【二十四皿目】朝と夜
早朝、まだ人が眠りから冷めぬ時間帯、辺りは静まり返っている。
しかしその静寂は化け物の咆哮によって引き裂かれた。
化け物の狙いは、二人の人間である。
ザン!鋭い爪で引き裂いて、血飛沫が飛ぶ。
仕留めた、そう思ったがそれは間違いであることに気付く。
先程まで目の前にいた獲物がいないのだ。
すぐ様次の手を繰り出そうとしたが、動けない。
「いいこと教えてやろうか?」
男の声が頭上から聞こえる。
「刀は痛みを与えるだけじゃねぇんだぜ」
体に冷たい金属が突き刺さっていることに、ようやく気付いた。
確かに身を切り裂かれたのに、痛みが全然ない。
動揺していると、目の前には岡持ちを持った女性が立っている。
新しい獲物だ、そう認識こそはしたが身動きが取れない。
すると、辺りに美味しそうな匂いが漂う。
香ばしい魚の香りが鼻を刺激する。
「これでしょう?あなたが今一番食べたかった物」
女性の手には焼き魚定食があった。
その香りがたまらずだらしなくダラダラと涎が垂れる。
もう頃合いと、男は自分に突き立てた刀を抜くと、地面に降り立った。
「もう動けるだろ?食えよ」
ようやく自由になり化け物は先程まで殺したくて堪らなかった感情など忘れて、盆の上に乗ってる箸を取り綺麗に割る。
鯖に箸を入れて口の中に放り込む。
塩加減もいい塩梅である。
勢い付いて残りの魚で胃袋を満たして行く。
あっと言う間に皿が空になると、辺りを目映い閃光が包み、老婆が姿を表した。
「良く分かったわねぇ。私が今一番食べたい物」
「当たり前ですよ。だって、見えてるんですから」
濃い緑の髪と浅葱色の瞳をした女性が、無表情で答える。
「焼き魚はね、初めて付き合った彼が最初に奢ってくれた料理なの。ああ、彼って私の前の彼氏なんだけどね。
色々あって結局別れちゃったんだけど、ずっと忘れられなくて」
老婆はまるで恋をする乙女のような表情をしながら語る。
「次生まれ変わって来る時は、もっと美味いもん食えるぜ」
「そうだといいわね…」
女性は涙を流しながら、天へと旅立って行った。
「一仕事したら腹減ったなぁ! 帰ってなんか作ってくれよ、麻亜夜」
男は背伸びをして欠伸混じりに言う。
「嫌ですよ。私は幽霊専門の料理人ですから。人の為なんかには作りません」
麻亜夜と呼ばれた女性は、ポーカーフェイスを張り付けたまま冷ややかに言うと、スタスタと帰路につく。
「酷ぇなぁ。俺と麻亜夜の仲じゃねぇかよ」
男は甘えた声を出してすり寄って来る。
「そんな仲になったつもりはありません」
麻亜夜はピシャリ、と反論しうざったそうに肩に置かれた手を払い退けた。
男の名は朝霧朝成。
アッシュの髪に漆黒の瞳の青年で、斬っても痛みを与えない特殊な刀を持つ。
一方、麻亜夜と呼ばれた女性の本名は十六夜麻夜。
濃い緑髪と浅葱色の瞳が特徴の料理人である。
彼らは、今までの霊媒師や料理人とはまた一線を画していた。
◇◆◇
一方、流星軒では流星が、苛立ちを感じていた。
月見里の気配が薄くなっている。
それは、化け物になるまでの最終警告である証だからである。
流星は、明日馬の言葉が脳裏に蘇った。
「化け物になったら月見里さんは俺が斬る」
確かにそう言っていたのだ。
「なぁ、やっぱり化け物になったら斬らなきゃいけねぇのか?」
唐突に聞かれて、明日馬は一瞬戸惑った。
「お前言っただろ。化け物になったら満月を斬るって」
そういえば、そんなことを言ったような気がする。
明日馬は、目を閉じてゆっくりと話しだした。
「幽霊人間のままなら別に特別害を与えるようなことはない。でも化け物になったら話は別なんだ。化け物になったら幽霊を喰らったり、時には生きた人間を襲う。だから斬らないといけないんだ」
くそっ!流星は壁を思い切り殴り八つ当たりした。
これだけ食わせても成仏させることができない。
焦燥感だけが募る。
「流星…」
満月が心配そうな顔をしている。
情けない、流星は己の未熟さに憤りを覚えた。
改めて今まで書き続けて来た、満月ノートを見る。
でもやはりヒントなんて乗ってない。
あらゆる手を尽くした。
でも…。
その時、店の扉が開く音がした。
新しい客だ。
(そんな場合じゃないのに!)
「悪い、今日はもうやってねぇんだ…」
「ごめんなさい、一応日向君に呼ばれたんだけど…」
来訪者は客は客でも、夕季と真昼だった。
珍しい組合である。
「日向が呼んだってなんで…」
「あれから私達も満月を成仏させる方法を考えてたのよ。べっ、別にあんたに会いに来た訳じゃないんだらから!」
聞かれてもいないことを、真昼はつっけんどんな口調で言った。
あの一件の後、二人は同じ高校なこともあってか(主に自分の気になる人に、共通点があったから)、いつの間にか和解したのだと言う。
「真昼ちゃん心配してたんだよ、諸星君が常陸君に大怪我させられたって聞いて」
全く素直じゃない真昼に、クスクスと七夕が笑う。
「うるさい!心配なんかしてないって言ってるでしょ!」
顔を真っ赤にして真昼は夕季に食ってかかる。
二人の来客により店内は一気に賑やかになった。
◇◆◇
流星は我が先にと自分の隣に座った昼禅寺を、不思議そうに見た。
あんなに明日馬と夕季を敵視してたと言うのに、どういう風の吹きまわしだろう。
「あれから日向君に頼んで例のノートをコピーして貰ったの」
夕季が鞄からB4のコピー用紙を取り出した。
「それでね、やっぱりタピオカが成仏する引き金なんじゃないかって思ったの」
「でもあれからもう一度試したけど、全然成仏しなかったし、光すら現れなかったんだぞ?」
「それはそうなんだけど、それ以外にも病院で飲んだ時と、お店で飲んだ時と違うところがあったと思うんだ」
流星は腕組みをして記憶を巡らせる。
病院で飲んだ時と、店で飲んだ時の違い…。
流星は考えあぐねて、呻き声を上げる。
分からない、病院で飲んだ時と店で飲んだ時の違いなんて…。
その時、ふとある記憶が蘇った。
それは、平岡夫婦が訪れた時の記憶。
最初に奥さんに一番好きな食べ物を食べさせたにも関わらず、成仏しなかった。
だが、旦那である忠平と一緒に食べたら成仏したのだ。
その時に和子が言っていた言葉を思い出した。
「できれば、あの人と一緒に食べたかった…」
その言葉はまさに、満月が言っていた言葉と同じ物であった。




