【二十三皿目】御影池美影《みのいけみかげ》
流星達が流星軒に辿り着くと、千影が最前線で化け物と戦っていた。
「美影、さん…っ」
明日馬が、彼女達を見るなり、目を見開いて立ち止まる。
「久しぶりね、明日馬。大きくなったね…」
明日馬の後ろで見守っていた美影が、優しく微笑むと、ゆっくり明日馬との距離を縮める。
「ねぇ、一つ聞いてもいい?」
明日馬は、美影が近づく度にピリピリと、張り詰めた空気に呑まれそうになる。
「な、なんだよ…?」
「なんで、裏切ったの?料理人になるって約束したのに」
明日馬は、口調こそ、穏やかで特に何をされている訳でもないのに、奥底から溢れだす禍々しい感情を感じ取り、胸が締め付けられる。
「そ、そのことは、悪かったと、思ってる…っ」
美影の威圧感に、全身の震えが止まらない。
「でも、俺はそもそも料理ができなかったから…。それに、天道さんに認められたのは、霊媒師だったから…っ」
「…そう」
美影は、そこまで聞くと、先程までうっすらと笑っていた唇から笑みが消えた。
「千影。分かってるね」
化け物に、刀を振り下ろす寸前だった千影は、美影の声に反応すると、瞬時に視線を流星に向けると、トン、と軽く地面を蹴り物凄いスピードで流星の元へ突進する。
「かっ、解放せよ!」
千影の意図に気づいた明日馬は、咄嗟に刀を解放すると、間一髪のところで千影の刀を止めた。
刀は、やっぱり重く、明日馬は苛立ちを覚える。
「また、邪魔するの?」
明日馬は、刀を受け止めるのに精一杯で、返す言葉が出て来ない。
「料理人になる約束を果たせないなら、これ以上、私達の邪魔しないで!」
ギァン!
千影が刀を震うと、明日馬の胸から真っ赤な血が吹き出したと同時に、その場に倒れ込んだ。
千影は、構うことなく流星の元へ向かう。
明日馬は、朦朧とする意識の中で、やっとの思いで刀を握り締める。
(くそっ、情けねぇ…!俺は、料理人どころか、霊媒師すら、まともに勤まらねぇのかよ…っ!頼むよ、刀…!)
カッ!!
その時だった。
刀から、眩い赤い光が、明日馬の体を包み込んだ。
途端に、明日馬の身体と刀が軽くなり、先程まで地に伏せていた身体は、いつの間にか千影の目前にあるではないか。
「あ、すま…?なん…っ」
千影が全てを言い終える前に、明日馬は千影の胸を刀で突き刺した。
「千影っ!!」
美影の叫び声に気付くも、明日馬の刀は千影の胸を貫いたままだ。
「大丈夫。痛みは全く感じない。ただ、動きを止めてるだけだ」
「ダメよ、千影!負けないで!あなたは料理人から目を奪って、お父さんを救わないといけないんだから!!」
美影が叫んだと同時に、化け物が咆哮した。
「え…っ」
その刹那、化け物は美影の胸を貫いた。
◇◆◇
店に入ると、昼彦が言う通り、天使が負傷して、何故か空音と一緒に怪我を負って倒れていた。
「大丈夫かよおっさん!つーかなんで姉ちゃんもいるんだ?」
「そんなん全部後だ。それよりなんで来たんだよ!なんの為に保護したと思って…」
空音のその声は、流星の手によって制された。
流星が手をかざしたと思ったら、淡い青い光に包まれたのである。
そして、先程化け物にやられた右腕が、みるみるうちに回復していく。
「あんた、その力…」
言いかけて、腕のブレスレットが光ってることに気づく。
「もう守られてばっかじゃ嫌だからさ」
そう言って笑う流星の顔は、ちょっと前の子供っぽいだけの笑みでないことに気づき、いつの間にか成長したのだと悟って、ふっと笑いが込み上げた。
「あーあ、おっさんまで傷だらけになって!かっこつけた上にそんだけ傷まみれになってりゃ、世話ねぇわ!」
まるで全て知ってるような口振りに、天道は思わず不服そうな表情をする。
「うるさいなぁ、こんな傷なんてことねぇって」
ちょっと口調がいつもと違うことに気づいて、少し違和感を抱いて思わず目を丸くすると、否応なく手をかざすと、治癒を施すと、目眩で倒れかけた。
「はぁ〜、確かにこりゃあきっついわ。やっぱ満月は凄ぇや」
天使に支えられながら、顔に手を当ててははは、と笑う。
「お前はそこで休んで見物してろ」
「っておっさん、目は…!」
天使は、無傷だよ、と余裕そうに笑うと、そのまま厨房に向かう。
「空音、龍海、あとは任せたよ」
「よっしゃ、任せとき!」
天使に支えられていた流星が、空音に預けられた時、聞いたことのある声に気付き、思わず目を見開く。
「あああああーーっ!!おっさん、あの時のっ!!」
指差して思い切り驚かれて、満足そうに龍海は笑う。
「おおー、ええ反応するやん!ま、そんなけ元気やったら、休む必要もなさそうやねぇ」
壁にもたれさせながら、龍海は言う。
「全部朝成さんから聞いたよ。千影さんのこと」
千影の単語に反応して、龍海と空音は口篭った。
「なんか、やっぱりよくわかんねぇけど、とりあえず、今はあの霊を成仏させればいいんだろ?」
流星は、千影と戦ってる化け物に視線をやり、一番好きなものをみとうと目を凝らす。
「え…っ」
流星は困惑した。
あの化け物が、一番食べたい物が見えないのだ。
「お前には、無理だと思うよ」
調理を始めようとしていた天使が、口を挟む。
「おっさんにはできるんだな…っ」
流星はぐっと奥歯を噛み締め、悔しそうに拳を握ると、それでもと食い下がって厨房に向かい、深々と頭を下げた。
「それでも、俺にやらせてくれ。頼む」
野菜を洗っていた手を止めて、暫し考えると、水道の水を止めて、濡れた手をタオルで拭きながら、
「だったら最後まで、全部一人でやれ。俺は手伝わないからね。
試すような口振りだったが、流星の決意は揺るがなかった。
◇◆◇
ドクン。
美影の身体から溢れだす血を見た瞬間、明日馬の体が大きく脈を打ち、どんどん気が遠くなり瞳孔の光が失われて行く。
まただ、また自分は自我を失ってしまうのか。
せっかく、新たな力を手に入れたのに…っ!
そう思った刹那、声が遠くから聞こえた。
いつの間にか、自分の体に温かい気が流れてきた。
遠く薄れていく意識が、だんだんと戻って行く。
「あんた…金物屋の…」
いつの間にか見たことのある顔が目の前にあり、明日馬は呆然と見つめる。
「姉さんっ!!」
明日馬の刀から解放された千影が、叫び声共に美影の元に駆け寄り、美影を抱き締める。
「大丈夫だよ。あたしの力で、治したから」
美影が、うっすらと目を開けると、千影に語りかける。
「千影…。私はいいから、早く、料理人から力を奪って、お父さんを救って…」
千影は、そっと美影を地面に下ろすと、再び刀を構えた。
だが、いつの間にか天使が千影の後ろで刀を突きつけた。
「…邪魔、しないでくれます?」
「断るよ。あんたの本来の目的は、明日馬じゃなくて流星だろ」
千影は、一層眉間に皺をよせて牽制する。
「分かってるならどいて。姉さんを裏切って霊媒師になった明日馬も、私にとっては敵もどうぜ…!」
千影がそう言いかけた時、空音と明日馬の眼前に、赤い血潮が飛び散って、千影はゆっくりと前のめりに倒れた。
何が起きたのか、訳が分からず顔を上げると、そこには先程まで朝成と真昼と戦っていた化け物が立っていた。
「は…っ?な、何やってんだよ朝成と真昼は!」
明日馬は大声を上げて二人を探すと、二人もまた血潮を流して倒れていた。
「嘘…だろ…?」
この化け物は、朝成と真昼さえ物ともしないのか。
思わず全身が恐怖に苛まれ、冷や汗をかく。
こんな感覚はいつ振りだろうか。
二人を目掛けて化け物は、再び手を振り下ろすと、咄嗟に身構えた。
万事休すか、そう思われた時、小さな影が目の前を横切る。
「あーあ、見てらんねぇなぁ!偉っそうに俺がいたらややこしくなるから来るなって言ったくせに、そのザマかよ」
聞き慣れた声に、うっすら目を開けると、不機嫌そうな顔をした陸が立っていた。
「陸…」
呆然と自分を見ていた空音に、勢いよく切先を突きつける。
「なーにが、俺がいるとややこしくなるから留守番しとけだ、このおばさん!!俺が来なかったらやられてたんだぞ!!」
無駄に大きな怒鳴り声が響いて、肩をすくめる。
同じく呆然と自分を見つめている明日馬に、一層苛立って額の青筋がさらに増える。
「おらぁ、てめぇ!何ぼーっと見てやがんだ!!料理人を守る為の霊媒師が、頭に守られてんじゃねぇ!この腑抜けが!!」
頭…?
いきなり聞き慣れぬ単語に、明日馬は思わず目を見開く。
「けっ。化け物に対していつまでも情に耽ってるから、そんなことになんだよ。悪いけど、斬るぜ」
陸が刀を構え直して地を蹴ろうとした時、先程まで地面に突っ伏していた千影に、足を掴まれた。
「てめ、離せ…っ!」
「やめて…っ、それ以上傷けないで…っ!」
「お前、まだそんなこと…っ!」
陸は言いかけたが、千影の頬が涙に濡れているのに気づき、言葉を飲んだ。
「お願い、やめて…っ!その人、私のお父さんなのっ!!」




