【十七皿目】天使の料理人
空音の隣に案内された女は、縮こまって借りてきた猫のようだったが、おとうしのきんぴらごぼうと、きゅうりの浅漬けが出てきた瞬間、まるで花が咲いたような笑みを浮かべた。
「わぁ!これおとうしですか?いただきまーす!
女は浅漬けを食べながら、隣に座ってる空音がビールを飲んでいるのに、何かを思い出したように手を上げる。
「ってことは、お酒とかあるんですか?」
「もちろん。って言っても元は居酒屋じゃないから、ビールしかないんだけどさ」
「ビールでも全然大丈夫ですよ!私こう見えて、結構強いんで!」
女は、得意げに鼻を鳴らしている。
「お、なんなら勝負するかい?」
「あれぇ?お姉さんも強いんですかぁ?」
「やめとけやめとけ、このおばさん、四十度のウイスキー十杯飲んでも酔わんザルどころかワクやから、潰されんでぇ〜!」
隣から同様に酔っ払った息のいい関西弁が聞こえてくる。
「だっ、誰がおばさんだよ!まだ三十六だよっ!あんただって同い年のくせにっ!」
飲んでいたビールを吹き出して、怒る空音を女は笑いながら笑っていると、頼んだビールが出てきて、女は雰囲気に飲まれて、ぐいっと勢いよく流しこむ。
「ぷはぁ〜!」
「いい飲みっぷりだねぇ〜」
空音に囃されて、歯を覗かせて笑っていると、女は龍海の左手の薬指に、銀色に輝いてるものを目ざとく見つけて、何か勘が働いたような、企んでるような顔をしている。
「お二人って、もしかして結婚してるんですかぁ?」
今度は空音と龍海が同時に噴き出して、むせこんでいる。
「ちょっ、そんなんじゃないから!」
「違うんですかぁ?あ、じゃあマスターが旦那さんとか?イケメンですもんねぇ!あたしならぁ、マスター派かなぁ?」
女は酔っているのか、饒舌になり遠慮なく、根掘り葉掘り聞いていると、空音の隣で嘆く声が聞こえて来る。
「違う違う!こいつらはただのじゅう…」
言いかけて空閑は、途中で言葉を飲むと、悪戯な笑みを浮かべて、悪友だよ、よ言い直した。
「悪友かぁ〜…そういうのもいいですね…」
ふと女は寂しそうな顔をした。
心なしか、目が涙で濡れている。
「モツ煮込みお待ちどうさま」
「おお〜、待ってましたぁ!」
女は涙を拭くと、モツを口に運ぶと、広がる牛と生姜の旨みに、全身にビリビリと電撃が駆け巡るのを感じて、腰が砕けてしまった。
「なっ、何これぇ…っ、今まで食べたモツと全然違う…っ!すっごいトロトロしててめちゃくちゃ美味しい!!」
女は、一口、また一口と無我夢中で箸を進める。
あっという間に皿が空になると、彼女の周りに眩い閃光が現れた。
「わっ!何これぇ!」
「お迎えだよ」
「お迎え…?」
店主の表情がどこか悲しげな表情をしていて、女はここに来るまでのことを思い出した。
「そうか…私…死んだんだぁ…。なんか今思うとあんなことで死んだの、すっごい悔しいなぁ…。生きてたらもっとおじさんのご飯食べにきた…」
女は大粒の涙を流しながら、最後まで言う前に天に昇って行った。
「また生まれ変わったら、いつでも来たらいいさ…」
天使は、女が死んだ原因も全てわかっているよう、含みのあるもの言いをして、女を見送った。
おそらく流星にはここまでは察せないだろう、などと考えながら。
店は暫く静寂に包まれたが、耐えられなくなった龍海が、大声を上げた。
「それにしてもひっどいわぁ!こんなおばさんと結婚しとるなんて!こんなおばさんと付き合える奴なんて、せいぜい従者くらいやわ!俺には可愛い奥さんがおるっちゅうねん!」
「あんたねぇ、さっきからおばさんおばさんうるさいよ!まだ三十六歳だって言ってんだろ!」
「あだっ!」
空音に思い切り頭を小突かれた時、龍海はふと思い出したように口を開く。
「そういえばなんやったん?さっきの子が、一番食べたかったもんて」
勘の鈍い龍海に、天使は口元に目に弧を描いた。
「居酒屋の美味い飯、だよ」
龍海はようやく納得して、ああ!と声を上げた。
「そらぁ、流星には無理やわなぁ」
と言って笑うと、残りのビールを流し込み、おかわりを要求した。
◇◆◇
辺りはすっかり夕方になり、酔っ払って一人爆睡してる従者の一人…もとい龍海に、流星の部屋から持ってきた布団をかけると、やれやれと天使はため息をついた。
「相変わらず弱いねぇ」
「って言っても俺達が強いんだけどね」
あれから天使も混ざって飲んでいたらしく、テーブルには自前の焼酎が十本も転がっている。
「いやぁ〜、誰にも怒られずに飲むってのもオツだねぇ〜」
「なんだい、あんたに怒るって、真昼も成長したねぇ。昔は手を焼いて泣いてたのに」
昔のことを思い出して、懐かしそうに目を細める。
「これ以上犠牲を出すなよ?可愛い部下なんだろ?」
「わかってるよ」
誰に言われるまでもない。
自分はもう昔のような、弱い人間ではない、軍の主なのだから。
だからここにいるんだ、これ以上犠牲を出さない為に。
改めて言い聞かせると、ぐいっと、残りの酒を流し込んだ。




