【三十三皿目】暴走
二人を見届けると、流星と空音は店に戻った。
すると、まるでゲームの世界でも見てるかのような誠が、部屋の片隅に座り込んでいた。
「や、やっと帰って来たんか!もう怖かったんやで!満月ちゃんがいきなし化け物になるし、暴れ出すしで…!」
やや上擦った声ですがりついて来ようとする誠を制したのは、空音だった。
流星は、構うことなく台所に向かうと、エプロンを身にまとった。
その時、同様に空閑もエプロンを閉めて、流星の隣に立ち、手伝うよ、とだけ言うと全てを理解してるかのように、真っ黒い鉄なべとガスコンロの準備を始める。
普段あんだけ自分の料理をただ食いしているだけで、料理をしている姿なんて見たことがなかった流星は、思わず目を丸くして、
「なんだよ姉ちゃん、料理できんの?」
と聞いた。
「無駄口叩いてないで、手を動かしな」
ぴしゃり、と短く説教垂れて、慣れた手付きで野菜を裁いていく。
流星は、ガスコンロが正常であることを確認してから火を着けた。
暫く鉄板を熱し、牛脂を薄く引いて行く。
鍋に油を引いたら、お好み焼き屋の店主が餞別にと渡してくれた、綺麗なルビー色を纏った立派な牛肉を、一枚だけ取って鍋に敷く。
そこに砂糖と醤油を適宜入れ、水気を出す為に空音が切った白菜をたっぷり入れて蓋をする。
暫くして蓋を開けて、一気に肉と野菜を入れて煮えるのを待ってできる料理と言えば、もうお分かりであろう、すき焼きである。
◇◆◇
「おい、待てよ、日向明日馬ぁ!!」
流星が店に入って行くのを確認した明日馬は、真昼の後を追おうと身を翻した時、先程まで地に這いつくばっていた陸が、怒号のような声を上げた。
「こんなことで、勝ったとつもりかよっ!!」
陸は、凄まじいオーラを纏い、地面を蹴り明日馬に突進して行く。
「くそっ!まだ戦う気かよ!!」
明日馬は悪態づくと、瞬時に刀を構えた。
自分の挑発に応じたことが嬉しいのか、は無邪気に「そうこなくちゃ!」と笑うと、思い切り刀を振り下ろした。
しかし、先程までまるで動きが鈍く感じた明日馬は、あっさりとそれを受け止める。
「お前、弱くなったか…?」
その言葉に、陸は鬼のような、あるいは地獄の亡者かのような形相で日向を睨み見る。
「舐めるなよ、ガキがぁっ!!!」
陸のオーラを直に感じとり、前進にビリビリと腕に電流が走った。
だが、不思議なことに、全然恐怖心などなかった。
ゴォッ!!
陸が、一撃を振るうと、少し前なら体が降っ飛んでいただろう。
だが、動きが全て見えてるかのように、明日馬は軽々と受け止める。
陸は、ただ受け止めるだけで、向かって来ないのが気にくわないのか、怒りの業火を激しく燃やす。
ガギィン!ギァン!ガガガッ!ゴゴゴゴッ!!
刃向かって来ないのを良いことに、陸はお構いなしに刀を振り回す。
それは、攻撃とは程遠く、ただ感情に任せて振り回してるだけのようだ。
「なんだよ、なんでかかって来ねぇんだよ!馬鹿にしてんのかよ!それとも、負けるのが怖くて、諦めたのかよ?!」
挑発のつもりなのか、刀を振り回しながら喚き散らす陸を、明日馬は気に止めることなく、ただただ刀をかわす。
幾度か刀が交差した後、明日馬が刀を薙ぎ払うと、陸の身体は宙を舞い、コンクリートの壁に激突した。
バキバキベキッ!!
「う゛ぁ゛っ!!」
陸は、骨が砕ける音と同時に悲痛な声を上げて、地面に転げ落ちた。
明日馬は、攻撃などしたつもりは毛頭なかったのか、ぽかんと立ち尽くしている。
「今の、俺がやったのか…?」
陸は、もう一度攻撃を繰り出すべく立ち上がろうとするが、呼吸もロクにできず、ただ、遠くにいる日向を睨みつけるのがやっとだ。
「諦めな。あんたの負けだよ」
不意に声が降って来て、陸はそちらに焦点を合わそうと目を凝らすと、大きいのか小さいのか分からない女の寺が、目前に現れた。
パァアァア!
その女の手から、温かい淡い青い光が現れると、全身の痛みが和らいで行く。
懐かしい温もりだと、陸は思った。
暫くして、ようやく目の前の人物が認識できるまでに回復した常陸は、咄嗟に刀を構えた。
「おわっ?!」
しかし、虚しくも陸の身体は暗転して、今度は青空と白い雲が写っている。
「駄目だよ。治療したばっかなんだから…っ」
女…改めて空閑は、そういうとふらついて陸の上に転倒した。
「けっ。治療して、自分が倒れてりゃあ世話ねぇや」
「そう思うなら、治療させない努力くらいしたらどうだい」
「そんなん考えてたら、護衛なんざ務まらねぇんだよ。クソババァ」
尚も憎まれ口を叩く常陸に、空音は呆れたように笑う。
「ったく、口の減らないガキだねぇ」
「いい加減そのガキ扱い止めろよ。いくつだと思ってんだよ…」
「きゃあぁああっ!!」
終わらない問答を続けていると、真昼の叫び声が聞こえた。
「しまった!あっち忘れてた!!」
陸は、慌てて立ち上がると刀を構えて身を乗り出す。
しかし、その腕を空閑に掴まれてしまった。
「なんだよ!あんたも、あいつみてぇなこと言うのかよ!料理人がいるなら、わざわざ刀で斬るべきじゃな…いとかって…っ!」
陸が、全て言い終わる前にはっと息を飲んだ。
先程まで目の前にいた、明日馬がいない。
どこへ行ったのかと探すと、太陽を背に化け物の上に立ち、首元に刀を突き立てている。
その様子はまるで、神が天から降り立ち、化け物を制しているように見えて、陸は思わず固唾を飲んだ。
真昼はと言うと、寸手のところで受け身を取ったようで、軽いかすり傷程度で済んだようだ。
「もう、大丈夫だ」
明日馬がそう言うと、不意に皆の前に流星が現れた。
◇◆◇
満月は、真昼を尻尾に巻き付け、今にも地面に叩きつけんとする瞬間だった。
だが、鼻腔を美味しそうな匂いが掠めて、動きが止まる。
流星は、いつものように…だが、どこか寂しそうな笑みを浮かべている。
その時、満月は全身の力を緩ませると、真昼が尻尾をすり抜け落ち、地面に落下する。
「きゃあっ!」
「危ねぇっ!」
地面に激突するギリギリで、流星は真昼を受け止めた。
「いてて…。案外重いのな、お前。あ、胸の重さか」
などと冗談めかして、セクハラ発言をしている。
「ばっ!こんな時に何言ってんのよ!!」
真昼は、顔を真っ赤にさせて怒鳴る。
「そんだけ元気なら大丈夫だな」
ポンポンと真昼の頭を軽く叩くと、膝から下ろし立ち上がると、一歩だけ真昼との距離を詰めた。
「そこじゃあ食えねぇだろ?来いよ、準備できてるから」
流星は、身を翻して店へと戻る。
満月は大きい、ゴツゴツとした体を引きずって、流星の後をついて行った。




