【八皿目】お守りの正体
化け物は、喉奥からしたたり落ちる生唾をゴクリと飲み込む。
「ほら、どうしたよ?冷めないうちに食えよ」
差し出されたスプーンをじっと見つめると、一瞬躊躇いを見せたが、受け取りチャーハンをすくう。
恐る恐る口の中に運ぶと、まるで、心が滑走路を走り抜けるような、爽快な感覚を抱かれた。
化け物は、たまらなくなり勢い良くチャーハンをスプーンですくうと、口の中に運び、こしょうと醤油がきいた米の一粒一粒を、しっかり噛み締める。
あっという間に皿が空になると、辺りに目映い閃光が現れると、その中から四十代の青年の姿が現れ、流星を強く抱き締めた。
「すまない、痛かっただろう?」
流星は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「気にするな。もう、大丈夫だ」
「何故だか分からないんだ…。急に、心を失った感覚に見舞われたかと思えば、無性に誰かを殺したくなって。自分の中にこんな感情があったなんて、信じられなくて…っ!」
流星は、震えながら訴える男から溢れだして来る恐怖心をひしひしと感じとり、ただただ、優しく受け止める。
「俺、死んだら地獄に行くのかな…」
ハッと息を飲んだ。
初めて、幽霊の死に対する感情を耳にしたのだ。
流星は、色んな思いが駆け巡った。
そういえば、なんで料理人の存在があるのだろう?
料理人が成仏させたら、幽霊はどうなるのだろう?
今までそんなこと考えたことなどなかった。
ただ、料理で成仏させたら、痛みが伴わず安らかに成仏できる。
それだけが、料理人の力なのだと思っていた。
流星は、そっと、男を抱き締め返した。
「大丈夫。俺達、料理人が成仏させたら、安らかに成仏できる。少なくとも、地獄に行くことはないさ」
男の身体から、震えが一切消えて、口元に優しく微笑を浮かべた。
「そうか…」
「次、生まれ変わった時は、もっと美味いもんいっぱい食えよ」
「ああ…」
男は、頬に一筋の雫を流すと、すぅっと天に昇って行った。
「流星君!」
暫く放心していた七夕が、我に帰って流星に駆け寄った。
「七夕、やっと分かったよ、何故、料理人が幽霊を料理で成仏させるのか」
流星は、天を仰いだまま、言葉を紡ぐ。
「え…?」
「幽霊の罪を浄化させて、安らかな気持ちで成仏させる為だったんだ」
流星は、力が抜けてその場に倒れ込んだ。
「流星君!」
七夕が駆け寄り、流星を抱き起こす。
「大丈夫?流星君!」
まさか死んでしまったのだろうかと、一瞬肝が冷えた。
しかし、その不安は、流星の寝息によって掻き消されて、七夕はほーっと安堵の息をついた。
「良かったぁ。寝てるだけだぁ…」
「やっと気付いたのね」
ふと、頭から聞きなれた声がが降って来て、七夕は顔を上げると、ピンク色の髪の毛が揺れている。
「真昼ちゃん…」
真昼は、いつの間にか元の姿に戻ったお守りを拾い上げると、そっと、二人に近付くと、流星の前にしゃがみこんで、流星の頬を撫でた。
「一人で良く頑張ったわね」
「もう、本当に死んじゃったらどうするつもりだったの?」
「死ぬ訳ないでしょ。その為のお守りなんだから」
頬を膨らませて不満を漏らす七夕に、真昼はしれっと言ってみせる。
「それにしてもびっくりしたよ。急に屋台が現れたんだもん。真昼ちゃん、いつの間にそんなの作れら力会得したの?」
「私じゃないわよ」
「じゃあ、誰に貰ったの?」
七夕に聞かれて、一瞬考えてから、ゆっくりと語り出す。
「実は…」
◇◆◇
「何よ、これ?」
それは、今から遡ること数週間程前。
御影池の一見が全て終わり、皆で宴会を開いていた時のこと。
真昼は、海原に呼び出されて、道場に向かうと、お守りを指し出された。
「流星君を守る為のお守りや」
「なんで、こんなもの…。私じゃなくて、直接本人に渡せばいいじゃない」
怪訝な表情を浮かべる真昼に、海原は悪戯な笑みを浮かべる。
「好きなんやろ?流星のこと」
唐突に言われて、真昼は顔を真っ赤にする。
「だっ!誰がよ!そんな訳ないでしょ!料理人なんか、大嫌いなんだから!」
目一杯否定する様子に、海原はケラケラと笑い声を上げる。
「分かりやすいやっちゃなぁ!」
「だから違うってば!!」
海原は、ひとしきり笑うと、不意に真剣な表情で真昼を見つめた。
「料理人が嫌いっちゅうんも、昔の話やろ。自分の気持ちに素直になったらええやん」
「な、何よ…。なんであんたにそんなこと言われなきゃならないのよ…」
本心を全て見透かされて、真昼は先程までの勢いを失い口ごもってしまう。
「それに、あいつはまだ満月が好きなのよ?私なんかが立ち入る隙、ある訳ないじゃない…」
どこか寂しげな、なんとも言えない複雑な顔をする真昼を見かねて、海原は、真昼の頭を優しく撫でた。
「確かに今はそうかも知れへん。けどな、死んだ人を一生好きでおる訳にもいかへんやろ」
真昼は、言葉が見つからず、項垂れる。
「こない言うたらもともこもあらへんけどな、どんなに好きでも、所詮死んだ人間や。死んだ人間は、生きとる人間には敵えへん。せやから、もし、あの子が前を向いて現実と向き合った時、君が側におってあげたらええやん」
真昼は、ハッと息を飲むと、淀んでいた気持ちが少し晴れて、気持ちが軽くなり、顔を上げた。
海原は、言葉にさえ出さないが、その表情だけで気持ちを汲み取り、安堵の息をついた。
「そうそう。今はグダグダ考えたってしゃーないしゃーない。待てば海路の日和あり、言うやろ。その時まで、いつも通り過ごせばなんらかの兆しはあるやろ」
真昼は、希望の光が見えたような明るい表情を取り戻すと、ぎゅっとお守りを握り締めた。
「仕方ないわね。そこまで言うなら、私から渡しといてあげる」
精一杯の去勢のような言葉だったが、海原は、ハハッと笑い飛ばした。
「そーそー。その調子、その調子!まぁ、せいぜい頑張りや。もしフラれても、俺が慰めたるわ!」
「もー!フラれる前提で言うの止めてよ!本当にフラれたらどうすんのよー!」
真昼は、本気か冗談か分からない海原の言葉に、同じような調子で返すのだった。
◇◆◇
「じゃあ、その海原さんって人がくれたんだ?」
「そうよ。気付かせなきゃいけないことだからって。全く、面倒なこと押し付けてくれちゃって」
憎まれ口を叩く真昼に、七夕はクスクスと笑い声を上げる。
「そんなこと全然思ってないくせに」
「うるさいわねー。そんなことより、いつまでもここでこうしてる訳にもいかないでしょ。運ぶの手伝…」
突然、ふと感じたことのある気配に気付き、真昼は勢い良く振り返る。
すると、見たことのある二人組がいる。
「あんた、確か神社で会った…」
「おー!あんた、確か流星と一緒にいた子じゃねぇか!そっちの子は初めて会うな!」
明るい言葉尻とは裏腹に、ピリピリと張り詰める空気に、真昼は解放の体制に入る。
「真昼ちゃん…?」
「油断しない方がいいわよ。見た目より遥かに強いわよ。あの陸がやられたくらいだから」
「えっ?!」
七夕が、驚愕の声を上げると、朔晦は、ニヤリと不適な笑みを浮かべた。
「まぁまぁ、そう警戒すんなって。今日は戦いに来たんじゃねぇよ」
「じゃあ、なんの用よ?」
朔晦は、ビッと流星を指差す。
「俺が用があんのは、そいつだ」
真昼は、鋭い眼光を朔晦に向ける。
「馬鹿ね。そんな話、信じる訳ないでしょ!どうせあんたも、料理人を憎んでる類いの人間でしょ!」
「はぁ?何言ってんだ。んな訳ねぇだろ。現に暁美だって料理人なんだ」
朔晦は困ったように頭を掻くと、深く溜め息をつき諦めて踵を返した。
「分かった分かった。今日のところは引き下がってやるよ。じゃーな」
朔晦は、軽く手を上げると、身を引いて去って行った。




