【三十四皿目〈終〉】流星と満月
満月が流星の後をついて行くと、店の前にいつの間にか四人掛けのテーブルが設えていることに気付いた。
テーブルの上には、すき焼きが準備されており、魅惑的な香りが食欲をかき乱され、生唾が迸る。
口を開けてダラダラとだらしなく唾液を流す様子に、流星は笑い声を上げる。
「そんなに腹減ってんのか?待ってな、準備するから」
言うと、向かって奥側の椅子に腰を掛け、器に自分と満月の二人分のすき焼きをよそい、正面に置く。
流星はふぅふぅ、と冷ましながら味見をするかのように一口、口に運ぶ。
「美味いぞ、食えよ」
微笑を称えながら箸を進める流星に、満月の心はまだ化け物のままなのか、ビュッと鋭い爪を繰り出す。
瞬時に陸が反応して、地面を蹴り懲りずに満月に向かって走り出す。
「ダメだ!!」
止めようと明日馬が身を乗り出す。
だが、それは杞憂だった。
陸は、満月の行動を見て、すぐに攻撃の手を止めたのである。
満月は、流星を切り裂く訳でもなく、器と箸を取り、肉を一枚掴むと暫しジッと見つめて、ゆっくりと口に運ぶ。
その刹那、白く目映い光が辺りを包み込み、化け物の姿から満月が現れた。
満月は、ゆっくりと歩き出した、椅子に腰をかける。
「全く、一年も待たせるなんて、我ながら情けない弟子ね」
「ははっ、人間に戻った瞬間説教かよ」
二人はクックッと肩を震わせると、もう一口、またもう一口とすき焼きに舌鼓を打つ。
「このお肉、美味しいけど、もしかしてお好み焼き屋さんの?」
「良く分かったな、やっぱり知り合いなのか?」
満月は少し箸を休ませ、俯き加減に目を瞑る。
「たっちゃんはね、私が天使と初めて一緒に大阪に行った時に出会った人なの。
いいご店主だったでしょ?」
「そうだな…」
鍋の中の具があと少しになった時、流星は手を止め、満月の手を掴んだ。
満月は、驚いたように目を丸くしてる。
「どうしたの?食べないと成仏できないじゃない…」
「頼む…。成仏しないでくれ…!お前がいなかったら俺、どうすればいいんだよ…!」
声を震わせながら言う流星の目が、涙で潤んでいる。
満月は首を横に振ると、とても柔らかい笑みを浮かべた。
「ダメよ。私はもう既に死んでいるの。死ねば魂は朽ちて土に帰る。それがこの世の掟だもの。辛いけど、私はこれ以上この世にとどまるつもりはないわ」
それに、と満月は明日馬達を一瞥した。
「流星にはいっぱい仲間がいるじゃない。もう一人ぼっちじゃないわ。だから私がいなくても大丈夫」
流星は満月が、一度こうと決めたら考えを変えない性格であることを、誰よりも良く知っていた。
だから、その言葉に淀みがないことも分かっていたのだ。
流星は諦めて、暫く握りしめていた腕を放すと、ぐい、と涙を拭った。
「ねぇ、最後にお願いがあるの」
この期に及んで頼み事なんて…、流星が考えていた時、満月は続けた。
「これから私がいなくなっても、流星はたくさん美味しい物を食べて欲しいの。できれば、皆で」
と言った。
「ごちそうさまでした」
満月は迷わず最後の一口を食べ終わると、再び辺りを先ほどとは少し違う柔らかい光が包んだ。
流星は慌てて席を立ち、満月の名前を叫んだ。
すると、頬を両手が包み込んだかと思うと、その唇からふわり、と温かい感触が伝わる。
長い口付けを交わした後、満月はゆっくりと唇を離して、精一杯の微笑みを浮かべる。
「私ね、流星と出会ったこと、全然後悔なんかしてないから。
もちろん、流星を守って死んだことも。だから、そのことで後悔なんか絶対しないで…」
約束よ、そう最後にまで言い終わるのを待たずに、満月は天へと旅立って行った。
流星は、暫く涙を流したまま放心していた。
漸く正気を取り戻すと、涙を腕で拭いながら、
「約束、一つだけじゃなかったのかよ、馬鹿満月…」
と最後の最後まで注文の多い満月に、悪態をついた。
◇◆◇
全ての戦いが終わり、流星は店に戻ろうと席を立つ。
そう、まだ全てが終わった訳ではないのだ。
店に入ると、いつの間にかお好み焼きの準備が整っていた。
しかも簡易ではあるが、四人前くらいは焼ける鉄板まてまあり、空音が準備してくれたのだと、すぐに察すると、鉄板に火をつけた。
店の外には、すっかり回復した常陸がまだ気が済まないのか、鋭い剣先を日向に向ける。
「おい、まだやるつもりかよ!」
「今日のところは引いてやる!だがな、お前のことを認めた訳じゃねぇからな!」
そう吐き捨てて、空音には礼すらなく、風を纏い嵐のように去って行った。
その様子を見送った後、三人は足早に店に向かう。
扉を開けると、店内には既にお好み焼きの焼ける香ばしい香りが充満していた。
部屋の片隅で縮こまって一部始終を見ていた誠は、目からまるで滝のよう涙を流しながら椅子に腰を下ろした。
満月がいなくなった店内は、まるでポッカリと何が抜け落ちたように静かで広く感じた。
満月は幽霊で、生身の存在に比べて希薄なのに、その存在の大きさは計り知れなかった。
十五分程してお好み焼きが完成した。
ソースの香りが堪らなく、誠はうっとりと表情を緩める。
お好み焼き たっちゃんで習ったように、箸ではなく小手で食べる。
やはり常連だけあって、こなれている。
一口、口に運ぶと更にソースの風味が広がる。
火傷そうになっても食べたいくらい、堪らない。
黙々と食べ続けて皿が綺麗になると、目映い閃光が誠を包み込んだ。
「ああ、成仏するんやねぇ…」
予め説明されているのですぐに状況を飲み込んだ誠が、嬉しそうな表情を浮かべている。
「次生まれ変わったら、もっと美味いもんいっぱい食えよ!」
流星はいものように、豪快に笑った。
「満月ちゃんにも、宜しゅう言うとくわ!」
誠は大きく手を振りながら、天へと昇って行った。
◇◆◇
誠が成仏して暫くの間、三人は沈黙していた。
その沈黙を破ったのは、新しい客だった。
「ごめんね、授業、今終わったんだ!何もなかった…」
夕季は、中途半端に言葉を詰まらせる。
なにやら重苦しい雰囲気が、店に漂っているし、客なのか一人見慣れない女性がいる。
店内を見渡すと、幽霊の男も満月の姿も見当たらない。
夕季は暫く居心地が悪そうに、その場に立ち尽くした。
◇◆◇
三十分程重い沈黙が流れた後、それを破ったのは空音だった。
「そっか、成仏したんだ、二人とも…」
七夕にはそれだけ言うのが精一杯だった。
だが、夕季が来てくれたことで、雰囲気が少しではあるが明るくなったのは確かで、三人は心の中で感謝した。
明日馬は何かを言うべきかと言葉を探すが、情けないことに何も出てこなかった。
それは他の三人も一緒である。
それよりも一番心配なのは流星であった。
大事な恋人を二度も亡くして、すぐに立ち直れる訳がない。
少なくとも自分には無理だ。
すると、空音がおもむろに立ち上がり、台所に向かう。
何するつもりなのかと考えていると、予めとっておいたのか、人数分のお好み焼きの種を取り出した。
「腹がへってはなんとやら、さ。今日はあたしが特別に作ってやるよ」
しかし、流星は何も返事をすることはなかった。
二十分程して、お好み焼きが出来上がると、ずっと沈黙を決め込んでいた流星が立ち上がり、鉄板の前に腰を下ろした。
「おお!美味そう!」
先程同じ物を車の中で食べたと言うのに、興奮気味に食らいつく。
存外思ったよりも元気で、明日馬は少し安心した。
いや、気持ちを紛らわせるように、わざとそう振る舞ってるのかも知れない。
お好み焼きを未だに慣れない手つきで、小手でつつく流星が、唐突に聞いて来た。
「そういえば日向、満月が化け物になったら斬るとか言ってたけど、結局しなかったな」
「あ…」
言われて今思い出す。
そういえば、そんなこと言ったっけか。
「忘れてた…」
と明日馬は、短く呟いた。
◇◆◇
明日馬はエプロンに着替えて、台所で洗い物をしながらふと思った。
流星程の料理人が、本当にこの一年もの間、恋人の一番好きな食べ物が分からなかったのだろうか?
食べ物ではなく、食べ方だったとしても。
成仏しないでくれ、と涙ながらに懇願する様は、まるで気付いていてわざと、作らなかったのではないかとすら思えたのだ。
考えすぎか、と笑みを溢しながらお好み焼きを堪能する明日馬だったー…。
その時、カラカラと店の扉が開く。
新しい客だ。
満月が、成仏したとは言え、店の役割までもが終えた訳ではない。
新たに客が来れば、成仏させなければいけない。
「あのぅ、私、なんでここに来たのか分からないのですが…」
客は二十代くらいの女性だった。
訳が分からず、キョロキョロと店内を見渡している。
「大丈夫、もう全部分かってるから」
そう言って今日もまた、料理を始める流星であったー…。
〈完〉
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ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
ひとまず、料理人編完結しました!
紆余曲折ありましたが、皆様のお陰でここまで書くことができました。
次からは霊媒師編に入りますが、修正したい箇所もありますので、一週間くらいかかると思いますが、引き続きお付き合い下さると幸いです。




