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転心



大変長らくお待たせいたしました。


第二章、最終話となります。


楽しんでいただけると嬉しいです。



 クラスマッチの特別休日が明けた翌朝の登校は、かなり億劫だった。


「ってて。まだ痛いな……」


 体の芯に鉛が差し込まれてるみたいだ。試しに腕を回せば、びきっと嫌な感覚に顔を顰める。

 昨日1日寝込んでこれなんだから、どんだけリミッター外れてたんだか。

 まあ、後悔はしてない。おかげで勝つことができたんだし。


 それでも足はため息が出るくらい重く、下駄箱までたどり着くのも一苦労だった。


「靴を履き替えるのも大仕事だ、っと」

「やあ。奇遇だな」

「うわっ! いぎっ!?」


 肩を叩かれて体を跳ねさせた瞬間、筋肉という筋肉に駆け巡る電流。


 思わず下駄箱に手をつく。

 小刻みに震えながら後ろを見ると、そこにはきょとんとした顔があった。


「すまない。そんなに驚かせたか」

「……いえ、驚いたってよりダメージが」

「筋肉痛か。さては随分と奮闘したな?」


 さすがは運動部主将、俺の不調の原因をクラスマッチだと一発で見抜いたらしい。


 朝練の後だろうか。少し上気した頬で茶目っけのある笑みを浮かべるのは、大門先輩その人だった。


「どうだった? 納得のいく結果を出せたか?」

「見ての通り、代償を受け止めてます」

「そうか。空手部(うち)の一年も朝から張り切ってた。聞くに、リレーで劇的なゴールを決めたやつがいたらしくてな。触発されてたよ」

「……改めて聞くと恥ずかしいですね」


 確信的な言葉に苦笑する。


 クラスメイトに陽奈との抱擁を揶揄われるわ、ヒーロー扱いされるわで当日も恥ずかしかったが、それとは別種のがじわじわと来る。


「やっぱりな。思った通りだった」

「思った通り、ですか?」

「あの日のお前は覚悟が決まった目をしていた。そういうやつは、必ずやり遂げられるもんだ」


 最初から信じてくれてた、ってことか……本当にいい人だ。


 肩に置かれた手からはその信頼が伝わってくるようで。俺は背筋を正すと、先輩に向けて頭を下げた。


「ありがとうございました。先輩のアドバイスのおかげです」

 

 意地を通し抜け。


 クラスマッチ中、常に無意識下でその助言が活力となり俺を動かしてた。

 最後の最後、リレーで勝つことができたのだって進藤が読み違えたからだけじゃない。

 先輩が漠然とした気持ちに纏まりをつけ、固い芯にしてくれたんだ。そのことに心から感謝してる。


「うん。お前の背中を一押しできたなら、先輩冥利に尽きるよ」

「はい。お世話になりました」

「ところで、その姿勢でいるのもキツいんじゃないか?」

「……実を言うとかなり」

「ははっ、無理するなよ」


 お言葉に甘えて体を元に戻す。すると腰とか背筋とかがまた悲鳴を上げた。こりゃ今日は座ってるだけでも辛いかもな。


「そういえば、もう一つあったな」

「もう一つ?」

「クラスマッチ。楽しめたか?」


 楽しめたのか、か。


 当日のことを思い返す。クラスメイトと協力して戦ったり、少し勘違いがあったとはいえ、誰かと正々堂々勝負したり。

 全部が新鮮で、面白かった。今までは自分の中で完結していた想いを、陽奈と通わせられたことまで含めて、だ。


 諸々ひっくるめて、断言できる。俺は心の底から楽しんでいた。


「はい。すごく」

「いい顔だ。少し羨ましいくらいだな」

「え?」

「む? ……あ、すまん。今のは忘れてくれ」


 先輩が、羨ましい? 俺のことを?


 空手が強くて、人気者で、小百合みたいな彼女がいるこの人が?

 本人も言うつもりがなかったのか、珍しく苦い顔をしてる。それがより真実味を感じさせた。




 どうしてそんなふうに思ったのかはよく分からないけど……でも。

 

「あの、先輩」

「なんだ?」

「もし、何か俺で力になれることがあれば言ってください。相談に乗ります」

「……すまないな。気遣ってもらって。高峯は本当にいいやつだ」


 感心したように言われるが、そうじゃない。


 確かに大体は恩返ししたいって気持ちだ。でも三割くらいは、いつか先輩がパンを買えなかった時と同じ。

 あいつの隣にいる人はなるべく完璧でいてほしいという、幼稚な感情……ただの我儘なんだから。


「家族のことでちょっとな。悩んでて力になってやりたいんだが、あまり上手くいかない。それでつい口に出てしまった」

「兄弟とかですか?」

「妹だよ。年頃でな、ずっと一人っ子だったから接し方がよく分からないんだ、これが」


 年頃の妹? でも一人っ子だったって、それじゃまるで歳の近い妹が最近できたみたいな言い方──






──実は再婚することになったのよ。最近決まったのだけどね






 ふと、蘭さんのことが脳裏によぎった。


 ……いや、まさか、な。


「俺も妹がいるんで、少しはわかります」

「本当か? いや、難しいものだな。それに()()()()()()のこととなると、中々踏み込めるものじゃない」

「昔からの……友達、ですか」


 声のトーンが少し下がるのを自覚する。


 頭の中で、別々の場所にあった点と点が朧げな線で繋がっていくような危うい感覚がした。


 一度は引っ込めた可能性が顔を出して、それから逃げるように。あるいは確かめるように、恐る恐る口を開いた。


「妹さんは、友達のことをなんて?」

「あまり深くは言えないが……ずっと()()()()()()()と。それで大切なものを奪ったと強く悔やんでいる」

「ッ」


 線が、くっきりと濃くなった。


 喉の奥で強く鼓動が反響する。先輩の顔を見ていられなくて、目を伏せた。


「おい、平気か? 顔色が悪くなったぞ」

「……大丈夫です」

 

 駄目だ、これ以上表に出しては。悟られでもしたらややこしいことになる。

 何とか心持ちを整えて、続く言葉を捻り出す。


「妹さんの、ことですけど。もし真面目で、どんなことでも本気で取り組むような性格なら……先輩が、そばにいてあげてください」

「む? よく分かったな。確かにそんな子だ」

「知り合いに似たやつがいたんで。そいつも人一倍頑張ってて、その分障害も多くて……だからよく話を聞いて、支えになればいいと思います」

「ふむ……俺にできるだろうか?」

「先輩にしか、できませんよ」


 そう、この人にしか任せられない。


 だって俺の前じゃ、一緒にいた頃も悩んでる顔ひとつ見せてくれなかったんだから。


「確かにな。仮にも兄妹だ、俺が日和ってたらどうにもならん。参考にするよ」

「いえ。頑張ってください」

「やれるだけやってみるさ。じゃあまたな、高峯」


 もう一度俺の肩を叩いて、先輩は立ち去った。


 完全に足音が聞こえなくなったところで、ふらりとよろけた体を下駄箱へ押しつける。


「あいつが、奪った………?」


 俺から? 一体何を? 


 そんなはずない。だって追いかけてたのは、ずっと隣に居座り続けたのはこっちだ。


 誰より近くで見てたくて、譲りたくなくて。そう、むしろ小百合(・・・)から奪っていたのは、俺の方なのに。


 


 ……別にあいつのことだと決まったわけじゃない。


 具体的に誰とは言わなかったし、俺も確信的な質問は避けた。先輩が蘭さんとたまたま同じ表現を使っただけの可能性はある。


 でも、それなら突然付き合い始めたことにも説明がつく。これ以上ない接点だ。




 もし本当に、そうなんだとしたら──俺はあいつに何を負わせてるんだ?

 



「……今更知ったって、どうしようもないだろ」


 全部終わってからだなんて、遅すぎる。

 意味も理由も確かめることはもうできなくて、そのくせもどかしさだけが降り積もっていく。


 俺は……小百合とどう向き合わなければいけなかったんだろう?


「あー……陽奈の顔が見たい」


 いつだって俺の迷いを晴らしてくれる太陽みたいな笑顔が、急に恋しくなった。




 ……小百合との関係をどこで間違えたのかは、分からない。




 それでも、自分のしてきたことに直面するような機会がやってきた時は──受け止めなくちゃいけない。




 なんとなく、そんな予感がした。








●◯●








「っくしゅ!」

「……大丈夫?」

「ん、へーき」


 誰かあたしのこと噂でもしてるのかな。

 それとも聡人があたしを想ってたりー、なんて。流石にそれは浮かれすぎか。


 んー、昨日からなんか寒気するんだよなー。もしかしてアレで風邪引いた? 結構スースーしたし。


 ま、なんとかなるっしょ。それより今は目の前のことだ。


「で、話って何? 宮内さん」

「そうね。まずは、朝から呼び出してごめんなさい。付いてきてくれて感謝するわ」

「別にいーよ。真里達と駄弁ってただけだしね」


 教室でいきなり話しかけられてびっくりしたけど、なんとなく来そうな気はしてた。こんなソッコーとは思わなかったけど。


 もう一つびっくりと言えば、この場所。

 いつか先輩とこっそり話すのに使ってた階段途中の踊り場。あんま人に聞かれたくない、ってことかな。


 そんな事を思ってたら、宮内さんはずっと手に持っていた紙袋を渡してきた。


「これを返そうと思って。クラスマッチでは本当にありがとう」

「あー、体操服ね。一昨日も言ったけど、そのまま返してくれてよかったのに」

「そういうわけにはいかないわ。借りた以上、清潔にして返すのが礼儀だもの」

「あはは、宮内さんらしいや」


 律儀っていうか、真面目っていうか。あんなことがあったのにそこまで考えて、しっかりしてる。

 あたしとか後になってシャツ預かったままなの気付いて渡しに行ったし。我ながらマジテンパリすぎ。

 思い出してちょっと恥ずかしくなり、誤魔化すために紙袋を受け取った。


「大丈夫? あのあと佐渡にナンクセとか付けられてない?」

「平気。それに、今回の根本的な原因は私だもの。彼女を責めるつもりはないわ」

「ふーん、そっか。あたしはまだちょっと許せないけど」


 服洗濯すんのだってタダじゃないっての。それに下手に洗ったら色移りしてマジ大変だから。今でもアレは超反省。


 閉会式やってる最中も、宮内さんの方ずーっと睨んでたし。今度なんかやったらガツンと言ってやろ。


「晴海さんは優しいのね」

「そう? 勝手に怒ってるだけだし」

「貴女みたいな人は初めてよ……いえ、二人目かしら」


 二人目、か。


 なんとなく、一人目の顔をぼんやり思い浮かべると、ちくっと胸を刺してきた。

 その痛みがあんまり良くないものだって、あたしは分かってて。だから蓋をする為にもこう言うのだ。


「何か困ってたらさ、あたしに言ってよ。クラスメイトなんだし、力になるよ」

「心遣いはありがたいけど、大丈夫。これからはちゃんと強くなるから」

「えー? それ以上強くなったらヤバくない? 誰も太刀打ちできないじゃん」


 冗談めかしたリアクションに、宮内さんは何も言わない。


 ……ああ、本気なんだこの子。顔を見たらわかる、絶対にやり通すって決めた人の表情だ。あいつとそっくり。


 なのに、なんでだろう。今の宮内さんは一昨日と同じくらい脆く見えた。


「今回のことは、いずれ何かしらの形で返させてもらうわ。私にできることがあれば言って」

「……ん。わかった」


 あたしの返事に頷いた宮内さんは、先に踊り場から離れていこうとした。


 横を通り過ぎて、階段を降り始める音がする。あたしはそこで振り向いて声をかけた。


「ねえ、宮内さん」

「何かしら?」


 立ち止まったあの子に、なるべくいつもの自分を作りながら、問いかける。

 

「ちゃんと、終わった?」

「……ええ、きっと」


 宮内さんは、あたしの前で初めて少しだけ微笑んで。


 今度こそ、行っちゃった。


 


 しばらく誰もいない階段を見つめてたけど、ふっと糸が途切れる。

 思ってたより緊張した。ちょうど良いところにある踊り場の窓の縁に腰を下ろす。


「んー。どうなんだろあれ」

 

 吹っ切れてた気もするし、そう自分に言い聞かせてるようにも見えた。

 でも、そっか。

 あいつのことを考える時、苦しそうにするだけじゃなくて、あんな顔もするんだね。宮内さん。




 ぼーっとしてたら、ポケットから通知音がした。


「ん、メッセ?」

 

 スマホを取り出してみると、真里達からだ。聡人が登校してきたらしい。

 もー、お節介だなあ。や、みんな見てる前で飛び込みハグなんてしたのに今更って感じだけど。


 それでも顔が緩んじゃって……ふと、ゆらゆら揺れるストラップと目が合った。


「………誰もいない、よね」


 一人なのを確認してから、人差し指と親指でストラップを摘むと、こっちに顔を向かせて。


「……ん」


 キリッとした眉毛の間に、唇を落とした。


 離してみても、当たり前だけど顔色ひとつ変わってない。本物は良いリアクションしたんだけどな。


 ……正直、宮内さんがどっちでも関係ない。ただ一つだけ確かなことは。


「あの表情(かお)は、あたしのだ」


 それだけじゃない。

 リレー中、何が何でも勝とうって必死になってた、あたしといたいって気持ちを剥き出しにしてくれた顔だって。

 ああいうの全部、これからも隣で見ていたい。聡人があたしを見てくれてるみたいに、あたしだけが。


 宮内さんに、まだ断ち切れないものがあるなら……あたしが終わらせる。そんなふうに考えるくらい、火がついてる。


「絶対、譲らない」


 あの子だけじゃない。他の誰にも渡さない。




 覚悟してよね、聡人。




 あたしもう──あんたのこと、本気で好きになっちゃったんだから。



 

 



読んでいただき、ありがとうございます。


三章の準備を急ぎいたしますので、お待ちください。

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