069.お姫様③
進行を再開し、9階層の中ほど、シュッと風を切るような音が微かに響いた。
それに反応して、先頭を歩くリーリエが右の細剣を切り上げるように振る。
音の発生源、前方の暗闇から飛来した矢が両断され、それと同時に発生した風が矢の残骸を巻き上げた。
そのままふわりと持ち上がり真下へと落下させた風は当然リーリエがエンチャントによって操作したもの。
難なくおこなわれたその行為は風の勢いと方向を必要最小限に抑えて発生させるという、強力なエンチャントが施されたその細剣を用いたとしても困難な卓越した技術である。
そのまま警戒する二人は二射目がないことを確認してから前へと進み通路の曲がり角へと辿り着いた。
「誰もいませんね」
「小さいですが壁に穴が開いています。おそらくはここから発射されたのでしょう」
リーリエの指摘にアーシェラが射線を避けつつ近寄ると、確かに壁には小さな穴が開いていた。
おそらく薄暗いこのダンジョンで注意深く観察しなければ見落としてしまうようなもので、実際に矢が飛んでこなければ多くの冒険者は気付かずに通り過ぎるだろう。
「罠にはかかっていませんね?」
「はい、アーシェラ様」
「それではこれは自動ではなく手動の仕掛けなのでしょうか。興味深いです」
なんらかの探知に引っかかっていないというのなら、この仕掛けはどのような基準で発射されているのか。
そういうった仕組みを考えることも、ダンジョンを理解するには助けになるかもしれない。
「残念ですが、壁の向こう側を確認することはできなそうですね」
脳内で記憶したマップを思い出したリーリエが、この壁の向こう側の空間には何もないことを思い出す。
「あと穴は覗き込まないでくださいね、姫様」
「わかってますわ、ナツメ」
「これは失礼いたしました」
「いいのですよ。忠告感謝します」
なんて角が立たない会話をして、更に先へと進むとほどなく階段の先に、大きな扉が現れた。
「ここが10階層の大扉ですね」
「そのようです。情報通りであればこの先にはリッチが待ち受けているかと」
「本当に行くんですか?」
ナツメがそのように聞いたのは、主であるアーシェラの安全を考慮してのこと。
この階層のリッチは全力を出さず、冒険者側がある程度の実力を示せば退くとの情報は得ている。
それであればリーリエとナツメで不覚をとることはないだろうが、それでもアーシェラの身の安全を万全に保証できるものではなかった。
「ええ、頼りにしていますよ。二人とも」
しかしそう言われてしまえば、それ以上止める言葉を二人は持たない。
「それと、勢い余って倒してしまわないように気を付けて下さい」
「倒さないように……、ですか?」
魔物を倒さないように、というオーダーを受けたのは初めてであるリーリエが疑問の声で聞き返す。
「私たちは迷宮と敵対するためにここに来ているわけではありませんから、無用な損害を出す必要は避けたほうがよいでしょう」
スケルトンなどが倒されることは必要経費として計上されているだろうということで問題ないが、リッチを討伐してしまえば想定外の損害として不評を買うことになるだろう。
冒険者としての立ち振舞いであれば直接文句を言われることもないだろうが、それでも避けた方が良いのは間違いない。
「わかりました! まあやりすぎるとしたらリーリエの方だと思いますけど」
「私はそのようなミスはしません」
実際に火力の点でいえばリーリエの方が上というナツメの意見だが、リーリエ本人としては言うとおりそんなミスはしないだろう。
「それでは二人とも万全ですね」
「はい」
確認をされて頷いた二人は前に進み、大扉へと手をかけた。
「これが件のプレートですか」
「そのようですね」
リッチの討伐を終えたアーシェラたち一行は、祭壇へと残されたプレートへと視線を落とす。
そこには各々の名前が刻まれたプレートが置かれている。
「これがあれば冒険者としての証明には困らないかもしれませんね」
王族が冒険者として登録したとしても、それで周囲にすんなりと立ち位置を認められるとは限らない。
しかしこのプレートを示せば、少なくともリッチを越えたという実績を示すことができ、それを活用できる機会もあるかもしれなかった。
「番号が付けられているのが気に入りませんが」
そこに刻まれた番号は【No.21】。
これをやった相手が人間であれば、王族に順番をつけるような行為は不敬罪で斬首になってもおかしくない。
「それより、これを開けてもいいですか?」
「ナツメ、貴女は少し自重しなさい」
「でも~」
リーリエとナツメを挟んで中央に置かれている宝箱はおそらく彼女たちからしてみれば大して価値のある中身ではないだろう。
アーシェラは当然として、そのお付きであるリーリエとナツメもこのダンジョンを訪れる冒険者とは比べ物にならないほどの給金を得ている。
なのでどちらかといえば中身の見えない箱というもの自体が、ナツメの好奇心を刺激していた。
「ナツメ、開けていいですよ」
「ありがとうございます、姫様!」
許可を得たナツメがその宝箱の蓋に手をかける。
10階層のそれは他の階層とは違い鍵が存在しない作りとなっているので、何の手間もなくするりと蓋が開いた。
中身は魔石と銀製のうさぎの置物、更に刀が一本。
その中で一番ナツメの興味を引いたのは一番価値の低いうさぎの置物だ。
そしてもう一つ、通常の冒険者が得られる10階層での報酬とは異なる物が今回は用意されていた。
それはうさぎの置物の下に置いてあった。
「アーシェラ様、これを」
リーリエが取り出したそれは一通の封筒。
なにか仕掛けがあるのであれば警戒するべきそれであるが、しかし明確に差出人が分かっているものを主より先に見分するのも憚られるという事情もあり、リーリエはその判断をアーシェラに委ねる。
それを受け取った彼女は、封がされていないのを確認してそのまま中の手紙をパサリと取り出す。
そこには短く一文。
『この先は更に危険になりますので、探索にはお気を付けください』
とだけ書かれていた。
「ふふっ」
それはお姫様の身に何かあれば困るという迷宮主としての配慮の言葉。
しかし特別扱いする気も機嫌を窺う気もないとという意思が見て取れる簡素なもの。
ならば完全に他の冒険者と同じ扱いをすれば良いのにわざわざこれを用意した迷宮主の、歓迎はしていないが対応はしてしまうという心情を想像して、アーシェラは思わず笑みをこぼしていた。
それは伝え聞いた王城で振る舞いとはおおよそかけ離れたものでありながら、なぜかこの苦労人のような立ち振る舞いの方があの人物の本質に近いような雰囲気を彼女は感じていた。
「なんと書かれていたのですか?」
正面側の手紙の内容を見えない位置のリーリエがそう尋ねてくる。
「秘密です」
「アーシェラ様」
迷宮主からの私信であるのならそれを把握しないのは護衛として職務怠慢にあたる。
そして内容をアーシェラの口から聞ければそれでも済んでいたのだが、秘密と言われれば確認しないわけにはいかなかった。
ということでその手紙を拝借しようとしたリーリエの手を、アーシェラがするりと躱して抜ける。
そもそも内容を知られても全く困らないどころか内容が無いような内容だったのだが、なぜかアーシェラはそれを伝える気にならずにひらひらと身をひるがえしてリーリエから逃れていた。
「人の私信を覗き見ようとは失礼ですよリーリエ」
「それは宝箱に入っていた物なのですから、パーティー全員に確認する権利があるでしょう」
理屈でいえば、リーリエが10割で正しい。
しかし互いの力関係は正しさよりも上に存在していた。
「止まりなさい!」
「それはズルいですよ、アーシェラ様!」
杖に込められた号令の魔法を使ったアーシェラに、動けなくなったリーリエの抗議の声をあげる。
「姫様、このうさぎ貰ってもいいですか?」
そんな二人の様子を尻目に、置物を手に持ったナツメの質問が広間に聞こえた。




