【二十七皿目】雑炊
カウンターに置かれた生姜焼の香りが、部屋全体に漂う。
生姜の匂いが食欲をそそり、自然と生唾が沸く。
「初めて作ったもんだから、俺が味見してやるよ」
美味そうな香りに食欲が負けて、友達が真っ先に味見と称して箸を取る。
肉を掴み口に運ぶと、豚肉と玉ねぎの旨味が広がる。
美味い!と思ったが、言葉には出さなかった。
だが言わずともとろけるようなその表情が、全てを物語っている。
友達がついついもう一口と箸を進めようとしたが、流星の意地悪い台詞を紡ぐ。
「あれ?味見じゃなかったっけ?」
唇にはニヤニヤと嫌らしい笑みを携えていて、友達は居心地が悪くなった。
「う、うるせぇ!一口じゃ分からねぇから食べてやるって言ってんだ!」
すると、友達を傍らで物欲しそうに見つめていた見習いの一人が堪らなくなって、口を開く。
「あ、あの!私も味見していいですか?」
「いいぜ、食えよ。良かったら他の奴らも」
同様に、物欲しそうに生姜焼を見つめていた見習い達も、お互いに顔を見合わせると慌てて箸を準備する。
更に至近距離で見る生姜焼は、一層美味しそうなフォルムを纏っており、生唾が湧き出して来る。
三人ほぼ同時に箸をつけて口に入れると、ビリビリと電撃が走ったような感覚を覚えた。
それから、すっかり味を占めて残りの生姜焼も食べようと箸を伸ばすと、ずっと観察してた友達も慌てて参加する。
一人分の生姜焼は、ものの数秒で四人の胃袋へと消えた。
四人はハッと我に変えると、ここが食事をする場所ではなく自分達が料理をする場所だと言うことを思い出して、各々の持ち場へ戻った。
流星は入り口付近で様子を伺っていた天使が、指を咥えてまるで子供のような熱い羨望の眼差しをこちらを向けていることに気付いて、気持ち悪そうに後退る。
「あとで楽しみにしてるよん♪」
それだけ言うと天使は軽く手を振り、どこかへと消えて行った。
◇◆◇
時計の音が19時を告げた時が、夕食の時間である。
流星は自分の食事は別に取っておいて、予め作っておいた雑炊を満月の部屋へ運ぶ。
満月の部屋は師範代と言うこともあり、皆と同じではなく特別に個室が儲けられていて、その部屋に足を踏み入れられる者は天道以外許されなかった。
しかし今は事情が違う。
天使に特別に許可を取り、流星は部屋の扉をノックした。
いいわよ、と返事があって漸く扉を開けた。
電気を付けると、東側の窓際のベッドに満月は寝ている。
間取りは八畳程の一人で、使うには少し広く感じる大きさで、床も畳ではなく木だった。
窓には水色のカーテンが設置されていて、あとはちょっと書き物や読書ができるぐらいの、それでいて物の価値などまるで理解できないでさえも、立派だと思えるくらいの猫足の机に、これまた立派で小難しそうな本が並ぶ本棚があった。
それ以外には、今時の中学生が好きそうな流行りのキャラクターのぬいぐるみや、可愛い小物入れすらない飾りっ毛のない部屋だった。
(これが女の子の部屋なのかぁ…)と、女性の部屋なんて、母親の部屋くらいしか知らない流星の感想である。
流星は机に雑炊を置くと、満月の様子を伺う。
「飯だ。食える?」
満月はゆっくりと起き上がった。
いつもきちんと整えている身嗜みが、今日は少し乱れていて、それを見られるのが嫌なのか満月は目を合わせようとしない。
流星は椅子を引いて座り、粥をよそうとふーふーと冷ます。
それを不快そうに、満月が見つめる。
「じっ、自分で食べられるわよ!」
不機嫌そうに言われたが、案外元気そうな様子に流星は少しほっとした。
満月は半ば強引に皿を取り、ふーふーと冷ましてから、一口流し込んで嚥下した。
口の中に優しい、鰹だしの味がする。
「美味しい…」
満月は思わず声に出して、咄嗟に顔を背ける。
「べっ、別に美味しくなんか…っ!」
「今美味いって言ったじゃん!」
「言ってない!」
顔を真っ赤にさせながら、飽くまで意地を張る満月がおかしくて、流星は思わず声をあげて笑う。
何がおかしいのよ、と満月は唇を尖らせて流星を睨むが、流星は暫く笑っていた。
◇◆◇
「ごちそう様でした」
満月は、米粒残さず綺麗に完食した。
「お粗末様でした」
それから二人は、暫く俯いて沈黙を続けていたが、それを打ち破ったのは満月の方だった。
「さっきはごめん。あんなこと言って…」
あんなこと?突然の謝罪に、流星は小首を傾げる。
「あなたの目のことすぐに認めなくて…。それに弱い弱いって散々馬鹿にして…」
ポツリポツリと満月は言葉を紡ぐ。
流星はにんまりと屈託のない笑みを浮かべて、
「いいって、いいって!俺が弱いことくれぇ、自分で分かってるし」
と言った。
「それにしてもお前凄ぇよなぁ。化け物と戦えるし、怪我も治せるし。俺もお前みてぇに強かったら…」
中途半端に言葉を切られて、満月は不思議そうに流星を見る。
やっと合った瞳は、うっすらと涙で濡れている。
「お前みてぇに強かったら、父ちゃんも母ちゃんも死ななかったのかな…」
と続けた。
満月は流星がここに来た理由は、全て天使から聞いていた。
満月だけではなく、この修行者の皆はそれぞれの事情をちゃんと知っている。
両親の死が、不慮の事故であるこも。
いつもヘラヘラして苛立ちを覚えるくらいの、余裕な笑みを浮かべて振る舞っていた流星の、初めて見る表情だった。
満月がここに来た理由もまた、流星と似たような動機であった。
だから凄く胸を締め付けられた。
そんな流星を見かねて、満月は顔を背けると、
「いいよ、泣いて。誰も見てないから」
と言った。
これが彼女にとって不器用ながらも、精一杯の優しさだった。




