098.お茶と聖典
「こんにちは、イングリッド様。本日はお招きいただき感謝いたします」
「こんにちは、迷宮主様」
今日のホストである聖女様は、前回見た時と同じように、純白のローブに身を包んでいる。
「ご立派なお屋敷ですね」
ここは豪華な屋敷が連なる貴族街の一角。
指定された場所というか馬車で送られた場所にあった彼女の屋敷も、その土地に相応しくかなり大きなものであった。
「警備の観点からこのような大層な場所に滞在することとなりました」
周囲の他の家よりは装飾を抑えた作りになっているとはいえ、その広さだけで豪華な住まいであることは間違いない。
特に教会は清貧を尊び、修道士は集団生活を基本としているとらしいので彼女の暮らしは特別待遇なのだろう。
「信徒は質素な暮らしをしているのに、と軽蔑なさいますか?」
少し困ったような表情をする聖女様の質問に首を横に振る。
「いえいえ、イングリッド様のお立場を考えれば当然の措置かと」
聖女様っていうのはその響きから想像する通り、かなり偉いらしいからね。
おそらく一人住まいを想定されたその屋敷はそれでも二階建てに部屋が複数用意されているのが窓の配置から見て取れる。
それに柵で囲われた庭は屋敷から四方へとスペースが広がっており、隣の屋敷の敷地とも十分な距離が取られている。
むしろよく城壁で囲まれたこの王都でこれだけの土地を確保できるなと驚く部分はあるけど。
これなら侵入者の察知も容易く、警護はとてもやりやすいことだろう。
実際屋敷の外には警護の人間がいて、入ってくる時には俺も確認されたし。
逆に彼女が狙われた流れ弾で近くの人に危害が及ぶなんてこともないだろう。
本人に贅沢をする意思がなくとも、相応の扱いをする必要があるのは理解ができた。
「とはいえ、このお屋敷にお一人では広さを持て余しそうですね」
豪華ではあれ、これだけ広く更に警備の行き届いた場所にいれば、さながら篭の中の鳥の気分になりそうだ。
彼女も行動を制限されているというほとではなく、他にお仕事もちゃんとあるようだけれど、それでもこの屋敷は窮屈そうだ。
まあ俺なら引きこもっていいと言われたらいくらでも引きこもれるけどね。
「はい、ですからそういった意味でも迷宮主様には来ていただいて感謝しています」
「お役に立てたのなら光栄です、イングリッド様」
「それではこちらへどうぞ。今紅茶を淹れますね」
案内されたのは屋敷の中ではなく庭に用意されていたテーブル。
その脇に置かれた椅子に腰を下ろすと、彼女は向かいでお茶を淹れてこちらへと出してくれる。
そして彼女自身も腰を下ろしてカップへと口をつけた。
案外庶民的というか家庭的なのかな。
まあこの時代の庶民の家で紅茶が出てくるのかはともかく、聖女様はその肩書きよりも思ったより偉そうな人じゃないみたいだ。
彼女の生い立ちを考えればこっちの方が自然なのかな。
聖女というのは神より特別な力を授かった者のことを言うらしい。
そしてそんな聖女様は世界にも数名しかいないそうなのだが、聖女となる経緯は様々なようだ。
生まれた時から力と共に神託を受け聖女として育てられる者、一般人の中から突如力を授けられる者。
調べた経歴では、彼女は後者に当たるらしい。
ちなみにここまでは、ちょっと調べようと思えば誰でも得られる情報ね。
「とても美味しいです、聖女様」
「気に入っていただけたのならよかったです」
同じようにカップに口をつけた彼女が、俺の言葉に笑顔を浮かべる。
その表情はギルドで話した前回よりも柔らかく、こちらの方が彼女の素に近いのかもしれない。
「そういえば、大事なことを聞き忘れていました」
「なんでしょう?」
「迷宮主様のお名前です」
「あー……」
名前、名前ね。そんなものもあったかな。
「お聞きしないほうがよろしかったでしょうか?」
俺の反応に聖女様が困ったような表情を浮かべるので、それを笑って誤魔化す。
「いえ、問題ありませんよ。私の名前はユウキと言います。とはいえこちらに来てからは名乗ることもほとんどありませんので、イングリッド様も依然と変わりなく迷宮主とお呼びください」
「わかりました。ところでこちらに来てからというのは?」
「私は遠い土地からこちらに来たのです。名前の響きが異国のものになるのもそういった理由ですね」
「なるほど」
俺の名前は明らかにこの国の物ではないのでそう言い訳をしておく。
流石に異世界から来ましたとは言えないしね。
「ちなみに来た理由については少々込み入った事情がありますので、今は聞かないでおいてください」
「わかりました」
まあ個人的には前世の話は聞かれて困る過去って程でもないんだけど。
問題は推定神に連れてこられて強制的に魔物にされたって部分が、教会的にどう扱われるかわからないから困るのよね。
「それでイングリッド様。本日のご用件なのですが」
「そうでした。神の教えをとのことでしたね」
そう、今日は神の教えを学ぶためにここまで来たのである。
まあ本音を言えば神の教えを知りたいわけじゃなくて、教会の考えと方針を知って対策をするためなんだけど。
「それでは、まずはこちらをご覧ください」
と言って差し出されたのは一冊の本。
表紙には知らない男が描かれている。
とはいえこの世界じゃたぶん一番有名な人物だろうけど。
そしてページは辞書かな?ってなる厚さだけどまあ中身はわかるよね。
「こちらは我らが主が神の位に着くまでの道程を記したものであり、前典と呼ばれています」
「つまり神が神になってからの書が後典ですか」
「ええ、そしてその二つを合わせた総称が聖典となります」
あっちの世界の旧約新約みたいなもんかな。まああれは生まれる前後っていう違いはあるけど。
「こちらの神は世界の創造主じゃないんですね」
「ええ、世界は既にそこにあり、そこに秩序をもたらしたのが我らが主となります」
じゃあ全知全能でも無いのかな。
一神教ってとりあえず神を全知全能の創造主にしがちだけど、そうじゃないのはやっぱり実話ベースだからなのだろうか。
「それでは、最初から読んでいきましょう」
「ええ」
ということで実際に読んでみると、わりと内容が面白い。
文章自体は硬めなのだが、そこは聖女様の解説付きだと理解の助けになるし内容は崇められる神の行いとは思えないほど自由である。
「しかし6歳で邪竜を狩ったというのは俄かに信じ難いですね」
まだこれが幼少期を書いた序章の範囲内の訳だか、それでも偉業と言って差し支えないであろう行いがどんどん出てきてウケる。
「それこそが、主が選ばれし者としてこの世に生を受けた証なのです」
凄い力があるから神になったのか、神になるべくして凄い力が授けられたのか。
どっちかは分からないけど本人的にはまあどっちでもよかったんだろうなきっと。
「なるほど、つまり神は生まれながらに膨大な魔力を有していたということでしょうか」
子供でありながら竜の討伐を成し遂げたというならそういうことなんだろう、と推測したのだがそうではないらしい。
「主は特別な力を持ち、それを用いて人々を救われました。その力を神力と今の世では呼ばれています」
神が人の頃に魔力を用いない力を使い、そして神になった後に神力と呼称されるようになったという流れ。
「ということはイングリッド様が使われる力も?」
「はい。私の力は癒しの言葉。その言葉によって傷や病を癒すことができます」
傷は治癒師の術でも直せるが、病はその範囲外だという。
なので彼女がこれだけ厳重に警護されている理由にも納得がいくというものである。
しかし神の力か。
本当なら興味深い。
俺の心の中の悪魔が「力が欲しいか……」って囁いてくる訳じゃないけどね。
あればダンジョン運営に活用できそうだし。
まあそんな簡単に手に入るものでもないだろうけど。
「イングリッド様の力について、もっと詳しく教えていただいてもよろしいですか?」
「そうですね。私の力は祈りを言葉とし、相手を癒すことができます」
「その言葉というのは決まった形があるのでしょうか?」
「いえ、私は聖典の中からその場に合ったものを引用していますがそれ自体に決まりはありません。重要なのは神への祈りと相手を癒すという意思です」
「なるほど」
運用はわりと自由度がある感じかな。
本音を言えばその能力について根掘り葉掘り聞きたいというかなんなら実証実験させてほしいくらいだけど、今これをすると露骨すぎるのでまた今度にしておこう。
幸いこうやって何度も話すことになるだろうしね。
それからも続けて聖典を読み進めていくが、結構な厚さのあるそれを半日で読むには時間が足りずまた後日に持ち越しということとなった。
「イングリッド様、一つお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「こちらの聖典を、一冊お貸しいただけませんか?」
「聖典をですか?」
「ええ、こちらの内容がとても興味深く一人で改めて読みたいのです」
「なるほど、それはとても良い心がけですね」
まあこう言っておけば悪印象は与えないだろう。
それに興味があるというのも嘘ではない。
「お借りしたものは次回に必ずお返ししますので、どうかよろしくお願いします」
「わかりました。ですが聖典は我々にとってとても大切な物になります。それを忘れずに扱うよう心がけてください」
「感謝いたします」
この世界で綺麗に製本された聖典は決して気軽に貸し借りできるほど安い価値の物ではないので、迷宮主が聖典に興味を持っているという状況が彼女の判断を後押ししてくれたんじゃないかな。
そも迷宮主って立場がなければわざわざこんなところまで来て聖典読むこともなかっただろうなんて話はおいておくとして。
ともあれこれにて初日は無事終了。
次回は聖女様の予定で10日後となった。
ダンジョン運営には直接関係ない案件だったけど、そういう偶にある案件の中では一番有意義な時間でもあったかな。
少なくとも王城に呼ばれたときなんかよりはずっと。
「お茶もありがとうございました。とても美味しかったですよ」
「それならよかったです」
最初はどうなることかと思ったけど、この聖女様が相手ならしばらくは穏便に話が進められそうかな。
そんな判断と共に、聖女様の屋敷を離れる前にもう一つだけ質問をさせてもらう。
「そうだ、最後に一つよろしいですか?」
「はい、なんなりと」
「それでは、仮定の話ですがもし私が神を見たことがあると言ったらどうしますか?」
「そうですね、仮定の話ですがもし魔に属する者でありながら神を見たと語るのであれば、それが証明できない限り神の行いを騙る者として滅さなければなりませんね」




