【十三皿目】交渉
「酷いなぁ、そんなはっきり言われると傷つくじゃん」
いつの間にそこにいたのか、天使が軒先で態とらしく泣いてる振りをする。
全く気配に気づかなかった二人は、勢いよく顔を上げる。
「てめぇいつの間に…っ」
陸が歯を食いしばり、天使を睨みつける。
「おー怖い。いやぁね、千影の狙いが、見える者なら、自ずと空音のとこにも来るかなって思って、保護しようと思ってたんだけど、騎士がいるなら大丈夫そうだねぇ」
冗談めかしたように言う天道に、空音は目を見開く。
「なんだい、もしかしてまだ守ってくれるつもりなのかい?今やただの金物屋なのに」
「そう思ってたんだけどね。まぁその必要もないみたいだね」
あっさりと引き下がる天道を、空音が上目遣いに見ると、本当の目的は何かと探りを入れてくる。
「だから言ってるだろ。お前を保護する為だって」
そう言う口元には、薄らと孤を描いている。
こういう時の天使は、絶対何か企んでいるに違いないと、空音は確信する。
「さっき陸から全部聞いたよ。麻亜夜もやられたんだって?いよいよマズいんじゃないのかい?」
天使が言わんとしていることがなんなのか、察しは付いてはいるが、自分からは言おうとはせず、飽くまで相手に言わせるつもりのようだ。
それを察した天使は、ようやく観念して探るような態度をやめて、素直に胸の内を明かすことにした。
「陸に聞いてるなら分かってるんだろう、麻亜夜がやられたんだ。だから彼女の目を取り戻してやって欲しい!」
いつも飄々としていて、何を考えているのか分からない天使が、珍しく真剣な顔をしている。
拍子抜けして目を見開いた空音だったが、やれやれとため息をつく。
「それを言うのはあたしじゃあないだろ」
やや見下すような目で天使を見る。
天使は図星のようで、俯き加減に口を開く。
「分かっているさ。でも、俺にはそいつに頼む術は持ち合わせていない。だから…っ」
言葉を詰まらせる天使に、空音は観念したのか、重い腰を持ち上げた。
「おい、空音っ!いいのかよ、こんな奴の言うことなんて…っ!」
「まぁそれを引き受けるのはあたしじゃないからねぇ」
急にふっと視界が暗くなり、天使が顔を上げると、満面な笑みを浮かべる空閑がいた。
「仲介費が三食一ヶ月分、もし成立した場合、一日三食一年分てとこかな」
あまりに高い交渉費用に、天使は思わず苦笑いを浮かべる。
「あ、ちなみに流星に押し付けるのは無しだからね」
まるで心を読まれたかのように言われて、天使はちぇ、と舌打ちした。
「バレたか」
「大事な部下なんだろ?だったらきちんと誠心誠意を尽くしな。誰かに責任を押し付けた上での交渉で動くほど、あたしは甘くないよ」
「やれやれ、全く相変わらず手厳しいねぇ」
そう最後の最後まで悪態をつく天使だったが、彼女のこう言うところが人を惹きつけさせるのだろうと、改めて思った。
少なからず自分もそこに惹かれて着いていた一人であったのだから…。
◇◆◇
その夜。
学校から帰った流星は、軍に住み込む為の準備をしていた。
「にしても唐突すぎるよなぁ。いきなり保護するから荷物纏めろなんてよ」
ぶつぶつ文句を溢しながら必要なものとそうでない物を仕分けていく。
またあそこで生活することになるのか、流星はふと満月と過ごした記憶が蘇り、目頭が熱くなるのを感じてぶんぶんと首を振った。
いかんいかん、いつまでも引きずってちゃダメだと、流星は自分に言い聞かす。
毎日学校やら店やらで日々忙しくしていると、満月のことを思い出す余裕がないのだが、たまにこうして一人になると思い出して泣いてしまうことがある。
その度に、明日馬に話相手になって貰ったり、時には真昼に喝を入れられたりして、なんとか気を紛らわせていたのだ。
その時、流星は壁にかけてあった真昼からもらったエプロンが目に止まる。
流星は昔から使っていた専用のエプロンがあるにも関わらず、律儀に使っていたのだ。
これも持って行くべきだろうか、と考えてるとそう言えば軍に行けば、自ずと真昼とも毎日顔を突き合わせることになることを、ようやく気づいた。
流星は持って行かなかった時のことが頭をよぎり、なんで持って来なかったのかと罵倒する声が容易に脳内再生され、苦笑いを浮かべながら鞄に詰めた。
「よし、これで完成だな」
おそらくことが解決するまでは、屋敷からは一歩も外には出られねいと思え、と天使は言っていた。
だから張り切って一ヶ月分くらいを用意するつもりだったが、消耗品などは買い出しに行けば済むことなので、意外とコンパクトに纏められた。
「用意出来たかい?」
先程まで自分しかいなかったのに、声をかけられ思わず心臓が飛び出しそうになる。
「うをぉぉぉ!いつからそこにいたんだよ‼︎」
「だってさっきから呼び出してんのにお前出ないんだもん」
ベッドの上に置いていたスマホをとり、着信履歴を確認すると、確かに天使からの履歴が何件も残っていた。
「悪い、気づかなかった…」
「分かればよし。皆もう待ってるよ」
そう言うと天使は身を翻して部屋を出る。
(みんな?)
眉を顰めながら階段を降り、玄関に向かうと、そこには明日馬と真昼が待ち構えていた。
「ちょっとぉ!遅いわよ!何時間待たせる気?!」
自分を見るなり真昼が怒鳴り付けられて、悪い悪いと軽い謝罪をする。
何時間と言ってもたかだか十分くらいの物なのに随分な言われようである。
「つか昼禅寺がいるのはわかるが、なんで日向までいるんだ?」
「あれから軍に戻って皆と話し合ったんだよ。そしたら、あの朝成さんが負傷するくらいの人物だから、一人でも多い方がいいだろうって」
流星は成程なと納得しかけたが、そこに矛盾があることに気づいた。
「ちょっと待て。だったら尚更おっさんも軍にいるべきなんじゃあ…」
天使は、惜しそうに自分を見つめる流星の背中を強引に押した
「大丈夫。噂じゃあ明日馬だってちょっとは強くなってるみたいだし?」
同意を求めるように聞いてくるが、明日馬は自覚がないようで、怪訝な表情をしている。
「強くなってるって言ったって、あの時は無意識だったし…!」
「ま、そう言うことだから、あとはよろしくね。こっちの心配はいらないから。あと、うちの次期当主君もかなり強いから、お前たちが心配することは何もないさ」
満面な笑みに三人はようやく安堵したのか、それじゃあ行くわよ、と誰よりも先に真昼が歩き出した。
「おい、待てよ!」
明日馬が、慌てて真昼を追いかける。
その後を流星も慌てて追いかけようとした時、立ち止まって振り返り、
(行ってくるな、父さん、母さん)
と、心の中で呟いた。




