【二十八皿目】天道天使《てんどうあまつか》
翌朝、満月の部屋で眠ってしまった流星が目を覚ますと、満月は既に起きて身支度をしていた。
「起きた?」
流星は、思わず目を見張る。
そこにはいつも胴着やパンツ姿の、ボーイッシュな服装ばかりの満月とは違い、紺色のセーラー服の清楚で気品のある姿だったからだ。
それは、流星が初めて見る、満月のスカート姿である。
物珍しそうにジロジロ見つめられて、満月は不快そうな顔をする。
「何よ?ジロジロ見て」
「いやぁ、あんたのスカート姿なんて初めて見るからさ、やっぱ女の子なんだなって」
「馬鹿なこと言ってないで、諸星もさっさと支度しなさいよ」
いつもと同じ調子で振る舞う満月に、流星は安堵して思わず笑みを溢すと、軽く頚を傾げる。
「支度?」
「制服。今日から私達と同じ学校よ」
そんな話は全くもって初耳だった。
自分の部屋に戻ると、壁には昨日まではなかった、今後の成長を見越したことが分かる、少し大きめの真新しい真っ黒の学ランが用意されていた。
後から天道が、言うの忘れた!と酒瓶片手に悪びれもなく言い放った。
天道の酒豪っぷりはこの頃からで、四十度を越えるウイスキーやウォッカなどのロシアの酒を、一晩で十本開けても顔色を変えることすらないのだから、ザルを超えてワクの粋だ。
これだけ酒好きなら、当然タバコも好きだろうと思っていたのだが、今のところタバコを吸ってるところを一度も見たことがない。
聞けば、料理人だから酒を飲んでもタバコは吸わないのが彼のプライドらしい。
学校まではバスで通えるところにあり、道場から三㎞程歩いたところにバス停がある。
真っ青な空は白い雲が緩やかに流れていており、雀や鶯の綺麗なコーラスに加え川のせせらぎが
、まるでBGMのように流れてくる。
車の通りはあるものの、三十分に三、四台通る程の田舎町である。
二人は、バス停で肩を並べて待っていた。
昨日あんな顔を見られたもんだから、少し気恥ずかしかったが、満月は何かを聞いて来る様子はなく、ただ黙って待っている。
元々大人しく黙っているタイプではない流星は、堪らなくなって静寂を破った。
「そう言えばさ、あのおっさんって何者なんだ?」
おっさんとは誰のことかすぐに察しがついた満月は、思わず笑いそうになるのを堪えた。
「天道天使のことね。あの道場の師範代なんだけど、唯一料理人と霊媒師両方の能力を持ち合わせてる人よ。どちらかでもなかなか難しいのに、どっちも持ってるんだから相当凄い人よ」
そんな凄い人には見えねぇんだけどなぁ、と流星はイマイチ信用できなかった。
流星がいつも見ている天使は、厳つい《いかつい》顔に似合わないメルヘンな名前で、何考えてるのか分からなくて、偉そうで、だらしなくて、人使い荒くて、大酒飲みで、博打好きで…と、悪い印象しか思い付かない。
満月も否定することはなく、笑って「そうね」と同調する。
「でも、あの人がいなかったら今は私はここになかったから。あまり悪く言わないであげて」
ふと流星は、ずっと胸のうちに閉まっていた疑問を投げ掛けた。
「で、気になってたんだけど、なんでお前はあの道場に来たんだ?俺なんにも知らねぇんだけど」
その一言で、先程まで笑っていた満月の顔が曇った。
漸くバスが来て満月は何も言わず、足早にバスに乗り込んだ。
◇◆◇
それから二ヶ月くらい経ってからだっただろうか、それは七月の、太陽が入道雲の隙間からギラギラと降り注ぎ油蝉がうるさい頃。
それは、昼食を中庭で二人で食べていた時。
ようやく満月が、自分がここに来た理由を教えてくれた。
五歳の時に両親を亡くし、親戚中をたらい回しにされていた時、化け物に襲われたところを天使に救われ、親代わりとして育ててくれたのだそうだ。
「そっかぁ。月見里も結構苦労したんだなぁ…」
流星は自分で作った弁当の卵焼きを、箸でつつきながら言った。
「お互い様よ。でも、だから流星に会えたんだもの。それでいいじゃない」
「そりゃあそうだ」
とお互いに笑い合う満月の表情は、最初に出会った頃と比べて、随分と明るくなったものだと、流星は思う。
そういえば、天使がいつの日か言っていた。
この世に不変なものなんて、ありはしないのだと。
そして、そのきっかけを作ったのが、自分なのだともからかい半分で酒瓶を片手に言っていた。
二人は最初こそ、不幸な境遇の者同士と言う憐憫の情だけで接していたが、いつしかそれ以上の感情を持つようになっていた。
◇◆◇
放課後、蜩が鳴く夕暮れの道を、二人は手を繋ぎながら家路を辿っていると、そういえばと流星が、急に話題を変える。
「来週満月の誕生日だろ?」
「誰に聞いたの、そんなこと」
「おっさんに」
流星は、何回か満月に直接誕生日を聞いたのだが、いつもはぐらかされてなかなか教えてくれなかった。
だから、天使伝手に聞くしか、方法がなかったのだ。
満月は、あからさまに不機嫌な顔をすると、絡めていた手を話して距離を取る。
「私、誕生日はいい思い出がないの。だからこの話は終わり」
だが流星は身を引くことはせず、ぐい、と満月の手を引っ張った。
「祝わせてくれよ、誕生日くらい!お前が一番好きな物作るから!」
満月は、敏感にその言葉に反応した。
「教えてくれよ!満月の一番好きな物!」
ようやく、重苦しい空気が流れた。
満月は顔を合わせることはせず、
「ないの」
とだけ言った。
◇◆◇
自分が一番食べたい物がない人なんて、いるのだろうか?
あれから流星は、ずっとそのことばかり考えていた。
なんとか誕生日会を開くことをこじつけられたが、何を食べさせたらいいのか、まるで思い付かなかった。
満月の誕生日まで、あと一週間しかない。
それまでに考えなくてはー…。
流星は、天使を筆頭に修行仲間に聞いて回ったが、どれもピンとこなかった。
誕生日なのだからケーキは欠かせないが、問題はメインディッシュだ。
誕生日だったら、何を食べるのが定番なのだろうか?
流星は、あらゆる手を尽くして満月が一番食べたい物…もとい、満月が何を作ったら喜んでくれるのかを、必死に調べ回った。
ああだこうだと考えているうちに、あっという間にその日が来た。
結局、満月が一番好きな物も、今食べたい物すら分からず土俵際に立たされていた時、あることを思い付いた。
それは、自分の両親が生きていた時の記憶。
貧乏でこそなかったが、特別裕福と言う訳でもなかった諸星家では、流星の誕生日くらいだけはと少しの贅沢を許されていた。
その時に、食べていたあの料理。
日本で家族や特別な日に食べるあの料理なら、もしかしたら満月は、気に入ってくれるかもしれない。
道場に通い続けて約半年の中で、まだないあの料理。
美味しい上に、高級品でもあり、更に作るそれ程手間もかからない、まさに打ってつけである。
流星は、それをメインディッシュにすることに決めることにした。




