどなたかがやったことなのかもしれません。その可能性はゼロと言い切れるものではないと思います」


 これまでのやりとりで、トゥインディエーレもリアラーナも出血することはなかった。

 だがストラファードとしては首をひねらざるを得なかった。

 

 トゥインディエーレに教科書を破かれたと、リアラーナは泣きついてきたのだ。トゥインディエーレがリアラーナの机に近づいていたのを見たので、その時に教科書を奪ったのかもしれない……そんなことを言う生徒も何人かいた。

 リアラーナのことを信じていたし、他の生徒の証言もあった。だからトゥインディエーレがやったことだと、ストラファードは確信していたのだ。だがリアラーナの回答は、そんな信頼を揺るがすものだった。


 トゥインディエーレは呆れたようにため息を吐いた。

 

「どうやらこれも、罪に問えることではないようですね」

「……確かに、これは罪とは言えないようだ」

「まだ続けますか?」

「ああ、まだ確かめなければならないことがあるんだ」


 ストラファードはだんだん、リアラーナのことが疑わしくなってきた。なんか話が違う、とは思いつつあった。

 だが彼は婚約破棄を宣言してしまったのだ。今さら後には退けなかった。




 今から5年以上前。まだ幼かったころ。トゥインディエーレとの婚約して、数か月ほど経ったときのことだ。

 ストラファードはトゥインディエーレを疑ってしまったことがあった。

 

「僕のお気に入りだったのに! なんてことをしてくれたんだ!」


 ティータイムで使っていたお気に入りのティーカップ。それが床に落ちて割れていた。その場にトゥインディエーレがいた。

 ただそれだけで、彼女がやったものだと決めつけてしまった。婚約者のトゥインディエーレは普段からちっとも笑わず、ツンと澄ましていてとっつきにくかった。ストラファードは嫌われているのだと思った。だから意地悪でお気に入りのカップを割ってしまったのだと思ったのだ。

 

 文句を言っても、トゥインディエーレは顔を俯かせるばかりで、文句ひとつ言い返してこなかった。ストラファードはそれが不気味に思えてしまい、言うだけ言ったらその場を後にした。

 翌日、メイドの一人が事情を説明に来た。ティーカップを割ったのは、当時ストラファードの家で飼っていたネコの仕業だったのだ。すべてはストラファードの誤解だったのだ。

 

 事情を知ると、ストラファードはすぐさまトゥインディエーレの元に向かった。そして会うなり、何度も頭を下げて誠心誠意謝った。

 トゥインディエーレは怒りも悲しみもせず、ただ驚いた様子だった。


「僕が悪かった……許してくれるだろうか……?」


 謝罪の最後にそう問いかけると、トゥインディエーレは微笑んで答えた。


「ええ、もちろんです」

「怒ってはいないのかい……?」

「怒っていません。それどころか、うれしいのです。あなたがきちんと謝ってくださったことが、何よりもうれしくてたまらないのです」

 

 いつものトゥインディエーレは、いつもツンと澄ました顔をしていた。当時から綺麗だったけど、冷たくてよそよそしかった。

 でも、その時に彼女の浮かべた微笑みは……春に咲く花のように、可憐で温かだった。

 

 

 

「あの時のように許してはくれないのだろうな……」

 

 束の間、ストラファードは昔のことを思い出してしまっていた。

 アーティファクト『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』の疑似空間の中。

 トゥインディエーレとリアラーナのやりとりは、終局へと至っていた。


「はあっ、はあっ……」

「ここまで出血をせずに凌ぎきるとはお見事です、貴方のことを甘く見ていましたわ」


 必死の形相で、息すら切らしているリアラーナ。

 それを感嘆した様子で眺めるトゥインディエーレ。

 リアラーナの受けた被害を、トゥインディエーレに一つずつ確認した結果がこの有様だった。

 

 噴水に落とされたこと。呼び出されて非難されたこと。大切にしていたハンカチを破かれたこと。大切な思い出のアクセサリを隠されたこと……他にも様々ないやがらせを受けたこと。

 

 トゥインディエーレがやったはずのことは、しかしどれも彼女を犯人と特定できるような証拠はなかった。

 リアラーナはその過程において、一度も出血しなかった。うまく言葉をはぐらかし、曖昧な言い方をすることで、明確な嘘を口にすることを避けていた。実に狡猾だった。それがあまりに巧みだったからこそ、ストラファードは彼女を信じられなくなっていった。

 

 ストラファードもさすがに理解していた。リアラーナは、疑わしい状況を言葉巧みに誘導し、トゥインディエーレが犯人だと周囲に思い込ませていたのだ。トゥインディエーレを陥れようと、罪を捏造していたのだ。

 確認する中、本当のことが一つだけあった。「出会うたびにトゥインディエーレが睨んでくる」というものだった。これはトゥインディエーレ本人が認めた。しかし、まさかそれだけのことで彼女を罪に問えるはずもなかった。


「もう勝負はつきました。ですが、最後に、ひとつだけ、確認しなければならないことがあります」


 トゥインディエーレが、決意を秘めた眼差しで、リアラーナをまっすぐに見つめた。

 

「あなたは、ストラファード様のことを、愛していますか?」


 あまりにも本質的な問いだった。

 しかし、何より大事なことでもあった。

 こればかりは嘘偽りなく答えてくれるはずだ。ストラファードはそう信じた。

 しかし、リアラーナはすぐには答えなかった。

 10秒の制限時間が迫ったところで、ようやく彼女は口を開いた。

 

「わたしは、ストラファード様の地位と名声と財産を愛しています!」


 まっすぐで確信に満ちた答えだった。その声の響きに偽りはわずかにも感じられなかった。事実、彼女は出血していない。

 だが、その言葉には肝心な要素が抜けていた。

 

「リ、リアラーナ……?」


 思わず声をかけるストラファードに、しかし、リアラーナは背を向けたまま、何も語ろうとはしなかった。

 トゥインディエーレは深々とため息を吐いた。


「……あなたの子爵家が経済的に困窮していることは、調べがついています。やはり、家を持ち直すために、ストラファード様に近づいたのですね」


 トゥインディエーレの言葉に対し、リアラーナは何も答えなかった。沈黙こそが、その言葉を肯定していた。

 

 ストラファードはがっくりと膝を落とした。

 リアラーナは可憐でかわいらしい令嬢だった。彼の言葉をよく聞き、優しくしてくれた。

 だから、トゥインディエーレから嫌がらせを受けたと聞いたときは、彼女のことを信じた。助けてあげたいと思った。好きになった。愛せると思った。

 しかしそれは一方的な想いだった。彼女はストラファードのことを見ていない。彼の家を、その財産だけを見ていたのだ。

 そのことがどうしようもなくはっきりと証明されてしまったのだ。

 そのことは、恋に浮かれていたストラファードを強く打ちのめした。


「顔を上げてください、ストラファード様!」


 いきなり手をつかまれ、そのまま引っ張り上げられ、ストラファードは立ち上がらされた。

 リアラーナだった。彼女にこんなにも力強く触れられたのは初めてだった。

 立ち上がると、強い決意に満ちたリアラーナの瞳を目の当たりにした。

 

「確かにわたしは、貴方の家の財産が目当てで声を掛けました! 頭の中は実家を救うことでいっぱいです! でも、あなたと婚約することで家を持ち直すことができたなら、きっとあなたのことを愛します! だって、わたしのことも、家族のことも救ってくれた恩人です! そんなあなたを愛さずにいられるでしょうか!」


 力ある言葉だった。強い意思に満ちた瞳だった。

 これまで可憐で弱々しくしい令嬢の姿はなかった。

 おそらくは、これが彼女の素なのだろう。

 

「そして、あの高慢ちきで愛想のないトゥインディエーレ様との関係に苦しむストラファード様を救いたいと思ったのも本当です! あの女は婚約者だというのに手も握らせないのでしょう!? わたしは違います! 家を救ってくだされば、なんだってして差し上げます! あんなことでもこんなことでも、いっぱいして差し上げます!」


 リアラーナはストラファードを強く抱きしめた。

 押し当てられる彼女の豊かな胸の感触が、ストラファードのことを甘く(とろ)かす。

 

 嘘をついていた。打算だった。愛と呼べるものはなかった。でもリアラーナは黒髪の美少女で、スタイルがよくて、積極的にスキンシップしてくれるのだ。

 そして今、彼女は出血しなかった。その言葉は全て嘘ではなく、本気のものなのだろう。

 可憐でかわいらしい少女と言うイメージは崩れた。しかし(したた)かで意志の強いその姿は、それはそれで眩いばかりに魅力的だった。

 

 本来の婚約者であるトゥインディエーレは、この王国で指折りの美しさを持つ令嬢だ。

 だが、ストラファードにとっては遠い存在だ。いつもツンとすました顔で、笑うところはほとんど見たことがない。定期的にティータイムを共に過ごすくらいで、婚約者としての義務以上の付き合いはなかった。

 何度か手を握ろうとたこともあった。だがトゥインディエーレはそれをいち早く察知すると、不埒だの不潔だのと、手ひどく糾弾してきた。

 

 今もまた、冷え冷えとした目でこちらを凝視している。

 ストラファードがリアラーナに惹かれてしまったのも、実のところ、トゥインディエーレに辟易していたということもあったのだった。

 

「こんなアーティファクトを使ってまで婚約者を追い詰めるような女と、ストラファード様は結婚できますか!? そもそもこのアーティファクトは何ですか!? こんな強力なアーティファクト、まともな手段で手に入れたとは思えません! あの女だって、何か汚いことをやっているに決まっています!」

「……そうだ。それは気になっていたんだ。トゥインディエーレ、あなたの家がこんな強力なアーティファクトを持っているとは知らなかった。これはどういうことなのだろうか?」


 ストラファードは胸に抱いていた疑問を口にした。

 疑似空間を生成し、対象者の精神を呼び込み、そして嘘をつくと出血する。どれをとっても異質かつ強力なアーティファクトだ。特に「嘘をつけない」というのが問題だ。たとえば裁判にでも使えば、どんな被告人も秘密を隠せないことだろう。

 

 貴族の家が強力なアーティファクトを持つ場合、原則としてその情報は明かされる。隠し立てすると、国家反逆の意図があるとして、処罰の対象になる事すらある。それでも秘匿する貴族の家は少なくない。だが、婚約関係にまで至った相手にすら明かさないというのは異常だった。

 

「これは、その……個人的に手に入れたものですし、消費型のアーティファクトです。一度使うと効力を失うので、問題ありませんわ」

「個人的に手に入れた……いったいどこでどうやって?」


 これほどのアーティファクトが一般に流通するなどありえない。表に出ればまず王家が接収することだろう。王都の地下で行われている伝え聞く裏のオークションならありうるかもしれないが、それでも落札するのは困難を極める。

 トゥインディエーレは優秀な令嬢だったが、これほどのアーティファクトを持っているのは、やはり不自然なことだった。

 

 ストラファード問いに、トゥインディエーレはわずかにためらった。だが、ここは『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』の疑似空間。嘘をつくか、10秒以上の沈黙で出血することになる。

 やがて観念したように、トゥインディエーレは口を開いた。


「この前の夏季休暇期間中、『ルオーグライクの迷宮』に挑みました。その地下121階で入手しましたのですわ」

「『ルオーグライクの迷宮』だって!?」

「う、嘘でしょ!? あの『ルオーグライクの迷宮』!? それも121階!?」


 ストラファードもリアラーナはも驚きの声を上げるほかなかった。『ルオーグライクの迷宮』はそれほどまでに危険な場所なのだ。




 100年ほど前から突如王国のとある森の中に現れた洞窟。そこから広がる迷宮は、『ルオーグライクの迷宮』と名付けられた。


 特殊な迷宮だった。


 まず、この迷宮は一定の形を持たない。入るたびに形が変わるのだ。一説によると、迷宮は異空間につながっており、入った者は無数の迷宮のひとつに送られる、と言われている。


 しかも武器や防具を持ち込めない。それどころか道具や薬や、食料さえも持ち込めない。無理に入ろうとしてもはじき出されてしまう。

 この迷宮に挑むものは、なんの魔力ももたない衣服を纏い、素手で迷宮に挑むことになる。装備品や薬は迷宮の中で入手するしかない。迷宮内にはそうしたものがたくさんあると言うが、入手できるかどうかは運しだいだ。


 さらには一人でしか入れない。複数人で入ってもバラバラにされ、迷宮内で出会った例はないと言われている。


 おまけに一度この迷宮に入ると、簡単には出られない。入るとすぐに入り口は塞がってしまう。脱出手段は二つ。一つは迷宮内の階段に設置された『ポータル』という転移魔法陣。もうひとつは迷宮内で稀に手に入る「転移の巻物」だ。


 その上、迷宮に入ると能力が落とされる。どんな達人でも、駆け出し冒険者程度まで能力が落とされる。身に付けたスキルも使えない。

 代わりに、迷宮内では通常より早く成長し、特殊なスキルを入手できると言われている。

 しかし迷宮内で強大な力を身に付けたとしても、外には持ち出せない。脱出に成功しても、迷宮挑戦前の能力に戻ってしまうのだ。

 

 『ルオーグライクの迷宮』は深く潜れば潜るほど貴重な魔道具やアーティファクトが入手できると言われている。しかし入るたびに形が変わり、挑むたびに駆け出し冒険者程度まで力を落とされるとなれば、どんな熟練の冒険者でもほとんど運任せの探索となる。

 およそまともな者の挑む場所ではない。一獲千金を夢見た愚か者か、危険に魅せられ普通の迷宮では満足できなくなった異常者が行くような場所なのである。

 貴族の、それも伯爵令嬢が行くような場所ではなかった。




 トゥインディエーレに出血はない。彼女は本当に『ルオーグライクの迷宮』に挑み、地下121階まで到達したのだ。

 

「伯爵令嬢であるあなたが、どうしてそんな危険な場所に行ったりしたんだ? 確かに、あの場所でならこれほどのアーティファクトも手に入るかもしれない。しかしあそこは入るたびに形の異なる迷宮だ。最初から『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』が手に入るという確信があったわけじゃないはずだ」

「そ、それは……もちろん、力試しですわ! 自分の能力がどこまで通用するか、試してみたくなったのですわ!」


 瞬間、バシャリとトゥインディエーレの足元に血が飛び散った。どうやら足のどこかを出血したらしい。

 つまり、彼女は嘘をついたのだ。


「え? トゥインディエーレ、今あなたは嘘をついたのか……?」

「……どうやら夜会でこぼしたワインが、今になって垂れてきたようですわ。私としたことが、お見苦しいところをお見せしましたわ」


 おそるおそる問いかけるストラファードに対し、トゥインディエーレは何事もなかったかのように答えた。その言葉と共に再び足元に血が飛び散る。その言い訳も嘘だったらしい。

 だが、トゥインディエーレは澄ましたその表情を崩しすらしない。痛がる様子すら見せずに沈黙を守った。


「え? 今のでごまかせたと思ってるんですか?」


 リアラーナが呆れたようにつぶやいた。

 その声を聞きとがめたのか、トゥインディエーレはキッとリアラーナをにらみつけた。

 

「リアラーナ嬢! いつまでストラファード様にくっついているのですか!? あなたの企みは全て暴かれたのです! 観念してストラファード様から離れてなさい!」

「先ほど申し上げたように、今は嘘の関係でも、やがて真実の愛にしてみせます! 自分からは離れません! 決めるのはストラファード様です! ね、ストラファード様?」


 甘えた声を出しながら、またしてもぎゅっと抱きしめ、その豊かな胸の存在感を強調してくるリアラーナ。ストラファードの頬が赤くなる。

 トゥインディエーレの視線がさらに冷たいものとなる。ストラファードの赤くなっていた顔は、極寒の地に放り込まれたように青くなった。


「あ、わたしわかっちゃいました」

「な、なんだいリアラーナ? なにがわかったというんだい?」


 あまりにも居心地の悪い状況を変えるべく、ストラファードはリアラーナの言葉に飛びついた。


「トゥインディエーレ様は、きっと婚約者をとられて自暴自棄になっちゃったんですよ。それで危険な迷宮に行っちゃったんですよ~」


 ストラファードは背筋が寒くなった。リアラーナは火に油を注ぐつもりなのだ。いろいろ暴かれて、彼女は開き直ることにしたようだ。じつに(したた)かだった

 明らかにトゥインディエーレを煽る言葉と共に、これ見よがしにストラファードの胸にすりすりとほおずりまでしてくる。

 トゥインディエーレは激昂した。

 

「そんなわけないでしょう!? 失礼を言うにもほどがあります!」


 パン、とはじける音がした。

 トゥインディエーレが、二の腕辺りから出血したのだ。またしても彼女は嘘をついたのだ。

 つまりリアラーナの言った通り、トゥインディエーレは自暴自棄になって迷宮に挑んだことになる。


「え、マジですか?」


 リアラーナはきょとんとしていた。彼女は本当に煽るだけのが目的で、言い当てるつもりはなかったらしい。


「あまり失礼なことを言うものですから、血圧が上がりすぎたようですわ」


 トゥインディエーレは再び出血した。またしても、その言い訳は嘘だったようだ。


「だからごまかせてませんってば」


 リアラーナは呆れたようにつぶやいた。

 トゥインディエーレが爛と輝く瞳でにらみつけた。リアラーナはストラファードの胸から離れ、真っ向からその視線を受け止めた。


「何が『決めるのはストラファード様』ですか!? 貴族の結婚は家同士が決めること! 個人の感情で既に決まった婚約を反故にできるなんて、本気で思っているのですかっ!?」

「いえいえ~、実際ストラファード様は婚約破棄を宣言なされましたよ~。貴族は上下関係が絶対。公爵家が『なし』と言えば、『なし』になるのが貴族の世界です」

「婚約破棄はストラファード様の独断にすぎません! 公爵家が許すはずがありません!」

「そんなことありませんよ~。わたし、どこかの誰かさんとは違って、公爵家のご両親とも懇意にしているんです。きっと味方してくださいますよ~」


 開き直って煽りに煽るリアラーナ。

 どっちに味方すべきかわからずおろおろするばかりのストラファード。

 そんな二人に対し、トゥインディエーレの怒りは最高に到達した。


「もう許しません! ただで済むと思わないでください!」

「は? 今ここで何ができるというのですか。ここはあなたの用意した疑似空間。確か、『暴力は無効』という話でしたよね? 嘘で自爆する以外、あなたに何ができるって言うんですか?」

「こ、この泥棒猫令嬢! わかりました! すぐにでもこの疑似空間を終わらせて、目にもの見せてやりますわ!」

「ご自分でこの疑似空間に招いておいて、勝てないと思ったら終わらせるんですか? まったくこの負け犬令嬢ときたら! 潔く負けを認めたらどうですか?」

「だ、誰が負け犬令嬢ですか!? 負けたのはあなたでしょう!? 私を陥れようとした企てを全て暴かれ、あなたはおしまいです!」

「ええ、そうです。わたしの企みは潰えました。潔く認めましょう。でもそれなのに、ストラファード様はわたしの隣にいます。それがどういうことかわかりますか?」


 ストラファードはびくりと震えた。

 急に話に自分の名前が出たこと。そしてこれまで嘲るようなリアラーナの声が、急に冷え冷えとしたものになったからだ。

 

「婚約者の立場にあぐらをかいて、男に手も握らせない。他の女に男を取られたと知るや、自暴自棄になって危険な迷宮に挑む。そこでいいアーティファクトを手に入れたから、意気揚々と勝負を仕掛けてくる。まったくバカバカしい。

 あなたは勝負の舞台にすら上がれていなかったんです。全くもって、くだらない」

 

 リアラーナは一方的に言いつのった。

 トゥインディエーレはさぞや怒ることだろう。その瞬間におびえ、ストラファードは身を縮こませた。

 しかし、トゥインディエーレは言い返さなかった。顔を青ざめさせ、視線を下に向けている。リアラーナのことを見てすらいないようだった。

 

 これはどういう状況なのだろうか。

 ストラファードはおそるおそるリアラーナに尋ねた。

 

「リアラーナ。先ほどから勝負の勝ち負けと言っているが、僕にはよくわからないんだ。いったいなんの勝負の話をしているんだ?」

「……ストラファード様のその初心で純真なところは好ましいと思っていましたが、こういう時はイラッとしますね」

「す、すまない」


 思わず謝るストラファードに、リアラーナははぁっとため息をついた。


「つまり、恋の勝負です。この女はストラファード様のことが好きで好きでたまらないのに、その気持ちを告げないまま、わたしから奪い返そうとしたんです。当然、その結果負けたんです。いえ、勝負すら成立していなかったんです。ああもう……バカバカしすぎて頭が痛くなってきました」

「えっ」


 ストラファードは驚き、トゥインディエーレの方を見た。

 彼女はこちらを見て、顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。

 

「……トゥインディエーレ。僕はずっと君に嫌われていると思っていた。でも、君は……僕のことが好きなのかい……?」


 その言葉に圧されるように、トゥインディエーレは一歩後ずさった。

 だが、そこで踏みとどまる。そしてキッと鋭くストラファードをにらみつけると、叫んだ。


「か、勘違いしないでください! 私、ストラファード様のことなんて、全然好きじゃありませんわ!」


 その瞬間、トゥインディエーレの胸の中央から鮮血が噴き出た。大量に噴き出た血は白い床を大きく埋め尽くした。

 ほとばしる血の勢いに負けたように、トゥインディエーレは倒れてしまった。そのまま動かない。

 

「トゥインディエーレ!?」


 ストラファードが慌てて彼女のもとに向かう。

 リアラーナは「うげ」、と呻いて一歩引いた。彼女は見てしまった。白い床に広がった、トゥインディエーレの出血。偶然かこの疑似空間によるものか。それが、ハートの形を描いていることに、気づいてしまったのだ。

 

 ストラファードが駆け寄るより早く、これまで白と赤しかなかった疑似空間は、黒く染まっていく。

 アーティファクト『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』の使用者が意識を失った。そのことによりアーティファクトは機能を停止し、疑似空間が消えようとしているのだ。

 

 

 

 気が付くと、まずざわめきが耳に響いた。

 周囲には色とりどりのドレスや式服に身を包んだ貴族たち。

 夜会に戻っていた。

 ストラファードの隣には、リアラーナが立っている。

 そしてトゥインディエーレは立っていなかった。彼女は仰向けに倒れていた。

 

「トゥインディエーレ!」


 呼びかけながらストラファードが駆け寄る。

 耳を近づけると、呼吸する音が聞こえた。手を取って調べると、脈もある。

 だが、目を覚まさない。


「治癒魔導士を呼んでくれ!」


 とにかくストラファードは治癒魔導士を呼んだ。

 こうして、夜会での婚約破棄は、なし崩し的に終わったのだった。




 あの夜会から一晩明け、朝も過ぎたころだった。

 ストラファードはトゥインディエーレの実家の客間にいた。

 あれからトゥインディエーレは治癒魔導士によって診察を受けた。外傷はなく、身体的な異常は見られないとのことだった。

 トゥインディエーレはひとまず実家に送られることとなった。ストラファードは心配になり、それに付き添った。リアラーナとはそこで別れた。

 

 夜も更けていたので、ストラファードはそのままトゥインディエーレの実家に泊めてもらうこととなった。

 その翌朝。客間のテーブルに着き、トゥインディエーレの目覚めの知らせを待っていた。


 扉をノックする音が聞こえた。ようやく知らせが来たようだ。立ち上がり、ドアに向かおうと一歩踏み出したところで、鍵をまわす音がして扉が開いた。

 客間にいるストラファードの許しを得ずに勝手に開けるとは、ずいぶん不作法なことだ。だが、それだけ緊急事態なのかもしれない。ストラファードは緊張して、扉が開くのを見守った。

 

「ストラファード様!」


 そして、ストラファードは一瞬、自分が見ているものが何か理解できなかった。よく知る顔と声だった。

 扉を開けて入ってきたのは、トゥインディエーレその人だったのだ。

 彼女は挨拶もせずに、ストラファードの胸に飛び込んできた。

 

「ト、トゥインディエーレ!? 身体は大丈夫なのか?」

「ええ、そちらは大丈夫です。『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』は精神を疑似空間に召喚するアーティファクトです。身体に傷はなく、出血による精神的なショックで気を失っていただけです」

「そうか……それならよかった……」


 相槌を打ちながら、しかしストラファードは安心できない。

 無事ならまず執事なりメイドなりが知らせに来るはずだ。いつも作法に厳しい彼女らしからぬ行動だった。

 そもそもトゥインディエーレがこんな風に抱き着いてくるなんて初めてのことだった。彼女は手も握らせてくれたことが無かったのだ。明らかな異常事態だった。

 彼女はストラファードの胸に顔をうずめてしまい、表情をうかがうこともできない。その状態のまま、彼女は声を上げた。

 

「それよりも……バレてしまいました」

「バレたって……?」

「あなたのことが大好きだって、バレてしまいました!」


 トゥインディエーレは叫んだ。

 『嘘つきは血に沈め(レッドライアー)』の疑似空間での、最後の大出血。

 トゥインディエーレはあのとき、「ストラファード様のことなんて、全然好きじゃありませんわ!」と言った。出血したのだから、あれは嘘だったということになる。

 つまり、彼女は。ストラファードのことが好きなのだ。

 

「僕はずっと君に嫌われているのだと思っていた……君はいったい、いつから僕のことが好きだったんだい?」

「幼い頃……あなたのティーカップを割ってしまったことを覚えていますか?」


 そうして、トゥインディエーレは幼い頃のことについて語りだした。

 

 

 

 トゥインディエーレは幼い頃から厳しい教育を受けてきた令嬢である。

 婚約が決まった時、両親からよく言い聞かされた。

 

「貴族にとって、上下関係は絶対だ。公爵家のご子息に失礼の無いよう、気をつけなさい」


 その言葉に素直に従ったトゥインディエーレは、婚約者相手でも令嬢として礼儀正しく接していた。ストラファードからはツンと澄ましたように見えていたが、彼女にとっては緊張したギリギリの状態だったのだ。

 

 そんな中、公爵家で飼われているネコだけには心を開いた。とてもかわいがった。だが彼女は、好きだからと言ってかまいすぎた。過度なスキンシップによって、ネコはやがてトゥインディエーレを苦手とするようになった。

 

 そして、トゥインディエーレが公爵家を訪れていたある日のこと。ネコが部屋に入ってきた。入って初めて、ネコは彼女がいることに気づいた。つかまるまいと、ネコは逃げ出そうとした。その騒ぎの中で、ネコはしっぽをティーカップにひっかけてしまい、床に落として割ってしまったのだ。

 

 ティーカップが割れたのはある意味でトゥインディエーレのせいとも言えた。

 だからストラファードから糾弾を受けたとき、彼女はなにも言い返せなかった。いや、そうした事情がなかったとしても、彼女は反論しなかっただろう。その時のトゥインディエーレにとって、爵位が上の貴族の怒りを買うことは、なにより恐ろしいことだったのだ。

 幸い、庭で掃除をしていたメイドがその一部始終を見ていたおかげで、その誤解は解けた。


 事情を知ったストラファードは謝りに来た。

 トゥインディエーレにとって、爵位が上の貴族が自分から謝りに来るなんて想像もしないことだった。

 彼女は衝撃を受けた。なんて誠実で、まっすぐで、優しい人なのだろう。

 

「あなたがきちんと謝ってくださったことが、何よりもうれしくてたまらないのです」

 

 本心から出た言葉だった。

 トゥインディエーレはその時、恋に落ちたのだ。




「……そんな昔から、僕のことを好きでいてくれたのか。でも、それならどうして、君はそんなそぶりを見せなかったんだ?」

「わたし、好きになったものには抑えが利かないのです。幼い頃、そのせいでネコに嫌われました。好きという気持ちを出してしまえば、きっとあなたに嫌われてしまう……そう思ったのです。だから気持ちを封じ込めました。

 でも、私はそれでよかったんです。貴族の婚約は簡単に無くせるものではなく、私は婚約者であるというだけで幸せでした。そのせいでリアラーナに後れを取り、しかも自分の用意したアーティファクトで恋心を暴露されてしまうなんて……」


 そこまで言ったところで、トゥインディエーレはしくしくと泣き始めてしまった。

 ストラファードはそんな彼女のことが、いとおしくてたまらなくなった。彼は力強く、トゥインディエーレのことを抱きしめた。


「君の秘めた恋心にも気づかず、リアラーナの誘惑に負けてしまった。そのせいでこんなにも君を傷つけてしまった。本当にすまなかった。

 こんな男には愛想が尽きてしまったかもしれない。君が婚約の解消を望むなら受け入れる。それだけで償い切れるとも思わない。君の望むことは可能な限り叶えるつもりだ」

 

 ストラファードは心の底から謝罪した。

 

「あなたはそうやって、きちんと謝ってくださるのですね……」

「今の僕にはそれしかできない。でも、君に償いたいというのは本当だ」

「信じます。でも、今回のことは許せません。婚約者を差し置いて、他の女と結婚しようとするなんて、ええ、それはもう許せませんわ!」


 トゥインディエーレはようやく顔を上げた。

 ストラファードは睨まれるものと思っていた。しかし彼女は、まるで春に芽吹いた花のように柔らかな微笑みを浮かべていたのだ。


「だから一生、私のそばにいて、償ってください」


 そう、まっすぐに言った。

 ストラファードの胸の内から愛しさがこみあげてきた。彼はその衝動のまま、彼女により近づいていった。

 

「誓うよ。僕は一生かけて君に償う。そして、君のことを絶対にしあわせにしてみせる……」


 ストラファードは誓い証として、口づけをしようと思った。

 その時、トゥインディエーレが口を開いた。

 

「ストラファード様、言わなければならないことがあります」

「なんだい? なんでも言ってくれ」

「私は殿方にこうして抱きしめられるのは初めての事です。ストラファード様のお顔をこんなに近くで拝見するのも初めての事です」

「ああ、そうだね。僕も初めてだ」

「……だからもう限界です」


 その言葉を最後に、トゥインディエーレは瞳を閉じた。そして全身から力が抜けた。ストラファードは慌てて彼女の身体を支えた。

 そっと客間のベッドに横たえる。どうやら気を失ってしまったらしい。

 

 彼女はあまりにも初心だった。キスは当分先になることだろう。まずは手をつなぐことから始めなくてはならない。

 リアラーナの件も片付いていない。(したた)かな彼女のことだ。これからもアプローチはしてくるだろう。

 二人の恋路は前途多難だった。

 

 だが、ストラファードに不安はなかった。

 彼女が好きだと言ってくれた。

 彼は償うと誓った。

 だから絶対やっていける。ストラファードはそう、確信しているのだった。

 

 

 終わり

最後まで読んでいただきありがとうございました。

楽しんでいただけたなら幸いです。


2024/7/2

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 新鮮な設定で面白かったです。 リアラーナも憎めないキャラで、こちらも幸せになってほしい!
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