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大丈夫


楽しんでいただけると嬉しいです。





 練習を始めて一時間くらいだろうか。


 空が濃いオレンジ色に変わる頃、俺達に許された利用時間が終わりへ近づいていた。


「んぐ……ぷは。ある程度連携を取れるようにはなってきたな」

「っあー、疲れた。でも参加しといてよかったわ。お前らにぶっつけで合わせるの厳しかっただろうし」

「小澤は生きてるか?」

「…………」


 ダメみたいだ。燃え尽きてる。

 でも、なんだかんだと言いながら頑張ってた。 

 ギャル特有のイベント事に対する熱意の強さが発揮されてたというか。途中からちょっと速くなってたし。


「やってみるとあっという間だわ」

「同感だ。もう少し詰めたいが、そろそろお開きだな」

「はっ!! ウチ寝てた!?」

「お、戻ってきた。そろそろ帰んぞ」

「うぐっ! これ、明日絶対筋肉痛だ〜」

「俺もへとへとだよ」


 生まれたての子鹿みたいな小澤に木村が手を貸す。この二人、案外相性いいのかもしれない。


 小百合にも、向き直って礼を告げた。


「お前も、ありがとう。今日は付き合ってくれて助かった」

「いえ。私にとっても貴重な時間だったわ」


 練習を一回、また一回と重ねるごとに、小百合は俺達の実力を把握し、自分の走りを調節していた。

 バトンの受け渡し、声掛けのタイミング、ペース配分。

 全部が最適になっていくのは、見ていて心地よくさえあった。

 

 これなら本番でもぶっちぎってくれるだろうと確信したくらいだ。


「なら良かった。お前がいると心強いことが改めてわかったよ」

「……そう。ありがとう」




 そう思っていたら、また、揺れる。




 真正面からこうして向かい合っていなければ気付かないほど微かに、小百合の瞳が翳ったように思えた。

 いつだったか、雨の日に傘を貸した時にもこんな目をしていたような。


 不思議な既視感は束の間で、瞬きをした時には、もういつもの眼差しがそこにあった。   

 幻のような一瞬を振り払うため、俺は若干呆けた表情を正して少し大きめに声を張り上げる。


「さて! あとは次使うやつらに校庭(ここ)を引き継ぐだけだ。それと鍵か」

「ん? 鍵? なんのこと?」

「小百合が預かってる体育倉庫の鍵だよ。小山先生はなんて?」

「最後の利用者が使い終わったら、後片付けをしてから返すよう伝えてほしいと言われたわ」

「ほーん。じゃあもうちょっと待ちか?」

「いや、俺が渡しとくよ。日も暮れてきたし、それに小澤がまた撃沈しそうだ」

「あう、まだいける、いけるってー……」

 

 うーん、無理そうだ。

 夏とはいえ夕方になってくると肌寒い。こんなとこで寝て風邪でも引いたら、間違いなく明日の授業にも響く。

 

「しゃーないな。ここまできたら更衣室入るまでは俺が見とくよ」

「助かる。小澤はそれでいいか?」

「んー……木村はウチの世話係ー……」

「はいはい、今日はそれでいいわ」


 任せてよさそうだ。

 あとは、件の鍵を受け取ればいい。


「小百合。渡してくれたら、俺が責任持って引き継いどく」

「いいの? あなた一人が残らなくても……」

「お前が一番忙しいだろ。時間取ってもらったんだし、それくらいさせてくれ」


 小百合の能力は日々積み重ねている努力から生まれるもの。

 他の追随を許さない学力や、高い運動能力は多くの時間を費やしているからこそ。

 俺から練習に誘った手前、その一部を割いてもらったお返しをするのが筋だ。


「……わかった。お言葉に甘えさせてもらうね」

「ああ」


 小百合が鍵を取り出す。

 

 一歩、二歩とこちらにやってくると、差し出した手に乗せられた。


「お願い、聡人くん」

「おう、任せとけ」

「じゃあな、高峯。マジサンキュー」

「まーたなー……」

 

 掌に小さな鍵が収まる。

 それを見届けると、三人は校舎の方に向かって歩き出した。


「さようなら。また明日」

「小百合」


 翻る背中を、咄嗟に呼び止める。


 我ながらあまり大きくならなかったその声は届き、あいつが振り向いた。

 

「どうしたの?」


 何かを躊躇うよう、ほんの少し震えた指先から落とされた、徐々に熱が消えていく鍵を握りしめる。

 軽く息を吸って、それから小百合に告げた。


「心配しなくても、大丈夫だから」

「……何のこと?」

「いや。なんとなく、ただ言っときたくて」


 別に、俺の勘違いならそれでいい。

 たとえそうじゃないとして、その揺らぎが何を意味していようと、もう無理に踏み込むつもりはない。

 何歩分も開いたこの距離が望むものだと、身勝手に信じながら。


 それでも察しのいいこいつならわかってくれる気がして──俺はまた、押し付ける。


「リレー、本番も頑張ろう」

「……ええ。頼りにしてるわ、聡人くんのこと」

「そりゃ、責任重大だ」


 口の端を仄かに上げると、小百合は今度こそ立ち去った。


 みんなの背中を見送って、ポケットに鍵を突っ込むと校庭に向き直る。


「ライン、どうせなら引き直しとくか」


 何度も走り込んだ結果、巻き上がった土や風だったり、直接踏んだりしたせいでかなり掠れてる。

 何もせず待ってるのも手持ち無沙汰と、置きっぱなしにしてあったラインカーを持ってきて新しい線を引き始めた。




 一周し終える頃、やってきた次の利用者達に引き継いで俺も帰った。


「いてて。もうふくらはぎ張ってんな」


 動かしにくい手足で何とか着替えて、本日二度目になる更衣室から出る。

 さっき以上に人気のない廊下の無音が耳に痛い。自然とまた急ぎ足になった。


「あれ? 聡人じゃん」


 玄関まで辿り着き、靴箱から取り出した革靴を床に落とした時。

 馴染みのある声に顔を上げると、意外そうな顔をしたギャルがそこにいた。


「陽奈。偶然だな」

「ほんと、マジ偶然。今終わり?」

「ああ。そっちも?」

「んーん。数学のプリント忘れたから取りに来た。出さなかったらあの先生超怖いじゃん」

「納得だ。せっかくだし、一緒に帰るか? 駅まで送るよ」

「モチ! ありがとっ」


 というわけで、たまたま出会した陽奈と下校することになった。


「はい」

「ん」


 互いに靴を履き、手を繋いで帰路につく。


 外に出たら、通気性の高い体操服から制服に着替えたことで西陽の攻撃力が倍になってた。こりゃ家に着くまで余計に汗をかきそうだ。


「どうしたの? なんかむずむずしてるけど」

「え?」


 いきなり言われてびっくりする。

 そして自分が陽奈から少し距離を取ってること気づいた。無意識だったみたいだ。


「あー、いや。一応水道で流したけど汗臭くないかなって」

「別に? てかそれ言ったらあたしもだし、むしろこっちが平気?」

「全然変じゃないよ」

「そ。ならいいけど」


 普段と変わらない、柑橘系の香り。陽奈のことだからしっかり練習しただろうに不思議だ。まあ、変態っぽいから口には出さないけど。


「練習どうだった? 一位取れそ?」

「取れる、って言いたいけど、流石にな。でもいいとこまではいけそうだ」

「へえ、自信ありげじゃん。前は程々って言ってたのに」

「少なくともすっ転ぶことはなさそうだ」

「あははっ、何それ……ねえ、それってやっぱ、宮内さんがいるから?」

「まあ、それもある。何より、俺自身にモチベーションができたからっていうのが大きい」

 

 正直、今日の練習で先輩からもらったアドバイスを発揮させることはできなかった。

 つまるところ気の持ちようの話なので、実際に競う相手がいない状態では100パーセントを出しきれないのも当然というべきか。


 でも、何となく感覚は掴めた。

 あとは本番できっちり爆発させられるようにすればいい。


「モチベーション、ね。前から聞きたかったんだけど、最近やけにガチってるのってどうして?」

「まあ、大したことじゃないんだけどさ。やりたいことが出来たって感じ」

「ふうん。それってどれくらい?」

「そうだなぁ。手のひらに収まるくらい、かな」


 今も握るこの手を、これからも掴んでいたい。


 言葉にしてしまえば、俺の気持ちはそんなありきたりなものになるのだろう。

 だからこぼれ落ちないよう閉じ込めておく。強く握りしめると逆に壊れてしまいそうだから、扱うのが大変だ。




「そ。でも、塞がっちゃってるよ?」




 突然、陽奈の指に力が入った。


 真剣身を帯びた面持ちには強い感情があって、俺に何かを訴えているかのよう。

 ……何故だろうか。俺はそれが嬉しいと思ってしまった。

 手の中にある気持ちが同じ形をしていると、ついつい思いそうになる。疲れてるせいか割と恥ずかしいこと考えてるな、俺。


「塞がってるなら、逃げ場がないなあ」

「いや、逃げんなし」

「逃げないって。言葉のあやだよ。陽奈こそ練習はどうだった?」

「あ、それそれ。聞いてよ、光瑠がスパイクに超ハマってさー、手がヒリヒリするまでめっちゃ相手させられた」

「マジか。どんだけ強烈だったんだよ」


 たわいもないことを話しながら、二人でゆっくりと駅までの道を歩いていった。





 

 


読んでいただき、ありがとうございます。


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