【十六皿目】海原龍海《うなばらたつみ》
「唐揚げ定食お待ちどうさん」
流星軒で店主の代替を務めて一日目の日、記念すべき最初の客は空音であった。
「いただきまーす!」
空音がカウンターに備え付けられている割り箸ではなく、何ヶ月も通うことを前提にしているのが分かる。
「それで?あれからどうなった訳?あいつとは連絡ついたの?」
本当は食べ終わってから話すつもりだったのに、意に反して早々切り出されて空音は顔をしている。
「なんだよ、食べ終わってから話そうと思ったのに」
ぶつくさ文句を言いながらも、唐揚げを頬張る手を止めて、話し始める。
「もちろん、話はついたさ。ただやっぱり出て行った理由が理由だからね。説得するの苦労したんだよ?」
何か訴えかけるような目で見つめられて、天使は感謝の念と、交渉が成立した時の条件を思い出して、複雑な表情をする。
「わかってるよ。三食一年分だろ?」
空音は、満足そうにわかってれば良し、などと言っている。
「昨日連絡入れたから、もうそろそろ来るんじゃないかねぇ?」
もうすぐ来る?天使が眉を顰めていると、騒がしいバイクのエンジン音が耳に轟いて、派手に扉が開き軽快な関西弁が聞こえてきた。
「おー!ほんまに天使ちゃんやーん!ほんまひっさしぶりやわぁ!」
鼓膜を突き抜けるような大声に、天使は思わず顔を引き攣らせる。
そこには、焦げ茶色の髪に群青色の目をした、お好み焼き屋の店主たっちゃんこと、海原龍海が立っていた。
しかし、その風貌はお好み焼き屋と言うよりは、チンピラのようである。
「いやぁ、ほんと久しぶりねぇ。つーかその天使ちゃんっつーの、やめろって言ってんだろ」
久しぶりに会う友人の前だからか、思わず口調が乱れてしまう。
そんな天使を面白そうに、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、空音の隣に座る。
「ええの?そんなこと言うて?俺に頼みがあってわざわざ呼んだんやろ?」
全てを理解しているからか、わざと試すような口ぶりで、天使は諦めたように深い溜息をつく。
「わかってるさ。わざわざ呼びつけて悪かった。俺の大事な部下が千影にやられたんだ。だから…」
頭を下げて真剣な口調で懇願する天道だったが、天使の頭を撫でて途中で遮った。
「そういうの嫌いなん知っとるやろ。ええよ、俺とお前の仲やし」
顔をあげて優しい顔で潮らしいことを言っているその男は、天使と目が会うと満面な笑みを浮かべた。
嫌な予感がする…。
「後でここでいっちゃん美味くて高い酒、一ヶ月分でええから」
まるで善人のような顔で、聖人のようなことを言ってるように聞こえるが、ただのたかりである。
嫌な予感が見事に的中して、天使は脱力して盛大なため息をついた。
そういえば何故か、交渉成立金は空音だけでいいと鷹をくくっていたのである。
軍ではあんなに自由奔放に振る舞っている天使だが、この二人だけはどうやら頭が上がらないのだ。
「いやぁ、今のあんたの顔、流星たちにも見せてあげたいねぇ」
味噌汁を啜りながら、空音がケラケラと笑っている。
天道は思わず背筋が凍り、喉奥から絞り出すような声を上げて項垂れる。
「それだけはやめてくれ…」
仮にも本当に流星達に、こんな二人に弄ばれてる、情けない自分を見られたらどう思うだろうか?
思い切り馬鹿にされるだろうか?
馬鹿にされた後、自分の元から去って行ってしまうだろうか、そんなことが天使の脳裏を過ったが、それでも守りたい人の為なのだからと言い聞かせて、首を横に振った。
天使はとりあえずと、お冷を差し出すと、喉が渇いていたのか一気に流し込んだ。
「そういえば陸はおらんのやねぇ」
「来る訳ないだろ。あいつは俺のことなんて絶対認めないからね」
天使は唐揚げ定食を配膳しながらため息をついた。
「そういやあれから何人か新しい子入ったんやろ?」
天使は、眉を顰めて視線を持ち上げる。
「もちろん何人かは組ませたさ。でもどの子も合わなくてね。それで出て行った子もいたよ」
天使はふと夕季のことが脳裏に過った。
成仏させる為に痛みを与えるなんてできないと言って出ていった彼女のことを。
根の優しい彼女なら、陸の心を絆すことができると踏んでいたのだが、彼女が絆したの常陸ではなく明日馬だった。
それはそれで、いい結果をもたらしたことには変わらないので、彼女には感謝しないといけないのだが…。
「結局あいつは何も変わらないよ。空音に対する感情も、成仏させることに対する概念も。
あいつだけ、時が止まったままさ…」
カラカラカラ。昔話に花を咲かせていると、入り口の扉が開いた。
「あのぅ…。なんでここに来たか分からないんですけど…。いつの間にかここにいて…」
客は二十代くらいの女性だった。
天使と空音が、女の好きな物を見抜いて、少し戸惑いを見せながらも、こっちおいで、と空音が手招きをする。
女は躊躇いながらも、案内された椅子に腰を下ろす。
「さーて、どうする?なかなか難問だよ?」
天使を試すような口振りの空音に、天使は余裕そうな表情である。
「舐めて貰っちゃ困るな。俺を誰と思ってる。ま、流星なら一年はかかりそうな問題だけどね」
天使は早速冷蔵庫を開けて、材料を吟味し始めた。
ただ一人見ることのできない龍海は、訳の分からない顔をしている。
「なになに?なんなん?この子の好きな物て」
「できてからのお楽しみだよ」
クスクスと笑いながら、空音はお冷やで喉を潤した。




