【三十二皿目】日向、覚醒!
空音は少し遅れて、流星と真昼の元に駆け寄ると、両手を真昼にかざした。
すると、両手から温かい水色の光が沸きだし、みるみる真昼の傷が回復して行く。
流星と真昼は驚いて、空音を見つめる。
「言っただろ、あたしも元々霊媒師だったって」
二人の言わんとしてることを瞬時に察すると、余裕な笑みを向けた。
夏空の下、鮮血が雨のように降り注ぐ中を、陸はそんな三人に我関せずと、怪しい笑みを浮かべながら立っていた。
ペロリと刀に染み付いた血を、舌先で舐めとる。
流星はその仕草に、最初に出会った時とは全く違う印象を覚えて、背筋が凍った。
「やっぱり、一筋縄じゃいかねぇか。さすがは、元あいつの右腕だ」
はははっと、乾いた笑い声をあげる。
あいつの右腕…、陸はまるで、満月の過去を知っているかのような口振りである。
刀を斜め下段気味に構えると、満月が長い舌で陸の心の臓を目掛けて突き出す。
それを刀で受け止めるのかと思いきや、地面を蹴って突進した。
一瞬で満月の懐に飛び込むと、黄色い軌跡を描きながら刀を横に薙ぐ。
満月は、悲痛な叫び声をあげて、地を這うようにのたうち回る。
片足で身軽に着地すると、今度は後ろに回り込み、長い尻尾に刀を突き立てては抜き、突き立てては抜きを繰り返している。
陸の顔はまるで、狂喜に満ちた笑みを浮かべている。
陸は、成仏させようとしている訳ではない、ただ痛めつけて遊んでいるだけだ。
その証拠にわざと急所を外していることを、明日馬は悟った。
「止めろ!」
叫び声に反応した陸は、突き立てようと振りかぶった手を止める。
陸は、ゆっくりとその声がした方向を見る。
鮮血のような真っ赤な髪が、目を焼き付けて、更に唇を歪ませると、ふん、と嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「誰かと思ったら、裏切り者の日向明日馬かよ。この期に及んで、まだ、刀で斬るなとか言うつもりか?」
その瞬間隙ができ、自分の上からどかそうと、力を振り絞り拳を振るう。
動きを読んでいたのか、陸は刀を持ち上げ、拳に突き刺した。
鮮血を派手に飛び散らせながら、満月は、虚しくその場にうずくまった。
明日馬は、ぐっと奥歯を噛み締めると、鋭く陸を睨み付けた。
「確かに俺も、化け物は斬るべき存在だと思ってた。だって、それが霊媒師としての役割だから。でも!でも、今は違う!確かに化け物は斬らなきゃいけない存在だけど、化け物は本来は人間なんだ!だから、料理人がいる限り、刀なんかで成仏させちゃダメだ!!」
明日馬の決意が、辺りに轟く。
いつの間にか変わった心情に、流星は意表をつかれたような顔をしている。
「日向、お前…」
すると、明日馬の回りに赤い閃光が現れたかと思うと、ブレスレットがドクン、ドクン、と脈を打ち始めた。
「なんだ、これ…。ブレスレットが…っ」
陸は、「あはははは!」と大声で嗤うと、刀を引き抜き、明日馬に突きつけた。
「上等じゃねぇか。抜けよ、刀。お前が俺に勝ったら、お前のやり方で成仏させてやるよ!」
「解放せよ!」
明日馬は、まるで刀に誘導されるかのように、号令を叫ぶ。
(体が、軽い…っ!)
明日馬は、この前まで、鉄の塊のように重かった刀が、紙切れのように、軽く感じた。
明日馬は、地を蹴ると、一瞬で、陸の懐に飛び込んだ。
「げ!」
陸は、不意をつかれたような声を上げて、慌て刀を振るい受け止める。
「遅い」
ドゴォ!!
明日馬が、刀を振るうと、陸の身体から熱い血潮が吹き出し、その場に倒れ込んだ。
陸は、重い腕を持ち上げようとすると、ふと気づいた。
(血が出てない…)
「なんだよ、脅かせやが…っ」
陸は、余裕の笑みを浮かべながら、幻覚だったのかと思い、立ち上がろうとしたが、虚しくも再び地面に倒れ込んだ。
ザ、と明日馬が陸の前に躍り出ると、
「俺の、勝ちだ」
と、ただただ淡々と告げた。
(俺が、負ける?料理人の見方をするこいつに?嘘だろ?)
陸は、ぐっと拳を握り締める。
「ちくしょぉおっ!!」
真昼を抱きながら、心配そうにこちらを見つめる流星に気付き、明日馬は、チラリとそちらを見やる。
「日向、お前…っ!」
明日馬は、流星の言葉を全て無視して、口を開く。
「いいか、良く聞けよ、諸星。俺があいつの相手をする。だからあんたはその間に、料理をしろ!」
思いがけない提案だった。
こんな状況で料理をしろと言うのか?
「何言ってんだ!お前一人で、満月と戦える訳…っ!」
言い終える前に、空音に続きを遮られると、目で何かを語りかけて来た。
「真昼…だったっけな、あんた。怪我はもう大丈夫だろ?」
言われて怪我の痕を確認する、確かに痛みはもう消えてはいるが、再び刀を振る気力が全て回復した訳ではない。
だが、諦めてため息を吐く。
「当たり前でしょ。私を誰だと思ってんのよ」
半ば虚勢のような台詞を漏らし、ゆっくりと立ち上がる。
「お、おい!」
口を開いた流星を、今度は真昼が制した。
「分かってるわよ、絶対傷つけたりはしないって約束するわ」
一瞬なんのことか理解出来なかった流星だったが、満月の咆哮により全てを理解した。
「女は、女同士の方がいいでしょ!」
威勢のいい掛け声と共に、真昼は刀を握り直し、風を見に纏いながら突進した。
◇◆◇
ブンッ!!
化け物と化した満月は、真昼を目掛けてぬめりのある尻尾を振りかざす。
ドゴォッ!!
しかし、それは真昼ではなくコンクリートを叩き付けただけだった。
真昼は、なるべく店から遠ざける為、攻撃をかわしながら走る。
ブォッ!!
今度は、鋭い爪で昼禅寺の身体を掴もうと手を伸ばすと、またも地面を砕くだけで、あっさりとかわしてしまう。
(さすがに、刀を使えないでこればっかじゃ、身が持たないわ…)
「グォオォオッ!!」
満月が、咆哮すると、先程まで光沢のある体が、岩のように固く変化する。
「しまった!変化だわ!」
変化、即ち、化け物が最も強くなることを表す。
「普通の霊なら変化するまで、もっと時間がかかる筈よ!例えあの子が、元霊媒師だったとしても!なのに…っ!」
なんで、と言おうとして、真昼ははっと息を飲んで、あることを思い出した。
そう、自分が刀で斬ったと言うことを。
その効果が今現れたのだ。
満月は、完全に変化を遂げると、真昼を捕らえた。
真昼は、たったその一睨みだけで、全身の骨が砕けそうな程に、ビリビリと電撃が駆け巡った。
真昼は、呆気なく地に膝をつく。
(馬鹿…。こんなん、勝てる訳ないじゃない…っ!)
全部諦めかけた瞬間、脳裏に流星の笑顔が浮かんだ。
真昼は、ぐっと奥歯を噛み締めて、後悔の念に苛まれ、ある記憶が、脳内を駆け巡った。
まさかその問題が、こうして自分に降りかかるなんて思いもよらなかった。
まさに、身から出た錆である。
しかし、真昼はそんなことは口には出さず、あくまで余裕な笑みを浮かべる。
「だったらなんだって言うのよ…っ!私は、あの人の…っ!」
真昼は、途中で言葉を途切れさせると、意を決したような目で満月を見る。
「天道天使の右腕なんだからっ!!」
それはまるで、自分に言い聞かせるかのような台詞だった。
真昼は、刀を構えるが、あくまでも戦わない決意で、化け物に突進して行った。




