【二十九皿目】味
漸く料理が決まり、身体を起こして台所に向かおうとした時、カラカラと戸が空いて、その場にいた全員が一斉にそちらに視線を投げる。
身体が透けている。
客だ、と流星はすぐに反応するが、今日は帰ってくれ、と追い返そうとした。
しかし満月が駄目だと短く説教すると、許可もなくカウンターに通した。
客は二十代くらいの男性で、喋り方から関西だと言うことが分かった。
自分がなんでここにいるのか、ここがどこなのか、全く理解しておらず困惑している男を、皆で嗜める。
すぐに何が食べたいか分かった流星は、キャベツを千切りにし始める。
ボールの中にすり鉢ですった粘り気の強い自然薯を、水で溶いた小麦粉に混ぜ合わせて更に練る。
別のボールで溶いた卵と、先程の粉に千切りキャベツを混ぜ合わせる。
鉄板がないので、変わりにフライパンに油を敷き、粉を入れて豚肉を入れて焼いていく。
仕上げにヘラでソースをコーティングし、あおさを振り、鰹節をかけ、紅しょうがを付け合わせれば完成する。
その料理と言えばそう、お好み焼きである。
男は目の前に出された料理を見て、思わず目を凝らす。
「なんで分かったんや?俺が今いっちゃん食べたいもんが、お好み焼きやて…」
「見えるんだ、あんたが一番好きな食べ物が」
と、流星は満面な笑みを浮かべる。
先程まであんなに感傷に浸ってたのに、こういうところはさすがプロである。
男は堪らずごくり、と生唾を飲むとゆっくりと一口口の中に入れた。
「美味い!」
「だろ?」
男は一口、また一口と口の中へと料理を胃袋に納めて行く。
あっと言う間に皿は綺麗になり、男は豪快に、
「めっちゃ美味かったわ!ありがとやで、兄ちゃん!」
と言った。
男はこの店の全員の視線が、自分に注目していることに気付いて思わず動揺する。
「なんでっか?俺、なんかまずいこと言いました?」
言ってみたはいいものの、もちろん思い当たる節などない。
自分はただ意味も分からずこの店に来て、意味も分からずお好み焼きを食べた、ただそれだけだ。
なのになんで、この店の人達はこの世の物ではない物を見るような視線を送って来るのか?
「成仏しない…」
流星が言う。
しかも、一番好きな料理がまだ見えている。
まさかまた平岡夫婦みたいに、ある人と一緒に食べたい、とでも言うのだろうか?
この場にいる誰もがそう思っていた。
「どうでした?彼の料理は?」
真っ先に冷静さを取り戻したのは、明日馬だった。
すると男は一口お冷やを飲んで、
「美味かったで?ほんまほんま!でも、なんかこう…違うんよなぁ…」
「違う?」
「お好み焼きはお好み焼きなんやけど、なんかちゃうねん。なんやろなぁ?」
男は歯切れ悪く首を傾げる。
お好み焼きも今や関西圏ではなく、全国に古今東西のものがあるが、まさかまたあの手この手で違う調理法を考えろとでも言うのだろうか?と愕然する。
「でもまぁ、美味かったから、金はちゃんと払うわ。
おいくら?」
ポケットから財布を出そうとしたが、日向が止めて、事情を説明した。
男は暫くの間、理解することを拒んでいたのか、はたまたただ意味が分からなかったのか、ぽかんと口を開けていだ、
「そうか、俺死んだんや…。最後にもう一回くらいあのお好み焼き、食いたかったなぁ…」
と言った。
◇◆◇
男の名前は、誠道誠と言った。
なるほど、名前の通り誠実そうな男だと流星達の満場一致の思いだった。
でもそれなのに、何故幽霊になったのだろうかとも思った。
誠実すぎるが故に騙されやすいのか、あるいは気苦労が絶えない人生だったのかなど、各々に思いを巡らせていた。
男は和子の時同様、成仏するまで店に居候することになり、また店は賑やかになった。
しかし、何故お好み焼きを食べても成仏しなかったのだろう?
聞けば、男は最初に食べて感激してから、ずっと通い続けていたお好み焼き屋があるとらしい。
そのお好み焼きは、他の店とは全く違うのだそうだ。
どの辺りが違うのか聞くが、肝心なところが分からないらしい。
「すんませんなぁ、何せマスターとはそんな話したことないから…」
理由はそれだけではないことは、流星は分かっていた。
幽霊になり成仏できない期間が長引けば長引く程、記憶は抜け落ちて行くのである。
流星は仕方ない、とある人物を訪ねる為、満月、夕季、真昼を店に残し、明日馬だけを連れて店に向かった。
散々連れて行けとごねられたが(特に真昼に)、当然の如く無視した。
◇◆◇
夜の町を今日最後の運行のバスに三十分程揺れられて、商店街に辿り着いた。
夜の商店街は、会社帰りのサラリーマンで賑わっている。
例の金物屋に行こうとした時、背後から声を投げ掛けられた。
振り返ると、自分達が来るのを待ちわびていたかのような、たおやか胸の女性が立っている。
女性の正体は言わずもがな、空閑空音である。
空閑は二人を商店街ではなく、表通りへと案内した。
交差点の抜けた道路脇に、四人乗りの赤い軽自動車が止まっている。
空閑はさっさと運転席に乗り込み、エンジンを吹かすと二人に乗れとばかりに後部座の窓を開けた。
顔を見合わせた二人は、素直に従い後部座席に乗り込んだ。
「行くぞ、大阪!美味しい酒と食べ物があたしを待っている!」
その掛け声と共にアクセルを踏み、颯爽と夜の町を走り出した。




