【十一皿目】喪失
昼彦が天使に出会ったのは、二年前、つまり十歳の時である。
いつものように姉と帰路に着いている時、踏み切りで祖父が事故に遭い、その霊を成仏させる為に天使が現れたのが、きっかけであった。
最初に対格を表したのは、昼彦の方で、真昼は、それからもう少し先の話である。
初めは全く未知の光景で、何がなんだか訳が分からなかった。
しかし、その天使と名乗った男は、何を思ったのか、自分達姉弟を霊媒師の素質を見出だし、軍に引き連れたのだ。
天使の見込みは当たりだった。
二人は霊が見えるのは当然のことだが、料理がからきしだった姉は、霊媒師として育てることになった。
最初こそ竹刀を振るうことすら出来なかったが、朝成の指導のおかげで、みるみる頭角を表して行き、高校一年生になった頃、その若さで天使の右腕として抜擢された。
一方昼彦はと言うと、どれだけ鍛えても、戦う力が身に付くことは残念ながらなかった。
しかしながら、料理の腕は確かであった為、試しに化け物と対峙させてみたところ、見える力を持っていることが判明したのである。
だが、昼彦の力はそれだけには止まらず、化け物との戦いの中、真昼が瀕死に至った時、咄嗟に刀を持ち立ち向かって行った。
その時、彼のもう一つの能力、力を退化させる能力が覚醒したのである。
その力を持つ者は奇数であった。
それだけならば、次期当主に抜擢されることはないのだが、その素質を見出だされたのは、何よりも彼の性格にある。
その年齢にして、自分よりも遥かに年上の大人達をも牛耳る度胸と、あの厳しい朝霧を筆頭に誰からも可愛がられる世渡り上手なところと、一度こうと決めたら曲げない意思の強さと言った、そんじょそこらの十歳とは…、いや、大の大人ですらここまでの物を持ち合わせている物はいないだろうが、この十歳の少年は全てを持ち合わせていたである。
その性格が、次期当主に相応しいと天道は睨んだのだ。
しかし、まだ当時まだ十歳だった為、役職に就くことができなかった。
だから二年待ち、十二歳になった時、満を持して次期当主候補として大抜擢されたのである。
◇◆◇
翌朝、麻亜夜は寝台の中で目を覚ました。
まだ意識が朦朧としていて、昨日自分の身に何が起こったのか良く思い出せない。
横を見れば、今にも張り裂けそうな顔で自分を見つめる朝霧がいる。
麻亜夜は、ぐしゃぐしゃになった情けない顔に、思わずふっと笑みを浮かべた。
「なんて顔してるんですか…」
声を聞くなり緊張が解れて、目頭が熱くなるのを感じて思わず朝成は顔を背ける。
「よかった…。ずっと目ぇ覚まさねぇから…っ」
それ以上は言わず言葉を飲み込む。
麻亜夜はもしかして泣いているのかと思い、顔を覗き混もうとする。
「もしかして、泣いてます?」
「うるせぇ!泣いてねぇ!」
明らかに啜り泣く声が混ざっていて、悪戯を笑みを浮かべて朝成の顔を両手で包み込むと、無理やり自分の方を向かせると、やはり涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
「やっぱり、泣いてるじゃないですか」
「うるせぇ。誰のせいだと思ってんだ」
「でも、私の記憶ではあなたも彼女にやられた筈じゃあ…」
麻亜夜が全部を言いきる前に、いつから見ていたのか、天使がパンパンと手を叩く。
「はいはい、お二人さん。それくらいにして。起きたばっかで悪いけど、話があるからそのままで落ち着いて聞いて」
天使に囃されて顔を真っ赤にさせた二人は、咄嗟に距離を取り、天使に向き直った。
「なんですか?話って」
麻亜夜が尋ねると、天使は頷くと神妙な面持ちを浮かべた。
「麻亜夜の目は、もう見えていないんだ」
その言葉を聞いて真っ先に反応したのは、朝成の方だった。
「見えてないって、どういうことだよ!まさかもう料理人には戻れねぇってことかよ?!」
あまりに突然のことに、噛み付かんばかりの勢いで怒鳴る朝霧とは対照的に、麻亜夜は冷静に答える。
「やっぱり、そうなんですね…。あの子に斬られた瞬間、何かが失くなった気がしましたから…」
「見えなくなれば、料理人としての仕事をすることはできなくなる。それは分かるよね?」
冷徹にも聞こえる天使の説明に、麻亜夜はただ頷く。
「おい、待てよ天道!それだけかよ!他にねぇのかよ!麻亜夜の目を取り戻す方法はよ!!」
もはや完全に冷静さを失い逆上した朝成は、とうとう天使に噛み付き胸倉を掴んだ。
「言ったでしょ。方法は彼女を殺すことだって。彼女を殺せば麻亜夜の目は取り戻せる。君にそれができるか?」
尚も表情を崩さず、ただ淡々と言う天使に殴りかかろうとしたが、なんとか感情を押し殺して胸倉を掴んだ手を離し、行き場を無くした手を壁に叩きつけた。
「ごめんね。僕がもうちょっと早く向かってれば、こんなことにはならなかったのに…」
天使の隣で聞いていた昼彦が、申し訳なさそうに言う。
麻亜夜は首を横に振ると、あなたのせいではないと宥める。
「なんでそんなに冷静なんだよ。キレてる俺が馬鹿みてぇじゃんか…っ」
唇を噛み締める朝成に、麻亜夜は優しく微笑む。
「別に料理人の道を潰えたとしても、他に道はありますので」
と、まるで何かを訴えかけるような口振りである。
朝成が胸倉を解放して、服装を正しながら、天使は続ける。
「まぁなんにせよ、麻亜夜は暫くは安静に寝てなさい。あとのことは僕達がなんとかするから。もちろん、朝成も暫く安静だ」
「なんでだよ?!」
「当たり前だろ。お前だって一応斬られてるんだから。喋れるようになっても戦闘能力はまだ回復していない。彼女の力が無効になるまでは丸一日はかかる。戦えない無能は連れていけないよ」
と、皮肉混じりに厳しいことを言われると、朝成はそれ以上何も言えずやっと大人しくなった。
◇◆◇
まだ何か言いたげな視線を送る朝成を尻目にかけて、天使と昼彦はその場を後にし、会議用の大広間に移動して、向かい合って座る。
そこには学校から帰った真昼も加わっていた。
「そう…。私がいない間にそんなことになってたの…」
昨夜のことを全て天道から聞いた真昼は、表情を曇らせる。
僕がもっと早く気付いてれば、と嘆く昼彦に、お前ら悪くないと天使が慰める。
「それよりも、今はこれからどうするか、だ。流星は大丈夫なのかい?千影に襲われたんだろ?あいつが一度で引き下がるとは思えないけど」
真昼は口ごもった。
とりあえず日向には、流星を守るように忠告したのだが、いかんせん頼りないと言うのが本音である。
「またその子が襲ってくる可能性があるのは分かってる。だから明日馬にも最善を払うように忠告はしたわ。けど…」
「明日馬だけじゃ頼りない?」
歯切れの悪い物言いに、真昼の言わんとすることを天使が汲み取ると、真昼はしっかりと頷いた。
暫く腕を組みながら思考を巡らせていた天使が、ポツリと呟いた。
「だったら、流星をここに連れてくるかい?」
その提案に真昼は意外そうに、声を上げる。
「な、何言ってんの?そんなことできる訳ないじゃない!万が一連れて来るにしても、お店はどうするの?」
取り乱す真昼を、まぁまぁと天使が宥める。
「分かってるよ。そこは誰かに代理を頼めばいいんじゃないかな。料理人の素質と霊媒師の素質、両方兼ね備えた人とかさ」
真昼はハッと息を飲んだ。
しかし、そんな人物など天使と昼彦以外いるだろうか?
そう思った時、ある考えに至った。
「もしかして、天使か昼彦が代理になるってこと?」
「そういうこと」
天使は珍しく満足げな笑みを浮かべている。
「って言っても昼彦は学校があるから行けないから、除外だよね」
「僕、別に休んでいいよ?勉強なんて授業受けなくてもできるし」
もはや天才の言うようなことを言っている昼彦に、天使ははっきりとそれは駄目だと拒否した。
となると、他に該当する者は天使しかいないと言うことになる。
そうなると、必然的に当主も代理を立てなくてはいけないことになる訳で。
「天使、もしかして…」
昼彦が全てを言う前に、満面な笑みを浮かべると、
「宜しく頼むよ、次期当主君」
と言う天使であった。




