色のない日
何度も添削しているうちに、間隔が非常に空いてしまいました。毎度申し訳ない。
楽しんでいただけると嬉しいです。
「え? 陽奈が休み?」
「そ。熱出したらしいわ」
朝一番、谷川から告げられた言葉に俺は目を瞬かせた。
今日は教室に来るのが遅いと思ってたが、体調を崩してたとは。
「それってやっぱり、クラスマッチのアレが原因か?」
「じゃない? 思いっきり水浴びたとか言ってたし」
「マジか……昨日まではいつも通りだったから気付かなかった」
「時間差で来るやつだったんでしょ」
ああ、二、三日かけて徐々に悪くなってくるタイプの風邪。
あれって一瞬良くなったりするから、気付くのが遅れるんだよなあ。
「とりま、今日は寝とくってさ」
「そっか。教えてくれてありがとう」
一応、メッセージだけ送っておくか。
スマホを取り出し、陽奈のトークルームを開くと谷川から事情を聞いたこと、そしてお大事にという内容を打つと送信して……
「どした? 送んないの?」
「あ、いや……」
「ははーん? さては自分じゃなくて、私に連絡来て寂しかったんでしょ」
「う……もしかして顔に出てたか」
「ちょっとね」
逆に恥ずいな、それ。
けど、次の弁当のリクエストで終わったままの画面に、指が止まったのは事実だった。
このくらいのことで敏感になるなんて、初めて小百合と連絡を取り合って、一喜一憂していた頃じゃあるまいに。
「私の方が付き合い長いからってだけだろうから、気にすんなし」
「そんなもんか」
「あとは彼氏にあんまり弱ってるとこ見せたくないのもあるかもね。陽奈、割と気にしいだから」
「……かもしれないな」
そう聞くと、少し指が重くなる。
でも結局心配なことに変わりはなく、一分と経たずに送信マークをタップしたのだった。
それから程なく、担任が教室にやって来たことで朝のホームルームが始まる。
「今日の連絡事項は以上。ああそれと、晴海が発熱のため欠席だ」
「うわー、やっぱりかー」
「普段遅刻しないし、変だと思ったよー」
クラスメイト達が薄々勘付いていた様子で落胆する中、ふと目線だけを隣に向けた。
空っぽの椅子と机が、どこかもの寂しい。
その寂しさは教室の雰囲気にすら溶け出しているのか、一段と空気が冷めた気がした。
そんな予想は、見事に的中する。
陽奈のいない学校生活は、一言で表せば凪。
授業を受け、休憩時間は予習復習に充て、ヒロが振ってくる雑談に応えながら昼を過ごす。
突然のイタズラに驚かされることもなければ、間近で繰り出される抜群の笑顔に胸がざわつくこともない、静かな一日。
六年以上繰り返してきた、高峯聡人にとっての日常そのもの。
慣れ親しんだそれは、しかし……。
「……うーん」
なんというか、味気ない。
してることは普段と変わらないのに、やけに放課後まで長かった。
陽奈という彩りがないだけでこんなにも色褪せるものか。前に自分の周りが賑やかになったことに驚いたが、それとは逆の感覚だ。
「だいぶ影響されたなぁ……」
「よ。何ぶつくさ言ってんの」
「谷川か。ちょっとな」
「へー。それ、六限のノート?」
「ああ、陽奈に送ろうと思って」
授業の度に撮り溜めて、これでもう六枚目だ。少しでも助けになればいいんだけど。
「なら丁度いいわ。はいこれ」
「ん? なんだ?」
鞄から取り出し、突き出されたものを反射的に受け取る。
それはいくつかの授業で出された宿題のプリントだった。しかも答案も名前も書かれてない、真っ白な状態の。
「それ、陽奈の分なんだけどさ。あいつん家まで渡してきてくんない?」
「えっ? 俺が?」
「あ、もしかしてまだ行った事ない? 後で住所送っとくわ」
「いや、待て待て。行く前提で話を進めるな。それにこれ、谷川が頼まれたんじゃないのか?」
「今日予定あんだよね。どうすっかと思ってたら、彼氏がタイミングよく教室にいんじゃん? 暇そうじゃん? もう渡すしかなくね?」
あ、相変わらずのノリと勢い……理解してきたつもりだったが、まだまだ面食らうな。
ひとまず事情は分かった。
が、内容が内容だ。そう簡単にはい分かりましたと答えていいものじゃない。
「小澤達は無理そうなのか?」
「光瑠は家の用事。大耶も木村引っ張って先帰った。元気付けてやるーとかなんとか?」
「あー、なるほど」
そんな事も言ってたな。
美人トリオは全員先約あり、と。いつもの面子なら一応ヒロもいるが、あいつに任せるのもおかしな話だ。
これはもう、腹を括るしかないらしい。
「……わかった。俺が行ってくる」
「やりー。さすが高峯、助かるわ」
改めてプリントを見下ろす。
俺がこれを、今から届けてくる。陽奈のところまで、たった一人で。
「ガッチガチじゃん。そんなんで平気なわけ?」
「正直言って、アホほど緊張してる」
「別に女子の家初めてじゃないっしょ? 宮内といたんだし」
「〝彼女の家〟は初めてなんだよ」
宮内家にお邪魔する時は大抵勉強会だったから、集中していればそういう意味であまり意識することもなかった。
しかし、今回はれっきとした恋人の家。
人生初の彼女、それもクラスの人気者の自宅にお見舞いとはいえ訪問ともなれば、そりゃ固まりもする。
「だ、大丈夫だ。一度引き受けた以上、ちゃんと渡してみせる」
「ならいいけどさ。頑張れよ、彼氏」
「何か陽奈に伝えることあったりするか?」
「ん? あー、後ろの席のやつが辛気臭いからはよ復活しろって言っといて」
「辛気臭くて悪かったな」
そりゃローテンションだったのは自覚あるけど。こういうのは人に言われると小っ恥ずかしい。
「そういえば、お前の用事って?」
「ん? デートだけど」
「デート? 彼氏いたのか」
「彼氏っつーか、進藤」
「へえ、進藤………は?」
今なんて言った? 進藤って、あの進藤? クラスマッチの時の!?
「つ、付き合い始めたのか?」
「まずはお試しって感じ? ああいうことするくらいなら直接アタックしろって詰めたら、なんか流れでそうなったわ」
「流れで……」
驚きのあまり、そのまま繰り返してしまう。軽く陽奈が休みだって聞いた時と同じくらいのインパクトがあったぞ。
「で、今日がその一回目ってわけ」
「……確かに外せないな、それは」
「こっちがチャンス振っといて、初っ端からドタキャンは性悪すぎっからね」
逆に言えば、そうしないくらいにはこいつの方も好感があるってことか。
度々悪くない関係だとは思ってたけど、あの流れからこんな方向に転がるとは予想も……
「ほんと、物好きなやつだよ。どうせお節介を焼くのなら俺にしてくれ、なんて言ってさ」
……いや。相変わらずの嫌そうじゃない顔を見るに、最初から予兆はあったのかもしれない。
「多分、進藤には大事だったんじゃないか。谷川との時間とか、思い出がさ」
「ふーん、そういうのってわかるもん?」
「間近でぶつけ合ったから、多少は」
結果的に互いのゴールこそ違ったが、同質の想いであることに違いはなかった。
まして長く続いた初恋ともなれば、その強さが折り紙つきなのも知っている。
ここまで漕ぎ着けたあいつのことを尊敬するし、同時に少し羨ましいくらいだ。
要するに、何を伝えたいかというと。
「曲がりなりにも競った身としては、ちゃんと向き合ってやってほしい。すごく真剣だろうから」
「ひとまず、今日はお手並み拝見だね。まっ、あいつがあんたとタメ張るくらいクソ真面目なのは知ってるけど」
「頑固さだけでやってきたクチだからな」
「悪くないんじゃない? そういうのも……あー。んー」
突然唸り声を上げた谷川は、少しの間考えるそぶりを見せると、何やら頷いた。
「もうこの際言っとくか。高峯、悪かったね」
「いきなりどうした?」
「あんたらが付き合い始めた頃、陽奈と宮内を比べるみたいなこと言ったじゃん? それ、謝っとく」
ああ、そんなこともあったような……ここ最近は毎日が目まぐるしくて、ほとんど忘れかけてた。
今になってわざわざ持ち出してくるとは、どういう心境の変化だろうか。
「進藤とこうなってさ。改めて振り返ってみたら、あれ超余計なお世話だったわ」
「余計なお世話、か?」
「ぶっちゃけカマかけたんだよね、あんたがどういう男なのか。あっさり乗り換えてヘラヘラしてるようなやつだったら捻るつもりで」
「ひねっ……」
さらっとエグい真実が暴露された。でも谷川らしい、パワフルな思考だと納得してしまう自分もいて複雑な気分になる。
「陽奈って誰とでも話すし、そういう空気も躱すの上手いけど、なんか時々心配になるんだよね」
「だから見極めたってことか」
「そ。でも、あんたはちゃんと怒ったっしょ。今もお見舞い代わるの、しっかり悩んでから決めたし。私と進藤のことにもアドバイスしちゃってさ。ここまでくると流石に申し訳なくなったっつーか」
「……なるほどな」
谷川も感じ取ってるんだろう。
一見屈託のない陽奈の笑顔。その奥に抱えた、脆さと傷を。だから予防線を張った。
その警戒は、ある意味正しい。
俺達の関係は元を辿ればお互いを利用し合うもの。今でこそ別の感情に育っているが、始まり方が歪なのは確かで。
だからこそ、クラスマッチを経て思ったんだ。陽奈との関係を──本物にしたいと。
しかしまあ……
「本当に面倒見いいんだな、お前」
「時々トラブるけどね。あんたのことは陽奈繋がりだけど友達だと思ってるし、拗らせときたくないから」
「分かった。なら、もう気にしなくていい」
「そ? ありがと」
「申し訳ないっていうなら、揶揄うのも程々にしてくれると助かるが」
「や、それは約束できんわ」
「おい」
なんでそこは曲げないんだよ。そんなに俺達を見てるのは楽しいのか?
「じゃ、陽奈のこと頼んだよ」
「おう。また明日」
満足げな様子で、谷川は立ち去った。
少し意外だったな。直観任せかと思えば、友達のために色々と考えを巡らせてた。
ああいうところが進藤や、陽奈が美人トリオの中でも特に頼りにしてる所以なんだろう。
とりあえず木村は残ってなくてよかった。あんなの聞いたら、一発でハートブレイク間違いなしだ。
「さて。俺も行くか」
ある程度心の準備もできた。
陽奈のお見舞いに、向かうとしよう。
読んでいただき、ありがとうございます。




