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貫く意地



えー、大変お待たせいたしました。まさか三週間も要するとは。


今回は特別、気合を入れてお送りいたします。長くなっておりますが、楽しんでいただけると嬉しいです。






『間も無く、クラス対抗リレーを開始します。参加する生徒は所定の場所に集合してください。それ以外の生徒は──』




 繰り返し響く放送。 

 グラウンドに引かれた白線の周りにはリレーを観戦するため、多くの同級生が集まっている。 

 場所取り合戦が行われる中、俺達は今回も最前列を陣取ることに成功していた。

 

「遅いな、陽奈のやつ」

「もう始まるってのに。ワンチャンハマっちまったか?」

「ありうるな……」

「おっ、あれそうじゃね?」


 ヒロの言葉にそちらを見ると、体育館の方から走ってくる女子がいた。


 跳ねる金色の三つ編みは遠目からでも映えて、すぐに誰だかわかる。


「ごめん、お待たせ!」

「おー、来た来た。ギリギリだったね」

「まだセーフっしょ」

「あれ? そのジャージどうしたんだ?」


 さっきまで腰に巻いてたはずなのに。しかもこんな暑い中、きっちり上まで閉めてるなんて不自然だ。


「やー、洗面台の水がめっちゃ跳ねてさ。ちょっと濡れちゃったから隠してるんだよね」

「濡れっ……それはそうした方がいいな、絶対」


 やばい。一瞬想像しちまった。


 ただでさえ目を惹くのに、そんなことになったら大騒ぎだ。

 ひとまず近くで聞き耳を立ててた男子どもは威圧して目線を散らしとく。


「汗もかいてるだろうし、早く着替えた方がいいんじゃないか? 風邪とか……」

「んーん、少しなら平気。二人のこと応援する方が大事だし」

「ありがたいけど、無理するなよ」

「もー、分かってるってば」


 かなり心配だが……今はあまり時間がない。


「じゃあ、行ってくる」

「一秒も目ぇ離すなよー」

「あ、待って」


 いざ踏み出そうとした途端、ストップをかけられた。リードのごとく引かれた手に体を持ってかれる。


「っとと。どうした?」

「ちょっと、こっち来て」

「……? わかった」


 真剣な口調に、言われた通り近づく。


 すると、じいっと見つめられる。何秒もそうして見つめ合っていると、首筋がそわそわしてきた。


 どうしたんだろうか。やっぱりどこか体調でも悪くして──


「……言うだけじゃ、足りないもんね」

「え? うぉっ──!?」


 次の瞬間、いきなりシャツを掴まれた。






 引き寄せられて距離が縮まり──ふに、と。






 柔らかいものが、首筋に触れる。


 それはほんの一瞬のことで、すぐに胸を押されて元の位置に戻った。


 固まる俺。これ以上ないくらい顔を赤く染め上げた陽奈が、自分の口元に指を触れさせる。


「……え、あ……い、今のは…………」

「……じない」


 なにて? ジー◯ー?


 錆びた機械ほど鈍い思考が、つい訳のわからないリアクションを弾き出した。


「だからっ。おまじない、的な」

「おま、じない?」

「さっき言ってたじゃん。決め手みたいなのがないって。ほら、リレーのこと」

「あっ、ああ、あれか。言った、な。確かに」

「あたし、ちょっと悔しかったんだよね。何もできないなって。すごい走り方とか知らないし、メンバーでもないし。応援しかできなくてもどかしいっていうか」


 十分すぎるくらいなんだが……多分、そういうことじゃないんだろう。

 陽奈はもっと直接、力になりたいと思ってくれたんだ。


「じゃあもう限界まで突き抜けてやろう! みたいな。効果あるかわかんないけど……でも、めいいっぱい頑張れって、勝てーって。さっきのに気持ち全っ部込めたから」

「あー……うん。なるほどな。そういうことか」


 つまり、バレー前に俺がしたのと同じことだ。あくまで鼓舞するための行為、そう考えれば納得できる。

 ちょっと、だいぶ、いやかなり、破壊力が桁違いだったけども。別に恋人ならこれくらいしたっておかしくない。


 ただそれを、初心なところもある陽奈がしたのが予想外すぎただけで。


「不意打ちしたのはゴメン。要するに何が言いたいかっていうと、さ……あたしは信じてるから。あんたが勝てるって」

「……!」




(勝ってよ、なんて言えない。聡人の努力は聡人のもので、その結果だって同じ。だからせめて、背中を押させてよ)




 信じてる。その言葉が、噴火寸前だった心から余分なものを打ち消した。


 羞恥を上回った衝撃の正体は驚きであり、強い喜び。信じるという言葉がどれほど陽奈にとって重いものか知っているからこそ、目が覚めるには十分だった。


「……ありがとう」

「ん。ほら、早く行って。あんまじっと見てんなし」

 

 向こうもキャパオーバーになってきたのか、やや突き放すように言われる。

 だが、俺の足が動くことはなかった。


「そう、だよな」

「……聡人?」


 やっぱり、ちゃんと伝えなくちゃ駄目だ。陽奈には俺の気持ちを知っておいてほしい。


 照れくさいとか、不安だとか、そんなことよりも。この想いがどこまでも独りよがりで終わることの方が、ずっと怖い。


 覚悟を決めろ。受け止めてもらえると信じろ、高峯聡人。


「全力で戦ってくるよ。お前の隣にいるために」

「──。あたしの、隣?」

「実は、進藤に宣戦布告されてたんだ。でも他の誰かにこの場所を譲るつもりはない。あいつに勝って、それを証明する」


 進藤に、これからリレーを見るやつら全員にも納得させてやる。晴海陽奈の特別は、高峯聡人のものだって。   


 そうすればきっと、俺自身も少しは相応しいと思えるだろうから。


「……本当? ノリに任せて言ってる訳じゃないよね?」

「熱くなりやすいのは自覚してるが、本気だ。俺は……俺が、これからもお前と一緒にいたい」


 偽らざる本音は、やっぱりひどく身勝手だ。


 要らないと思われるまでなんてとっくに嘘だった。自ら予防線を引いておいて、こんなに渡したくないと思うなんて。


 それでも、陽奈の一番近くは俺でいたいんだ。


「そっか……ふうん。そうなんだ」

「ごめん、すぐに打ち明けられなくて」

「ホントだっつーの。最初から言ってよ、超不安になったんだからね?」

「返す言葉もないよ」

「どうせ、あんたのことだから言ったら迷惑じゃないかなーとか悩んでたんでしょ」


 う。図星を突かれた。


 こうあってほしいと、大切な相手に望むのが怖かった。

 人としての在り方であれ、関係性であれ、また押し付けて重荷になってしまうくらいなら、隠しておくべきだって。


 この顔を見る限り、俺はまた間違えたみたいだ。


「言ったじゃん、別に嫌ったりしないって。そもそも、渡してくれなきゃ無理なものかどうかもわかんないし」

「……本当に、ごもっともです」


 これじゃ小百合に告白した時の二の舞でしかない。不確かな一度の成功に賭けるんじゃなくて、伝え続ける方が大事だと分かってたのに。

 苦い顔をする俺の頭めがけ、陽奈が軽めのチョップを落としてきた。


「いてっ」

「ほんと、バーカ。……でもま、あたしも不意打ちしたし。うん、何気にちょこちょこ見せてはくれてたから、おあいこってことにしてあげる」

「いいのか?」

「いーの。その代わり! はぐらかすの、これからはナシだからね。次やったらコレ(ゲンコツ)だから」

「肝に銘じる」

「よろしい」


 にっと笑った彼女は、握った拳を軽く胸に当ててくる。


「あんたのやりたいこと全部、あたしに見せてよ。ここから見てるから」

「わかった。出し切ってくる」


 最高の激励に力強く頷く。

 

 そのままレーンに向かおうと振り向いて、揃って野次馬顔をしてるヒロ達と目が合った。

 

「「あ」」

「お、やっと気付いた?」

「今回のは長かったな。今日イチ二人の世界極まってたわ」

「せっかくのドラマだったのに、スマホ持っときゃよかった」


 やっっっべ。こいつらのこと完全に頭から抜けてた!?


「ど、ドラマ言うなし! ああもう聡人、さっさと行くっ!」

「りょ、了解!」

「あ、置いてくなよー!」


 丸ごとどころか、5倍くらいになって帰ってきた羞恥に晒されながら走り出す。


 もはやリレーの一部なんじゃないかというほど、その時の逃げ足は我ながら大したものだった。

 







●◯●








「開始の合図はピストルで行う。フライング、妨害は厳禁だ。また走行中、過度な身体接触があった場合は状況によって減点が──」


 集合場所ではもう説明が始まっていた。


 立ち並ぶ参加者達を見回し、木村達を見つけて目立たないよう隣に潜り込む。


「悪い、遅れた」

「やっと来たか! ヒヤヒヤしたぞ!」

「だってよー、こいつがまたラブコ」

「トイレ! 急に腹が痛くなってな!?」

「おっ、おお? そうか?」


 危ない、暴露されるところだった。あんなの広められたらたまったもんじゃない。


「小百合も、迷惑かけたな」

「大丈夫。問題ない範疇だから」


 ……? いつもと雰囲気が違うような。


 どこか張り詰めてる感じがする。こいつにしては珍しく、気張ってるのだろうか。


「説明は以上だ。各自、ポイントに移動するように」


 そうこうしているうちに、教師の一声で参加者達が散らばりだした。

 

「おっし、やってやろうぜ。野球の負けを取り戻さねえとな」

「二回戦負けとは情けないぞ木村ー」

「いや無理無理、打つ球投げる球全部ぶん取られるんだぜ? あんなゴリゴリの現役部員ども勝てねえって」

「なら、リレーは上位にならないとな」


 クラスマッチの大トリだけあって、一着から三着の組には大幅な加点が入る。

 総合点を取れてないクラスには逆転のチャンス。女子バスケ以外そこそこの俺達にとっても絶好の機会だ。


「そうだな。活躍すりゃカッコよく見てもらえるかもしれねえし」

「んー? なんだ、好きなやつでもいるのかー?」

「いやっ、別にそういうわけじゃないけどな? ほら、一度はヒーローになりたいっつーか?」


 それじゃ逆にバレバレだぞ、木村。


 まあ、やる気は依然として衰えていないようだし。これならモチベーションは問題ないだろう。


「二人とも、頼りにしてるぞ」

「おーう、ウチらに任せとけ」

「今の俺は一味違うぜ?」


 ノリノリである。勝利の確信を深めながら、最後の一人へ言葉をかけた。


「勝とう、小百合」

 

 こいつには密かに感謝してる。


 決して何も思ってないわけではないだろうに、変わらず全力を注いでくれた。


 その努力を無駄にしないためにも、必ず結果を出す。


「あなたにバトンを届ける。誰よりも最速で」 

 

 返ってきた答えの力強さに驚かされる。


 涼しげな声色の中に混じったものは、俺の知らない何かしらの想いの表れなのか。もうわからないけども。


「……おう!」

「っしゃ、行くか!」

「戦いの始まりだー!」


 そうして俺達は、レーンの中に踏み込んだ。




 連なる白線の間に立つと、練習の時とはまるで違うことが分かる。


 ひりついた空気。降り注ぐ何十という目線。徐々に高揚していく気分。全てが体を駆け巡り、震わせる。


「緊張しているか?」

「……まあな。お前には慣れっこか、進藤?」


 当然のように隣に現れた男へ問いかけると、奴は鋭い眼差しをレーンの先へと向けた。


「いや。今日は格別だ」

「……そうか」


 こういう目をする時は、確か……案外わかりやすいやつなのかもしれない。


 だが、体に纏う戦意には些かの衰えもない。


「これで決まる。正々堂々、競い合おう」

「ああ。お前に負けるつもりは毛頭ない」

「奇遇だな。全く同じ気持ちだ」


 燻っていた導火線に火花を散らすよう、俺達は宣言を交わした。




『お待たせいたしました。これより本年度クラスマッチ最終種目、クラス対抗リレーを開催いたします!』

 



 わっと歓声が上がる。


 スタート地点に並ぶ第一走者達を見ると、一人、また一人と開始姿勢を取り始めた。


 ほとんどが男子の中、小百合の背中は一輪の白百合のようによく目立って。




「位置について、よーい!」




 教師がピストルを掲げた途端、グラウンドから声が消える。


 自分の心臓の鼓動が聞こえる程の静けさ。無意識のうちに、拳を握り締め。






──パンッ!!






 その瞬間、一斉に地を蹴った。


「いけー! かっとばせー!」

「抜け、抜けー!」


 白煙を置き去りに飛び出した走者達が、軽快にレーンを賭ける。


 出だしはほぼ横並び。だがそれは最初のほんの数メートルのことで、すぐに綻びが生まれていく。


 ばらけ始める列の中から何人かが先行して──先頭を突き抜けたのは、見慣れた顔。




『速い速い! B組が圧倒的にリードしています! これはトップ独走かー!?』




 速い。周りにいる男子達すら置き去りに、小百合はどんどん加速していく。


 付け入る隙など与えない完全な走り。寸分違わず練習通りの……いや、違う。


 あの時より、もっと速い!


「──!」


 瞬く間に半分を超えて、後半へと。


 何歩分も他を突き放す中、一人だけ追随する男子がいた。

 キレの目立つ走りでみるみる迫り、残り三分の一というところで後ろにぴったり付かれる。


「その調子だー! 抜けるぞー!」

「宮内さーん! もうちょいだー!」


 あの男子のクラスメイトだろうか、怒涛の追い上げに声援が集まる中、負けじと小澤が声を張り上げた。




 ついにカーブに差し掛かる。




 一番の勝負所で露わになったあいつの横顔は──酷く、獰猛だった。






(────振り切る。何もかも、全て)






 ああ──入った(・・・)


 これほど離れているのに感じ取り、答え合わせをするように小百合の表情が変わった。


「しぃ──ッ!!」


 次の踏み込みで、速度がまた跳ね上がる。


 整った顔を見たことのない荒々しさで彩り、縮めた差を嘲笑うみたいに疾走した。




『おおっと、ここでギアアップ! B組止まらない! 優勢は変わらずです!』




「っく!?」


 その男子が気づいた時にはもう遅い。既に一人分は遠ざけた。


 圧倒的なペースを崩さず置き去りにしながら、次のポイントまであと五メートル、三メートル、一メートル。


「小澤さんっ!」

「しゃおらーっ!」


 最後までトップを譲ることなく、宣言通り最速でバトンを受け渡した。


 小澤がお団子頭を揺らし走り出してから数秒後、ようやく他の選手も第二ポイントに到達する。


「うぉおおっ!」


 相変わらず速度はそれなり。でも足取りに迷いがない。ヘアスタイルチェンジ作戦は功を奏したようだ。


 惜しむべらくは、一歩の幅が短いことか。

 徐々に後続が追いついてきて、間も無くアドバンテージが完全になくなる。


「ちくしょー! 無駄にするもんかーっ!?」


 それでも小澤は諦めていなかった。

 

 手足の高さが落ち、動きが鈍くなっても、自分を鼓舞してがむしゃらに突き進んでいく姿に驚く。


「ふんぐぐぐっ! 受け取れや木村ぁーっ!」

「ナイスガーッツ!」


 根性は身を結び、さほど馬群に埋もれることなく受け継がれた。




『いよいよ後半戦に突入です! 現在首位はB組! 半歩遅れてD組、背中を追うようにA組! みなさん頑張ってください!』




 音楽のボリュームが上がり、観客のボルテージも湧き立つ。


 勝ち気に溢れた表情で発走した木村は、前半二人が勝ち取ったものを存分に活かさんと抜群のパフォーマンスを見せていた。

 

 あいつなりに練習してきたのだろう。笑う顔には、負けるものかという意地が垣間見えた。




 少しずつ、時計の砂が落ちていく。


 残されているのは二十秒、それとも十秒か。いずれにせよ、すぐそこだ。


「「ふぅ………」」


 ほんの少し残っていた緊張を吐き出すための呼吸が、重なった。


 誰と、なんて疑問に思うまでもない。粛々とより一層炎を大きくしながらゴールを見据え、姿勢を屈める。




『さあ、第三走者の出番も佳境に近づいて参りました! 一番最初にバトンを受け取るアンカーは誰だ!?』

 



 これ以上は見るまでもない。小百合を、小澤を、木村を信じるだけだ。

 



 目を閉じ、一つ、一つ。スイッチを落としていく。


 

 

 目標を達成するため、妨げになる思考や感情を隅にやり、あえて視野を絞り込む。




 ぱちん、ぱちんと頭のどこかで音が聞こえて。




 ついに最後の一つを落とし終えると、たった一つ必要なそれに指をかけ──


 

 


 

「持ってけっ、高峯ぇっ!」

「────はッ!!!」


 




 掌に叩きつけられたバトンを握り潰すように、押し上げた。








●◯●








 走り出しは理想通りにいった。



 

 そう意識したのが先か、体が動いたのか先かわからないくらいだった。


「ふっ──!」


 全身のバネを躍動させ、ひたすら前に向けて進み続ける。


 足に覚えさせた踏み込み。腕の角度。呼吸のリズム。全部上手くいってる。

 木村が残してくれた距離が、それらを助長した。


 いける。このままゴールまでぶち抜けば──!


「はぁ……っ!」

「っ!!」


 来た。


 確信を持って右後ろを見れば、進藤が目を見張る勢いで追いかけてきた。


 ドッジボールの時と同じく力強い足取りで空白を塗り潰し、ものの数秒で横にやってくる。


「「ッ!!」」

 

 お互いを激しく睨みつけた。


 頭の中に思い浮かんだ言葉は、一つだけ。




 こいつにだけは、絶対勝つ!




「「おぉおおっ!!!」」




 迸る激情を、雄叫びに変えた。


 足裏で地面を抉り、食いしばった歯を剥き出しにして。どちらかがほんの少し先行先を行けば、倍抜くことで取り返す。


 まるで、二人きりのレースをしているみたいだった。




『B組とD組アンカーの一騎打ちとなりました! しかし他のクラスも追い上げていく! ゴールテープを最初に切るのは一体どの組だーっ!?』

 


 

 残る距離は少ない。少しでも気を抜けば、一回でも踏み込むタイミングを間違えば、終わる。


 負けない。負けてたまるかっ!


 どんなに強かろうと、今度こそ絶対に、俺はっ!






「勝て──っ! 聡人────っ!」






 ──溢れ返る音の中で、声が聞こえた。




 耳を突き抜け、千切れそうな脇腹に、破裂しそうな肺に、痛んだ足に染み渡って。


「はあぁっ!!」


 再び、吠える。


 掌に指の先が食い込むくらいバトンを握り直し、ありったけの余力を解放すると、大きく進藤を抜いた。


「っ、ぐぅ……っ!」


 突然、苦悶を顔に浮かべた奴の速度がガクッと落ちる。


 ここしかない。目と鼻の先にあるゴールめがかて、一気に駆け込む。






「はぁあああ──っ!」

「お、おぉおお──っ!」



 



 最後の最後まで、ひたすら叫びながら──ふわりと胸を、何かに撫でられた。






『終了ー! 一着は──B組!』






 どこかで、大勢の声が上がる。


 ゴールだったのだろう場所から何歩も進んでようやく止まり、立ち尽くした。


「はっ……はっ、はっ……はっ………」


 目がチカチカする。耳鳴りと心臓がうるさい。手足の感覚がほとんどなかった。


 自分の中が空っぽになったみたいでいると──いきなりばちんと頬に衝撃が走った。


「っ! あ、あれ?」

「おう、戻ってきたな。平気か?」

「ヒロ? どうしてここに……」

「お前がゴールしたのにずっと突っ立ってるからだよ。喝入れに来てやったとこだ」

「俺が?」


 ……走ってる途中から記憶があまりない。出し尽くしすぎてどっかぶっ飛んでたらしい。


「っ、そうだ、結果はどうなった?」

「聞いてなかったのか? お前がゴールテープを切ったの、みんな見てたぜ?」

「てことは……」

「おめっとさん。ナンバーワンだ」

「っし!」


 バトンを持った手でガッツポーズする。


 本当にやれた。まさかこんなことができるなんて、我ながら信じられない。

 なのに顔は自然と緩んで、頭と現実がちぐはぐだった。

 

「っと。そろそろ俺の出番は終わりっぽいな」

「は? 出番?」

「本命が来たってことだよ」

「一体どういう──」

「聡人っ!」




 世界が金色に染まった。




 引き下がったヒロの後ろから飛び込んできた人物に抱きつかれ、危うく転びかける。


 ギリギリで踏みとどまると、そいつはさらに抱きしめる力を強めた。


「んぶ、ひ、陽奈?」


 呼びかけても返事がない。


 顔にかかった髪の匂いでドギマギする。というか、妙にジャージ越しに感じる体が柔らかいような。


 どうすることもできず為されるがままでいること数秒、ぱっと陽奈が離れた。


「めっちゃかっこよかった! おめでと!」

「! ありが、とう」


 満開の笑顔を見て、まるで無かった実感がようやく湧いてきた。


 勝った。ようやく欲しかったものを手に入れたんだ、俺。


「約束しただろ。譲らないって」

「あるわけないじゃん、そんなこと。ずっと釘付けだったっつーの」

「なら、明日の筋肉痛もチャラだな」


 実際の勝利より、陽奈の言葉が何より嬉しい。


 明るく煌めく瞳の中に自分が映り込んでいる。ずっと、この瞬間を続けられたら──。


「お二人さん、流石にキスとかはやめとけな? いくらなんでも目立ちすぎる」

「いやっ、そこまではしねえよ!?」

「えー? もう十分目立ってるし今更じゃない?」

「陽奈!?」

「おーい、高峯ー!」


 揶揄いモードに入った恋人に狼狽してると、呼び声がした。


 前から谷川と斎木が、レーンの方からは木村達が駆け寄ってくる。


「よう、やったな大将!」

「ふふん、ウチら大勝利ー!」

「ありがとう。二人のおかげだ」

「今回もーなんて言ってたけど、あれを超える活躍見せるとはね。大したもんだよ」

「陽奈の彼氏としちゃ満点じゃねーの? もう文句言うやついねーだろ」

「だと嬉しいんだが」


 口々に褒められてめちゃくちゃこそばゆい。でも肩や背中を叩く手が、そう悪くなかった。


 照れを紛らせるために他所を見たら、偶然そこに小百合がいた。




 輪のずっと外側にいるあいつは、微かに開いた口元から五つの音を紡いで。


 それが終わると、どこかに行ってしまった。


「……ありがとう」

「え? なんか言ったか?」

「いや、平気だ。ていうか響くから叩くのやめてくれ」

「おっ、わりーわりー」

「賑やかだな」


 あんまり悪びれてなさそうな木村の肩を叩いてると、もう一人こっちに近づいてくるやつがいた。


「……進藤」

「見事だった。特に最後のは驚かされた、思わずペースが乱れたぞ」

「あれはそういうことだったのか」


 ゴール前までほとんど僅差だったのは覚えてる。

 こいつが最後まで実力を発揮してたら、結果は違ったかもしれない。


「陽奈の前で、絶対負けられなかったからな」

「わっ」


 肩を抱き寄せて、立ち入る隙などないと示す。進藤はどこか自嘲気味に笑った。


「慢心、か。見くびっているつもりはなかったが、俺もまだまだのようだ」

「まあ、一発勝負だったっていうのもあるけどな」


 ある意味初見殺しみたいなもんだった。

 進藤の走り方はしっかりと確立されたものだったし、次にやったらもう勝てる気がしない。


「その一度に勝つことが重要なんだ。誇っていい」

「素直に受け取るよ」

「ああ。まったく、初恋はままならないというのは本当らしい」


 初恋、だったのか。


 なら本気で勝負を挑んできたのも納得できる──




「高峯に勝てれば、少しはお前に良いところを見せられると思ったんだがな。谷川」

「へっ? 谷川?」




 素っ頓狂な声が漏れた。


 進藤は陽奈ではなく、横で俺達の話を聞いていた谷川の方を向いている。当の本人は珍しくぽかんとしていた。


「……は? 私?」

「お前が一緒にいるのもわかる。すごいやつだな。こちらを見てもらうのは骨が折れそうだ」


 固まった俺達に構わず、それまでとなんら変わりないよう、どストレートな言葉を放ち続ける。


 一通り終えると、昼の時と同じようにくるりと背中を見せて。


「出直す。またな、高峯。谷川」


 行って、しまった。


 


 ぽっかりと、喧騒の中でここだけに音がなかった。


 あまりの衝撃で勝利の余韻も吹き飛び、誰もが言葉を失う。

 その代わりとでも言うように、谷川へ探るような、気遣うような、あるいは愉しげな目線が注がれて。


「えっとー……真里?」

「……っんとに、あの男!」


 俯いて震えていた谷川が、ばっと顔を上げた。


 怒りと恥ずかしさと、ほんの少し嬉しさが混じった表情。それでキッと向こうを睨む。


「あったまきた。待ちな進藤! 今日という今日は絶対許さないから!」


 言うや否や、凄まじいスピードで追いかけていった。


 そうするともう、我慢する必要もない。溜めていたものを全員が一斉に吐き出した。


「ぶっ、あっはははは! ひーっ、最後まで面白すぎ! マジ笑い死ぬって!」

「くくっ、あいつ、あんな顔もできんだなぁ」

「そ、そんなぁ、谷川ぁ……」

「どんまい、木村。ウチが慰めてやんよ」


 予想外の展開に笑う者、心折れる者。


 その中で俺は、湯気が上がりそうな顔を両手で覆った。


「俺、最初っからずっと勘違いしてたってことか……!?」

「みたいだね。まあ、最初からそんな気はしてたし」

「嘘だろ……」

「あたしはめっちゃ嬉しかったよ?」


 陽奈はそう言ってくれるが、これは簡単に飲み下せそうになかった。


 兎にも角にも、リレーは一着をもぎ取り、得点を加味した結果、最終的にB組は総合二位にランクイン。


 俺達のクラスマッチは、少々思ってたのとは違う形で終わりを迎えたのだった。






読んでいただき、ありがとうございます。


次回、二章ラストをお送りします。

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