【十六皿目】記憶(中編)
窓辺から差し込む柔らかな日差しで、朔太は目を覚ました。
真っ白ではない茶色い木目調の天井に、少し硬めのマットレスのベット、何もかも昨日までと違う感覚に、自分が全く違う場所へ連れて来られたことに気づきまでに、結構時間がかかった。
(そうか、俺…あの変な奴に会って、連れて来られたんだっけ…)
ぼんやりとした頭で、走馬灯のように流れてくる記憶に、朔太は急に恥ずかしさが込み上げて、布団の中にうずくまった。
(うわ、やっべ!思い出したらめっちゃ恥ずかしくなって来た!)
身悶えていると、コンコンとノック音と共に、暁美の声が聞こえて来た。
「おはようございます、暁美です。開けてもいいですか?」
朔太は、布団に顔をうずめながら、押し殺すような声で「どうぞ」と言った。
暁美は、朔太の様子を見ると、ほっと安堵の息をついて僅かに唇を緩めた。
「よかった。昨日の今日だったから心配だったんですが、大丈夫だったみたいですね。このあとすぐに訓練が始まりますので、遅れないで下さいね。遅れると、ジョギング一週分追加されますから」
朔太は、僅かに笑った表情を見逃さず、目を丸くして、暁美が出て行ったあと、思わず自分も笑みがこぼれた。
(なんだ、ちゃんと笑うじゃん)
朔太は、布団から出ると、少し軽い足取りで、洗面所に向かった。
稽古が終わり、自分の部屋で着替えていると、コンコンとまたノック音がすると、今度は自分からどうぞ、と部屋に通した。
ドアが開くと、美味しそうな匂いが鼻腔を掠めて、朔太は不思議そうな顔をした。
「今日、天道さんに相談したんです。そしたら、ちゃんと片付ければいいと、許可を貰えました」
「相談したって、何を?」
「あなたが一人じゃないと、食事ができないことです。これから私が運びますので、終わったら、声かけて下さいね」
暁美が出て行くと、朔太は机の上に乗せられた食事を確認すると、白米、豆腐の味噌汁、鯖の味噌煮、ひじきの和物が乗せられていた。
朔太は箸を取ると、喉の渇き潤そうと味噌汁を口に運んだ。
すると、程良い塩気と合わせ味噌の味が口の中に広がって、自然にほっとする。
(そう言えば、こんな朝飯食ったことなかったな…)
朔晦家は、それ程裕福だった訳でもないが、貧乏だった訳でもない、極々平凡な家庭で、パン食が多い家庭で、ご飯がメインの朝食は、朔太にとっては新鮮だった。
魚料理だってそれ程食べた記憶がないので、最初はどこから食べたらいいのか凄く悩んだ。
しかも残すと罰として敷地内を一週分追加されるので、奮闘しながらも、なんとか食べる努力をした結果、完食することくらいはできた。
◇◆◇
学校の昼を告げるチャイムが鳴ると、朔太はいつものように人気を阻むように、誰もいないであろう中庭に向かおうとした時だった。
階段の踊り場で、暁美に捕まってしまった。
「あら、朔晦君。ちょっと話があるから、付き合ってもらえませんか?」
一体なんのようだ。俺は早く一人にうなって、飯が食いたい!と思ったが、なぜか断る気にもなれず、仕方なく応じることにした。
お気に入りの一つである中庭は、鶯の鳴き声がBGM変わりになっていて、うってつけのスポットだった。
にもかかわらず、今日は何故か人がいて、当たり前のように弁当を広げている。
これも軍の人達が作ったのか、焼鮭、卵焼き、ポテトサラダ、ほうれん草とお浸しと、きちんと栄養が考えられたメニューが並んでいた。
「俺、人前じゃ食えないって言わなかったっけ」
「そうですね。でも、そろそろ私の前でくらい、いいんじゃないですか?」
「いや、やっぱり一人で食べ…っ」
そう言いかけた時、ぐう、と腹の音が鳴った。
「ほら、あなたのお腹も、私を一緒に食べろと言ってますよ」
腹がそんなこと言うか!そもそも喋らねぇわ!と突っ込みたくなったが、面倒臭くなって、飲み込で、その場に腰を下ろした。
弁当を開けてみると、暁美と全く同じ内容のメニューが所狭しと詰められていた。
まぁ、今朝方軍を出る前に渡された物なのだから当たり前なのだが。
朔太は、心の中でいただきます、と言ってから、卵焼きを口に入れた。
だし巻きではなく、優しい甘みが広がって、思わず頬が緩んでしまう。
不思議なことに、先程まであんなに拒絶していたのに、味を占めてしまえば、おのずと箸が進む。
一口、また一口と箸を進めていると、朔太は焼鮭に到達したところで、箸が止まってしまった。
「どうしたんですか?」
「あ、いや、その、なんて言うか…」
歯切れの悪い朔太の様子に、暁美は焼鮭のところで箸が止まっていることに気づき、そういえばいつも魚の食べ方が下手だったことを思い出した。
「もしかして、魚、嫌いですか?」
「いや、嫌いって訳じゃなくて、その…あんまり食べたことがないから…」
暁美は、瞼を持ち上げてああ、なるほど、と一人納得すると、
「最近の子は魚を食べない人が多いですからね…でも魚は、カルシウムもたっぷり入ってますし、考えながら食べることで脳の発達も促進する効果もあり、見直されてるんですよ」
朔太は、あまり関心が持てずただへぇ、とだけ相槌を打った。
すると暁美は、こうやって食べるんですよと、目の前で実践してみせた。
皮の方から食べることと、箸の中心に切れ目を入れて、背中から尻尾に向かって食べる、など事細かに説明してくれたが、せっかく真剣に説明してくれているのに申し訳ないが、全く頭に入って来なかった。
人間と言うのは本当に不思議なもので、根強く苦手意識を持っていたことでも、一度大丈夫だと思ったら案外早く順応してしまう。
その夜の食事は、流石に大勢の前で食べることはできなかったものの、暁美と二人なら食べることができた。
暁美は教員は教員でも、家庭科の教員だったみたいで、食に関する知識が本当に凄かった。
毎回、授業がてらに今日の献立について語る時間は、朔太にとってもかけがえのないものになって行った。
それから一ヶ月くらいして、朔太は流石にこのままではいけないと思い、意を決して暁美に皆の前で食事をしてみたいと申し出ることにした。
暁美は一瞬驚いた顔をしたが、あっさりと許可をくれた。
「それでは、毎日汗水垂らして食べ物を提供してくれている、農家さんや漁業の方々に感謝を込めていただきます」
朔太が皆と一緒に食事がしたいと申し出た初日、揶揄われたりなんか文句を言われるのではないかと懸念していたが、意外にもすんなりと受け止めてくれた。
「聞いたぞ、お前、皆の前で飯食えないんだってな」
隣に座っている同期の男が話かけて来た。
何か文句でもあるのかと言いたかったが、一応グッと堪えた。
「暁美さんから来たよ。自分から申し出たんだってな、皆の前で食べられるようになりたいって。偉いじゃねぇか」
ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられて、朔太は、驚いた。
まさか、褒められるなんて思ってもみなかった。
「でもまぁ、あれだな。なんと言うか勿体ねぇよなぁ。大勢と食事ができないなんて」
「勿体無い?なんで?」
「そりゃあ、そうだろ。だって、食事は大勢と食べてこそ美味いんだぜ?それが分からねぇなんて、勿体ねぇよ」
訳が分からなかった。
誰と食べたって、料理自体が変わる訳ではないのだから、味なんて分かる訳ねぇだろ。
「まぁ、そのうち分かるさ」
同僚はそう言うと、鰆の西京焼きを器用に骨を取り除きながらまるで皿を舐めたのかと思うくらい綺麗に完食した。




