2.あの子の真実
改行などの修正を加えた他は、特に同人誌版と変更・チェックはしていません。
2 あの子の真実
八日目の朝、一台の救急車が縦川村八番地にやってきた。
言うまでもなく、僕の家のことだ。
「はじめまして、私は―――。」
医者と名乗る男は丁寧に挨拶をした。まだ三十代前後ぐらいかと思われる、若い人だ。
その人が赤ちゃん、いや、あの子を救急車に乗せると、僕らも車に乗ってくれは言った。もちろん断らない。
――――――
僕らが乗った救急車は縦川村を出て県道を右に曲がり、重井沢市の方へと上っていく。クネクネとカーブを曲がり、森林と渓流の続く道を越え、そろそろ重井沢市に着く頃だろう。
ところが、突然車は県道を外れると、真新しいアスファルトの道に入り込んで、そのまま重井沢市から東の方へと外れていってしまった。
こんな所に道がある事すら、僕は知らなかった。
「これからいったい、どこへ行くんですか?」
聞いたのはお父さんだ。
「御代畑の医療研究施設です」
と、さっきの医者は静かに答えた。
「そして、この子が産まれた場所でもあります。」
――――――
ちょうど町外れにある山の中、ひっそりと、その白い建物は佇んでいた。
『財団法人・御代畑医療研究施設』。
できたのは最近なのか、それともずっと前からあったのに知らなかっただけなのか。そこは本当に静かで、木々の葉を抜ける風の音しか聞こえてこなかった。
「どうぞこちらへ」
救急車から降りると、僕らとあの子は別な白衣の人達に導かれ、別々の場所へと連れていかれていった。
僕らが案内されたのは応接室みたいな所で、白衣を着た男が三人、部屋の中で座って待っていた。
「この度はどうも、皆様にはご迷惑をお掛けいたしました」
三人が立ち上がり、真ん中にいた五、六十代の男が頭を下げた。おそらくここの所長か何かの人なのだろう。
「あの...あの子は...?」
僕は聞かずにはいられなかった。当然の質問に、白衣の男達は戸惑いながらも少しづつ口を開いた。
「あの子は...普通の人間ではありません」
「お気づきだとは思いますが、あの子は普通の人の約三百六十倍の速さで成長をするように産まれてきました」
僕ら一家は、その言葉に息を呑んだ。
「なぜ...そのようなことを...?」
「その前に、お話しておかなければならない事があります。」
さっきの若い医者だ。
この人だけは――――――むしろ威圧するような雰囲気で――――――他の男達と違った顔で話をしていた。
「彼女の事は極秘事項です。元々あなた達一般の方には知られてはいけないことでした。これからお話しすることは、決して他人には洩らさないよう約束してくださいす」
…そんな態度が、僕にはこの男が本当に医者なのか、という疑問さえ抱かせた。
いや、それよりも僕が聞きたいのは…
「彼女は、移植治療用に作られたクローン人間です。」
――――――頭が真っ白――――――にな、った。
な..んだって...?
「彼女のオリジナルは、十五歳の少女です。その少女は今、生死の境をさまよっています。」
その男の話を要約すると、つまりこういうことだった。
数ヶ月前、オリジナルの少女Aは交通事故に遭った。車は炎上し、事故はニュースでもとりあげられ、その中で重傷一名と報道されていたのが、この少女Aなのだという。
Aは、骨折、内臓破裂、重度の火傷など、様々な怪我を負いながらも、奇跡的に生存することができた。
が、その治療は困難を極め、皮膚、内臓などにしても、移植を要する物があまりに多すぎて、適合する物もなかなか見つからないで現在まで至っているのだという。
だがAは生きている。親は当然子供を助けてくれと願ってくる。しかし、治療をするための材料、臓器や皮膚があまりにも足りなすぎる。
そこで、Aの治療に当たっていた医師達は、ある苦渋の決断をして、この御世畑医療施設に訪れてきたのだという。
Aのクローン人間を作り、そのクローンから必要な臓器や皮膚を移植しようと考えたのだ。
出産役はAの母親が協力し、Aの細胞と母親の卵子から作り出された特殊な受精卵が用意された。その際、早急にAと同じ程度の年齢の身体まで成長させる必要があったため、眠っている時に作用する成長ホルモンなどの分泌量が増えるような遺伝子操作が行われていた。
結果、Aのクローン人間B、つまり『あの子』は、一度眠ると、ほぼ一歳年を取るような身体になって、産まれてきたのだ。
あとは、BをAのいる病院へ搬送し、BがAと同じ年齢の身体になったところで、成長ホルモンの分泌を抑制させる手術を行い、Aに移植手術を施してめでたしめでたし、となるはずだった。
「しかし、その搬送途中で救急車が事故を起こした。あとは、あなたがたの知っているとおりです。」
「......」
クローン人間が、理論的には可能であるというのはずっと前から知っていた。でも...八日間一緒に過ごしたあの子がクローン人間だったと言われても、実感が湧くものじゃない。
いや、むしろ否定したくなる。信じられないとか、そうじゃなくて、認めたくない。
だって、認めてしまったら―――
「手術で使わない臓器などはバンクに保管し、臓器移植患者への提供をすることになっています。もちろん倫理的問題を指摘される事は必至でしたから、極秘扱いにしてきたんです。ですが、これは医学的に画期的なことなんですよ」
――――あの子が死ぬために産まれてきたって、認めることになるじゃないか――――――
「私たちは人の命を救おうと、直す努力をしています。しかし、どうしても手に入れることができない部品という物は出てくるんです。ですがこの方法なら、必要な部品を確実に手に入れることができ、しかも一度に大量の部品を作ることができます。百%合致する部品を作れるのは、自分しかいません。どうか、この事を理解して頂きたいのです」
白衣の男たちは深々と頭を下げた。それだけ、この人たちにとっても苦渋の決断だったことぐらいはわかる。
「それから、先ほども申し上げたとおり、この事については一切口にしないようにしてください。いつか表沙汰になることもあるかと思いますが、あなた達は何も見なかった。そういう事にして頂きたいのです」
何も見なかった、か。そういう事にするのは簡単だろう。だけど、この記憶はどうする? 八日間一緒に過ごした女の子との記憶は? 記憶だけは、そういう事にするのは難しい。
無理だ。僕にはできない。あの子のことを、忘れられるものか。
「今…あの子はどうしているんですか?」
この部屋に来てからずっと気になっていた事を、僕は聞いた。
――――――
あの子は、個室のベッドの上に座って一人遊びをしていた。中には入れず、外のガラスから様子を見せてもらっただけだ。
「君は何か言いたげだったな。」
あの若い医者に案内してもらっただけでも少々気に食わないのに、そんな事を聞いてくるんだから、なおさら腹立たしい。
「言いたいことがあるなら言った方がいい。溜め込んでも後で悔やむだけだ。」
「...言ったところで、聞いてはくれないんでしょう?」
僕はこの男が嫌いらしい。年上の人にこんな挑発的なことを言うなんて、めったにすることじゃなかったからだ。
「私は仕事柄、人の話は最後まで聞く性分でね、気になることがあったら全部喋ってもらっている。その後に私がする事に関しては、確かに保証しかねるがね」
「....」
ガラスの向こうのあの子は青い服に着替えていて、まだこっちには気づいていない。
いや、中からは外が見えないのかもしれない。
「...あなたは、この事に賛成していたんですか?」
何をわかりきった事を聞いてるんだ僕は。そうでなかったら、何でこの男はここにいるって言うんだ。
「もちろん賛成した。クローンがちゃんとできるのかは気になったが、できてしまえば反対する理由はない」
「死ぬために産まれてくる人の気持ちについては気にならなかっんですか」
男の方を見た。男も中のあの子の様子を見ていて、僕の方には向かないままこう答えた。
「君は、死んだことはあるのか?」
意外な答えだった。答えとして、医者として、人として
「な...?!」
「死んだ人の気持ちなんて、誰もわかりはしない。それは我々がまだ生きているからであって、死んだ人が口を利くことは絶対無いからだ。君が死んだことがない限り、君は死者の気持ちがわかるはずがない」
確かに、そうだ。そうであるだろう。でも、でもだ。
「そんなの...あなただって同じでしょう」
「確かに、私も死んだことはない。しかし、死は必然と訪れ、そして私はそれを何度も食い止めようとした。だが、死は私の理解を遥かに超え、結局死を完全に食い止めることはできない。私はそんな他人の死を何度も受け入れて生きてきた」
「....」
返す言葉も出てこない。それだけ、この男に僕は人生経験で遙かに負け劣っているんだ。
「生きるということは死ぬまでの暇つぶしのようなものだ。いかにいい暇つぶしができたかで人生の良し悪しは決まる。彼女の人生は全てが人の命を救う為の物にできていた。これほどいい暇つぶしのできた人生は無いと、私は思うがね。」
「そんな...そんなわけあるかッ!!! 」
そうだ...そんなわけない。僕は渾身の力を込めて叫んだ。
「人の命を救う暇つぶしなんて...それは死んだ後の話じゃないか! あんたの言う暇つぶしを、あの子は何もしないまま死ぬことになるじゃないか!! それをあんたはかわいそうだとか思わないのかっ!!?」
「....」
男はピクリとも表情を変えず、ただ僕の叫びを聞いていた。数秒間を置いて、男は返答らしきものを語りだした。
「生きるということは死ぬまでの暇つぶし、とは言ったな。つまり所詮は暇つぶしで、あろうが無かろうが結局辿りつく先は同じ、死というわけだ。あの子にしても同じ、クローンであろうが普通の人間であろうが、最後に辿り着くのは死だ。それが早いか遅いか、そして役に立つか立たないか、ただそれだけの違いがあるだけだ。死は必然なんだよ」
「...あなたは本当に医者ですか...」
こればかりはさすがに、眉間にシワができたのが見えた。だが動揺とはとても言えない、微細なものだった。
「さてね。本当は哲学者の方が向いているのかもしれないが、理解者のいない哲学者と孤独な医者ほど、苦労する仕事はないと思うんでね」
そう言うと男は僕に背を向け、あの子のいる隣の部屋のドアを開けた。
「最後に一つ言っておこう。思想や考え方というものは、少々強引な方法を取らないと、いつまでも認められることはないものだ。誰かがそれに気付かない限りな」
バタン、とドアが閉まる。と同時に、ガコンという鍵の閉まる音がした。僕はガラスの中をもう一度覗き込み、見ている事しかできない自分の力なさを悔やんだ。
あの子はさっきと同じように、ベッドの上でおもちゃと...
「ん...?」
なぜか、ガラスの中のあの子は、おもちゃではなく、部屋の端、ちょうどドアのある方向をジッと見ていた。
もしかしてと思い、僕は部屋のドアノブを握った。内側にゆっくり押すと、ドアはいとも簡単に開き、静かな水色の壁をした部屋へ、僕を招き入れてくれたのだ。
「あ、おにーちゃんだ~」
間延びした声が緊張感を吹き飛ばしててくれたが、それも束の間、逆に不安と恐怖が僕の頭をよぎった。
『思想や考え方というものは、少々強引な方法を取らないと、いつまでも認められることはないものだ』
なぜか、あの男の言葉もその時よぎったのだった。
「……………」
僕は何をしているんだ。何でこんなにも足が震えているんだ。
おかしいじゃないか。だって、怯える必要などないじゃないか。
「……どーしたのぉ?」
そうだろう。
――――今、僕がすべきことは――――
「迎えに来たんだ。さぁ、行こう」
彼女が安心できるよう、笑っていればいいのだから。
つづく………