リレー練習
楽しんでいただければ幸いです。
それきりめぼしい会話はなく、静かな時間が過ぎていく。
やがて、予定時刻ぴったりくらいになって、校舎から二つの人影がこちらへやってくるのが見えた。
「おーい、高峯! 宮内さーん!」
「木村! それに小澤も!」
「うえ〜い……きたぞ〜……」
「ほら、はよ歩けって」
と、遠目からでも片方のやる気が凄まじく低い。
渋柿食ったみたいな表情の小澤を隣から促しながらやってきた木村は、到着するとやっぱりと言いたげな顔で俺達を見た。
「なーんだ、準備終わってやんの。お前が玄関でうだうだ言ってるからこいつらがやっちまったじゃん」
「うっさーい。ウチが今日、どんだけこれのために覚悟決めたと思ってんだー」
「いや長えよ。一日掛かりとか」
「うぅ〜! 高峯ぇ〜、ウチ絶対延長戦とか無理だからな!」
「わかってるよ」
次の予約のやつらが来たら終わりなので、小澤が泣くことにはならないだろう。多分。いきなりキャンセルとか入らなきゃ。
「宮内さんも、よろしくな」
「ええ。頑張りましょう」
「マジで今からごめん〜、ウチが絶対プラマイゼロにする。てかマイナスる!」
「変な造語作るな。そんで自信満々に言うな」
「木村、ウチに対して遠慮なくね?」
「そりゃあんだけ愚痴られたらな」
「ぶ〜」
玄関で色々あったらしい。メンバー同士仲が良いのは良いこと、なのかね。
ともあれ、全員無事に集まった。
軽くストレッチして体を温めてから、貴重な時間を無駄にしないよう早速練習に入る。
バトンを渡す順番は事前の取り決め通り、ファーストランナーに小百合、次に小澤、木村と続いて、アンカーの俺だ。
それぞれ、各ポイントにスタンバイする。
改めてレーンの上に立つと、走るのはほんの一部分と考えていたゴールが、思っていたよりずっと遠くに思えた。
「うーし、頑張るぞー!」
「あーもう、ここまで来たらやったらー!」
やる気は十分のようだ。
こちらに手を振り、あるいは振り上げた二人に頷き、スタート地点にいる小百合に向けて声を張る。
「小百合! 準備ができたら、始めてくれ!」
「分かったわ」
ひとまず、一度全員全力でどこまでやれるのか走ってみる。
小百合がゆっくりと体をかがめてーーその瞬間、ピリリと肌が変化を感じた。
入った。これまでの付き合いで、直感的に理解する。
あれは何かに真剣に打ち込もうとする時の雰囲気だ。周りにいる人間がゾッとする程の集中力を発揮する、その前触れ。
予感と共に、どこか鮮明なほど深呼吸する音が聞こえてーーグランドを蹴る。
「ふっ……!」
まるで放たれた矢のように、躊躇なく華奢な背中が飛び出す。
そう思った瞬間には既に何歩も先にいて、たったそれだけであいつは七割近い速度に達していた。
「ちょっ、まっ、速い速い速いって! マジでー!?」
「構えろー小澤! すぐ来んぞー!」
踏み出せば踏み出すほどキレを増していき、運動部顔負けの正確な動きとペースでみるみるうちに進んでいく。
カーブを曲がる際に見えた横顔は、何年、何百回と見ていたのに、やっぱり隙なんてなくて。その眼差しも真っ直ぐに前だけを目指していた。
「う、うおーっ! こうなったら来いやー!」
小澤の声にはっと我を取り戻す。
いけない、すっかり呆けていた。小百合はもう交代ポイント間近にまで迫っている。
「小澤さん、はい!」
「そりゃーっ!」
おぼつかない手つきで受け取った小沢が走り出す。
果たしてその実力は……正直速いとは言えなかった。
これでもかと自己申告していたが、本当に運動が苦手なのがわかる走り方してる。ていうか既にバテてる。
ついには三分の一を超えたあたりで完全にヘロヘロになった。先に小百合の走りを見ていたのもあって、ぽてぽてと足音がここまで聞こえてきそうだ。
「うひ…ふおっ…ひ〜……!」
「あともうちょいだぞー!」
「き、木村、ギブー!」
「任されたっ! っしゃー!」
それでもなんとか木村のところまで辿り着いて、半分が終わった。
ここまでの体感、そう時間はかかってない。小百合は言わずもがな、小澤も致命的ってほどじゃなかった。今走っている木村だっていい感じだ。
なら、あとは俺の問題。
「……ふぅ」
もう一度、小さく息を整える。
手首や膝、足首をほぐし、自分の中にあるスイッチみたいものを切り替える準備をして、近づく木村を見る。
「高峯、渡すぞー!」
「ああ」
十メートル、五メートル、三メートルーーそして、伸ばされた手からバトンを受け取って。
カチンと、音が鳴った。
「っ!」
低く落とした体を、飛び出させる。
走り方はいつもランニングしている時と同じ。違うのは、長距離を同じ負荷でこなすのではなく、ほんの数百メートルに費やすという一点。
そこに少し齧った走法をアレンジして加え、レーンをなぞって駆けていく。
「いけいけー!」
「が、がんば〜……」
「ふっ、ふっ……!」
本番と同じ気持ちで、力を出し切る。そんな思いでバトンを握り、足を踏み出し、自分に出せる限界速度に達して僅か十数メートル。
あっという間に、俺はスタート地点のコーンの間を潜り抜けた。
「っ、はっ! ふぅ、ふぅ……ふぅー」
数歩分の余韻の後、間違いなく吐き出していた息を久しぶりにするように大きく口で吸い込む。
途端にドッと汗が全身から吹き出し、前に尖っていた思考が徐々に緩んでいく。
「……うん、よし。こんなもんか」
「よー高峯! お前すげーじゃん!」
「わっ、木村! おう、ひとまずは予想通りの走り方ができたよ」
「いやマジで、宮内さんと見比べても遜色ねーって。こりゃ今回も掻っ攫ってきそうだなー?」
軽く肩を叩かれ、バスケのことを思い出して苦笑する。
自分の実感としては……可もなく不可もなく。これくらいならいけるだろう、というイメージにそう違わないくらい。
でもこの反応を見るに、そう悪くはなかったかと思えてーーがしりと腕が掴まれた。
「……小澤?」
「……裏切り者」
「え」
「裏切り者ー! ちょー走れるじゃんかー!」
「じ、自主練もしてるかな?」
「うぐぅう、木村も謎にできてるし……でも宮内さんからバトン受け取れた! ウチ凄くね!」
「何故にディス挟んだ。けどまあ、初っ端からポカさなかったのは良かったんじゃね?」
「うへへー、もっと褒めろー」
胸を張る姿のなんとも小動物じみてること。マスコット扱いで可愛がられるのもわかる。
会話でじゃれ合う二人の後ろからやってきた小百合と、目を合わせる。
冷涼な面持ちからどんな感想が出てくるのか。少しだけ、緊張が走る。
「思った通りだったわ。聡人くんが、一番アンカーに相応しい」
「……そっか。ありがとう」
「てか、やっぱ二人って幼馴染だよなー」
? どういう意味だろう。
奇しくも小百合も同じ気持ちだったのか、同時に振り向くと木村は言う。
「なんつーか、横顔がそっくりだった。ガチ真剣な時の表情が瓜二つでさ」
「えー、そうだったん?」
「小澤は溶けたバターになってたからな」
「だったらお前をパンケーキにしたろかー!」
「誰が食うんだよそれ」
また、小百合と顔を見合わせる。
俺はきっと今、きょとんとしているのだろう。向かい合う表情にも少なからず同じものが乗っている。
「違うよ。俺と小百合じゃ」
「……そうね」
「えー? そうかね?」
「そうだよ。さっ、小澤が復活したら二回目をやろう。順番も今のままで良さそうだし、後はスムーズに受け渡しする練習だな」
「バトンパスがキモだもんなー」
「小澤さん。私でよければ、走り方をアドバイスするわ」
「マジ! ちょー助かる! 宮内さん神!」
そうして、俺達は何度もリレーの練習を繰り返し行った。
読んでいただき、ありがとうございます。




