106.24F-26F③
「それでは参りましょう」
「はい、アーシェラ様」
ここは24階層の入り口。
今日もダンジョンへと潜る第三王女アーシェラ一行が階段を下りてその下を見つめる。
当然のように足元には水没した通路。
それは21階層から同じように続く光景であった。
しかしそんな中で、アーシェラたちの装備に濡れた様子は見当たらない。
その理由はリーリエが両手に握る細剣の片方、添えられた宝珠が青く輝く魔法剣であった。
20階層まで彼女が握っていた物と異なるそれは、人の手によってエンチャントされたものとは別の法則でその力を示す。
『凍てつけ』
リーリエが青い細剣の先端を水面へと触れ、短く言葉を発するとピシリという音と共に水が凍っていく。
そしてその範囲は見る見るうちに広がり、ランタンの照らす視界の限界まで凍りついていった。
「感謝します、リーリエ」
「勿体ないお言葉です」
「しかし見事なものですねー」
「王家に伝わる逸品ですからね。本来なら私が持つのも恐れ多い物ですが」
氷の上へと一歩踏み出しその感触を確かめるナツメの言葉にリーリエが答える。
彼女の持つ細剣はアーシェラが王城の宝物庫から取り出してきた物だが、その価値は王女付きの騎士であるリーリエでも握るのに緊張をする代物であった。
本来なら扱うことを丁寧に遠慮するであろう貴重品であるのだが、『自身の主君が水に浸かっての行軍になるのを避けるため』という理由があれば辞退する方が不忠に当たるということで覚悟を決めて握っている。
青の細剣は人の手ではなく幻想に属する者から授けられたという由来の希少価値を持ち、更に斬ったものやその周囲を一瞬で凍結させるという効果の強力さにもある。
その出力の高さはひとえに細剣に埋め込まれた青い宝珠の力であり、武器屋に流通しているような同じ氷のエンチャントを持つ武器であっても同じような運用は不可能だろう。
更に言えば魔術師の術でも足元を凍らせたまま1フロア探索するのはリソースの観点から困難を極めるため、この方法は彼女たちの固有の手段だと言えた。
「今日は前回の続きから、探索を進めましょう」
「はい、アーシェラ様」
24階層が解放されてから今日で四日目。
アーシェラたち一行がここまで進んだのは今回で二度目になる。
前回は25階層をある程度探索したところまで進んでおり、今日はその先を目指すのが目的だ。
なので既に構造を把握している地点まではリーリエが先導して迷いなく進んでいく。
そのリーリエが再び進行方向の水を凍らせると、通路の先でパキリとそれが割れる音が聞こえた。
「アーシェラ様、魔物のようです」
「リーリエ、ナツメ、対処はいつも通りに」
「はい!」
「それでは、攻撃!」
アーシェラの号令に呼応して、二人が距離を詰めてくるゴーレムへと肉薄する。
「ナツメ、ここは任せます」
「はいはいっ、早目に戻ってきてくださいねー」
リーリエの指示に跳ねるように答えたナツメが、ゴーレムの振り下ろす石棍棒を盾で受け止める。
凍結した足元は通常の床よりもずっと滑りやすくなっており、それでもゴーレムの一撃をその場で受け止めているのは彼女の能力の高さゆえだろう。
そしてそんな彼女の脇をやはり足元を苦にもせず駆け抜けたリーリエが、撫でるように奥にいた魔物を切り刻む。
凍結した足元から抜けられないスケルトンメイジとリビングアーマーたちは、細剣の軌道に反応をする間もなく体から力を失っていた。
そこからリーリエは踵を返し、ナツメと対峙しているゴーレムへと攻撃を加えていく。
二人がかりで棍棒は瞬く間に解体され、リーリエが左の青の細剣を突くようにゴーレムへと差し込む。
一瞬の交錯であっても触れたゴーレムの関節は容赦なく氷へ包まれ、ナツメが握った槍を差し出した。
狙い澄ました攻撃が数度繰り返されると、ゴーレムの関節が脆くも砕け散る。
もしその光景を他の探索者が目にすれば驚きの表情を浮かべただろう。
このダンジョンの主がミドルゴーレムと呼ぶそれは、通常のゴーレムよりも一回り小さく耐久性も相応である。
それでも十分な耐久性と運動性を持ったそれに対して的確に一点だけを狙い砕いていく様子はシルバー等級の冒険者とは隔絶したものがあった。
「お見事です二人とも」
「ありがとうございます、アーシェラ様」
「もったいないお言葉です」
一戦終えた二人は体力の消耗もほとんど見られず、それを確認したアーシェラが進行を再開する。
「それでは参りましょう」
「はい。『凍てつけ』」
ゴーレムが胸が踏み荒らした凍りに躓かないようにアーシェラをエスコートしたリーリエが、再び水面に細剣を刺し力を解放した。
それから一行は階層を進め、26階層を探索していく。
「これで三階層目ですね」
「まだ下があるんでしょうか」
「おそらくここが最後でしょう。あまり増やして一度に攻略されてしまえば後が困りますから」
そんなアーシェラの推論に、前を歩く二人はなるほどと感心した声をあげる。
詳しい仕組みの特定はともかく、実際に階層を増やす速度に制限があることはこれまでのダンジョンの形態を見ていれば推測することができる。
そして一番奥で行き止まりにするとしても、あまり長い時間を引き延ばすのは避けたいだろうという話もあり、最近の実装速度の鈍化も加味すれば三階層程度だと考えられた。
そんな一行が26階層の地図を埋めていくと、通路の突き当りで一つの部屋にたどり着く。
四方がそれぞれ通路2つ分ほどの広さがある部屋の中央には、二つの台座が設置されている。
「これは、鍵でしょうか?」
片方の台座に乗せられている手の平からはみ出すサイズのソレは、おそらく石に近い素材で出来ており、意匠は鍵を連想する作りとなっている。
とはいえその大きさは通常の鍵よりもずっと大きく、素材が石なことも相まってデザインで役割がわかるように作られていなければピンとこなかったかもしれない。
「こちらは、数字が刻まれていますね」
ナツメが確認したそれをリーリエが覗き込み、危険がなさそうだと判断をしてからアーシェラにその場を譲る。
「これはパズルですね」
「パズルですか?」
その台座の意味を察したアーシェラの言葉にナツメが聞き返す。
「ええ、この赤いマスの数字を求められているのでしょう」
台座の上部には3×3のマス目が区切られており、その一部に数字が書き込まれている。
数字は左上が4、上が9、左が3。
他は空白となっており、右下の枠が赤く塗られている。
そして最後に、枠外に15と数字が添えられていた。
④⑨□ ⑮
③□□ ⑮
□□■ ⑮
⑮⑮⑮ ⑮
「辺の合計が全て15となる、という意味でしょう。リーリエ、答えがわかりますか」
「少々お待ちください」
言ったリーリエが台座に手を添えて、右上のマスへと指をなぞる。
「左上4と上9で15から合計を引くと2。同じように左上4、左3で左下は8。右上2左下8で中央が5。残りは右が7、下が1で赤の右下は6ですね」
「ええ、正解です」
リーリエの回答に満足したアーシェラが、もう一つの台座に載せられた鍵を手に取る。
それは赤く塗装されていて、台座の赤い枠と連動しているように見えた。
「しかし手間がかかることを考えますね」
「手間ですか?」
パズル自体は仕組みを覚えてしまえばそこまで難しくはない。
その上で手間という表現に疑問を覚えたリーリエがアーシェラへと聞き返す。
「ええ、今回は正答が一つの問いになっていましたが、このパズルは提示するヒントによって答えが二つにも四つにもなりますから」
「……なるほど」
つまりやろうと思えばどこの扉が正解か探してダンジョン内を再び彷徨わせることができるということになる。
当然それを確認するための寄り道は最短経路を通るよりも手間がかかり、マップを完成させて通り過ぎるだけの段階になっても時間がかかるということだ。
「面倒ですね」
「とはいえすぐにそこまで要求されるとは限りませんので、その時になったらまた考えましょう」
「でも、そもそも冒険者にこれが解けるんですかね」
ナツメの意見は当然の疑問であり、実際に冒険者にはこの計算が難しいという者もいるだろう。
「その時は総当たりで試せば問題ありませんよ」
「なるほど」
この鍵を差し込むべき場所はおそらくここまで来る途中で発見した数字の書かれた壁だろう。
ならば、9つ全部を回れば最低でも先に進むことができるし、期待値としてはその半分で済む。
万が一、鍵が一度しか扉に差し込めないルールになっているならその限りではないが、その可能性は低い。
それにこのパズルの答えは一つの正答を反転、もしくは回転させるだけのパターンしかないので、その基本が知れ渡れば紙に答えを書き写しておいて見比べるだけで解決する。
その頃になれば正答が一つでないパターンの問題を出しても許されるようになるだろう、というのがアーシェラの予想であった。
「この鍵って持ち帰れないんでしょうか?」
「面白いところに気が付きますね、ナツメ」
鍵は一度の探索で複数拾得することはおそらく出来ないだろう。
ただし手に入れたものを持ち帰れば翌日以降に持ち越せるかもしれない。
その場合には鍵と扉の紐付けはどうなるのだろうか、とアーシェラは思考を巡らせてみた。
「余裕がある時に試してみましょうか」
持ち越しが出来るのならば、30階層が実装された時に一旦一番下まで降りて鍵を回収するという手順を省略できるかもしれない。
「とはいえ、今日はこのまま進みましょう」
「はい、アーシェラ様」
彼女の言葉に従う二人が頷いて、一行は来た道を戻り始めた。




