089.王城にて
王城の一室、その中にはアーシェラともう一人、男の影があった。
一室と言っても間取りは広く、その中央には長いテーブルが置かれている。
そこで向かい合って席に座り、食卓を囲っている男はアーシェラの父、この国の国王だ。
他にも兄弟姉妹はいるのだが、今日はその全員が都合がつかず二人きりの昼食である。
とはいえその立場から多忙なのは全員が同じく、アーシェラ自身もこの卓につかない日も間々あった。
それも王族特有の多忙さによるものだろう。
「ダンジョンの様子はどうだアーシェラ」
彼女の父、国王が先に口を開く。
「なにも問題はありません、お父様」
アーシェラが冒険者に混じりダンジョンを探索していることは周知の事実であり、それに対して批判や揶揄する声もあった。
それは貴族と平民という身分の絶対的な差であり、冒険者という職業への嘲りでもある。
最上位の冒険者であれば英雄譚で語り継がれるような存在でもあるが、一般的には根無し草の集団であり素行に問題がある者も少なくはない。
そんな冒険者に混ざりダンジョン探索をするという行為に風評が付きまとうのは、自然な流れだろう。
そして周囲から見ればその行為は、貴族としての責務を放棄しているように見えたかもしれない。
「お前から見て、迷宮主はどのような相手だ?」
「はい、通常の魔物と同列に考えるべきではない相手だと思われます。直接話をしましたが、論理的に対話をすることができました」
高位の魔物であれば人語を解する者も少なくはない。
とはいえそれは言葉が通じるというだけであり、対話が成立するケースは稀である。
その根底にあるのは価値観の相違。
個々が人間という種族よりも屈強な個体であり社会的な集団を形成することを必要としない高位の魔族などは、自身の力に価値観の前提を置くことが多い。
必要なら力で奪い、他の者を力で従え、不要なら力で排除する。
そういった行動理念で生きているというのが逆説的に強者ゆえと言えるのかもしれない。
その基準で言えば王都と冒険者に対して共栄関係を持つ迷宮主は大した力を持たないとも推測できた。
だからといって今現在にそれを排除することにメリットはない。
アーシェラの役割は言ってしまえば、その未来が来ないための外交担当のようなものであった。
「現状は人間を害する様子もありません。当人のダンジョンの繁栄が最大の目的という言をそのまま信用することはできませんが、利害の一致があれば交渉することができる相手かと」
「そうか……」
アーシェラが迷宮へと赴くと決めた時、彼女の父である国王はそれを止めようと考えていた。
それでも彼女の行いを認めたのは、本人の強い覚悟を見たからだ。
既にダンジョンは、王都の産業の一角といっても良い位置を占めている。
そんな相手に対して友好な関係を築くことが国益に繋がる、という彼女の発言には一理あった。
「ただ、懸念することが一つあります」
「言ってみなさい」
「はい、現状はダンジョンから利益を生み出している我が国ですが、周辺諸国にはそれを快く思わない国もあるでしょう。ダンジョンと共謀しているのでは、と教会へ圧力をかけられることも考えられます」
この世界での教会の権力は絶大だ。
もし教会から異端認定をされてしまえば、それだけで世界から孤立すると言っても過言ではない。
また国をまたいで信仰されるワグナリス教は民衆の倫理の基礎と言っても過言ではなく、民衆にも王家への不信感が広がるだろう。
もちろん一国に対して異端認定を出すことはほぼ起こりえないが、それでもありえないと無視するにはリスクが大きすぎた。
それにその事実を、交渉のカードとして使われることも考えられる。
「それともう一つ、こちらは推測ですが。もし冒険者が探索をすることに支障が出るような場合には、迷宮によって何らかの対応が示されるでしょう」
「それは武力によってか?」
「現在確認されている戦力であれば、王都の騎士団を用いれば問題なく対応できるでしょう。推測される総戦力でも、十分に防げると考えられます。ですので問題とするのは別の手段かと」
交渉による駆け引きは、既にこの王城でその手腕が見せられている。
一国の王としては損失を出していない結果だとしても、金貨1000枚という大金を渡すことになったのも事実だ。
少なくとも、魔物だからと一方的に侮れる相手ではないだろう。
「最後に、これは完全に私見なのですが」
「なんだ」
「もし我が国がダンジョンからの利益で力をつけ、それによって他国との戦争を起こすような場合には、それを止められるかもしれません」
「魔物が人間の戦争を止めるというのか」
この時代での戦争は、主に戦うのはそれぞれの王族や貴族に仕える騎士と兵士である。
冒険者は国をまたいだギルドという組織を母体としている性質上、そこに加えられることはない。
「確かに戦争が行われる場合でも、ダンジョンに入る冒険者の数が減る、といった直接的な影響は軽微かもしれません。それでも変化は生まれ、戦争が長引けばそれが大きくなっていくでしょう。更に言えば戦時下の経済的な影響も迷宮主は考慮に入れると思われます」
進軍するには様々な物資が必要であり、それは民衆にも大きな影響を与えることになる。
一部では特需のようになる部分もあるだろうが、総合的に言えば確実に負担の方が大きい。
それに直接武器を握るのは兵士でも、戦線が動けば民衆が戦火に巻き込まれるのは避けられない。
「それと迷宮主は、自身のダンジョンの影響で民の命が失われるという状況を快く思わないでしょう。正確には、ダンジョンの利益を発端に戦争が行われ、その結果として民の命が失われているという風評を、ということになります」
実際に、迷宮主はダンジョンが人間に受け入れられるように、宣伝と印象操作に近いことを行っている。
ある意味ではイメージ戦略と言い換えてもいいだろう。
それが傷つけられるのであれば、少なからずアクションが起こされるはずだとアーシェラは推測していた。
「それも、お前の私見か?」
「はい、私が迷宮主と直接対話して感じたことです」
「そうか。それをそのまま鵜呑みにすることはできんが、覚えておこう」
「ありがとうございます、お父様」
根拠のない推論で国を導く人間が動くことは出来ない。
とはいえ、実際に対話している者の言葉を聞き入れないのであればそもそもダンジョンへと向かわせている意味がないだろう。
そんな理屈の間で、国王は娘からの進言を胸に留めておくこととした。
「アーシェラ」
「はい、お父様」
「ダンジョンの影響力はこれからも大きくなっていくだろう。お前の対応がそのダンジョンと国との関係を左右するかもしれないことを、王族として確かに自覚して行動しなさい」
この言葉はとても重くアーシェラへと響く。
万が一彼女が致命的な失敗をすれば、それが数多の民衆を路頭に迷わせることもありえるのだ。
しかし彼女はその出自から、既にその覚悟を持って自身の役割を果たしていた。
その自覚を持ってしっかりと頷く彼女へと、国王が最後に付け加える。
「それと、くれぐれも、気をつけなさい」
「はい、お父様」
「アーシェラ様、よろしいですか」
食事を終え王城内の自室へと戻ってきたアーシェラに、部屋の外から声がかけられる。
「リーリエですか、入っていいですよ」
「はっ、失礼します」
丁寧に一礼をして部屋へと入る彼女へ、アーシェラが声をかける。
「それで、どうかしましたか?」
「はい、それがですね、ダンジョンへと教会の聖女が訪れ、迷宮主と王都にて会談を行ったようです」
「……、はい?」




