100.運動
「んー」
今は日没後しばらくして、ダンジョンの中には冒険者の姿もほとんどなくなっていた。
時間は大体21時くらいかな。お外では綺麗な月が上っているだろう。
珍しくダンジョンに残っている冒険者も、もうすぐ魔力が尽きて外で野宿を始めるだろうし実質今日の業務は終わったようなものだ。
健康的な生活をしている者ならばそろそろお休みモードに入っても自然な時間ではあるが、睡眠が必須ではない俺にはそこまで規則正しい生活リズムは刻まれていない。
まあ前世で引きこもりだった頃から夕方に起きて朝に寝る駄目人間だったんですけどね。
ともあれそんな駄目人間にも稀に運動したくなるような時があり、それが丁度今だった。
「どうしようかな」
前世で運動といえば一人で時間関係なくできるランニングが主だったのだが、流石に生身で外に出るのは遠慮しておきたい。
ダンジョンの中でも自由に走ることはできるんだけど、それはそれで何か空しい感があるので別の方法を思案したいところであった。
「どうかなさいましたか、主様?」
「うん、ちょっと運動しようかなと思って」
椅子に腰かけて聖典を読んでいたルビィがそれをテーブルへ置いて腰を上げる。
「それでしたらわたくしもお付き合いしますわ」
「聖典読んでたけど大丈夫?」
「ええ、内容は全て覚えましたので問題ありません」
え、すご。
俺なんてまだ最後まで読んでもいないのに。
じゃあ今から読めって? いやです。
「それじゃあなにしよっか」
二人いれば一人よりもずっと運動の幅が広がるわけだが、俺とルビィのスペック差で対戦すると相手にならないのが目に見えているのが困りものである。
まあ別にガチでやらなくてもいいんだからほどほどに遊んでもいいんだけど。
でも今日は別の運動にしようかな。
「よし決めた」
ということで俺は、天井いっぱいまで伸びる壁を作った。
「よし完成」
作業を終えた俺とルビィの前にあるのは10メートルほどある壁。
その壁は地面から5メートルほどは垂直のまま伸び、それより上は角度をつけてこちらへとせり出している。
そしてその壁には指を引っ掛けて登れるように突起がつけてある。
要するにボルダリングの壁である。
ちなみに10メートルだと4階建てのマンションの屋上くらいの高さであり普通は命綱を使うんなんだけど、俺もルビィも人間じゃないので大丈夫。タブンネ。
一応マットは敷いてあるしね。
「それじゃ最初は交互に登ろうか」
「それではお先にどうぞ、主様」
「ありがと、ルビィ」
先を譲ってもらったのでお手本を見せるつもりで壁に手をかける。
「よいしょ」
そのまま壁の出っ張りを掴み、足も出っ張りへと乗せ体重をかけたままぐいっと力をかけるとそのまま体が持ち上がった。
「次は……」
壁にはランダムに突起が設置してあるので、登りやすいようにルートを考えて進んでいくのが重要だ。
まあ自分で作ったものなので、大体どんな感じに配置されているかは最初から把握しているんだけど。
うーん、足が良い感じの高さになくて乗せづらい。
誰だよこんな配置にしたやつ。
なんて苦戦をしながらも、ひとまずは垂直の壁を登りきる。
そしてそこから傾斜がついている壁の出っ張りへと手をかけると、自分の身体が壁から離れ、一気に負荷が上がったのを感じた。
「こりゃキツい」
そのまま頑張ればもう少し登れそうではあったけれど、まだ最初だしあんまり時間をかけてもアレなので大人しく壁に張り付くのを諦めて手と足の力を抜く。
どん、とマットが沈み地面に着地。
「お上手ですわ、主様」
「ありがと、ルビィ。登るのはこんな感じね」
「わかりましたわ」
「それじゃあ、タッチ」
ということでルビィの手にタッチして順番を交代、今度は彼女が壁の前へと立ちその先を見上げた。
ちなみに今のルビィは運動がしやすい格好に着替えている。
上は運動用のタンクトップで下はスパッツ。
夏に公園でランニングしてるのが似合いそうな格好だ。
動きやすく肌に密着するデザインなので、ルビィのセクシーなボディラインがよく見えて眼福である。
あの服作ったのも俺なんだけど、渡す相手がルビィじゃなかったら完全にセクハラだ。よかったー、相手がルビィで。
そんなルビィは持ち前の身体能力で着実に掴む出っ張りの高さを上げていく。
やっぱり俺とは素体の性能が違うなあ。
ちなみに俺も前世と比べたら運動性能は向上しているっぽいんだけど、それでもルビィと比べたら天と地の差である。
多分人間だった頃の俺だったら垂直な壁だけでも登頂できずに途中で脱落していただろう。
引きこもりは伊達じゃないからね。
その点今の俺は運動系のサークルに所属している大学生くらいの身体能力はあるんじゃないかな。
想定する範囲の幅が広すぎる気がしなくもないけど、まあオリンピック選手を優に凌駕するルビィと比較したら誤差みたいなもんだよ。
そんなルビィを見上げると、もう傾斜の壁に手をかけようとしていた。
うーん、絶景かな。
下から見ると、運動の邪魔にならないように後ろで括ったポニーテールが揺れる先に引き締まったお尻とスラっと伸びた脚へ視線が吸い込まれる。
これが目的でボルダリングを選んだわけではないのだけど、それはそれとしてもう今日は大満足かなって気分であった。
「んっ……」
頭上で一段目の傾斜を越え、更にこちらへと角度をつけて出っ張った二段目へと手をかけるルビィの吐息が小さく漏れる。
あそこは傾斜に伴って出っ張りも力を入れづらい形状にしてあるので、ルビィでも簡単ではないみたいだ。
とはいえそんな難関も攻略したルビィが、天井へとタッチしてそのまま落下しマットに着地した。
俺の時より大きくボスンとマットが沈む音がして、ルビィが軽く膝を曲げてその衝撃を受け流す。
「ルビィ、お見事」
「ありがとうございます、主様。結構いい運動になりますわね」
言ったルビィは肌に薄っすらと汗が浮かび、肌は桃色に染まっている。素晴らしいですね。
「楽しめてるようなら良かったよ」
「ええ、主様もどうぞ」
もう少しルビィを観察というか鑑賞していたかった気持ちもあったけど、体育の時間はまだまだ続くのだからと気持ちを切り替えて壁へと向かう。
「よいしょ」
今度は天井を目指して限界までチャレンジ。
傾斜を超えてその先へ。
実際にこうやって運動をしてみると、身体能力もだけど体の使い方が前世よりも上手くなっている感じがするかな。
細かい突起の掴み方とか力の入れ方がスムーズで、自由に体を動かせる感じがする。
あっちに戻って音ゲーとかリズムゲーをやったら、以前のハイスコアを余裕で更新できるかもしれない。
「あっ」
なんてことを思っていたら、純粋に筋力が足りなくて片手が出っ張りから外れる。
当然片手が足りない状態で反り立つ壁に捕まっていられるわけもなく、そのまま滑落していく。
一瞬で尻を打つことを覚悟した俺だったが、その衝撃が来る前に背中と膝裏に生まれた柔らかい感触が衝撃を受け流すように優しく受け止めてくれる。
当然、その相手はルビィだった。
「ご無事ですか、主様」
「うん、ありがとルビィ」
60キロ以上の人間が5メートル以上の高さから落ちてくるのをキャッチしたら普通に色んな所を痛めそうだけど、ルビィは持ち前の身体能力で余裕の表情だ。
「ルビィも怪我してない?」
「はい、問題ありませんわ」
「そっかそっか」
ならよし。
というか抱き上げられるような格好になっているので、気付けば凄く顔が近い。
「どうかなさいましたか、主様?」
「うん、顔が近いなと思って」
「お嫌でしたか?」
「ううん、ルビィの綺麗な顔が近くで見れて得したよ」
「それはよかったですわ」
「まあ役割は男女逆なんじゃないかなとちょっと思わなくもないけど」
そもそもが自分の失敗が原因だし、身体能力的にもルビィの方が上だから文句がある訳でもないけどね。
「それでは、交代いたしましょうか」
「えっ?」
「いきますわ、主様」
「うん、がんばる」
頭上から聞こえるルビィの声へ見上げながら答える。
端的に解説すると、天井付近まで登ったルビィを俺が下でキャッチする直前という状況である。
前提として俺よりちょっと身長が低いくらいのルビィが10メートルの高さから落ちてきたらキャッチ出来るわけないので、そこは対策済みである。
その対策とは右手にはめた金の指輪。
これには筋力向上のエンチャントが施してあるので、ルビィを抱きとめられるはずだ。
たぶん、きっと、おそらく。
「では」
ルビィが一声出してそのまま手を放す。
当然着地点で準備しているので、ルビィの体はそのまま俺の両腕にすっぽりと納まった。
おっっっっっも。
膝のクッションを全力で使ってキャッチした俺は未来少年コナンみたいになったけど、ギリギリのところでルビィを落とすことはなく耐えることができた。
「重かったですか、主様?」
「いやいや、全然余裕だよ」
まあ実際に重かったかどうかはともかく、こういう構図は良いものですね。
ルビィも柔らかくて抱き心地も良いしね。
一応魔物に分類されるルビィも、その身体の基本的な作りや柔らかさは人間の女性と相違ないようだ。
思い出してみれば女性を抱いたどころかキスしたこともないから人間の女体の感触なんて知らなかったけど、たぶん相違ないだろう。
「んっ、少しくすぐったいですわ主様」
「ああごめんね」
お姫様抱っこみたいな格好で片手が腋の下に触れてるんだけど、ルビィもここを触られるのはくすぐったいらしい。
「それじゃ、そろそろ降ろそうか」
叶うならずっとこうしていたいくらいだが、残念ながら俺の肉体はそんなに持久力も耐久力もあるわけじゃない。
「少しだけ待ってくださいませ、主様」
「どしたの、ルビィ」
言ったルビィは俺の質問に答える代わりに、こちらの首に腕を回してそのまま抱き寄せてくる。
そしてそのまま身を寄せると、俺の頬に彼女の唇が触れた。
「これは感謝の気持ちですわ、主様」
「なんの感謝?」
「ふふっ、それは秘密ですわ」
秘密かー。ならしょうがないかな。
「ありがと、ルビィ」
「どういたしまして、主様」
こうして俺とルビィの運動はまだまだ続くのであった。
ということで100話です。
まだまだ続く予定ですのでよろしくおねがいします。
あと評価ください。




