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居場所


夜分に投稿失礼します。


楽しんでいただけると嬉しいです。

 




 小鍋が乗ったトレイを手に、階段を登る。


 一歩一歩踏みしめるように上がり、二階へと辿り着いた。月奈ちゃんの言っていた通りなら、右端に……あった。 


 ネームプレートのかかった部屋の前に行き、緩く握った拳を扉に打ちつける。

 

「陽奈、俺だ。今大丈夫か?」


 やや大きめの声で、そう呼びかける。


 五秒、十秒と待っても返事はない。今度こそ熟睡してるのかもしれない。

 少しだけ不安を覚え始めていると、向こう側から微かに衣擦れの音と唸り声がする。


「……んー………」

「悪い、起こしちまって。入っていいか?」

「…………んー」


 生返事……朦朧としてるみたいだ。


 またあとで怒られるかもしれないが、今はこれを食べさせないといけない。

 了承を得たと自分に言い聞かせ、ドアノブを回した。




 廊下以上に薄暗い部屋の中には、熱が籠っていた。

 カーテンの隙間から差し込む陽光でぼんやりと浮かび上がる化粧台や、ローテーブルの向こう側。ベッドの中で起き上がった陽奈が、ぼんやりとこちらを見ている。


「…………あきひと?」

「邪魔するぞ。卵粥持ってきたんだけど、食べられそうなら……」

「……なんで?」


 その一言に、踏み込みかけた一歩が止まる。

 拒絶の意図……は、感じられない。胡乱な表情を見るに、純粋な疑問からの言葉だろう。


「月奈ちゃんが作るのを半分手伝ったんだ。一度手を出したなら、最後まで協力しようと思ってさ。今は洗い物してもらってる」

「……そっか」


 まあ実際には、ほとんど俺が作ったんだが。月奈ちゃんは家事が不得手らしい。

 絶対に変なことしないようにと念押しされたけど、それでも任せてくれた彼女の厚意を無駄にしないよう、ベッドに歩み寄る。


「寝る前に薬飲んだんだよな。体調はどうだ?」

「………さっきよりへいき」

「良かった。飲み物の代え、ここに置いとく。自分で食べれるか?」

「……たぶん」


 多分ときたか。微妙に判断に困る返事だ。

 ……まだ結構熱いし、万が一手が滑ったりしたら大惨事になる、よな。


「えっと、その。食べるの手伝おう、か?」

「……………」

「い、嫌じゃなければだけどな? 無理ならこのまま置いてって──」

「……ん」


 ぽんぽん、とブランケットの上で陽奈の手が跳ねる。


 これは……いいってことか?

 真意を測りかねていると、繰り返しブランケットが叩かれた。

 間違いない。ここに座れという意味だろう。

 



 腰を下ろすとベッドが軋みを上げ、少し身じろぎしたが、避けられるような感じじゃなかった。


 膝の上にトレイを乗せ、鍋の蓋を取り払えば、卵の香りがふわりと部屋に広がる。


 一口ぶん掬って、自分に言い聞かせる。

 これからやるのは、あくまで看病の一環としての行為。何もやましいことはない……よし。


「ほら、陽奈。一応気をつけて」


 レンゲを差し出すと、口が開いたので細心の注意を払って食べさせた。


「どうだ?」

「……おいひい」

「お気に召したならよかった」


 今まで何度も弁当を作ってもらったが、俺から料理を振る舞うのはこれが初めて。口に合ってホッとする。


「まだいけそう? もうやめとくか?」

「……食べる」

「了解だ」


 さっきより軽くなった気がするレンゲに二口目を盛り付ける。


 再び陽奈に食べさせようとして……ふと、まばらに流れた髪の間から垣間見える耳が目に留まった。

 薄暗闇の中で、ほんのり灯った色。外からの光でかろうじて見える、淡い(あか)


「……はい」

「…………あむ」


 心なしか、さっきより少し深く俯いた彼女に俺は……ただ看病をし続けた。




 結局、十五分くらいかけてお粥は完食された。


 米粒ひとつ残ってない小鍋に満足感を覚えながら蓋を閉じる。


「……迷惑かけちゃったね」


 囁くように静かな声が、横から聞こえた。

 まさかと思いながら部屋の主を見るも、ここには二人しかいないんだから他にはいない。


「俺が好きでやったことだ。こっちこそありがた迷惑だったよな」

「んーん、助かった。……玄関で怒鳴ってごめん」

「気にしてないさ」


 いきなり谷川に任されて頭が回ってなかったとはいえ、思えばダメ元で電話でもかけとけばよかったんだ。

 改めて自省していると、陽奈が重めのため息をつく。


「ダメだな……あたし。頑張ろうって思ったのに、むしろダサいとこ見せちゃった」

「誰だって風邪引けば不安定になるだろ。俺も逆の立場だったら似たようなこと思うだろうし」

「でも……」

「ん?」

「……なんでもない」




(あんたが好きだったのは、弱ったとこを絶対表に出さない女の子じゃん、とか。それはナシでしょ、あたし)


 

 

 頑張ろうという言葉の意味はよく分からないが、相当弱ってるのは理解した。

 いつも明るい人間ほど糸が切れると、とはよく言うが……陽奈もそのタイプなんだろう。


「少なくとも、今の陽奈をダサいとは感じてないよ。休息が必要だとは思うけどな」

「……そ? 幻滅とかしない?」

「するもんか。言ったろ、どんなお前でもちゃんと見るって」

「あはは、この姿はあんまガン見されたくないかも」


 冗談を返せるくらいには余裕が出てきたな。


 そう、幻滅なんてしない。()()()()()()()()()を知ったら、できるはずがない。


「逆に尊敬する。陽奈は凄いよ」

「……どうして?」

「だって──ずっと一人で、家のことも学校も頑張ってるだろ」




 そう言った瞬間、緩みかけていた部屋の空気が再び引き締まったように感じた。




 肩を震わせた陽奈を見つめ、次の言葉を静かに待つ。


 しばらくして、あいつは顔を上げる。 

 その眼差しはやはり、確固たる意志を持っていた。


「月奈に聞いたの?」

「手伝いながら、ちょっとだけ」

「……そっか」

「誰にでもできることじゃないと思う。本当に凄いよ、お前は」


 月奈ちゃんから明かされた、晴海家の事情。


 ご両親が共働きで出張が多く、ほとんど二人暮らし状態だということ。

 昔はお手伝いさんがいたが、最近は陽奈だけで家事の大半をこなしていること。さらには自分より幼い月奈ちゃんの面倒も見てきたことを語ってくれた。


 あの美味い弁当や、ふとした瞬間の几帳面さは、そんな生活から生まれたものだったのだ。


「大したことないよ。ただ、そうするしかなかっただけ」

「だとしても、何年も続けられるかは別だろ。小学校の頃からだなんて、普通は投げ出しそうなもんなのに」

「ふふっ、あんたがそれ言う?」

「へいへい、馬鹿正直に七年も初恋の人を追いかけてたよ」


 肩をすくめる俺にくすりと笑い、陽奈は昔を思い出したのか懐かしげな顔をする。


「確かに、しんどい時がなかったって言ったら嘘になる。別にそれでパパ達を恨んではないけどね。帰ってきた時はめっちゃあたしらに構ってくるし」

「だから、学校での生活が支えだったのか?」

「ん……まあね。もう一つの居場所的な感じだったかな」


 これも月奈ちゃんの言ってた通り、か。

 

 


『まだ自分も子供なのに、色々なことを背負ってくれていた姉にとって、学校は自由になれる場所だったと思うんです』




 日々の負担から解放され、ただの子供らしくいられる空間だったのではないか。


 それがあいつらに滅茶苦茶にされ、人間不信一歩手前まで追い込まれたのは、ずっと寄りかかってばかりだった自分にも原因がある。

 そう俺に告白するあの子は、まるで罪の懺悔をするようだった。


「自分のせいとか言ってたっしょ、あの子」

「っ!」

「逆だよ。むしろあの子がいなかったら、とっくに無理だった。あたしが潰れたら誰が月奈を守んのって、奈々美達にやられた時もギリギリ踏ん張らせてくれたんだから」

「だよな。頓珍漢なこと言ったかとヒヤヒヤしたわ」

「ふーん、あの子にそう言ったんだ?」

「俺が見てきたお前ならそうだろうなって」


 どうでしょうね、なんてすげなく流されたが、俺の中には確信めいたものがあった。

 妹の話をする陽奈の顔は優しかった。あれが含みのないものだってことくらい、数ヶ月の付き合いでも分かる。


「うん、せーかい。月奈がいたから学校を頑張れたし、学校があったから家のことも頑張れた。だから、どっちかだけがキツいってことはないの」

「両方とも欠かせないものだったわけだ」

「そゆこと」


 それほど奇跡的なバランスで噛み合っていたなら、壊れた時のショックも大きかっただろう。


 必死に積み重ねてきた日常、ともすれば人生の全てが崩れてしまいそうになったのを、大門先輩の言葉が救ったんだとしたら。


「……そりゃあ恋だってするよな」

「何か言った?」

「いや、ただ……」

「……?」

「前に言ってたよな。〝笑うことしかできなかった〟って。あれは、どういうことなんだ?」

「……全然面白い話じゃないけど」

「いいよ。お前のことを知りたいんだ」

「ん………わかった」


 頷いた陽奈は、気持ちを整えるためか一度深呼吸をして。

 それから、俺の質問に答えてくれた。


「こういう生活になったばっかの頃はさ。やっぱり寂しかったんだよね。でも周りに相談できる人いなかったし、月奈の前じゃかっこいいお姉ちゃんでいたかったから、ずっと自分の中に溜め込んじゃって。それもあって小学生の頃は結構内気だった」

「そりゃ、随分と新鮮な響きだ」

「ふふっ、だよね……小3の頃かな。寂しさを紛らすために勇気出してクラスの子に話しかけたら、笑顔で返事してくれてさ」


 前の色んな服着るのオススメしてくれた子なんだけどね、と言われて、初デートの会話を思い出す。

 その時と同じように、陽奈が柔らかく相貌を綻ばせた。


「あたしも笑い返したら、いっぱい話ができた。すっごく嬉しかったんだ。心が温かくなって、これだってすぐに思ったよ。あたしの寂しさを埋める方法。あたしが一人じゃなくなる、たった一つのやり方」

「じゃあ、その時から?」

「うん。最初はどんどん世界に色が付いてくみたいで楽しかったなぁ」


 陽奈にとって、他の誰かからの最初の贈り物。向日葵のような朗らかさを形作ったきっかけ、か。


 笑顔はこいつの武器であり、盾であり。何よりも、救いだったんだな。

 

「だから、ね。あたしは笑顔(これ)しか知らないの。あんなことがあってもそれは変わらなかった。これ以外じゃ、どうやったら人と仲良くなれるかまだわかんない」

「……なるほどな」

 

 ようやく理解した。


 理不尽な悪意によって挫折させられるまで、陽奈にとって笑うことは万能の手段だったんだろう。

 先輩のアドバイスを受け、処世術を身につけてからも長年頼りきっていたことで手放せず、良いものも悪いものも、多くを内に呑み込んで。


 巡り巡って、あの言葉になったのだ。

 

「ほらね、大してウケないっしょ? 忘れちゃってよ、ここだけの話にして……」

「じゃあ、俺は幸せ者だ」

「……え?」

「俺は、笑ってない陽奈も知ってる。特に最近は色んな顔を見せてもらったからな」


 こっちからのアプローチに照れたり、嫉妬して不貞腐れたり、想いを伝えようと真剣になったり。


 新しい一面を見るたび強くなっていく想いに名前を付けるとしたら、それは間違いなく好意だ。

 決して笑顔だけを魅力的に思ってるわけじゃない。


「うん、大丈夫。どのお前も全部、俺からすれば最高の女の子だよ」

「っ………もう、やめてよ。また熱上がるじゃん」

「悪い。でも、そういうことだから」


 少なくとも、俺の前では不安になる必要なんてどこにもない。


 すぐにどうこうできないのは分かってる。。一度固まった価値観は、簡単には変わらないから。

 だから、少しずつでいい。今以上に多くの感情を曝け出してもいいと、そう感じられる居場所になっていければ。


「教えてくれてありがとう、嬉しかった」

「…………ん」

「長話になっちまったな、そろそろ帰るよ。また学校で待ってる──」

「待って」


 立ち上がろうとしたら、袖を摘まれる。

 中途半端に腰を浮き上がらせたまま静止すると、ぐいっと下に引かれたので座り直した。


「あたし、もう寝るから」

「お、おう? なら出てったほうが……」

「だめ。ここにいて」


 これは……聞くまで引かなさそうだな。頑として絵本を読むのを強請ってきた、昔の美玲と似たものを感じる。


「分かった。眠るまで見てればいいか?」

「ん、そうして」


 観念して抱えていたトレイを脇に置き、袖を手放した陽奈がゆっくりとベッドに横たわる。


 ぼんやりと天井を見上げているのを見守ってたら、ふいに視線がこちらに向けられた。


「……ね。変なこと聞いていい?」

「なんだ?」

「頭。撫でてくれたりする?」

「え"っ。ま、マジで?」

「ちっちゃい頃、ママにそうされるとすぐ寝れたから」


 な、なるほど。ならそれも看病の一環と言えなくもない、のか?


「俺でいいのか? 月奈ちゃんとかの方がいいんじゃ……」

「見ないでって言ったのに、ここまで来たじゃん」

「うっ」

 

 それを言われると反論しづらい……仕方がないか。


「先に言っとくけど、お前ほど上手くないからな」

「いいの。あんたにしてもらいたいだけだもん」

「っ、ああもう、ダメ押しが得意なやつだな」


 いくつ心臓があっても足りないぞ、マジで。


 陽奈の頭に手を伸ばす。

 頭頂部のあたりに触れさせ、震えそうになる指先を根性でコントロールして左右に動かした。


「んふふ。ぎこちない」

「だから言ったろ。文句は受け付けないぞ」

「じゃあ……ありがと」

「……おう」


 いつもと違って、その笑顔は小さなタンポポみたいだと思った。




 自己申告通り、徐々にうつらうつらとし始めたかと思えば、5分くらいで寝息を立て始める。

 完全に寝入ったのを確かめると、今度こそ部屋を後にした。


「おやすみ、陽奈」

「ん………すぅ……」


 そっと、ドアを閉じる。

 ドアノブを手放した右手にはまだ、少し重めの髪の感触が残っていた。


「甘えてくれた、ってことだよな」


 いじらしいというか、あんな状態でも流石の行動力というか。また一枚あっちが上手だった。


 心地良い敗北感を覚えながら、一階に降りる。

 螺旋状になっている階段を半分ほどいったところで、階段下に人影が見えた。


「高峯さん」

「月奈ちゃん? わざわざ待ってたのか?」

「ドアを閉める音がしたので。食器、預かります」

「助かるよ」


 トレイを手渡すと、こちらを見上げる眼差しがスッと細められた。


「変なこと、しなかったですよね」

「……やましいことはしてない」

「ならいいです……手伝ってくださって、ありがとうございます」

「お安い御用だ」


 お礼を言ってくるあたり、少しは警戒が解けてきたかな。


 いくらか剣呑さが減った雰囲気にそんなことを思いながら、玄関先に移動させていた鞄を持つ。


「じゃあ、俺はこれで。長々とお邪魔しました」

「……あのっ!」

「ん?」


 月奈ちゃんが、力のこもった眼差しを向けてくる。


 あ、これはやっぱり……思わず身構えた瞬間、彼女は頭を下げてきた。


「お姉ちゃんのこと。これからも、よろしくお願いします」

「……ああ。月奈ちゃんも、あまり気負いすぎないようにな」

「努力します」


 最後まできっちりとした姿勢で見送られ、俺は晴海家を後にした。


 とっぷりと陽が落ちた帰り道。

 いつもよりスローペースで歩きながら、陽奈の部屋での出来事を反芻する。


「……居場所、か」


 今でもかなり気を許してもらえてるとは思う。けど、恋人としてそれ以上になりたいと訴える自分がどこかにいた。


 ゆっくり歩み寄ると決めた矢先に、我ながらせっかちだが……羨ましくなっちまった。

 俺はあの人にはなれない。それはよく分かってる。だから今、俺と陽奈の間にあるものを思い出して方法を探してみた。


 ほぼ真っ暗な空を見上げながら、考えて、考えて……やがて、一つの答えを絞り出す。






 近いうち、陽奈に告白しよう。本当の意味で、あいつと恋人になるために。









読んでいただき、ありがとうございます。


次回は小百合のお話です。

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