【十五皿目】記憶(前編)
朔太と暁美が出会ったのは、二年前だった。
春の陽射しが温かく、桜が満開の季節。
軍にはまだ流星も、明日馬もおらず、満月が入隊してすぐの頃。
「紹介するよ。今日から新しく入隊した、朔晦朔太君だ。皆、仲良くするように」
天使がそう言って連れて来られた朔太は、何故自分がここに連れて来られたのか、まだよく理解できていなかった。
「そうか!俺、朝霧朝成!宜しく!」
「十六夜麻亜夜です。宜しく」
少しうるさいくらいの声で挨拶する大きい男と、それに比例して小さい声の女が挨拶するが、朔太は、何も言わず、ただ軽く会釈をした。
麻亜夜の横に立っている小柄な金髪の女は何も言わず、無愛想な顔をしていて、美人なのに勿体ない、などと思った。
「この子の名前は暁暁美。一週間前に入隊したばかりの子だ。そうだね、朔太の世話係も君に頼もうかな」
見かねた天使が、さりげなく暁美を紹介した。
「待って下さい!なんで私が世話係なんですか?入ってまだ一週間ですよ?!」
全力で否定する暁美を、天使が無言で軽く睨み見ると、暁美はぐっと息を詰まらせた。
「大丈夫。君はこの中でも色々と人生経験が豊富だから、問題ない」
天使はそれでけ言うと、「それじゃあ、解散」と、天使の号令で、各々解散した。
「ここが、あなたの新しい部屋」
暁美が最初に案内してくれたのは、朔太の部屋だった。
部屋は、お世辞にも豪華とは言えないが、机とベッド、洋服箪笥とちょっとした、ものが入る棚があり、必要最低限の物は備えられている。
「食事は一日二回、朝六時半と夜十九時、昼食は土日の休みの日だけで、お風呂は大浴場はいつでも自由に使えます。私の部屋は、隣なので、あとは分からないことがあれば聞いて下さい。それじゃあ」
暁美は、まくし立てるように説明を終わらせると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
朔太は、まるで自分は歓迎されてないような気分になり、涙が込み上げそうになった。
軍での一日はとても規則的で、朝は六時起床で食事前に軽く軍周辺をランニング、それが終わると朝食が始まる。
ここでの炊事は全て料理人ならば年齢関係なく任せられており、暁美もまた、その一人であった。
朝食が終わると、学校に行き、学校が終わったら二時間に渡る朝成の厳しい修行、十九時に夕食、二十時に風呂、二十三時に就寝と言った流れである。
「毎日汗水垂らして作ってくれる農家さん、漁業さん、その他毎日食べられることに感謝して、いただきます」
ここでの食事は少し変わっていて、毎日食事の前にかけられる文言である。
これが、朔太にとって最初のここでの食事であった。
白米、なめこの味噌汁、銀鮭の塩焼き、きんぴらごぼう、漬物などが並べられている。
いただきますの合図と共に、皆一斉に食べ始めるが、朔太はなかなか箸を取ろうとせず、まるで借りて来た猫のようにじっとしている。
「どうした、食わねぇのか?」
隣の隊士声をかけられるも、朔太は口をつぐんだまま何も答えようとしない。
「分かってると思うけど、ここでの食事は厳しいから、残すと皿洗いだぜ」
まるで冗談めかすように言うもんだから、今時そんなことある訳ないと思い、最後まで全く手をつけなかったが、このあと本当に皿洗いを食らった。
(まさか、本当に皿洗いさせられるとは思わなかった…。しかも、十人もある数をやらされるとは…)
朔太が、山積みになった食器達を見て深い溜め息をついた。
「馬鹿ですね。ちゃんとルールを教えたのに、自ら破るなんて」
突然聞いたことのある声が降って来て、朔太が顔を上げると、いつの間にか隣で暁美が皿洗いを手伝っている。
「相変わらず、ダンマリですか」
それでも何も話そうとしない朔太に、暁美は溜め息を吐いた。
「まぁ、事情が事情なので仕方ないですけどね。皆そうでしたから、すぐには慣れろとは言いませんけどね」
「お前も、か?」
朔太は、皿の泡を洗い流していた手を止めて、蚊の鳴くような声でポツリと呟いた。
「え…?」
「お前も、そうなのか?」
暁美も、皿を取ろうとした手を止めた。
「私は、元々は普通の学校の教員でした。でも、ある日突然目の前で大事な生徒が化け物に襲われて。それで、あの人に…天使さんに会ってここに来たんです」
朔太は耳を疑った。
今、なんて言った?学校の教員?
朔太は、暫し躊躇ったが、自分の意思に逆らえず、聞いた。
「教師って、あんたいくつ…?」
「二十二歳ですよ?あなたと同じ学校の教員ですよ。知らなかったんですか?」
朔太は、あんまりにもあっけらかんと言われて愕然とした。
こんな教員見たことがなかったからだ。
あまりに驚いた顔をするので、暁美は思わず笑いが込み上げた。
「なっ、なんだよっ!別にそこまで笑うことねぇだろ!」
「そうですね、ごめんなさい。あなたがあんまりにびっくりするもんだから…っ」
暫く笑い続ける暁美に、朔太はむぅっと唇を尖らせた時だった。
ぐうっと、大きな腹の音が鳴り響いて、朔太は顔を、真っ赤にすると、慌てて腹を押さえた。
「なんだ、お腹空いてたんじゃないですか。なのに、なんで食べなかったんですか?」
「…なんだ……」
「え?」
「俺、ダメなんだ…。人前で飯食うとか、出来なくて…。家族の前なら大丈夫なんだけど、外食とか出来なくて…」
「じゃあ、学校じゃあどうしてたんです?」
すると、朔太は暫し口篭ってから、
「ひ、一人で食ってたんだよ…。トイレとか、図書室とか…」
暁美は一瞬驚いた顔をしたが、洗い物の手を止めて、冷蔵庫に向かうと、夕食の残りを取り出して温め直し、朔太の前に差し出した。
「これ…」
「あなたがの夕食の残りです」
「なんで…」
「ここでのしきたりその三。食べ物は日々感謝の気持ちを込めて作り、感謝の気持ちを込めて食べること。残す、捨てるのは重罰に値する」
朔太は、急にもう仕分けない気持ちが込み上げてきた。
「な、なんか悪い…」
「反省してるならよし!」
暁美は、得意げに鼻を鳴らして見せると、なんとなく教員と言ったことに信憑性が増して来た。
「で、でも、俺、さっきも言ってけど、人前で食うのは…っ」
「わかりました。だったら、向こう行ってますので、終わったら声かけて下さい」
そう言うと、暁美は立ち上がって、部屋の奥へと姿を消した。
それを見計らった朔太は、馬だ躊躇いはしたものの、昨日から何も食べていないのでとうとう空腹に耐えられず、銀鮭を口に運んだ。
すると、口の中に程良い塩気と僅かな甘みが広がり、疲弊し切った体に染み渡る。
すっかり味を占めた朔太は、勢いが止まらなくなり、一口、また一口と口に運ぶと、不意に涙が込み上げて、慟哭した。




