032.ダンジョンの節目
その日、ギルドの近くの酒場ではひと際大きな盛り上がりが生まれていた。
理由はダンジョン入ってすぐの捕虜解放部屋、その大部屋の方の壁に新たな文字が刻まれていたからである。
その文面は二つ。
一つは『10階層を最初に攻略した者には大きな富を与える』というもの。
もう一つは『10階層に限り、その命の安全を保証はしない』というもの。
一つ目の告知はそれを目撃した冒険者全員を大きく沸き立たせ、二つ目の告知は何割かの冒険者を意気消沈させた。
わざわざダンジョン側から告知した10層である、少なくとも今までよりも手強いものとなるだろう。
そして、現実的な話としてダンジョンに潜ることを最近の生業としていたほぼ全員が、階層途中のゴーレムにすら勝てる見込みを持っていないのだ。
ダンジョン探索の際には倒すことが必須ではないゴーレムだが、かと言って10層でそれより弱い魔物が出てくるとも考えづらい。
そして、命の保証をされずにそんな場所へと赴くのは、少なくともアイアン等級以下の冒険者にとっては自殺行為以外のなにものでもなかった。
「まあ俺が本気を出せばゴーレムくらい余裕だがな!」
などと嘯く冒険者は後を絶たないが、実際に10層に挑戦しには行かずに、どうすればこの話題で一儲けできるか考えるものが大半だ。
「あたしとしては、10階のあとがどうなるかが気になるわね」
「現状でも稼げてはいるけど、その分他所からの冒険者も増えてますからねえ」
他所より稼げるなら人が集まってくる。人が集まってくれば稼ぎが悪くなる。
これはもうどうしようもない冒険者の摂理なので、下位の冒険者としては10階以降にも行けるようになって稼げる範囲が増えればありがたいというのが本音だろう。
10階攻略直後はともかく20層30層40層と拡張されていけば、そのうち下位冒険者向けの探索範囲が広がることは、投擲スケルトンの配備範囲が後退したことからも想像できる。
「あたしたちが家を買えるまでは稼ぎは維持させてほしいわねえ」
個人でとは言えなくてもパーティーで家を買えれば、そこに荷物を置いておくことでダンジョンの没収を防ぐことが出来るし防犯に気を使えば資金を保管することも出来る。
なのでそこそこ余裕のあるアイアン等級冒険者パーティーでは家を確保するのが今一番の目標になっていた。
そんな冒険者の思惑と外からの流入者の増加によって、王都の不動産自体も高騰の兆しを見せているのだがそれが顕在化するのはもう少し先のお話。
「しかし、実際問題誰が一番最初に攻略するんだろうな」
現在王都にはシルバー等級の冒険者がパーティーが6組、ゴールド等級のパーティーが2組、プラチナ等級が2名拠点として在籍しているが、ゴールド等級の冒険者はどちらのパーティーも王都から数日以上離れた場所で依頼をこなしている。
プラチナ等級の二名も、現在は冒険者稼業とは別の仕事に重きを置いているらしいのでおそらくはダンジョン攻略には乗り出さないだろう。
というか王都自体が冒険者としてはあまり高等級の冒険者の仕事が発生しずらい立地であるので、上位冒険者の数が都市の規模に比べて多くはないという理由がある。
さらに言えば、有事の際には王国所属の騎士団が出ていくので、前提として冒険者が王都に縛られることもない。
災害や魔物の被害があればギルドからの要請で人手を動員されることもあるが、基本的には冒険者とは自由をモットーとする者たちだった。
そして上位の冒険者はその等級に見合わない仕事をあまり受けようとしない。
それは下の冒険者の仕事を奪って不評を買いやすいという理由もあるし、単純に労力と報酬に見合わない仕事をしないという部分もある。
金貨10枚の仕事と金貨100枚の仕事があれば、後者の仕事を選ぶのは自然な流れだ。
なので10層を攻略するのはシルバー等級の冒険者になるだろう。
「いっそ俺らがシルバーに上がるまで放置されてくれればいいんだけどなあ」
「あと何年かかるんだよ」
などという軽口を交わす冒険者たちに、近づく影が一つ。
「なにか面白そうな話してるな。ちょっと聞かせてくれよ」
「げえ、エドガー」
しまったという顔をする彼らはシルバー等級冒険者であるエドガーを嫌っているわけではない。
ただし、その情報が伝わらずに済むならそれに越したことはないと思っていた。
とはいえこの盛り上がりの中で興味を持っている彼を誤魔化すのは不可能だろうと、噂話をしていた冒険者は早々に諦める。
「しょうがねえな、話してやるから一杯奢れよ」
「わかったよ。お姉さん、こっちにエール人数分よろしく!」
こうしてダンジョン10階の情報は、エドガーたちパーティーの知るところとなった。
「ここにくるのも久しぶりですねえ」
魔術師のオットートが懐かしそうに呟く。
本格的にダンジョンが稼働した初日以来のシルバー冒険者パーティーであるエドガーたち一行5名は、かれこれ50日ぶりの再訪問だった。
「そもそも本当に報酬が手に入るかも怪しいがな」
「一応嘘はつかないらしいっスよ。たまに意地の悪い仕掛けがあるらしいっスけど」
警戒心の強い斥候のキュリウスと、反対に気楽な拳闘士のウレラが意見を交わす。
「財宝っていくらくらいっスかねー。カニーナさんはお金入ったらなにしたいっスか?」
「私は美味しいものを沢山食べたいです……」
「あー、いいっすねー。アタシも甘いものを限界まで食べたいっス」
そんなウレラの言葉に、治癒師のカニーナは僅かに眉をひそめた。
それはカニーナとは対照的に、食べても太らない割にバストサイズだけは維持しているウレラへの密やかな嫉妬だったのだが、当の言った本人は気付く気配がない。
「さてそれじゃあ準備はいいな。中は魔物が多数。スケルトンがメインでスケルトンメイジとスライム。あとゴーレムも居るがこちらは回避が可能だ。基本的に不意を突かれなければ問題ない」
王都で集めてきた情報を、リーダーのエドガーが確認していく。
「うさぎが散歩してたって話もあるっスけどこれは噂だと信じたいっスね」
「マップは5層まで用意済み。それ以降はゴーレムを避けるように進めばさほど寄り道せずに奥に行けるとのことだ。地形は基本的には変わらないが、罠は配置が変わったり動作したりしなかったりするらしいからここはキュリウスの出番だな」
「ああ」
「目的は10階の攻略とそこにある宝。何か質問は?」
「はい! 今日で10階まで攻略するっスか?」
「そうだな、探索に手間取ったり不意の損耗がなければそのまま行く。戦力と所要時間的には問題ないはずだ」
「10階の情報は無いんですよね……?」
「ああ、ただし命の補償はしないという文言と現状のダンジョンの魔物の戦力から、シルバー等級であれば十分に討伐可能な可能性は高く、また敗北しても必ずしも命を取られるわけではないと推測されている」
そもそも現状のアイアン以下向けのダンジョンから、急にシルバーまで含めて皆殺しにするデザインにしてもダンジョン側に得がない、というある意味メタ読みの推論だ。
「そうじゃなかったとしても、いつもの仕事と同じってことだろ」
「そうですねえ、むしろ命の安全に配慮されている仕事の方が珍しいですから」
「珍しいっていうか皆無っスよね」
むしろ命の危険と隣り合わせの戦いが冒険者の本分であり、シルバー等級まで上がれるような冒険者はいつでもその覚悟を忘れない。
「そういうことだ。それじゃあ行くぞ」
「ああ」
「はいっス」
「はい」
「わかりました……」
こうしてエドガー一行は、ダンジョンの入り口を久方ぶりにくぐった。




