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人造人間 ~Clone Girl~  作者: 鈍行彗星
3/6

3.いい暇つぶし

僕には、何ができる…?

3.いい暇つぶし



「はぁ...はぁ..はぁ....」

 ここまで来ればもう大丈夫だろう。僕らに気付いていたとすればもっと早いうちに捕まっているはずだ。

「へいきぃ?」

 背中からの声に、ほっ、と安心する。あそこから逃げ出してからずっと、顔を見れずにいたから少し不安だったんだ。



―――気づかない内に、この子はバラバラにされてい――――――



(何を考えてるんだ撲は...)

忘れろ、忘れよう。そんな嫌な事は忘れてしまおう。そんな事を想像するためにこの子を連れ出して来た訳じゃない。

「ここからは一緒に歩こうか」

「うん!」

 最後に辿り着くのは死。それが早いか遅いか、ただそれだけの違い。でもあの男はこうも言っていた。

『いかにいい暇つぶしができたかで人生の良し悪しは決まる』

そしてこの子はまだ、いい暇つぶしを何もやっていない。

だったら――――――


(僕がその暇つぶしの相手をしてやろう。最後まで一緒に...)




「あれなぁに、あれ!」

「あぁ、あれはね...」

 今彼女が夢中になっているのは、床屋にあるあの『クルクル』だった。御代畑は別に都会じゃない。とはいえ、何にも無い縦川村よりはお店もあるし、彩り豊かな看板もたくさんある。

 でも、あまり長居をしているわけにもいかない。僕らは駅へと向かった。幸い財布を持っていたので、ある程度遠くへ行くことはできるだろう。

「押してごらん? あ、ここね?」

「これ?…わぅっ!?何か出てきたー!!」

 ボタンを押すと紙切れが出てくる機械が、相当面白かったらしい。その後にジャラジャラと小銭が出てくると、また大笑いして喜んでいた。




 電車に揺られること、一時間と少し。二千円の切符で行ける距離の限界が、丁度おばあちゃんの家がある所だった。

 縦川村並みの田舎村で、雪の多い多恵高原と言うところだ。

 

リンッ、ポーン     

 呼び鈴を押させてあげると、少ししてから、おばあちゃんがノソノソと引き戸を開けて出てきた。

 おばあちゃんは目が悪い。僕のことはすぐにわかったみたいだけれど、あの子のことは「この人だぁれ?」と言うまでは全く気付いていないらしかった。

「あぁ…僕の友達なんだ。それよりおばあちゃん、実はちょっとお願いがあるんだ」

 おばあちゃんは突然の孫の訪問を、何の疑問も返すことなく受け入れてくれた。しばらく泊まってもいいとも言ってくれ、とりあえず、これで一安心だ。

 先の事はまるで何も考えていなかったけれど、とにかく今はこの子と遊んでいよう。この子と一緒に楽しい暇つぶしをしてあげようと、僕は決めたんだから。

「よし、夜は星を見に行こう。どうだい?」

「ホシってなーにぃ?」

「あ、そうか、まだ知らないのか。えっとね…星っていうのは」



―――――



 一方、クローンの少女がいなくなった御代畑医療研究施設では、言うまでもなく大変な騒ぎとなっていた。

「鍵を掛け忘れただと? 本当に、本当にそれだけなのか!?」

「だったら何故すぐ見つからない! 誰かがあの子を連れ去ったんじゃないのかっ!? そうとしか考えられんだろう!」

 しかし、周りのこの騒ぎに対して、あの若い医者だけは動揺も慌てもせず、慌てふためく白衣の男達を遠くから壁に寄りかかって眺めていた。

(彼は……うまくやってくれたようだな)

 応接室にいた白衣の男達も、あの子がいなくなったことを聞いてどこかへいなくなっていた。

少年の両親達は状況をよく理解できないまま、冷めたお茶に手を出しもせず、不安そうにただずっと座っていたのだった。

 と、開けっ放しになっていたドアを誰かがくぐってきた。あの若い医者だった。

「お待たせを致しました。車を手配致しましたので、ご自宅までお送り致します。お子さんには少々協力して頂くことがありますので、後ほど私どもがお送りいたします」

 とんでもないことに巻き込まれてしまったのだな、と二人は顔を見合わせて思ったのだった。



――――――



 囲炉裏の上では鉄瓶が湯気を吹いている。ことこと揺れるフタを触ろうとするのを、僕は慌てて止めた。

「あぁっ、だめだよ。それすっごく熱いんだから」

「? あついって?」

 怖いもの知らずとは恐ろしいもので、興味を示した物にすぐ触れたり持ったりしようとするから落ち着けない。姿かたちは小学生ぐらいでも、生まれてからまだ八日しか経っていないのだからしょうがない。赤ちゃんと同じなのだ。

「う~んと………チクッって、痛いのとおんなじ。痛いのは嫌でしょう?」

 そこへ、おばぁちゃんが串に刺したお餅みたいな物を持ってきて、興味はそっちに移ってしまったようだ。

 せっかく空気の綺麗な所まで来たのだし、今日はこの子に星空を見せてあげたかったのだが、残念ながら今夜は曇りらしかった。 

 外では冷たそうな風が、ひゅうびゅうと吹いていた。


―――――――



 会議室に一枚のメモが届けられた。一番白髪の多い男がそれを受け取ると、眉間にシワを寄せている三人にそれを伝えた。

「県警が極秘捜索を開始してくれるそうだ。もっとも、県外に逃げているのなら、かなり厄介なことになるだろう」

極秘とはいえ、警察の協力が得られたのは彼らにとって非常に大きい。秘匿を守る為、施設の人間は数が限られていたからだ。

「最悪の事態はなんとしてでも避けねばならない。少女Cがオリジンの年齢を超えても、オリジンが生き絶えてしまっても意味が無い。Cの体に傷をつけてしまうことも、また同じだ」



「………えぇ、大丈夫ですよ。そちらの病院への搬送は予定より遅れますが、どちらにせよ彼女にはある程度成長させなければなりません。手術は予定日に行えますよ」

 白衣の男は受話器を置くと、ふぅっと一息ついてソファに腰を落とした。デスクに向かっていた銀縁眼鏡の女が、椅子をずらして彼の方に向いていて、男が気がつくと両手を広げて苦笑いした。

「オリジンの母親からだよ。まったく、落ち着きのない女はいやだねぇ」

「そういう言い方は無いと思います…お母さんだって、自分の子の命が掛かっているんです。取り乱してしまうのもわかります」

「かもね。だけど、急いだって手術用の臓器が用意できるわけじゃない。Cの少女が予定通りオリジンの病院に着いていたって、二週間は待たなきゃいけなかったんだ。なら今さら、残りの一週間を彼女の好きなように過ごさせてあげたって、別にいいんじゃないかと思うけどね。のんびりと、慌てずにね」

 女は反応に困ったらしく、またデスクに向かって仕事の続きに入ってしまった。男は体を起こすと、両手をアゴに当ててぶつぶつと呟いていた。

(そう…急いだところで、あなたがお腹を痛めたお子さんを失うことには変わらないんですよ………今のままではね)

座ったまま、男は自分の机から飲み掛けだったコーヒーを取った。湯気はもう出ていない。

「作り直しましょうか?」

「いや、氷を入れるよ。そっちの方が好きなんだ」

だったら最初からそうすればいいのに、と彼女はちょっとムッとなった。


御代畑医療研究施設は地上二階建てと、一見するととても小さな研究機関である。

しかし、その地下には巨大な研究施設が広がっており、日夜様々な研究・実験が行われていた。クローンの少女も、『結果的には』研究の成果の一つだったのである。

「はい、第三研究室田中です。……あー、はい、えぇ、今の所順調です。動きも良好ですし、量的にも十分足りますよ。………他の臓器はぁ~ですね、おおむね順調とは言えますーが、なにしろ作る数が多いわけですから、ちょっと間に合うかわからないんですよ。

 えぇ、一つでも失敗したらその時点でアウトです。…………はい、わかってますよ、『慌てず急げ』でしょ? へっへっへっ、はいー」

 第三研究室の中では十人ほどの人数が作業している。彼らの目的は人工臓器の製作、つまりクローンの少女からの移植が失敗した時のための『保険』だった。

「やれやれ…どっちも賭けみたいなもんだと思うんだけどなぁ」

機械による人間の補完、たとえば義手や義足といったものは、今では高値ながらもかなり普及したと言えるだろう。

 しかし人工臓器の方はというと、まだ完全な物は確立されていないのが現状だ。それは、臓器は義手や義足と違い、定期的な整備や交換が困難であることがまず挙げられる。いかに永続的に動作する臓器を作るか、そして故障を起こさないようにするかが第一の課題だ。

 そして もう一つ、避けられない大きな壁がある。

『拒絶反応』だ。

たとえどんなに精巧な人工臓器を作れたとしても、体が受け入れてくれなければ全く意味が無い。ましてや、『人の手によって造られた』臓器、いや、『機械』なのだ。拒絶反応が無い方が、普通に考えればおかしいはずなのだ。

「拒絶反応への解決策としてクローンを作ったんですよね? 自分自身をもう一つ作って、そこから必要な物だけ頂く、と」

「そういうことだ。自分と全く同じ臓器ならまず拒絶反応は起こらない。特に今回の患者の場合、全身火傷に加えて蔵器までやられてるって話だから、量的にもまぁ確かにちょうどいいって言えばそうなんだけどな。だけど、だ。何でもかんでもそう都合よくいくと思うか?」

すると田中の話を聞いていた男は困った笑いを浮かべて答えた。

「だって、今もう起きてるじゃないですか、都合の悪い誘拐」

 まったくだ、と田中も舌打ちした。

「じゃあこっちは頼むな。ちょっとラボ室の方に行ってくる」

「ラボ室…ですか? あれ、今あの部屋使ってましたっけ?」

あ~気にすんなと、足早に田中は去っていった。彼もたいして興味が無かったらしく、すぐに自分の作業に戻ってしまった。






―――――――




―――――ぼすんっ、

「っだぁ!? やったなぁ~、うりゃッ!」

「あはははっ、や~ぁ!」

 楽しい時間は瞬く間に過ぎていき、僕らは全てを忘れて遊び戯れていた。おばあちゃんはやっぱりこの子の変化にあまり気付いていなくて、時々首を傾げるようなことはあっても、さほど気にしてはいないようだった。

 近所の人がやってきても、あの子と何度も会っている人はいないし、僕らがこうやって、雪玉を公園で投げ合っても、指をさす人がいるわけじゃない。

(それでも……やっぱり、心配だ)

 あの白衣の人達が、突然僕らの所に現れ、あの子を連れ去っていってしまうんじゃないか、と。僕はいつも、恐れていた。

 今日で、あの施設から逃げ出して三日目。つまり、彼女が生まれてから十一日目に来ていた。

 彼女は施設から抜け出した時と比べても、身長も髪も伸び、顔立ちや体つきもずっと大人びたものに成長していた。

 すぐに困ったのは彼女が着る衣服で、僕はおばあちゃんや、昔住んでいた叔母さん達が着ていた服を貸してもらって、何とかやり過ごしていた。それでもやっぱり、ちょっと大きめな物が多くって、あんまり動きやすそうには見えなかったものの、本人はむしろその変な感じを面白がっているらしかった。

「そろそろおばあちゃんちに戻ろうか、丁度お昼の時間だよ」

「うんっ!」

 昼時の町は雪が輝き、あちこちからシャリ、シャリという、雪を削る音が聞こえていた。時々、店舗などの屋根からまとまった雪がボトボトと落ちてきている。この辺りでは今の時期、よく見ることのできる光景だった。

 


―――――――



「GPS発信機?」

 眼鏡の女は、そのあまりにも単純な結末にため息をついた。

「私が何の考えも無しに彼女を解放したとでも思ったかい?」

「いえ…ただ、なぜ今更になってそのことを私に話したのかがよくわかりません」

「はっはっ、そうかい。あんまり君が眉間にシワを寄せて考えていたからね。つい本当のことを教えたくなってしまったんだよ」

 ため息がまた一つこぼれた。それが安心によるものなのか呆れによるものなのかは、少し判断が難しい。

「ですが…そんな物をいったい彼女のどこに忍び込ませたんですか? 最悪、彼が見つけて捨ててしまう可能性さえもあるのではないかと思うのですが…」

 男は自分のワイシャツを引っ張って、ここだよ、と言った。

「服だよ。彼女は一日で一つ歳を取る。ということは、身体もその分大きくなっていく。彼はいずれ新しい服を用意するだろう。そうなった時、君なら小さくて古い服をどうするかな?」

 彼女は、それこそ少年が捨ててしまうのではないかと思ったが、ふと、あることに気がついた。

「彼は、正体不明の恐ろしい集団に追われている。そう、我々のことだ。彼はいい意味でも悪い意味でも我々の事を巨大な組織と思っているようだ。そんな彼のことだ、おそらく我々に足取りがつかまれないように細心の注意を払っていることだろう。

 そんな彼の心理状態からして、彼女の存在が近くにあることを教えてしまうような物を、簡単に手放してしまうだろうか?」

 そう言って、男は携帯電話を取り出した。開かれた画面には多恵高原の地図が映っていて、赤い点がチカチカと光っていた。

「つまり……そこが、」

 男は、パチンと携帯電話を閉じ、答えた。

「大切なものを隠しても安心できる場所…………ずばり、彼のアジト、ってわけさ」


――――――――――――――


 窓の向こうに見える日本海には、この晴天からは信じられないような黒い雲が集まっていた。たぶん今夜もまた荒れるのだろう。

「ねぇ、何で一枚だけ飛びててるの?」

「ん、引いてみたらわかるんじゃない?」

 すっと伸びる手が、その端に出っ張ったカードを引き抜く。もちろんそれは、ババだった。

「あ~っ、ひどいッ!!」

 ケラケラと笑う僕を見て頬を膨らませた彼女は、早速手札から一枚だけカードを出っ張らせ、僕に突き付けてきた。僕がそれを取って、また二人で大笑いをした。

 と、そこにおばあちゃんがやってきた。

「醤油? いいよ、じゃあすぐ行ってくるよ」

醤油が残り少ないので、買ってきてほしいそうだ。僕は彼女を連れて、近くのお店に買い物へ出掛けた。

    


 おやつの時間が過ぎたのに、通りはいつものように人がいない。

 珍しいことじゃないとはいえ、この寂しさは僕を心細くさせ、同時に人目を気にしなくてもいいという安心感をくれる。

「ちょっと風が冷たいね…大丈夫?」

「へいきぃだよ~」

少し薄暗いお店の中は、重井沢のコンビニぐらいの広さだった。とはいえ、置いている種類こそ違うけど品揃えはスーパー並みで、醤油も徳用の大きなボトルが置いてあった。僕はそれを買ってお店を出た。

 帰り際、店のおばちゃんがおまけと言って、ラムネ菓子を二つくれた。あめ玉みたいに一つ一つくるんである物だ。


「これはね、こうやって両方を引っ張って、白いのを、食べる」

 くるりと半回転して、白いラムネ菓子がさらけ出た。

「やってみる!」

 彼女はラムネ菓子を受け取ると、さっそくねじれた袋の両端を持って、勢いよく―――――――

「あっ!!」


―――――――彼女は、思いっきり引っ張ってしまった。


 くるくると白い円盤が飛んだかと思うと、僕らの目の前でそれは地面に落ちてしまった。


「ぁ~…」


 よりにもよって、それはぬかるんだ泥の中に落ちてしまい、真っ白だったラムネ菓子は汚い茶色に染まってしまっていた。

 僕が拾おうとするより早く、彼女はすばやくしゃがみこんでそれを拾おうとした―――――――。


「ダメ!!」


 びっくりしている彼女を引き戻し、僕は彼女の両肩を掴んで向かい合った。説明のいらないことだと思ったのに、彼女はなかなかわかってくれそうになかった。

「どうして?」

「汚くなっちゃったんだよ、もう拾っても食べられない」

 それでも彼女は、振り向いて拾おうとする。しゃがもうとする彼女を、僕はもう一度制止した。

「ダメだって、もうしょうがないんだから。また今度来た時に同

じのを買ってあげるから、今日は我慢して、ね?」



「…………~~~!!!!!」



途端、何かの栓が弾け飛んでしまったかのように。

彼女は、高い声を上げて泣き出してしまった。



「―――――――ど、どうしたんだよ、何も泣くほどのことじゃないだろ? なあ、泣かないでよ、どうしちゃったんだ急に……」

 彼女の泣声は止まらなかった。そして、僕にはその泣声の止め方も、どうして泣いているのかさえもわからないでいた。

 僕は何か悪いことを言ってしまったんだろうか。


(………あ)

 そう意識した瞬間、僕はとんでもない失言をしていたことに気が付いた。彼女に対して、一番言ってはいけない類の失言に。


(『また今度』って……いつだよ………)


 たとえそれが原因じゃなかったとしても、それは僕が言ってはいけないことだった。一日に一つ歳を取る彼女にとって、いつともわからないまた今度なんて、いったい体は何年待たされたと同じことになってしまうんだろうか。

 僕は、自分自身で怒りを覚えてしまった。いつだって彼女のために、この子のためにと言っていたくせに、こんな簡単なことにも気を配れないなんて……。


「~~~~~~~!!!!!!」


そんなつもりじゃなかったのに―――――――。


初めてだった。こんな、こんなにも胸を締め付けられる泣き声を聞いたのは、初めてだった――――――――――――――。



(初めて………?)


いや――――――――――――――違う。


 僕は前にも………この泣き声を聞いているじゃないか―――――――。




 そこへ、さっきの店のおばちゃんが泣き声を聞きつけて、何事かとお店から出て来てくれた。

実は…と僕が今の状況を簡単に説明すると、おばちゃんは店に戻って新しいラムネ菓子をまた2つ持って来てくれた。彼女は、それをしっかり受け取った後もまだ、少しぐずっていた。

「すいません、わざわざありがとうございます………ほら、おばちゃんにありがとう、って言って」

 嗚咽がひどく、とても声にはならなかったが、それでも彼女は涙を拭きながらおばちゃんに頭を下げていた。

 もう泣かないで、と、おばちゃんは優しく声を掛けてくれ、頭をなでてくれていた。

   



 …僕はわからなくなってきた。いったい僕は、彼女のために何ができたんだろうかと、あの場所から連れ出してくるほどの価値がある行動ができたのだろうか、と。

「………」

 今にして思えば、僕はあの男を否定したかっただけなのかもしれない。あの男が言うことの、一つ一つが腹立たしくて、全てが認めたくないことばかりで。

「……おいしかった?」

「うん」

 でも、真実だった。

 いや、そんなこと、あの男に会う前から気付いていたじゃないか。彼女は普通じゃなかった。だけど、普通じゃないからこそ、守りたかった。だから、僕は――――――――――――――

(…?)

 何だろう………今、僕の中で嫌な違和感があった。

「ねぇねぇ」

「ん……なに?」

 針穴に糸が通らないような、嫌な感じの………

「あした、またお店に行こう?」

「明日? どうかな、何か買い物があれば…行くかもね」

「なかったら…いつ行く?」

「そうだね…また      」

 その時僕は、また『今度』と言ってしまう所で、言葉を飲んだ。それは言っちゃいけないと…さっき気付いたばかりだったのに。

「……また?」

 ほら、彼女が不安そうに覗きこんでいるじゃないか。答えてあげろよ、何で黙ってるんだ僕は。

「………また、いつ?」

――――――――――――――針の穴に、糸が通った。

その小さな穴の先に、僕は見て―――――――見えてしまったんだ。だから僕は、今まで穴を見ないで糸を通そうとしていた。

 そんなこと、絶対にできるわけがなかったのに。


(…い…やだ………)




老いて、しわがれ、動かなくなっていく彼女の姿を、僕は―――――――



(あ…ぁあ………ああぁぁあぁぁあああああ!!!!!!!!!)



「……どうしたの?」

 彼女が僕の袖を引っ張るまでの間、僕はずっと目をつぶっていたらしい。そんなの全然自覚は無かったけれど、とても怖い顔をしていたという。

「………」

 彼女は不安そうな顔で僕を見上げている。…どうして彼女がそんな表情をしなければいけないんだ。自分の寿命のせい? それとも殺され、バラバラになる運命のせい? あの男のせいなのか?

(いや………違う)


 僕は同じ視線の高さになり、頭をなでた。



―――――――あの時決めたことを思い出しながら、優しく。



(僕が不安な顔をしていたら、彼女だって不安になるじゃないか……僕は、自分で決めたことも守れていなかった―――――――)


 なら、僕がしなければいけないことは簡単だ。

 僕は、あの時決めたことをしっかりと守ればいいのだから。

「また明日も行こう、あのお店へ。何も買う物が無くたっていい、いろんな物を見に行こう」

「うん、約束だよ!」


 この娘が安心していられるよう、笑っていよう      


「あぁ約束しよう!また一緒に行こう!!」



 僕は、彼女を抱き寄せて、もう一度心に約束した。


 彼女のために生きていこう。



 ずっと彼女が安心して、笑っていられるように       

























―――――――でもまさか、

明日の約束さえ守れないなんて、

誰が知っていたんだろうか―――――――


つづく…



挿絵(By みてみん)

次回は、11/3更新予定です

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