038.11F
「オラァ!」
大斧を構えた男が飛び上がりながらそれを振り下ろす。
その男、ネジルの一撃はリッチの姿を大きく傷つけた。
そのままリッチが両腕を掲げその体から冷気を放つが、ネジルは大雪狼の毛皮で作ったマントに身を隠しそれを防ぐ。
『火閃』
後方から放たれた魔術師の一閃は、大きくリッチの姿を抉り、そしてそのまま死霊の姿が闇に飲み込まれて消えていった。
残されたのは冒険者一行の姿と、宝箱が一つ。
戦士ネジル、剣士ノボルト、魔術師ハイセリン、治癒師ヒナの四人組は全員余力を残したまま戦闘を終え、宝箱の中身を確認する。
全員がシルバー等級の冒険者であるこの一行だが、既にリッチを倒すのは三度目なので新たなネームプレートが用意されることはない。
彼らが既に持つネームプレートには【No.004】と刻まれているので、それを見れば四番目の10階層攻略者であることがわかった。
まあ実際に見える場所に身に着けているものは一人もいないのだが、それはともかく。
「報酬は前回と大差ないわね」
「あんまり美味しくないのです」
背丈が高く女性的な身体のラインが浮かぶドレスに身を包んだ眼鏡の魔術師ハイセリンと、対照的にハイセリンの胸の辺りまでしか背丈がなくゆったりとしたフード付きのローブを身にまとった治癒師のヒナの女性組がそんなことを言う。
ちなみに年齢はヒナの方が上だ。
まあその報酬自体は、シルバー等級の平均的な依頼報酬と大差ないのだが、一番最初に攻略した者たちの得たといわれる報酬と比べるとかなり見劣りするのでヒナには不満があった。
「まあ身の安全が確保されていると思えば十分な報酬ですが」
「俺は危険でいいからもっと稼ぎの良い場所に行きてえぜ」
こちらは身体の半分は隠れそうな大きな盾を持ち、金属鎧に身を包む剣士のノボルトと対照的に軽装の戦士のネジルの男性組。
四人は全員他所の都市からダンジョンへ潜るために王都へと拠点を移し、そこでパーティー結成に至ったメンバーである。
目的はまだ見ぬ20階層への最速攻略。
その目的で実際に20階層がまだ用意されていない現在でもダンジョンへと潜り情報を集めるシルバー冒険者たちのパーティーは複数生まれていた。
「ああでも、この盾は良さそうですね」
とノボルトが掲げたのは彼が使っているのと同じようなサイズの大盾。
湾曲した木製の板に金属で補強がされているその盾は、しかし魔力が込められているのがわかる。
軽く検分した限りでは、魔力による強化のおかげで金属の武器での攻撃や魔法の炎も防げそうな強度があった。
「少し良いかしら」
「ええどうぞ、ハイセリンさん」
その大盾をノボルトから受け取った彼女が魔法を使うと薄っすらと青い光に包まれる。
「呪いはかかっていないようね。付与されている魔法の効果は耐久力の上昇かしら」
「それはとてもいいですね。これは私が使わせてもらってもよろしいでしょうか」
「良いと思うのです」
と他のメンバーからも異論は出ないので、ノボルトはそのまま盾を持ち替えた。
ここまで使ってきた盾と共に報酬をマジックバッグへ入れ、そのまま全員が奥の扉へと向き直る。
そこには、以前まで刻まれていた『ここより先、立ち入るべからず』という文言がきれいに消えていた。
「そんじゃ、ここからが本番だなァ」
ネジルが背丈ほどある長斧を肩に担ぎながら獰猛に笑う。
そう、その文言が消えた意味はつまり、ここより先に更なる階層が追加されたことを意味している。
彼らの三度目の訪問も、この奥への探索を進めることが目的だった。
「それじゃあ、行きましょうか」
ハイゼリンの言葉に全員が頷いて、ノボルトがその扉に手をかけた。
「また暗えな」
階段を下りきると灯りを用意せずとも明るかった10階層に比べ、再び松明が必要になった11階層にネジルが呟く。
ただし通路は9階層以前のものよりも幅が広く、大斧を自由に振るえるスペースがあった。
「あんまり持ちたくないのです」
と松明を握ったヒナが愚痴る。
先導役を用意していないパーティーでは消去法的に彼女が松明を持つことになっていた。
隊列は戦士のネジルと剣士のノボルトが前列、魔術師のハイセリンと治癒師のヒナが後列だ。
そして隊列を組んだ彼らが道を進む前に、壁に刻まれた文字に気付く。
ご丁寧に左右に灯りが設置されているそこにはこう刻まれていた。
『この先、身を癒す術を持たぬ一行、進むべからず』
『この先、裂傷を覚悟せよ』
「はん、また大袈裟なこった」
ネジルがその文面を馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「ここまで一度も怪我なんてしてねえしな」
軽く言った彼の言葉の通り、一行はここに至るまで一度も負傷をしていなかった。
それはリッチも無傷で倒したということに他ならない。
とはいえそれは彼らの実力の他に、事前にリッチの行動に関する情報とその対策を十全に取れていたからという理由もあった。
冷気放出への対策装備、魔力爆発の前兆と回避方法、火球の相殺、そしてある程度の損傷を与えれば撤退するという事実と敗北しても生命の保証がされているという心理的な余裕。
その全ての要素が合わさっての無傷での11階層到達。
「とはいえ、油断は禁物ですよ」
「わかっている」
諫めるノボルトに返事をするネジル。
その二人の後ろで、ハイセリンがまだ光の届かぬ通路の先に握った杖を向けた。
同時に全員が警戒態勢に移行する。
張り詰めた緊張の中、暗闇の向こうからとことこと現れたのは一匹のうさぎ。
「ウサギ……?」
ヒナの言葉に、一瞬弛緩した空気が生まれる。
それと同時に、ハイセリンの声が響いた。
「ネジルッ!」
「ッ!?」
視界の先、爆ぜるように跳んだうさぎが、一瞬で一行と肉薄し交錯する。
位置は前衛に並んだ二人のネジル側、その更に外の地面スレスレを一足で跳ね抜ける。
とっさにネジルが外側の右足を上げ、しかし残った軸足の左足首をウサギの長い耳が撫でた。
「ぐあっ!」
左足のおよそ半分を切断されたネジルの悲鳴が響く。
『眠れ!』
『傷を繋げ!』
二つの魔法が放たれると同時に、ノボルトがうさぎの駆け抜けた後方へを身を乗りだし大盾を構える。
ネジルは着地した右足に軸足を移しつつ、半ば切断された左足がうまく治癒されるように傷口を合わせる。
それと同時に、ヒナの治癒魔法が切断された足の結合を始める。
ハイセリンは動物系の魔物に効果が高い睡眠の魔法を唱えるが、これはうさぎの魔力抵抗によって防がれていた。
一瞬で臨戦態勢を整え、ネジルも負傷を庇いながら斧を構える。
おそらくその状態の彼でも、スケルトン程度であればそのまま相対して叩き潰すことができるだろう。
張り詰めた緊張の中、一足で人間の七歩を越える距離を跳ねていたうさぎは、しかし一行を一瞥すると、そのままとてとてと小さく跳ねて闇の奥へと消えてしまった。
それから十分な間をおいて、一行が警戒を解く。
この先には階段の先の10階層しかないことを指摘する者は一人も居なかった。
「あれは首刈りうさぎね」
と言ったのは魔術師のハイセリン。
「長く鋭い両耳と、強靭な脚力で人間の首を刈る魔物よ」
「でも、今回狙われたのはネジルの足だったのです」
「つまり、慢心している冒険者への警告ってことでしょうね」
首を刈ることもできる。しかし犠牲になった部位は足首。
この程度ならリッチを越えてきたランクの冒険者なら十分に治癒できるはずだ。
つまりあの首刈りうさぎの役割は、ここから先に進む実力を持たない者、もしくは慢心がある者が先に進む前に咎める為のものなのだろう。
「ナメやがって」
実際に足を刈られたネジルが悪態をつく。
「次見かけたら叩き潰してやる」
一瞬の油断を突かれた形のなった今回の被害だが、しかし最初から警戒を保ったまま相対せば実際に宣言通りに出来る実力をその本人は有している。
一方首刈りうさぎも、確実に刈れると判断した時にだけ侵入者を咎めるように指示されているので、実際に叩き潰す機会が訪れることはないのだが、彼本人はまだそれを知ることはなかった。
それからネジルの本格的な治療を終え、静寂に包まれた通路をその隊列のまま進むと少しして、ハイセリンの声が響く。
「そこに罠があるわ」
「たしかに、落とし穴ですね」
斥候や狩人を欠くこのパーティーだが、ハイセリンの魔力に対する感知力とノボルトの観察力により罠を回避してここまで到達できている。
もしそのどちらかでも欠けていれば、一行はここまでのいずれかの階層で罠にかかっていただろう。
「作動させてもいいかしら?」
「どうしてなのです?」
ハイセリンの提案に、ヒナが首をかしげる。
「もし引っかかったらどうなるか、確認するべきだと思うわ」
「なるほど、そういうことですか。それでは連動する罠がないかだけ確認しておきましょう」
納得したノボルトが落とし穴の仕掛けの更に周囲を探る。
「問題はなさそうですね」
確認を済ませた彼に頷いて、ハイセリンが杖に先をおろして魔力探知の仕掛けを作動させた。
パカン、と開いた落とし穴の底には、指の長さほどの鋭い金属の棘が設置されている。
「こりゃ、踏み抜いたら靴ごと足を貫通すんな」
「上の階層では落とし穴に落ちても足を挫く程度で済みましたが、これは下手をしたら命にかかわりますね」
「首刈りうさぎは、この程度の罠で命を落とす可能性があるような実力の冒険者は引き返せという警告の意味もあるのでしょうね」
「ふん、関係ねえよ。行くぞ」
とネジルが前へ進む。
一度足を刈られた本人ではあるが、警戒を怠らなければあの程度の罠で命を落とすほどの未熟者ではない。
そしてそれはリッチを倒してここまで降りてきている全員に言えることだった。
「魔物だ」
通路を進むと先頭で気配を感じ取ったネジルが斧を構える。同時に他の三人も臨戦態勢を整え闇の奥を見据えた。
そこからガシャンガシャンと金属音を鳴らしつつ現れたのは2体のリビングアーマー。
金属の鎧を取りついた霊体が動かす魔物だ。
仕組みとしてはスケルトンと同じだが、内包する魔力量はそれよりもかなり多く、金属の鎧と剣はかなりの耐久力と破壊力を示す。
とはいえ通常はシルバー等級の前衛ならタイマンをしても問題なく倒せる程度の相手だ。
実際にネジルはその両手斧で片手剣を握ったリビングアーマーの間合いの外から叩き伏せ、ノボルトも大盾で一撃を受けてから剣で兜をはたき落とす。
それと同時に鎧が崩れ落ちて動きを停止した。
「流石に危なげないのです」
「魔石は……、ありましたね。おっ、火の魔石ですよ」
「属性魔石は10階層でしか見なかったけれど、ここから先も落ちるのね」
ノボルトがリビングアーマーの破片の中から拾い上げたそれはさほど大きい魔石ではなかったが、それでも金貨1枚以上の価値はあるだろう。
そこから進行を再開し、また魔物に遭遇する。
次に現れたのは、スケルトンでもリビングアーマーでもなく、犬の姿をした石の像。
狼ほどの大きさもあるその石の犬が二匹同時に現れ、前衛二人に噛みつこうと身を跳ねる。
「くっ」
「硬てえ!」
その攻撃は無事に防いだ二人であったが、ネジルは斧で叩いたその犬の強度に、ノボルトは盾で防いだその衝撃に思わず声を漏らした。
「距離を離して!」
ハイセリンの言葉と同時に、ネジルは大斧の尻側で、ノボルトは大盾でそれぞれの石犬を弾く。
『爆炎!』
その着地地点にハイセリンが爆ぜる火球を飛ばすと、爆発の発生した後には石犬が崩れ落ちていた。
「石に炎がよく効きましたね」
その結果を見て、ノボルトが感心したように観察する。
「おそらく、石を魔力で繋ぎそこに霊を憑かせていたようね。炎で石自体は破壊できなくても、繋ぐ魔力を吹き飛ばせたわ」
「なるほどなるほど。そうなると剣で相手をするには苦労しそうですね。刃が欠けるのも心配ですし」
当然、魔力が込められた剣は通常の石であれば切断することに問題はない。
しかし、石犬のようにそれ自体に魔力が込められている場合にはあまり刃に優しいとは言えなかった。
更にそれがメンテナンスにもコストがかかるエンチャント付きの武器であれば、倒すことができても収支は赤字、などというケースも考えられる。
あるいは石の繋ぎ目に刃を通す正確な剣捌きがあれば解体することも出来るかもしれないが、大きな魔力を馬力として突進してくる相手にはそれも容易くはない。
「ひとまず石の犬は魔法で倒すのがよさそうね」
「でもそうなると、探索時間が限られそうなのです」
前衛の二人だけで戦いが済む9階層未満であれば、シルバー等級の冒険者パーティーなら実質丸一日でも潜り続けることが出来る。
しかし、魔術師のリソース前提の攻略では、明確に限界点が生まれてしまう。
そちらもシルバー等級であれば、魔法を使うのも二桁回数は余裕なのだが制限の有無で立ち回りが変わってくるのも事実だ。
「20階層で再び強敵と対峙することも視野にいれると、対策が必要かも知らないわね」
「そうですね。とはいえ今は安全に行きましょう」
深く潜るための対策は必要だが、とはいえ今は無事に帰還することが最優先に考えるべきことであった。
それからも何度かの戦闘を終え、魔石を回収しつつハイセリンが声を上げる。
「そろそろ戻った方がいいかもしれないわね」
丁度再びの石の犬を焼き払ったあとで、ノボルトが確認をする。
「あと何回くらい魔法を使えそうですか?」
「そうね、10回程度かしら」
「まだ余裕あるじゃねえか」
「とはいえ、ここまで来るのに使った魔法の数はもう10回を越えるわ。戻り道で同じ回数を使うことを仮定すれば余裕をもっておくべきよ」
「捕まって全没収は嫌なのです……」
ここまで魔物を倒しながら進んできたので、帰り道で同じだけ魔物に遭遇する可能性は低いと考えられる。
しかし、全滅してしまえば戦利品を全て失うことを考えれば安全を優先した方が間違いない。
「ちっ、しょうがねえな」
「ネジルさんは素直じゃないですね」
「うるせえよ」
なんて男衆のやり取りを見ながら、一行は帰り道へと向きを変えた。
それからしばらくして10階層へと戻る上り階段まで戻った全員は、リッチの部屋を迂回する一方通行の仕掛けの通路を越えて戦闘場所前の待機場所まで戻り、更に9階へと戻っていった。
☆
カツカツカツと、ダンジョン内の牢獄に靴音が響く。
そしてその足音は、ひとつの独房の前で止まり、扉が開かれた。
「こんにちは」
「こんにちは。初めまして、迷宮主さん」
そこには囚われたシルバー等級の魔術師、ハイセリンの姿があった。




