【十九皿目】答え
上質なタンが焼ける強い匂いが、辺りを漂い、春水は堪らずダラダラと涎を流す。
「覚えてますか?あなたが、一番好きな食べ物。焼き肉でしたよね?」
暁美の問い掛けに、春水は狼狽える。
程よく火が通ったタンを、辛口のタレに絡めて、暁美は春水に差し出した。
春水は、一瞬躊躇ったが、空腹に負けて勢い良く肉に食らいついた。
すると、辺りには目映い閃光が現れたかと思うと、先程まで化け物の姿だった朔太は、人間に戻り、それと同時に人間の姿の春水が現れた。
「春水さん!」
暁美が名前を呼ぶと、春水はゆっくりとタンを飲み込み優しく微笑んだ。
「いやぁ、久し振りに食ったけど、やっぱ美味ぇわ」
春水は、唇についたタレを舌で舐めとると、暁美に視線を流した。
「久し振りだなぁ、暁美。相変わらずそうじゃねぇか」
「ごめんなさい、春水さん…っ!私、分かってたのに、あなたの今一番食べたいもの。でも…っ!」
泣きじゃくりながら懺悔する暁美の頭を、春水は優しく抱き締めた。
「いいんだ、もう。全部分かってるから。だから、もう、泣くな」
暫く暁美が泣きじゃくっていると、朔太がうっすらと目を覚ました。
「お、お前…っ!」
視界には、驚いた顔でこちらを見ている明日馬と陸の顔が飛び込んで来た。
「俺…?」
「覚えてないのかよ?今まで化け物になってたんだぞ!」
陸に言われて、思い出した。
自分が暁美をこの手で斬ったことも。
「あ、暁美…っ!!」
勢い良く起き上がると、朔太は目を疑った。
目の前には、死んだ筈の同僚であり、先輩である、清水春水がいるのだ。
「春、水、さん…なんで…」
春水は、暁美を離すと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「朔太も、久し振りだな。今まで悪かった」
「春、水さん…」
朔太は、ようやく理解した。
自分が何故今まで強かったのか、何故、化け物になったのか。
そう、それは、二年前のあの日、暁美と化け物と戦った時。
春水は、暁美を庇って死んだ時、弱みに漬け込まれて化け物に体を乗っ取られ、そのまま朔太に憑依して今まで生き長らえたのだ。
「さ、早く食おうぜ。タラタラしてっと、また俺の中の化け物が暴れ出しちまう」
春水は、用意されたテーブル席に、適当に座ると、「ん」、と言って流星に手を差し伸べた。
流星は、暁美と春水に一瞬、自分と満月を重ねて躊躇った。
「どうしたよ、料理人さん。食わせてくれねぇのか?」
流星は、迷いを立ちきるようにブンブンと首を横に振ると、春水に椀を差し出した。
「ほら、何してんだよ。お前らも食うんだよ。俺一人じゃ、成仏できねぇだろ」
その言葉に反応した朔太、おもむろに唇を開いた。
「鍋は、一人じゃなく、皆で食うから美味い…」
「はは、良く覚えてたな。まぁ、今は鍋じゃなくて焼き肉なんだけどな」
「て言うか、春水さんが一番好きな食べ物って、結局、皆で食えるならなんでもいいのか?」
朔太に憎まれ口を叩かれて、春水はハハハと豪快に笑う。
「別になんでもいい訳じゃねぇぞ!鍋も好きだが、一番好きなのは焼き肉なんだよ。ダイレクトに肉が食えるからな!」
網の上で、ハラミやタンがジュウジュウと音を立てて焼かれて行く。
「おら、何してんだ!お前らもぼーっと突っ立ってねぇで食えよ!」
「え…っ」
明日馬と陸は、顔を見合せると、暫くしてふっと笑みを溢した。
「しゃーねぇ、付き合ってやるか。これも仕事のうちだ」
刀をブレスレットに納めた陸が、明日馬よりもいち早くテーブルに向かった。
「お、おい待てよ!俺も!」
一歩出遅れた明日馬も、足早にテーブルに向かう。
陸は、箸を取ると、適当にハラミを網に乗せようとした時、春水にダメ出しを食らった。
「あー、ダメダメ!ハラミはまだ乗せんな!焼き肉は味が薄い物から焼くのが基本なんだよ!だから最初はタンからだろ!」
「焼き肉奉行かよ!」
「そういえば、春水さんは、焼き肉にはうるさかったですね」
先程まで泣き濡れていた暁美が、クスりと笑うと、春水は、一瞬目を見開いた後、ふっと唇に弧を描いた。
「じゃあカルビは?もう乗せてもいいですよね?」
言いながら、春水の返事を待たず、明日馬がカルビを乗せて行く。
「馬鹿、お前!次はロース系だ!ハラミは最後!」
◇◆◇
三十分くらいして、テーブルの上にあった全ての肉がなくなった。
「ご馳走様でした!」
春水が手を合わせた時、辺りに目映い閃光が春水を包んだ時だった。
「春水さん!」
暁美が、咄嗟に春水の腕を掴んだ。
「暁美…」
「嫌です!行かないで下さい!」
「ダメだ」
「あなたがいなくなったら、私、どうすればいいんですか!幽霊のままでもいい!だから、ずっと一緒にいて下さい!」
暁美の悲痛な叫び声が辺りに響く。
春水は、首を振り暁美の手を掴んで離すと、首を横に振った。
「ダメだ、暁美。俺はもう、死んだんだ。死んだ者は成仏しなきゃならない。それが、この世の掟だ。それに…」
春水は、ちらりと朔太に視線を流す。
「おう、朔太!良く聞けよ!」
急に話を振られて、朔太は一瞬困惑する。
「これから、何があってもお前はずっと暁美の傍にいろ!そして、暁美を守れ!これが、俺の最後の命令だ!」
朔太は、先程までボロボロ流していた涙を拭うと、強く拳を握った。
「はい!」
それは、一切迷いのない返事だった。
「じゃあ、もう行くよ」
「…また…」
震える声色で、ポツリと暁美は唇を開く。
「また、生まれ変わった時は、もっと一緒にご飯を食べてくれますか?」
「ああ、当たり前だ…」
春水は、ゆっくりと天へ昇って行った。
暁美は、その場に力なく崩れ落ち、暫く泣き濡れた。




