3度目の再会
お待たせいたしました。
楽しんでいただけると嬉しいです。
「ここ、か?」
スマホから顔を上げ、目の前にあるものを見やる。
閑静な住宅街に佇む、二階建ての一軒家。
白塗りの壁はオレンジ色の日差しを受けて色濃く陰影を映し出し、どこか迫力のようなものを感じさせる。
表札にローマ字で綴られた家主の名前は──『晴海』。
「……とうとう来ちまったな」
地図が残りの距離を示すたびにドキドキしてたが、ようやく解放されて、ある意味ほっとする。
それにしても驚いた。千穂さんの店と、陽奈が住んでる所の最寄駅が同じだったなんて。
思えば、雑談の中で耳にする近所の話がどこか覚えがあるのはそれが原因だったんだろう。
「『家の前に、ついたぞ』……っと」
一応メッセージを送り、表札の下にあるインターホンに目線を投じた。
ここからが最終関門だ。このボタンを押すことこそが、一番勇気が要る行為と言っても過言じゃない。
「ええい、ままよっ」
お見舞い品入りのビニール袋の取っ手を握り締め、自分の背中を蹴飛ばす思いで指を伸ばした。
チャイム音がドア越しに家の中から聞こえる。
無意識に背筋を正して待つが……しばらく経っても、返事はおろか物音もしない。
「まだ寝てるのか……?」
さっきのどころか、前もって送った代打する旨のメッセージにも既読がつかないし。よっぽど体調が悪いんだろうか。
とりあえず、もう一回試してみよう。
それでダメだったらプリントをポストに入れて帰ろうと、再びインターホンに指を当てた。
「何してるんですか?」
「っ!?」
だ、誰だ!?
後ろからの声に振り向けば──そこには一人の女の子が立っていた。
風に揺れる明るめの茶髪に、整った容貌。大きな瞳には剣呑な色が宿り、しかし同時に驚きも含まれていた。
「あなたは……」
「君は確か、パスケースの……」
そうだ。たまたま駅で落としたのを見かけて、届けた子だ。カラオケでも出会したっけ。
互いに顔見知りだとわかり、空気が和やかになる……こともなく、その子は硬い声音で聞いてくる。
「家に御用ですか?」
「えっ、家? ここが?」
晴海家と女の子を交互に、何度も見比べる。そして気付いた。
中学生くらいの出立ち、鮮やかな髪色。表情がまるで違うから分からなかったが、よく見れば目元とかも似てる。
「もしかして君は……陽奈の妹さん、か?」
「そう言うあなたは、姉の学校の方ですね。重ねて聞きますが、どうしてここに?」
「宿題のプリントを届けにきたんだ。それと、一応お見舞いに」
「……そうですか。なら、私が受け取ります」
そう言って、いつかのように手を突き出してくる妹さん。
……そっちの方がいいかもしれない。今の状態じゃアポ無しみたいなもんだし、元から次が上手くいかなければ帰るつもりだったんだ。
一日会えなかった分、顔を見たい気持ちはあるけど……家族が渡してくれるというなら、それが一番だろう。
「分かった。頼んでいいかな?」
「はい。お預かりします」
鞄からプリントを入れたファイルを取り出す。
妹さんに近付いてビニール袋と一緒に差し出すと、彼女はそれを受け取った。
「はぁっ!? 嘘でしょ、マジ!?」
まさにその瞬間、家の方から大声が上がる。
近くの電線に止まってた烏が飛び去るほどの声に俺と妹さんも驚き、揃って振り向いた。
「今のは……」
「お姉ちゃん?」
声の主はよっぽど慌てているのか、激しい足音を立てて家の中を移動している。
10秒と経たず、勢い良く内側から扉が開けられて──パジャマ姿の陽奈が姿を表した。
普段の姿から想像もつかないほど息を荒げ、髪を乱したあいつは、俺の姿を認めるなり目を見開く。
「聡人!? ホントに来てんじゃん!?」
「よ、よう。昨日ぶり?」
「〜〜っ!」
とりあえず挨拶すると、見たことない表情で赤面された。
わなわな震える手にあるスマホを見て、なるほど今起きてメッセージ見たのか、などと納得してたらキッと睨まれる。
「こっち見んなし! 今ノーメイクだし、色々ぐちゃぐちゃだから!」
「す、すまん!」
「もーっ、真里のやつ……こんな姿見られるの……っ、マジ最、悪……」
「っあ、お姉ちゃ」
「陽奈っ!」
突然、へなへなと崩れ落ちた陽奈に駆け寄る。
「大丈夫か?」
「はっ、は……っ、ごめ、ちょっと、バテた……」
苦しそうだ。ドアの取っ手に掴まってどうにか座り込んでるって感じで、顔色も悪い。
「悪い、少し触るぞ」
「……ん」
「──っ!」
額に指先を当てれば、平均体温とは思えない熱さが返ってくる。
いきなり動いて熱が上がったのか。俺が驚かせたせいで、悪いことしたな。
すぐ寝かせたいけど部屋の場所もわからないし……そうだ。
「妹さん、手伝ってくれないか? 陽奈を運びたい」
「……分かりました」
「ありがとう。立ち上がれるか?」
「……だいじょぶ」
「お姉ちゃん、掴まって」
そうして二人で陽奈を中に連れていく。
自分で歩けるくらいの力は残ってるようで、ふらふらながらも妹さんに支えられ、階段の方に向かっていった。
「私が付き添うので、リビングで待っていてください。その扉の向こうです」
「ああ、頼む」
こくりと頷き、二階に上がっていく二人。
それを見届けると言われた通り、妹さんが残していった荷物を持ってリビングに入る。
「お邪魔しまーす……おお……」
これが、晴海家のリビングか。
食卓に座るのもなんだかこそばゆいので、ソファに腰を下ろした。
そうすると借りてきた猫のように部屋を見渡す。
明るい色調で統一された家具の数々。それでいてきっちり整頓されており、雑多な印象は受けない。
ただ、本棚に並ぶ女性ファッション誌や、テレビの横に置かれた可愛らしいデザインの芳香剤が、異性の暮らしてる場所なんだと意識させてくる。
俺は今、本当に彼女の家にいるのだ。
「……なんか、あんまり家族のスペースって感じがしないな」
「お待たせしました」
「おおっ!?」
何気なく呟いた瞬間、妹さんがリビングに入ってきて肩が跳ねた。
「お、お疲れ様。陽奈は?」
「眠りました。荷物、ありがとうございます」
「元は俺が持ってきたものだし、気にしないでくれ」
そう言うと、なんとも言えない顔をされた。
まだ身構えてるような、ちょっと毒気を抜かれたような。相変わらず警戒心が強そうな子だ。
「じゃあ、俺はそろそろお暇するよ」
「いえ。姉からもてなすよう言われたので、もう少しいてくださって構いません」
「陽奈が?」
「それに、以前パスケースを拾っていただいたお礼も十分にできてないので」
「でもカラオケでハンカチを……」
「あれだけじゃ釣り合いません。それくらい、私にとっては大事なものですから」
……似ている、と思った。
陽奈がうちで膝枕をしてくれた時に見せた表情と、目の前にいる妹さんが。ますます姉妹なんだと感じる。
「なので、その。お飲み物でもいかがですか」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「好みとかありますか?」
「炭酸系があればいいんだが」
「……お姉ちゃんと同じ」
「ん? どうかしたか?」
「いえ。分かりました、待っていてください」
慣れない様子で聞いてきた彼女は、キッチンの方に向かった。
冷蔵庫を開ける音や、何かを注いでる音がして、数分くらいで妹さんがお盆を手に戻ってくる。
少し肩を強張らせた様子にソファからテーブルへ移動すると、サイダー入りのグラスが目の前に置かれた。
「どうぞ」
「ありがとう。いただいくよ」
実はそこそこ限界だったので、下品にならない程度に勢いよく煽る。
パチパチと心地よい冷たさが喉を潤していき、外の熱気でぼうっとしていた頭がスッキリした。
「ぷはっ、生き返った!」
「良かったですね」
「おかげさまで。最近さらに熱くなってきたからなあ」
そろそろ体育の種目も水泳に変わるし、水着を用意しなくちゃならない。まだ去年のやつは使えるだろうか。
仕舞った場所を思い出していると、妹さんが対面に腰を下ろした。
「改めまして、晴海陽奈の妹の晴海月奈です。以前はありがとうございました。今日もお姉ちゃんのお見舞い、感謝します」
「高峯聡人だ。陽奈の……あー、クラスメイトだ」
また警戒されるかもしれないし、とりあえずそう答えておこう。嘘じゃないしな。
そう思った矢先、月奈ちゃんは探るような目を向けてきた。
「本当に、ただのクラスメイトですか?」
「へ? な、なんでだ?」
「……お姉ちゃんが男の人に触れさせるの、初めて見たので。正直、すごく驚きました」
そういえば、谷川達とじゃれてるのはよく見るけど、男子と身体的に触れてるのは見たことがない。
陽奈曰く、俺は〝信じられる〟から、多分それを許されてる。むしろ最近はあっちから頻繁に仕掛けてくるくらいで。
……改めて思うと、かなりの特別扱いだなこれ。
「どうしたんですか。いきなり笑って」
「へっ? あっ、いやっ、なんでもない。とにかく、いつも仲良くさせてもらってるよ」
「そう、ですか」
これは誤魔化せた、か?
(……チャンスかもしれない。今のお姉ちゃんのこと、知れるかも。それにこの人なら……少しだけ、信じられる)
思案顔の月奈ちゃんを伺っていると、しばらくしてやや遠慮がちに次の言葉を投げかけてきた。
「………あの。聞いてもいいですか?」
「ん、何かな?」
「お姉ちゃんのこと、なんですけど。普段、どうしてますか?」
「学校で、ってことでいいのかな?」
こくんと頷かれる。自分の見られない姉が気になるって顔だ。
でも、ただの興味本位じゃない。力んだ目元や引き結んだ唇からは、不安のような感情も垣間見えた。
そうか。この子は…………それなら。
「いつも笑ってる。目の前の日常を全力で楽しんでるっていうか。元気すぎてこっちが振り回されてるくらいだ」
「そう、なんですね」
「うん。まあ、悪い気はしないけどな」
「……無理してないなら、よかったです」
固まっていた肩から、ようやく力が抜ける。やっぱり心配してたみたいだな。
一度だけたまたま出会した俺でも腑が煮えたくらいなんだ。家族が気に病まないわけがない。大好きな姉だと前に言ってたし、同じ目にあってないか気になって当然だろう。
「頼りになる友達もいるし、大丈夫だ」
「それは、高峯さんもですか?」
「俺は……そうだな。もし何かあった時は、絶対に陽奈を助けるよ」
誰より近くで、あいつの隣から。たとえ家族の前であっても、その約束を守り通すことは断言する。
クラスマッチを経て一層強くなった思いは声音に表れ、月奈ちゃんが驚いた顔をする。
それからまた、じとりと怪しむような色を瞳に乗せた。
「やっぱりあなた、単なるクラスメイトじゃないですよね」
「あー……うん。実は」
正直、今のはバレるだろと自分でも思った。誤魔化した意味よ。
「実は、陽奈と付き合ってるんだ。恋人として」
「っ……恋人、ですか」
「隠そうとして悪かった。動揺させると思ってさ」
「確かに、びっくりしてます」
また、俯く。
恋愛沙汰で狂った陽奈の中学生活を思えば、どんな反応をされてもおかしくはない。
内心身構えながら次の言葉を待って──けれど、少しして上げられた月奈ちゃんの顔はとても冷静なものだった。
「やっと、わかりました。あなたがいたからなんですね」
「どういうことだ?」
「前に、お姉ちゃんに学校のことを聞いたことがあるんです。その時、〝怖がらなくてもいいって思えるようになった〟って言ってて。その理由はきっと……あなたがそばにいるからなのかな、って」
「……そうか」
そんなことを、陽奈が。
いつまでも笑うことをやめられない。江ノ島であいつはそう言った。
笑顔は陽奈にとって誰かと繋がりを持つ手段であり、同時に自分を守る表裏一体の仮面なんだと、あの時は思った。
今の言葉を信じるとして、その裏の部分を少しでも和らげることができたのなら……約束を守れてるのかな、俺。
「私の勝手な予想ですけど、お姉ちゃんはあなたのことを信頼してるように見えたので。だから……絶対、裏切らないでください」
「……うん。約束する。どんなことがあっても、あいつの手を離したりしない」
怒りとも、疑いとも取れる強い感情が乗った言葉に、間断なく答える。もうとっくに答えを出したんだから躊躇するはずもなかった。
同時に理解した。この子があんなに刺々しいのは、陽奈を傷つけたあいつらみたいなのを遠ざけて、自分達を守るためなんだと。
「陽奈のこと、本当に大事に思ってるんだな」
「……お姉ちゃんがああなったのは、私が原因なので」
「原因?」
月奈ちゃんは、一度口を噤むと深呼吸をする。
それから覚悟を決めた顔で、言葉の真意を語り始めた。
「うち、両親がほとんど家にいないんです」
読んでいただき、ありがとうございます。




