【六皿目】新たな謎
それは、常陸の遠い記憶。
霊媒師になるまでは、常陸もまた平凡な一人の人間であった。
しかし、ある日両親を化け物に殺されてから、霊媒師としての能力が開花し、彼の人生は一変したのである。
常陸は、うっすらと目を開けると、視界には見たことのない景色が広がっている。
(どこだ、ここ…)
まだ朦朧とする意識の中で、とりあえず先程までいた場所ではなく、室内であると認識するのがやっとだった。
「やっと起きたか」
不意に、鼻腔に食べ物の匂いがしたと同時に、聞きなれた声が降って来た。
「お前…」
常陸は、ようやく我に帰り、勢い良く体を起こそうとしたが、いきなり起き上がったせいで、再びベッドに倒れることになった。
「無理すんなよ。傷治したからっつったって、すぐ動いたら貧血起こすぞ」
常陸は、先程の朔晦との戦いで受けた屈辱までも思い出し、奥歯を噛み締めると、流星の言葉を無視して、立ち上がろうとした。
だが、また立ち眩みがして、床に倒れ込んでしまった。
まるで、手負いの獣である。
「だから言ったろ。無理すんなって」
日向が体を起こそうと手を差しのべるが、常陸は振り払うと、鋭く睨みつける。
「うるせぇ!俺に命令すんじゃねぇ!俺に命令していいのは、あの人だけだ!」
流星は、深く溜め息を付きぐしゃぐしゃと頭掻き乱す。
「だから、そういうことじゃねぇんだって」
流星は、いつしか満月に病人用に作ったものと同じ雑炊を椀に注いで差し出した。
「食えよ。毒なんか入ってねぇから」
だが、常陸はそっぽをむいて、その好意を無視した。
「なんだよ、この前宴会した時は食ってたじゃんか」
「あの時は、あの人が食えって言うから、仕方なくだ!それに、言っておくが、俺はお前達と馴れ合うつもりは毛頭ねぇんだよ!」
流星が、やれやれと肩を落とすと、これ以上は無駄だと思い椀を盆の上に戻した。
「そういや、お前も、俺と同じで両親を化け物に殺されたんだよな」
唐突に話が変わり、常陸は一瞬言葉を詰まらせた。
「それがどうした」
「俺もなんだよ。俺も、両親を化け物に殺されたんだ。それで、あのおっさんに出会って料理人になった。俺だけじゃない。明日馬も、軍にいる皆全員経緯は同じだ」
ポツリポツリと紡がれる言葉に、常陸は流星が何を言わんとしているのか、理解できなかった。
例え経緯が同じだろうと、自分には関係ないと思った。
「他の奴らは信用できないならそれでいい。でも、俺のことくらい信じて貰えねぇかな?」
「は?」
常陸は、意外な言葉にまるで豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして、すっとんきょうな声を上げた。
その言葉は、いつしか空閑が自分に言った言葉と同じ物だったからだ。
それに加えて、曇りのない流星の目に、何故か流星だけは信用してもいいのかも知れないと、常陸は思えて、ふん、と鼻で笑った。
「やっぱり、変な奴だよ。お前は」
ようやく頭が冷えて冷静になった常陸は、そういえば、いつの間にか怪我も治っていたことに気付いた。
「そういえば、治したんだな、傷…」
「今まで気付かなかったのかよ」
「うるせぇ。悪いかよ」
呆れ気味に言われて、常陸は尚も憎まれ口を叩く。
すると、突然常陸の腹の音が部屋中に響き渡って、流星と日向は思わず笑った。
「あはは!やっぱり、腹減ってんじゃねぇか!」
「うっ、うるせぇ!つーか、お前のことは信用したなんて言ってねぇからな!」
日向にからかわれて常陸は、顔を真っ赤にしながら日向を睨みつける。
「お?だったら、俺のことは信用してくれんの?」
常陸は、調子づいた流星の言葉に怒りが込み上げたが、空腹には逆らえず、言葉を飲み込み、手を差し出して、雑炊を要求した。
「うるせぇ!食ってやるから、さっさとよこせ!」
へいへい、と軽返事をしながら流星は、雑炊の乗った盆を一式差し出した。
常陸は、相当腹が減っていたのか、熱い雑炊を勢い良く掻き込み、あっという間に鍋が空になった。
◇◆◇
「それで、あいつのこと、何か分かってんのかよ?」
すっかり空腹を満たして冷静さを取り戻した常陸は、本題を切り出した。
「あいつって、朔晦のことか?」
「ああ。あいつはなんで幽霊なんか連れてやがんだ?しかも料理人の」
流星は、まくし立てるように聞かれて、腕を組みうーんと唸り声を上げた。
「いや、詳しくはまだ何も分からねぇ。知ってんのは、あいつが霊媒師ってことくらいだ」
まるで期待外れの答えに、常陸は呆れて盛大な溜め息を吐いた。
「なんだよ、結局何も知らねぇのに庇ってんのかよ。馬鹿だろ」
「誰が馬鹿だ、誰が!」
まだことの重大さを理解していないのか、相変わらずおちゃらけた様子の流星に、常陸は真剣な眼差しを向けた。
「でも、なんか変なんだよな…」
流星が、顎を撫でながら、不思議そうに呟く。
「変って、何がだよ?」
「それがな、見えないんだよ、二人共」
「見えないって何が?」
「だから、二人の一番食べたい物が」
常陸は流星が、言わんとすることが全く理解できず、眉間に皺を寄せる。
「なんだよそれ。幽霊だったら、一番食べたい物が見えるんだろ?」
「そうなんだけどさ、本当はあの、暁美って人だけが見えない筈なんだ。でも、何故か二人共見えないんだよ」
より噛み砕いて説明したつもりだったが、常陸にはただ一層分からなくなっただけだった。
「いや、だから、本来は朔晦が人間で、暁美が幽霊だったら、暁美の好きな食べ物が見える筈なんだろ?」
「だから、それが見えないんだってば」
説明すればする程分からなくなり、まるで堂々巡りで、三人はいよいよ迷宮にはまりこんでしまった。
「それはそうと、お前、もしあの霊が暴走して、その霊媒師を殺そうとしたらどうするんだよ?」
常陸は、考えるのを止めて、もう一つの疑問を投げ掛けることにした。
流星は、考えもしなかった仮説にはっと息を飲むと、常陸はその反応に何も考えていなかったことを悟り、溜め息をついた。
「で、でも!満月の時は大丈夫だったし…!」
「たまたまだろ。その満月とか言う奴は、たまたま側に戦える奴が多かった。こんな弱っちい奴でもな」
遠回しに弱いと言われて、日向は口許をひきつらせた。
「おい、お前、どさくさに紛れて俺のこと馬鹿にしただろ」
「自覚はあるみてぇだな」
「てめぇ…」
今にも掴み合いの喧嘩をおっ始めようとする二人に、流星はまぁまぁと牽制した。
「いつまでだ?そいつが化け物になるのは」
常陸が単刀直入に、聞きたいことだけを聞くと、流星は唸るような声で、分からないと答えた。
「でも、長くねぇことは確かだろうな」
常陸は、そうか、と言うと立ち上がりドアの方へ歩き出す。
「お、おい!お前、もしかして、まだ暁美さんを斬るつもりかよ!」
「今はまだ斬らねぇ。どんな理由があろうが、そいつに助けて貰った恩は変わらねぇからな」
常陸は、振り返ることなく、視線だけを流星に向けると、だが、と続けた。
「そいつが化け物になった時は、容赦なく斬るぜ」
流星は、その言葉の意味を理解すると満足そうな笑みを浮かべた。
「そっか。さんきゅ」
「礼を言われるようなことじゃねぇよ」
常陸が立ち去ろうとした時、流星は声をかける。
「流星だ!」
「あ?」
「俺の名前。諸星流星ってんだ」
常陸は、一瞬目を見開く。
「知ってるよ」
「そっか。じゃあまたな、陸!」
常陸は、まるで友達でも見送るかのように、手をぶんぶん振って見送る流星に、諦めたように溜め息をついて部屋を出て行った。




