107.24F-26F④
一行が6の番号の扉の前に戻るためにひとつ階段を上り、25階層の目的地へと到着する。
「では」
リーリエが握った鍵を壁の穴へと差し込むと、それが手の中で砂のように崩れ落ち、最後に小さな魔石が一つ残った。
その現象に疑問を持つ一行を余所に、目の前の壁がズレて横にスライドしていく。
そしてそれが収まった後には、壁の向こうにまた水没する通路が現れていた。
「鍵が消えてしまいました」
「再利用防止の為に使用すると消滅する仕掛けがしてあった、といったところでしょうか。リーリエ、それをこちらへ」
「どうぞ、アーシェラ様」
アーシェラが受け取ったそれを観察する。
「色から推測するに土の魔石ですか。鍵が崩れる仕掛けの動力かもしれませんね。おそらく特別な物ではありませんが、一応保管しておきましょう」
ということでアーシェラから魔石を受けとったナツメがそれをマジックバッグに収納する。
「ここからは新規エリアですが、どちらを目指して進みますか、アーシェラ様」
「そうですね、まず鍵を取るために一番下まで行く必要がある以上、次の正答は上でしょう。ですので下に参りましょう」
「かしこまりました」
先に進む道が上なら下から埋めていくというのは先を急がないのであれば安定の選択である。
彼女の最終目標は30階層に定まっているので、ここで先を見るよりもあとが楽になるための選択でもあった。
「それでは」
言って細剣を先の通路へと差し出したリーリエが水面を凍結させる。
そして三人が扉の境目を越えた瞬間、足元の床が輝きを見せた。
「!?」
それは元々は隠し扉が閉まらなくなることを防ぐための障害物排除の仕掛け。
本来であれば冒険者には影響を及ぼさない仕組みとなっているそれは、リーリエが水を凍らせていたことで話が変わった。
まず足元一帯の氷がまとめて別の場所へと転送される。
それは元々が扉と一体化した魔力の仕掛けであり、更にその仕掛けの起動判定は水中に沈んでいるので察知できなかったのも無理はない。
上を通り過ぎれば引っ掛からないように見えるその仕掛けは、しかし水を凍らせることで予想外の起動を起こしていた。
そして足元の氷が消失したことで一行は床へと着地する。
それと同時に、床からカチリと音が響いた。
音の原因は人が踏むことで起動する感圧式の罠。
こちらは魔力を一切用いない為に肉眼での識別をする必要があり、凍結させた氷の上を進んでいれば本来無視できるものであった。
そして動作した仕掛けはパカリと踏んでいる床を消失させる。
開いた落とし穴の範囲は通路幅と同じだけ。
縁に掴まって回避するのは不可能と判断したリーリエが、アーシェラへと手を伸ばす。
「アーシェラ様!」
アーシェラも空中でその手を取り、リーリエが引き寄せた主君を抱き上げた。
落下距離は1階層分。
時間で言えばほんの一呼吸。
その落下の後に、リーリエは膝を使い完全に着地の衝撃を吸収する。
ナツメは落下の衝撃で跳ね上がった足元の水の中で周囲の警戒を行う。
「魔物、多数です!」
そんなナツメの言葉と共に頭上の落とし穴から水が滝のように落ちてきて一行の格好を濡らす。
それは水が低い方へ流れ落ちるという自然の摂理による物なのだが、罠にかかった者の感想としては無慈悲な追い討ちだろう。
「リーリエ、魔物の対応を」
「かしこまりました」
水没している床にアーシェラを下ろすか一瞬考えたリーリエの思考を、抱かれた当人の指示が切り替える。
「ナツメ、アーシェラ様の護衛を。ここは私が動きます」
落とされた先は大部屋となっていて、広さ四方がそれぞれ通路が三本分ほど。
その中には無手のゴーレムが4、リビングアーマーが12、スケルトンメイジが3、石犬が4。
それらは通路での戦闘では見ることがないほどの集中した戦力であり、明らかに落とし穴にはめた冒険者への罰ゲームであった。
実際にシルバー等級のパーティーであればこれを切り抜けるのは困難だろう。
しかしアーシェラたち一行は、冷静に状況を分析し立ち回りを構築していく。
『黙りなさい』
アーシェラが先んじて発した術は、他者の術の使用を阻害するというもの。
これによりスケルトンメイジは何もすることなく無力化される。
「リーリエ」
「はい」
「全力を出して良いですよ」
「了解しました」
その言葉はアーシェラの杖を通して、最大限の強化補助としてリーリエの性能を引き上げる。
次の瞬間彼女の足下の水が爆ぜ、姿が消える。
そこから部屋の中の魔物を掃討するのに、長い時間はかからなかった。
「良い働きでしたよ、リーリエ」
「もったいないお言葉です」
「ナツメも、よく守ってくれました」
「守りはお任せください!」
魔物の掃討を済ませて一息つき、アーシェラが二人を褒める。
主戦力となって圧倒的な殲滅を見せたリーリエ、握る大盾でアーシェラへの攻撃を完全に防いだナツメ。
その二人の活躍でアーシェラは最初の魔術と号令以外ほとんど動かずに事態を静観していた。
「魔物は無事に倒せましたが、服が濡れてしまいましたね」
「すみません、アーシェラ様」
「謝らなくて良いですよ。あれは不可抗力でしょう。私も想定外でした。迷宮主様も面白いことを考えますね」
アーシェラが物質転送と感圧式落とし穴を凍結対策だと推測する。
しかしそれは扉の引っ掛かりを防止するための装置と下にモンスターハウスを置くことを思いついて設置した落とし穴の合体事故であり、設計した迷宮主としても想定外のものであった。
上から水をぶっかけたことも合わさって、今頃想定外の展開に作った本人が一番驚いているだろう。
そんな事情は露知らず、感心しているアーシェラへとリーリエが問いかける。
「このあとはどうなさいますか、アーシェラ様」
「そうですね、服も濡れてしまいましたし今日は帰還いたしましょう。折角ですから、帰りに温泉へと立ち寄っていきましょうか」
「それは……、やめておいた方がよろしいかと」
「そうですね。流石にアーシェラ様があそこに入ると色々問題があるかと」
珍しく二人揃って止めるように進言してくるリーリエとナツメへアーシェラが聞き返す。
「そんなに駄目でしょうか?」
「警護の観点からも承服は致しかねます」
「アーシェラ様の素肌を晒すのは女性が相手でも止めておいた方が良いと思いますね」
そもそも王族が平民と同じ湯船に浸かるという時点で前代未聞である。
前代未聞すぎてもしそれが発生して知れ渡ればどんな問題が発生するかは誰にもわからなかった。
「駄目でしょうか」
「駄目です」
「諦めてください」
「……わかりました。それでは湯を浴びるのは帰ってからにしましょう」
アーシェラがやっと諦めたので、リーリエが自身のマジックバッグから荷物を取り出す。
「アーシェラ様、良ければこちらを」
差し出されたのはグラスに注がれた透明な液体。
「これは?」
「薬水です。飲めば身体が温まりますので用意させていただきました」
「なるほど、それでは」
それはよく見れば薄っすらと湯気を浮かべていて、アーシェラが受け取るとグラス越しにその温度を感じることができた。
マジックバッグに熱を保つ機能はないので、別の方法で温めたのだろう。
彼女がそれを口にして、ふうっと熱い息を漏らすと共に頬が桜色に染まったように見える。
「ほんのり甘味を含んでいて味も悪くないですね」
「お口に合いましたら幸いです」
服が濡れ、足元が水に浸かった状態でも薄っすらと汗が浮かびそうになっているアーシェラの体感は、湯船に浸かっているような熱を感じていた。
「それでは、リーリエも一口飲んでください。ナツメもどうぞ」
「いいんですかっ」
「ナツメっ」
アーシェラの言葉に喜ぶナツメと、リーリエがそれを窘めようとして逆にアーシェラに止められた。
「さあ、リーリエ。もう一杯注いでください」
「せめて別のグラスになりませんか」
「なりません。さあさあ」
なぜか嬉しそうなアーシェラにグラスを差し出され、諦めてリーリエはそれを口に運ぶ。
主人と同じグラスに口をつけるなど、王城の関係者に見られたら普通に怒られるなと思いながら、ここがダンジョンの中であることに珍しく感謝して中身を口に含む。
喉を鳴らして口を通すと、薬水は甘く確かに自身の身体が熱を持つのもリーリエは感じていた。
「では次はナツメですね」
「はい、アーシェラ様! いただきます」
今度はナツメが喉を鳴らし、その味に満面の笑みを浮かべる。
「うーん、美味しいですね」
そんな様子に満足したアーシェラは、グラスをリーリエへと返し話を進めた。
「それでは帰りましょう」
「足元はどうなさいますか、アーシェラ様」
「そうですね、既に濡れてしまいましたし氷は張らずにこのまま進みましょうか」
「かしこまりました」
方針は決まったので一行がダンジョンから脱出するために歩を進める。
「水の中を歩くのってこんな感じなんですね」
前を歩くナツメの言葉にアーシェラが答える。
「少し不思議な感覚ですね。でも悪くはないです」
服を着たまま水の中を歩く経験は、彼女からしてみれば生まれて初めてのものだろう。
洋服の裾が今も水に浸かっている状態なのだが、それでも彼女の言葉はどこか楽しげであった。
「そうだ。帰ったら湯浴みにしましょう。二人も付き合ってくださいね」
「アーシェラ様、それは……」
気軽にそう言うアーシェラだが、それもそれでいくらかの問題がある提案であった。
なのだがそれはもう彼女の中では決定事項のようだ。
「もう決めましたので、逃げては駄目ですよ」
そう言ってうふふと笑うアーシェラに、特にリーリエは抵抗しようとするのを諦めた。




