【十七皿目】記憶(後編)
一年程経つと、朔太と暁美は初陣に出ることになった。
初めてなので、勿論朔太と暁美だけではなく、天使と朔太に皆と一緒に食べることの尊さを教えてくれた同僚もいた。
皆、緊張の面持ちで化け物が現れるのを待つ。
その数分くらい経った頃。
地を裂くような咆哮が、周囲に轟いた。
化け物が現れた瞬間、その姿を目で捉えた暁美は、化け物が今一番食べたい物を目視することに成功した。
「解放せよ!」
霊媒師達は、自分達の役目を果たす為、一斉に号令を掛けて刀を生成する。
標的は、体長二メートル程のカラスのような形をして、三つの目を持った化け物だ。
「いいか!相手は元々は人間なんだ、なるべく傷つけるなよ!!」
霊媒師の役割は、化け物と戦うことではあるが、飽くまで料理人を守ることであり、傷つけることではないと言うことを、今日に至るまで散々叩き込まれた。
だったら、なんで刀なんか必要なのだろうと聞いてみたのだが、同僚は自分の身を守る為だと言っていて、朔太はいまいち腑に落ちなかった。
しかし、それがその軍でのルールであるなら致し方なく、同僚の忠告を受けて、朔太は化け物の攻撃を躱すことだけを考える。
化け物は、大きく口を開けて向かって来る。
ガッ!
朔太は、大きな嘴を刀で受け止めると、一度薙ぎ払い
体を捻ってなるべく暁美から引き離すべく距離を取る。
だがこれが全然戦い慣れていない朔太には以外と難しく、体が思うように動かず、化け物の方が優勢で、暁美と距離を取るどころか、どんどん縮まって行く。
「くそっ!」
朔太は焦りを感じたのか、力を込めようとした時、足がもつれて体勢を崩した。
化け物はその隙をついて、ここぞと言わんばかりに朔太の心臓を目掛けて襲いかかる。
「朔太っ!!」
暁美と同僚達の叫び声が響く。
すんでのところで、身体を捻った為、なんとかギリギリのところで急所を守ることはできた。
しかし、腕に深い傷を負ってしまい、真っ赤な血液が溢れ出して来る。
それに気を取られて、次の化け物の攻撃の反応に遅れて、もう一度攻撃を仕掛けて来たが、ピタリと化け物の動きが止まった。
「これでしょう?あなたが今、一番食べたい物」
朦朧とする意識の中で、うっすらと鼻腔が朔太の鼻を掠めた。
鰹出汁の香りと、ほんのりと香る醤油の風味。
その正体は、そう、鍋だ。
化け物は、意識は完全に朔太ではなく鍋の方に変わっており、ゆっくりとそちらに近付いて行く。
「あ、危な…っ」
言いかけて、身体を起こそうとするが、激しい痛みに耐えられず、虚しくもまた地面に這いつくばる形になってしまう。
だが、朔太の心配は杞憂に終わることになる。
そう、化け物は大人しく暁美が差し出された鍋(がよそわれた茶碗)に、嘴を突っ込み、貪っている。
「く、食ってる…」
一口、また一口と、茶碗より大きい嘴で器用に口内へと流し混んで行く。
茶碗の中が空になった時、化け物の身体から目映い光が現れた。
「やった?!」
成仏できたと誰もが思ったが、光の明度が徐々に弱まって行き、化け物の中へと戻って行った。
化け物は、成仏しなかったのだ。
「な、なんで…っ!確かに、見えたのに!あなたが一番食べたい物がお鍋だって…っ!」
動揺する暁美を、化け物が嘴を開けて襲い掛かろうとした時、化け物は何故か悶え苦しむように暴れた後、その場から消えて行った。
一体何が起こったのか、朔太と暁美はぽかんと口を開けて呆然としていた。
ただ、同僚と天使を除いてはー…。
皆は、一度軍に帰って夕食を取りながら作戦会議をすることにした。
暁美が台所に向かっている途中、今日のメニューを天使から変更するようにと指示があった。
暁美は、それが何を意味しているのか理解できなかったが、素直に天使の言うことに従うことにした。
夕食の時間になり、皆は食堂に集まった。
朔太の隣には、同僚もいて、心配そうに朔太の腕を眺めて来る。
「大丈夫か?腕の方は」
「ああ、さっきあんたに治して貰ったから、大丈夫だ」
朔太は、手を上げて、ヒラヒラと片手を振る。
「にしても凄ぇな!あんた、治癒術使えるんだな!」
「霊媒師だからな。使えて当然だ!と言いたいところだが、中には何年修行しても使えない奴もいるし、修行しなくても最初から使えた奴もいる」
いつも冷静でそんなに表情が豊かではない彼が、今日は珍しく得意気な表情で、饒舌に話している。
「へぇ、最初から使える奴なんかもいるのか…」
同僚は、チラリと夕飯の支度をしている満月に視線を向けた。
「月見里満月。あの子がそうだ。俺よりと同い年なのに、最初から治癒術を持っていた。だから、ここに来てすぐに、天道さんの右腕に抜擢されたんだよ」
俺なんか、習得するまで一年もかかったのに、と彼は半ば嫉妬混じりに呟いた。
「それにしても、なんで、さっき成仏できなかったんだ?あの化け物?もしかして、違う料理だったのか?」
朔太に聞かれて、同僚はそのことなんだが、と腕を組んで姿勢を直すと、ニヤリと薄く笑った。
「いや、料理自体は間違っていないさ。あの化け物が食べたかったのは、鍋だ。それは間違いない」
「なんで分かるんだ?あんた、食べたい物は見えないんだろ?」
「ああ、見えない。でも、天道さんがそう言ってたから、間違いない」
同僚は得意気に胸を張った。
自分が見えてる訳ではないのに、良くそんな得意気に言えるな、と言いたかったが、飲み込むことにした。
それだけ、彼にとって天道天使と言う男は絶対的な存在なのだろう。
自分には、ただのちゃらんぽらんなおっさんにしか見えないが、実力は確かであることは良く知っている。
「料理自体が合ってるなら、なんで成仏できなかったんだ?おかしいだろ」
せっついて来る朔太に、同僚は既に準備が整っていた食卓にある、料理を茶碗によそい朔太に手渡した。
いつの間にか、暁美も朔太の前に座っていた。
「ここに、今日化け物に作ったものと全く同じ料理がある。天道さんが暁美さんに作らせた物だ」
同僚は自分の茶碗にも、料理をよそうと、箸を持ちふーふーと冷ましてから口に運ぶ。
「うん、美味い。お前も食え」
朔太は素直に箸を取ると、同僚を真似てふーふー冷ましてから、一口口の中に入れた。
「どうだ?」
「美味い」
「じゃなくて」
「え?」
「なんか、分かったか?」
一体何が分かったのだと言うのか。朔太は、訳が分からずしかめっ面をしている。
「そうだな、ヒントをやろう。鍋はそもそもどう言う食べ物でしょうか」
「どう言うって、寒い時期に食べる物じゃねぇのか?」
「うん、それも正解だが、まだあるぞ。暁美、お前は分かるだろ?」
唐突に振られて一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに分かったのか、暁美はハッと息を飲んで、自分の茶碗に視線を落とした。
「もしかして、あの化け物が成仏できなかった理由って…」
ようやく理解した暁美を見て、同僚は満足そうに口元に弧を描く。
「そう言うことだ」
「えっ、なんだよ、暁美分かったのか?!教えてくれよ、俺、全然分かんねぇんだけど!」
一人だけ置いてきぼりにされて、答えを求めるが、同僚は、
「教えるなよー。これは、天道さんからの命令だ。これが分かれば、この前俺が言ったことが分かるだろ」
結局、朔太がその答えが分かったのは、約一週間も経った頃だった。
しかし、分かったと言っても、理論的に分かったと言うだけで、感覚的に分かるようになるには、それから半年程後のことだった。




