【三話目】久し振りの流星軒
「おっさん、いるかー?」
流星は、忙しなく軍に戻り天使がいるであろう居間に戻ると、全てを分かっていたかのように、店の鍵を持って待っていた。
「そろそろ来る頃だと思ってたよ」
天使は、含んだ笑みを浮かべている。
「なんだ、だったら話は早いや」
天使は、鍵を投げてよこすと、流星は見事にキャッチした。
「行ってこい」
「おう!」
笑った流星の顔は、数日前の顔戸比べて少し大人びた表情になっていて、天使は目を丸くした。
「やれやれ、いつの間に成長したんだか…」
「まだまだ強くなるかもね」
一緒に酒を飲んで転がっていた空音が、まるで成長を身も守る母親のような目で、流星の背中を見送った。
流星は部屋に戻ると身支度を整える。
「この部屋ともお別れだな」
「行くのね」
流星が感慨深く溜め息をついていると、背後から真昼の声が聞こえた。
「真昼…」
「これ、持っていきなさい」
真昼は流星に、健康祈願と書かれたお守りを渡した。
「なんだこれ?」
「見て分からないの?お守りよ。昨日神社で買ったのよ。あんた、危なっかしいんだもん」
真昼に言われて、流星はははっと渇いた笑いを漏らす。
不意に真昼は、思いつめた表情を浮かべる。
「一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「あんた、まだ、満月のこと好きなの?」
流星は、一瞬行き詰まる。
「ごめん、やっぱいい。気をつけてね」
真昼は自分で聞いたにも関わらず、答えを聞くのが怖くなり、逃げるように身を翻す。
「正直、まだ好きなんだと思う。恋人だったんだし。早々忘れられる訳ねぇと思う」
真昼は、胸に僅かに痛みを感じ、唇を噛み締める。
「でも、いつまでもこのままじゃ駄目なんだろうなぁとも思ってるし、いつかまたこんな俺でも好きになってくれる奴が現れたら、その時は、また変われると思う」
その顔は悲壮感は感じられる程ではないが、前向きな物であり、真昼は満足そうな笑みを浮かべた。
「あんた馬鹿ねぇ。私、もうその相手いるの知ってるわよ」
「えっ、マジ?だ、誰?」
本気で分かっていないらしく、全く持って鈍い流星に真昼は、悪戯な笑みを浮かべる。
「教えない!」
「えっ、なんだよ、教えろよ!身近にいる奴か?あ、まさか麻亜夜さんか?!あんな彼女だったら、最高だよな!」
「そんな訳ないでしょ!てか知らないの?麻亜夜はすでに朝成と婚約してるわよ」
「え゛?!そうなのか?!知らなかった!!お祝いしねぇとなぁ!」
「いいから、早く支度して、さっさと店に帰りなさい!!」
◇◆◇
真昼達に見送られて、流星と明日馬は何日か振りの流星軒に戻った。
戸を開けると、一ヶ月程いなかったにも関わらず、天使達がちゃんと切り盛りしていた後がちらほらと見受けられた。
「おー、意外と変わってねぇな」
背後から店内を覗く明日馬が言った。
二人は適当に荷物を置くと、流星は料理人の血が疼いた。
「久し振りに料理したくなって来たわ。昼飯何食いてぇ?」
「久し振りっつたって、さっきまで軍で作ってたろ」
「あそことこことは違うんだって」
明日馬はやれやれと溜め息をつくと、じゃあ、と生姜焼きを頼んだ。
毎日昼飯で食ってるだろ、なんて言われたが、明日馬は無視した。
流星は、冷蔵庫を開けて、材料があることを確認すると、手際よく準備する。
コンロの火が付き、油を敷くと、自家製の秘伝のタレに蓋バラ肉を満遍なく潜らし、焼いていく。
すると、立ち所に生姜と甘辛いタレの香りが鼻腔をくすぐる。
「生姜焼き定食、お待ちどう様!」
カウンターに皿が置かれると、明日馬は一層食欲が増す。
「いただきます!」
箸を割り、熱々の生姜焼きにかぶり付くと、口内には肉汁が溢れ出す。
「ああ、やっぱしプロの味は違うわ!」
明日馬は、付け焼き刃で学んで作った生姜焼きと比べて、天と地ほどの味を素直に認める。
「そりゃあ、ド素人と一緒にされたら困るわ」
いつもなら、言い返すとこなのだが、ここは反論は控えて、ひたすら生姜焼きを味わう。
あっという間に生姜焼きは明日馬の胃袋へと消えて行き、ご馳走様でしたと手を合わせると、普通の客ならマスターが片付けるとこなのだが、客ではないので、明日馬は自ら流しに運んだ。
「なぁ、お前、本気で料理学ぶつもりねぇの?」
厨房の片隅にある椅子に座り、水を飲みながら流星に聞かれると、明日馬は暫し考える。
「無理だろ。どう考えたって素質ねぇし」
流星は、うーんと天井を仰ぎながら言葉を紡ぐ。
「俺もさ、最初は元々素質があった訳じゃねぇぞ。全部、料理人だった親父に教えてもらったんだし」
「それでも、最初からそういう環境にいたのといないのでは違うだろ」
「そう言うもんかなぁ…」
「それにだ」
明日馬は、皿洗いを終えてタオルで手を拭きながら、
「俺、食べ物アレルギーあるし、無理だ」
と言われて、流星は納得した。
その時、店の戸が開いた。
「あ、あの…」
どうやら客のようで、見たところ二十代くらいの男だ。
「俺、なんでここにいるのか分からないんだけど…」
流星は、白い歯を見せて笑うと、カウンターに案内した。




