124.対峙
扉を開けた先、10階層にはウイアオが得ていた情報通り広間が存在していた。
部屋は合計30名が入っても狭くない広さがあり、問題なく戦闘行動もとれるだろう。
「事前の情報ではここでリッチが現れるはずですが……」
とはいえ実際に通常通りの采配をしても戦力を無駄に消耗させるだけなことは間違いない。
この場にリッチが現れたのなら、一呼吸でそれを消滅させることができる戦力が聖騎士団にはあった。
ならば別の策を用意するのが自然な思考だが、とウイアオが考えたところで部屋の奥にある扉が開く。
そこに現れた男の姿は、内偵で得ていた迷宮主の姿に酷似していた。
おそらく本人であろう、その男が口を開く。
「こんにちは、死ね」
挨拶と同じ平素な口調で明確な意志が告げられる。
既に臨戦態勢に入っており、先制の一撃や不意討ちでも十二分に対応できるよう身構えていた聖騎士団一行に別の形で変化が襲った。
足元の床がパカリと開き、広間全体の床が抜ける。
体重を支える感触の消失に全員が事態を察知するが、それでも抵抗できるものは居ない。
結果として重力に引かれた聖騎士たちが穴へと落ちていく。
全身を覆う金属鎧で身を包む聖騎士たちはかなりの位置エネルギーを持って下方向へと引きずり込まれるのは免れない。
とはいえウイアオだけでなく全員が実力者の聖騎士団員だ。
下のフロアまで落とされたとしても自由落下の衝撃で致命傷を負うことはない。
ならば落ちた先で体勢を立て直せば良い。
そんな思惑を裏切るように、着地の衝撃は床とは別の感触で訪れた。
フルプレートアーマーの狭い視野角で確認できるのは、他の聖騎士たちが水飛沫を上げて着水して行く姿。
そして衝撃の次に訪れた感覚は熱さ。
下に注がれた水は21階層以降の通路から引いてきたもの。
水は温泉を温めているのと同じ仕組みで加熱され、沸騰した熱湯となっていた。
聖騎士の鎧は魔物と相対するために、炎や冷気に対して耐性を持つエンチャントが施されている。
それは魔術や魔物のブレス等には有効だが、鎧の隙間から浸入する液体の熱には無力だ。
それでも魔力により強化された聖騎士たちの肉体は熱湯に対してある程度耐えることができる。
実際にこの状態で暫く居ても彼らはノーダメージだろう。
加えて聖騎士団には標準的な装備として水中での呼吸を可能にする護符が渡されているので、鎧姿で水に沈んでも窒息することはない。
とはいえ、自身の身長の何倍もある水深を脱出することは、鎧を着こんだままの状況では困難だ。
次はどうするべきか、と聖騎士団長に指示を仰ぐため視線を向けようとする聖騎士たちに突き刺すような鋭い衝撃が走った。
『かはっ……』
水中で声を漏らした聖騎士たちの口から気泡が漏れる。
痛みの根源は複数のサンダーエレメンタルによる電撃。
それは人には通れない幅の水路を伝って隣室から送り込まれたものだった。
直接対峙すれば聖騎士が一対一でも十二分に倒すことができるサンダーエレメンタルとの力関係は、しかし水中という状況と隔絶された位置関係によって不可避の攻撃に変化する。
聖騎士たちの魔力による防護でも、多数のサンダーエレメンタルによって撃ち込まれた電撃を防ぐことはできず、確かなダメージとともに痺れによる行動不能を引き起こす。
この世界で電撃を用いた魔術を用いられることは少なく、それを得意とする魔物がいても水と組み合わせて通電させてくるような手法を取られたことはなかっただろう。
そのような前提の中での想定外の一撃。
しかし唯一の例外がいた。
その例外であるウイアオだけは他と桁違いの魔力量によって強化された肉体で電撃に対して無傷を保つ。
無事であり行動を可能とするウイアオは一瞬の判断で、腰の剣を抜きそれを振り下ろした。
剣圧で水面が床まで真っ二つに割れる。
周囲にいた部下の何名かは、感電から解放されることができた。
割った水面はすぐに戻るが、それでもその短い時間も聖騎士たちの命を確かに助けるものとなるだろう。
一瞬の猶予を得て、この状況をどうするべきかと思考を巡らすウイアオへ声が響く。
「あら、まだ無事なのがいる」
それは相手に聞かせるためではなく独り言のように呟かれた言葉。
頭上の遥か高く、通常では聞き取れないような言葉であったがウイアオの優れた五感によって確かに耳に届いていた。
同時に視認するのも困難な速度でウイアオが跳ねる。
元々上の階層の高さにあった扉までの高さは10メートル以上。
それを一瞬で飛び上がり、まるで階段の最後の一段を降りるようにトンと着地する。
同時に握った剣を振るい、声の主を両断した。
一言も漏らすことなく肉塊となる迷宮主。
全身金属鎧を纏うその身で行われた一連の行動は、ウイアオの圧倒的な能力の高さが遺憾なく発揮されていた。
ウイアオは足元にベチャリと落ちるそれを確認し、暗闇に包まれる迷宮への先へと進むべきか思考する。
任務の達成を最優先とするならば、下へは戻らすこのまま進むべきだろう。
そう考えるウイアオの背後で変化が起きた。
足元のずっと下、ひと部屋分の広さの落とし穴に溜まった水位が僅かな音と共に少しずつ下がっている。
そんな水位の低下は少しずつ加速していき、程なく水中に倒れた聖騎士たちの姿が確認できるようになった。
ウイオアは様子を確認し、今後の行動方針を再確認してから下へと飛び降りた。
確認すると部屋の壁には床から10センチほどの高さにまで隙間が空いており、そこから排水を行ったのだろう。
逆に電撃を用いた攻撃も、その隙間を使ったものだったのかもしれない。
床にはまだ数センチの水が残り、彼の部下たちの体の半分程度が水没したままとなっている。
さながら海で溺れたまま砂浜へと打ち上げられた溺死体のようだろうか。
実際に聖騎士たちの現状もそれと大差ない。
水中呼吸の護符があればその状態でも窒息死することはないが、それでも彼らの安否を確認するならば仰向けにした方が良いだろう。
ウイアオが確認した範囲でも、いくつかの鼓動と吐息がまだ耳に届いていた。
とはいえ、それを治療できるかは別の話だが。
自身だけであればこの先に進むことも問題ではない。
だからこそあえて一旦この場へと戻ってきた彼に、再び頭上から声が響いた。
「急に一刀両断とは随分な挨拶ですね」
聞こえた声を辿って視線を上げる。
再びの上の階、そこに居たのは確かに切り捨てたはずの魔物の姿。
ウイアオは険しい視線を向けるが、しかし再び同じことを繰り返しても無意味だろうことは察していた。
そんな彼に、一つの提案がなされる。
「貴方の実力は十二分にわかりました。しかし部下の大半が行動不能に陥っているのも事実です。どうでしょう? 今諦めるなら、まだ息がある人間は見逃して差し上げますよ」
そもそもこの惨状の原因を作ったのはそこにいる魔物だ。
そして断れば再びの電撃でまだ息がある聖騎士たちもそれを止められることになる。
ウイアオが如何に早く行動しようとも、まだある命の全てを助けることはできないだろう。
だが彼は思考を挟むことなく答える。
「断る」
元より守られる保証のない提案であるが、ウイアオはそれ以前の問題だと言わんばかりの短い回答。
「私はこのダンジョンを滅ぼす。それが任務だ」
言葉には確固たる意志が込められていて、逆にそれが迷宮主に疑問を生んだ。
「部下の命よりも命令が大事ですか。元を辿れば教会上層部の権力闘争による八つ当たりのような命令でしょうに、そこまでする価値はありますかね」
そもそも教会がダンジョンを滅ぼす命令を出す理由がない。
まずダンジョンは教会よりもギルドの管轄であり、実際にこのダンジョンが脅威と判断されたならば兵力を派遣するのは教会よりも王都の権力者だろう。
二重の越権行為と言っても差し支えないその命令は、先の王都司祭の更迭に端を発する一連の流れであり現場の聖騎士団が命まで掛ける理由が見えなかった。
「上がなにを考えていようが関係はない」
「ではなぜここへ?」
「王都の信徒には、このダンジョンを恐れて眠れぬ夜を過ごしている者もいる。ならばそれを払うのが聖騎士団の務めだ」
なるほど、確かにダンジョンがすぐ目と鼻の先に現れたのであれば、その脅威に怯える者も出るだろう。
現状冒険者の大半はこのダンジョンを安全な場所だと認識しているし、その冒険者の持ち帰った報酬と活性化した王都経済の恩恵に預かっている者たちにとってはダンジョンは非常に有益な存在だ。
事実王都の経済は順調に成長し、そこに暮らす住民の暮らしも豊かなものとなっている。
ダンジョンを肯定する者と否定する者なら、王都の住民には前者の方がずっと多いだろう。
しかしその一方で、ダンジョンと魔物の脅威に怯える者がいるのもおかしくはない。
更に言ってしまえば、実際にダンジョンが王都へと牙を向いた際にはその危惧は現実のものとなるだろう。
今のダンジョンには王都を壊滅させるほどの戦力など存在はしないが、それでも魔物を溢れさせて城門を破れば鎮圧されるまでに民衆へ少なくない被害を出すことができる。
ある意味では、互いに利益を享受しているから、という理由で安心している者よりもずっと正常に危機感が働いていると言えるかもしれなかった。
言ってみれば自宅の前に猛獣の入った檻があるようなものだろう。
見世物になれば多少の利益があるとはいえ、それが脱走した時の危険性を考えない者は少なくない。
そしてそれは正当な危機感であるという前提で、聖騎士団とダンジョンの間に対話では解決できない問題が存在していることと同義であった。
ダンジョンを滅ぼそうとする者とそれを許容できない者。
互いの主張の先にはどちらかを殺すという結末しか存在しない。
だがしかし、その問題を別の方法で解決できる人物が一人だけ存在していた。
凛とした声が迷宮主と同じようにウイアオの頭上から響く。
「ならば私が、その者たちの安寧となりましょう」
決して狭くないその部屋に響くその声は、イングリッドによるものであった。




